05.「結婚するなら責任とってよ!」
新婚二日目、物々しい雰囲気で居間に集まった私たちは、椅子に座って向き合っていた。
もういっそ取っ組み合っているといった方が良さそうな状態になっていた私たちにノイくんが、どうしてケンカするんですか? と悲しげに問い掛けてくれたことで冷静になれた。
ジギスヴァルト・レーベンはそれでもまだ、天井から吊るされた縄を名残惜し気にちらちらと見ていたが、気付かないふりをして強引に居間の椅子に座らせた。
一体どういうつもりで、何があったのか、それを説明してもらわなければならない。
「よくも邪魔をしてくれたな……」
恨みがましげな声に目を向ければ、その紫の目も実に恨みがましげにどよん、と淀んでいた。いくら美形でも、暗澹とした雰囲気が全てを台無しにしている。私はそれに負けじと見返した。
二人で暴れて散らかしてしまった室内を片づけてくれているノイくんに、喧嘩はしないと約束したものの、円満とは程遠い空気が流れている。
「夫が首を吊ろうとしていたら、誰だって止めるでしょう」
「止めなくていい。むしろそれだと何のために結婚したんだ」
私が聞きたい。そうも必死に首を吊りたがる男が、一体全体どうして結婚しようなどと思ったのか。それも私と。
彼の先程の行動から何となくの予想を立てつつも、直接説明を受けるまで引くつもりはなかった。というか、仮にその予想が正解だったとしても認めたくはなかった。
ジギスヴァルト・レーベンは顔をしかめ、居心地悪そうに視線を彷徨わせると、不本意そうではあるものの、ゆっくりと口を開く。
「……僕は不老不死の呪いに掛けられている。首吊り、溺死、飛び降り、刺殺なども試してみた。けれど痛い思いをするだけで、いつまでたっても死ねやしない。それでもわずかな希望に縋るつもりでおまえと結婚したのに」
それは、つまり。
私は自分の予想が当たっていたことを、その発言で確信した。
「……『死神』の噂、知っていたのね」
「当たり前だ。そうでなければ誰が結婚などするものか」
今の発言は、彼が結婚自体に興味ない、ということだろう。けして私だから、ではない。そう思うことにする。たとえ好意のない相手の発言でも、否定されれば傷つくだけの繊細さは持ち合わせているのだ。
「いや待って、そんなことより。不老不死って何?」
そんな物語の中だけの単語を、まさかこうして聞く日がくるとは思わなかった。現実味のない言葉に、それだけがふわふわと浮いて感じる。
「そのままの意味だ」
「そのままって……」
ああそうなんですねえ、と納得できない私が偏屈だとでもいうのか。いや、そんなはずはない。
半信半疑なのを感じ取ったのか、仏頂面のジギスヴァルト・レーベンは不意に手を持ち上げた。左手の服の袖をまくり、右手の人差し指を滑らせるように横に流せば、そこに突然水が現れ渦を巻く。
驚いて声も出なかった。数瞬遅れて、それが魔法であることに気付く。話には聞いていたけれど、本当に何もないところから水が出せるのだ、と唖然とした。
しかし、私が固まっている間に、彼は更に驚くべき行動に出た。
水の渦はすぐに姿を変える。指先に向かって細く、鋭く変化し、瞬く間にまるで氷のように固まった。宙に浮いたそれの、刃のように尖った先端が、止める間もなく彼の左腕に突き立つ。
「なにをっ!?」
「うるさい」
驚いて再び立ち上がれば、彼はそんな私に一切の関心を払うこともなく、冷たく言い放った。氷の刃の突き刺さった傷口から、血が滴り落ちている。引き抜けば、きっと大量の血が噴き出すだろう。想像してぞっとした。
「黙って見ていろ」
大した怪我などしたことのない私では想像も付かないほどの激痛だろうに、ジギスヴァルト・レーベンはまるで痛みなど感じていないかのように平然としている。
そうこうしている内に、氷は突然形が崩れ、一滴の水分も残さず消えてしまう。そして、穴が開き、血が噴き出すと思われた傷口は、
「え?」
つるりとした、あまり日に焼けていていない肌がそこにあった。一筋の傷すらもなく、そのくせ流れた血の跡だけが肌の表面に残っている。
「嘘……」
思わず呟く。確かにさっき、凶器としか思えない氷が突き刺さっていたのに。
「傷口を見ないとやはり信じないか。あまり血が出ると片付けが面倒でしたくないんだが」
そう言って、私が呆然としている内に、ジギスヴァルト・レーベンは再び水を出す。またそれを突き刺すつもりか、と気付いた私は慌てて声を上げた。
「やめて! 分かったから!」
私の目の前で確かに氷は彼に突き刺さっていたし、そこから零れる血も目撃した。それに加えて彼のあの死にたがる様子を思い起こせば、不老不死というのも信じずにはいられない。
それ以上に単純に、これ以上自傷行為と呼ばれることをされるのは、とてもじゃないが見ていられなかった。
「分かったなら理解しろ」
私が本当に信じているか疑っているのだろう。彼は半信半疑そうな胡乱な目で私を見つつ、尊大な調子で言い放った。
それから、ジギスヴァルト・レーベンは立ち尽くしたままの私から目を逸らし、めくっていた袖を直す。椅子に座る彼の瞼がそっと伏せられるのが見えた。
「三百年前、僕は禁じられていた魔法に手を出した代償として、肉体から未来の時間を失った。老いることもできなければ、死ぬこともできない。そのくせ、」
言葉を続けようとした彼は、そのまま口を閉ざした。あごを引いて俯き、白い髪がさらりと流れ、顔が隠れる。表情が見えなくなってしまった。
「だから、いい加減死にたいんだ。もう十分生き過ぎた。そろそろ死にたいと願って何がおかしい」
それから顔を上げたと思えば、まるで拗ねた子どものように不遜な顔をしてそう口にする。顔が整っているだけに、無駄に偉そうだった。
不老不死などという非現実的な単語。あるはずの傷がなくなっていた様子を見ても、まだすんなりとは信じられない。けれど、実際に齢三百だと言われる彼は若々しい青年の姿のままで、死にたいと言った言葉に何の嘘も、誇張も感じられなかった。
首を吊ろうとしていたところを必死に止めた直後だけに、『死にたい』と告げられる言葉の重みが違う。悪い意味で。繰り返す、悪い意味で。
「婚約者は確かに全員亡くなったけど、私は何もしてないし、そんな力もあるわけないわ」
「それでも、それに賭けてみることくらいしか、もう僕にはできることがない」
そうは言われても、死のうとしている人を見過ごせない。しかも、これでもしも本当に彼が死んでしまえば、今度こそ私は自分が死神であるということを、無視できなくなってしまうのではないか。
『世界で最も偉大な魔法使い』などと大仰な呼ばれ方をしている彼でも解けない呪いを打ち破る死神なんて、とんだ悪夢だ。
そして『死神令嬢』などと言って面白おかしく噂している人々も、そろそろ真面目な顔をして意見を変えることだろう。
――よもや、死神令嬢自ら手を下していたのではないか、と。
余談だが、我が国において、殺人罪に適用される刑罰のほとんどは極刑である。
「そんなに死にたいなら離縁して!」
私は自分の思考に恐ろしくなって、思わず叫んだ。迷いなく命は惜しい。ついでに言えば、もう彼の命まで背負いたくはない。
自分のせいではないと分かって、言い聞かせても、人の命は重いのだ。
「そうしたら結婚した意味がないだろう!」
「そんなの知らないわ! 何が悲しくて死なせるために結婚しないといけないの!」
相手がどんな人でも、それがロッシュ家の、アマーリエのためになるならば粛々と受け止めよう。結婚したからには、できるだけ良好な関係を築けるよう努力しよう、そう思っていた。
まさか相手が死にたがりの魔法使いだなんて露ほども思わず!
「結婚するなら責任とってよ!」
叫ぶ私に、ジギスヴァルト・レーベンもまた、負けじと叫ぶ。
「いやだ! 僕は今度こそ死ぬんだ!」
意見は平行線で、まったく交わる気配は見えなかった。