赤髪の少女、イェレアス
ミヒトが生み出したこの世界最初の教科書と実用書。
これを広めにモナの妹に会いに行くが、なぜか彼女の怒りを買ってしまう
「私はイェレアス!イェレ―と呼んでいいのは世界で唯一、モナお姉様ただ一人なの!」
イェレアスと名乗り上げた少女は、燃えるような赤髪と瞳を揺らし、自分の三倍も四倍も大きいドラゴンを睨みつける。
ミヒトは可愛らしい少女の外見からは想像できない怒りの声に動揺した。
花の様に優しい雰囲気のモナと比べ、目の前の少女は炎の如く怒りの色を宿していたのだ。
今にも彼女の憤怒が噴き出して、自分に降りかかってくるのでは無いか?ミヒトは彼女の火の粉でさえも怯えていた。
何せここ何年と本気で怒られたことが無いのだ。仕事はそつなくこなし、日常生活でも誰かの怒りを買ってしまうような人柄ではなかった。
それだけに、彼女の怒りと言うのはミヒトにとって想定外であり、どう対処すれば良いのかわからなかったのだ。
ただ、ミヒトにとって幸運だったのは、ここにいる全員がミヒトの表情が読めないという事と巨大な体からくる安心感があるということ。
そんな怒りに染まった少女を案じてか、一人の青年が駆け寄って来た事だろう。
緑を基調とした服装と金髪から、脳裏にはメントの姿が思い浮かぶが、とがった耳と凛々しい顔立ちからすぐさま払拭される。
彼の登場で、ミヒトは自己紹介から始めようと思い立つが行動に映せなかった。
イェレアスの強い眼差しが、ミヒトの決断を鈍らせてしまったのである。
「イェレアス、そんなに睨んでは話が出来ないよ。初めまして、私はこの森のハンターをしているクストです!」
「僕は神様の使いで来たミヒトです。実は」
「御託はいらない!気安く私の名前を呼んで!許さない!」
「イェレアス、彼はモナさんの知り合いなんだろ?君の愛称を知ってるってことはそれだけモナさんが君を思ってるって事じゃないか!」
「だから!?私の愛称を語って二度も騙せると思わないで!ちょうどいいわ、新しい魔法でアンタの正体を暴いてあげるわ!」
(新しい魔法?もしかしなくても《ステータス》だ。ならすぐに僕の正体も解るし、納得してもらえるはずだ)
「《ステータス》!・・・・何も、見えない?クスト、下がって!」
イェレアスは大地を蹴り上げミヒトに高速の右アッパーカットを放つ。鉄を叩くような乾いた音に紛れ、ペキュと肉と骨が潰れる生々しい音が聞こえる。
小さな音だがミヒトはしっかりと理解した。自分の鱗の硬さが少女の拳を傷つけたのだと・・・。
だが、イェレアスの攻撃は止まらなかった。体を捻り、左足で蹴りを放つ。彼女はアッパーカットから流れるように回し蹴りを放ったのだ。
それも正確にミヒトの顎を打ち、気絶を目的に放たれていた。彼女の踵は確実にミヒトの顎を捉えていたが、その衝撃は一枚の鱗に吸収され頭どころか、牙にも届かない。
イェレアスは更に右足でミヒトの顎を踏み台にするようにフロントハイキックをお見舞いする。これもミヒトにとって傷にはならないが、彼女にとっては距離を離す目的があった。
ロケットの様にミヒトから距離を開け、地面に着地する。
「コイツ、とんでもなく硬い!クスト、早く下がって!」
「なに言ってるんだ!?イェレアス落ち着くんだ!」
「トマおじさんを殺したやつかもしれないんだよ・・・・」
「なっ、そんな?!」
「“神よ愛を与えたまえ、流れる血は家族を、受けた肉は繋がり、在りし日の約束を果たすべく我が身を癒さん”」
「ちょっと待って、僕の話を聞いてくれ!」
あれは《治癒》の詠唱だ。不味い、MPが続く限り僕に攻撃してくるつもりだ。《ステータス》!
――――――――――――――――――――――――
≪種族≫ 人間 Lv.8
≪名前≫ イェレアス
≪筋力≫ 19 ≪体力≫ 21
≪敏捷≫ 17 ≪知性≫ 14
≪精神≫ 9 ≪魔力≫ 14
≪生命≫ 19 ≪ MP ≫ 3/23
≪特性≫
・信仰 ・神の加護 ・神官 ・拳闘士 ・追撃手 ・気絶手 ・頑強
≪魔法≫
・《夜灯》《熱火》《治癒》《ステータス》
――――――――――――――――――――――――
彼女のMPだともう《治癒》は使えない、これ以上傷つけられない!
不味い、思ったよりもどうしたらいいの!?来る!避けなきゃ!
ミヒトは体を逸らしイェレアスの飛び蹴りを躱す。しかし、その動きは織り込み済みのようで、彼女の手は、ミヒトの体を掴み、鋭い眼光は頭部に向けられていた。
イェレアスはすぐさま態勢を変え、ミヒトの体を蹴上がる。ミヒトの眼前に飛び出すと、彼女は《夜灯》の魔法を使う。
常人であれば、突発的な閃光で視界が利かなくなるところ。だが、ドラゴンのミヒトには問題なかった。
ミヒトは次に彼女が行う行動を、思考をフル回転させて予想する。喧嘩等の暴力的なことをしなかったミヒトだったが、彼はこの状況で何が来るかわかっていた。
相手の視界を奪ったら、強烈な攻撃と相場が決まっている。相手が素手なら、それはキックで、この場面、彼女の体勢からは踵落としである。アクションの基本!
ミヒトはすぐさましゃがみ込む。頭上では踵をフルスイングしているイェレアスの姿が見える。
立て続けにミヒトは翼で体を覆い、亀のように丸まった。
「イェレアスさん!それ以上傷つかないでください!僕は何もしません!話を聞いてください!」
「ふん、今更何よ!?・・・・・・・!!?」
イェレアスの追撃はピタリとやんだ。ミヒトは恐る恐る顔を上げる。
先ほどまでの怒りは何処へ消えたのか、顔を綻ばせほんのりと頬を朱に染めた乙女がいた。
「はい、モナお姉さま!イェレ―は元気です!モナお姉さまはお元気でしたか?」
(なんだ?もしかして《通話》の魔法か?エルピスがモナさんに教えたのか。それにしても助かった・・・)
「えぇ!白銀の神様の使いですか?!え、えぇはい。あのーミヒト様ですか?」
「そうだよ、ミヒト・ムー・デュー。神様から使命を貰ったドラゴンだよ・・・」
「あ、ああ。ごめんなさい!私てっきりまた騙しに来たのだとばかり!」
そう言ってイェレアスは膝をついて謝罪してきた。だがミヒトはそんな謝罪は気にしていない。自分は無事で、彼女も結果として無事でいられたのだから。
それよりも気になったのは彼女が発した
“また騙しに来た”
という発言がミヒトの思考に待ったを掛けたのである。
「また騙されたというのはどういうこと?」
「うぇ、ひっく。ついこの間私を騙しに来た男がいたのよ」
「男・・・姿は?」
「見ていないわ。だけどトマおじさんを殺したのはモナお姉様だって言ってきて・・・。モナお姉様はそんなことしない。生まれながらの神官が禁忌を犯すことは無いって言ってやったの」
「それで僕をそいつだと勘違いした?」
「この辺でこんなふざけた事をするのは誰一人居ないもの。だったら外から来た奴に決まってるでしょ!」
「なるほどね・・・」
ミヒトは自分の使命と、ここに来た目的をイェレアスとそしてこの大森林の皆に伝えた。
どうやらここの“スギラタの湖”にいる村人というより大森林の住人たちは人口が多いようだ。
その数は全種族合わせて8万人程。エルフや人間を中心に、オーガや獣人が生活している。
ミヒトはイェレアスに頼み込み、スギラタの湖を案内してもらうことになった。
目的は三つ。白翼と銀翼の書を渡し、住民に知識を広げること。そして、大森林からアムレトに移住を勧めること。
何よりも本命はイェレアスを騙そうとした張本人を捕まえること。ミヒトの予想が正しければ、その正体は、今探している堕天使に違いないのだ。
湖を回り、二つの書を渡しながらスギラタの湖の住人たちの話を聞いていたミヒト。しかし、それらの間を縫い合わせるようにイェレアスが誤り倒しているのだ。うんざりするほどに・・・。
「イェレアスさん、もういいってば、僕は気にしてませんから。もう謝らないでください」
「そんな、だって私はモナお姉様の恩人に牙をむいたのよ!?神様だって許さないわ!」
「神様達はそんな器の小さな人たちじゃありませんよ・・・。僕は大丈夫でしたし、イェレアスさんも誤解が解けたんです。それでいいじゃないですか」
「・・・わかったわ」
ほんとに分かったのかな?悪い人じゃないんだけど、思い込みが激しいのかな?
と、とにかく教科書を配りながら聞き込みをしよう。
ミヒトは教科書を配りながらアムレトに移住を勧めるトークを繰り返しては怪しいものがいなかったか聞いて回る。
十数回繰り返し、ミヒトのセールストークが“新しい教典です。今までの教えと合わせて読んでください。そして神様の為にアムレトで勤労に励んでみませんか?”と言うように固定化された頃。気になる話をつかんだ。
黒い翼の天使を見かけたという話だった。