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03.「褒められました!」



『ノイには身の回りの世話をさせている』


 ノイくんはジギスヴァルト・レーベンの子どもなのか、という私の問い掛けには、相も変わらず不機嫌そうに否定された。


 目の色は二人とも紫色だが、否定されてみれば確かに容姿が似通っている、というわけではないかもしれない。髪の色も違えば、ジギスヴァルト・レーベンに比べ、ノイくんは天真爛漫で温かみのある顔立ちをしている。


 しかし、身の回りの世話をさせている、ということは、ノイくんは彼に雇われているのだろうか。住み込みで働く子どもも珍しくはないが、一人で成人男性の生活の世話をするのは骨が折れるだろう、と思う。


「こっちが、クルちゃんのお部屋ですよ」


 更に言えば、今後はそこに私も加わるのである。

 ノイくんに案内されたのは、居間にある三枚の扉の内の一枚で、ジギスヴァルト・レーベンが戻って行った部屋の、向かって右隣になる。


「クルちゃん?」


 突然の呼称に私が首を傾げれば、ノイくんはどこか得意げな様子で胸を張った。


「クルちゃんは、クシェルちゃんだからクルちゃんなのです!」


 咄嗟にどういう流れなのか分からなかったが、少々考え込んでようやく理解する。名前の最初と最後の一文字を取っているのか。


 ということは、ジトくんという呼称もジギスヴァルトという名前から同じように抜き出しているのだろう。どうやらジト目が理由ではなかったらしい。


 案内された部屋では生活感のない寝台と文机が突き当りに寄せて在り、手前には本棚があった。しかし本は整頓して並べられてはおらず、本棚の中で平積みにされている。簡素な寝台や文机に比べ、随分と乱雑な印象を受けた。

 その隣には小さな収納棚も置かれている。


「本棚以外は好きにしていいって、ジトくん言ってました!」


 逆を言えば本棚には触るな、ということだろうか。それならば私が触れないよう片付ければいいのに、と思うがすぐにその思考を改める。


 台所や居間の様子を思い返したのだ。壺や瓶が並び、沢山のものが積み重ねて置かれていた。あまり片付けが得意ではないのだろう。彼の私室と思しき部屋に収まらなかったのかもしれない。


 ロッシュ邸に比べると、随分手狭な部屋だった。貴族の邸宅と、森の奥で二人暮らしをしていたらしい民家を比べるのが間違いなのだろう。


 それでも私室をもらえ、問題なく寝起きができるならばそれで十分だった。向こうが望んで嫁いできた私に対し、妻として何もするな、と言う人なのだ。これで寝室を共にすることになれば、いたたまれない思いをしたに違いない。


 森の中の小さな家。私の経験したことのない苦労もきっと沢山あるのだろう、と思う。

 それでも、多くはけして望むまい。私は安住の地を求めてここへ来たのではない。ロッシュ家のため、アマーリエのため、お役目を果たすためにここまできたのだ。


「ありがとう」


 礼を言って、とりあえず、と荷物を置く。早くドレスも着替えてしまおう。普段に比べて華美な服装はそれだけで肩が凝る。それに加えて緊張と不安を抱え、大きな手荷物を持ってここまで歩いたのだ。肉体は休息を欲していた。


 ふと気付けば、ノイくんは私のそばにくっ付いて、何やら顔を輝かせながら見上げてくる。その表情から私に何かを求めていることは伝わるが、それが何かまでは分からない。


「どうかしたの?」

「ちゃんと案内できました! だから、ぼくとってもいい子だと思うのです」


 期待に満ちた紫の目が、キラキラと私を見つめる。

 何だろう、何を求められているのだ、とひっそりと焦りが募る。答えを探し求めて思考を巡らし、今の彼とよく似た表情に覚えがあることに気付いた。

 何かを頑張ったときに、私を見つめるアマーリエの表情に似ているのだ。


「えっと……えらいね。ありがとう」


 これでいいのか、間違ってたら何だかとっても痛ましい気がする。

 冷や冷やと嫌な汗をかきながら、審判を待つ罪人の気持ちで待機すれば、ノイくんは諸手を挙げて歓声を上げた。


「褒められました!」


 非常に嬉しそうである。よかった、どうやら私の反応は間違っていなかったらしい。ほっと安堵する。

 それで満足した様子のノイくんは、パタパタと足音を立てながら部屋から出て行った。


 微笑ましい気持ちでそれを見送って、私は着替えないと、と思いながらも寝台に腰掛ける。そのまま誘惑に勝てずにこてんと転がった。


「疲れた……」


 呻くように言葉が漏れる。寝転ぶと、余計に疲労を実感した。全身がいやに重く感じる。

 とても歓迎しているようには見えないジギスヴァルト・レーベンの顔を思い出し、これからどうなるのだろう、と思う。私はこの家でどんな風に過ごすのか、まるで想像がつかない。


 とりあえず着替えて、荷物の整理をして……そう考えている内に、私はいつの間にか眠りに落ちていく。

 そのまま朝まで眠ってしまい、一応新婚初夜であるはずの一日は、あっさりと終わりを迎えたのだった。


 ◇◆◇


 ジギスヴァルト・レーベンの家で朝を迎え、私が一番に行ったのは縫物だった。

 これでも一応貴族の子女であるからして、華美ではないがその身分に見合った服を持参した。その中でも比較的地味なものを選りすぐり、この家で普段使いできるように手を加えることにした。


 気合を入れて取り掛かった私は、とりあえず今日着替える分だけでも、とさっさと縫物を終わらせようとする。


 動きやすいよう、裾は膝が隠れる程度の長さまで短くし、ひらひらと華やかな印象の袖口も絞る。開きがちな胸元には布をあて、 動きやすそうな形に整えることができた。

 使用人部屋に入り浸り、縫物を教えてもらっていて本当によかった、と過去の自分に賞賛を贈る。


 とりあえず着替えを用意して身を清めたい、と縫物に取り掛かっていた私は、その出来に満足して部屋を出る。部屋の扉を開けるとそこはすぐに居間に繋がっているので、暖炉に薪をくべているノイくんの姿を見つけることができた。


 秋も深まり、風が冷たくなってきた。取り分け森の中は肌寒く、温かそうな暖炉の火を見るとほっと安堵する。


「あ、おはようございます!」

「おはよう。温かいね、ありがとう」


 温もりが心地よくて、素直に礼を言えばノイくんは嬉しそうに破顔する。嬉しい楽しい、という感情をはっきりと示す姿は、見ているこちらの心が和む。

 ノイくんは暖炉の前でくるりと身を翻し、中央にある机を挟んだまま私に問い掛けた。


「よく眠れましたか?」

「うん、ぐっすり」


 正確には力尽きていたのである。ドレスのまま変な体勢で寝てしまったので、ドレスは皺になるし、身体も痛い。ぐっすりとは眠れたが、睡眠満足度としてはいまいちだった。


「それはよかったです! あ、そうだ。クルちゃんはお風呂好きですか?」

「え、もしかしてお風呂があるの?」

「あるです!」


 思わず喜びから歓声を上げそうになる。ロッシュ家にも風呂はあった。しかし、貴族の邸宅には定着してきたが、一般市民にとっては街に大衆浴場があればいい方だと聞いている。


 そのため、森の奥にあるこの小さな家に風呂があるとは思っていなかった。これからの時期水浴びは辛い、と思っていたので嬉しい誤算だ。期待に胸が高鳴る。


「ジトくんの魔法ですぐにあったかですよー!」


 嬉しそうにノイくんが語る。その様子は誇らしげにも見えて、ジギスヴァルト・レーベンに好意的な感情を抱いていることが伝わる。


「今から入りますか? ノイくんすぐに用意するですよ! ……あっ」

「どうしたの?」

「ノイくん間違いました。ノイくんじゃないです。ぼくです」


 先程まで上機嫌だったノイくんは、途端にしょんぼりと肩を落とす。


「ノイくんのことは、ぼくと言うんだとディッくんに教えてもらいました。でも時々間違います。反省」


 ディッくんとやらがどなたかは分からないが、どうやらノイくんは一人称を矯正中らしい。それまでは自分のことを『ノイくん』と呼んでいたのだろう。


 分かりやすくしょんぼりとして見せるのが可愛いなあ、と思う。ノイくんは十歳に満たないくらいと思われる外見よりも、その挙動からか更に幼い印象を受ける。大いに庇護欲をそそられた。


「大人になるまでに直せばいいと思うよ」


 だから焦らなくていいよ、そう伝えるつもりで言えば、ノイくんは私に向かってくりくりと目を丸くする。心底不思議そうに首を傾げ、至極当然のことのようにこう言った。


「ぼく、大人にはならないですよ」


 どういう意味か問う前に、何かが弾けるような軽い音がした。光が瞬いたと思ったら、ノイくんの姿が見えなくなる。


「ノイくん!?」


 慌ててその姿を探し、目の前の状況を理解できずにいれば、あまりにも気軽な声が聞こえた。


『ここですよー!』


 甲高い声は確かに、少年らしいノイくんの声だった。きょろきょろとあたりを見回すと、私たちの間にあったはずの机の陰から、ひょっこりと姿を現すものがいた。

 布の中にたっぷりの綿を詰め込んで作られたそれは、私の膝くらいまでの大きさのぬいぐるみだ。

 亜麻色の髪の男の子の姿をしたぬいぐるみの、紫の石のような目が私を見上げる。


『じゃーん! ノイくんです!』


 聞き覚えのある声は無邪気な男の子そのもの。そのぬいぐるみが『誰』であるか、名乗られてもすぐには呑み込めなかった。


『大人の大きさになるにはたくさん魔力が必要だから、小さいままでいいってジトくんが言ってました!』


 どうやら大人にならない理由として、そうやって私にぬいぐるみの姿を見せてくれたらしい。自分で好きに姿を変えられるのだろうか。


 魔法使いなんて存在が身近にいなかった私にとって、その光景は奇異なものでしかない。火をおこし、水を流し、風を吹かせ、大地を動かすと言われる魔法使いは、人形に命を与えることもできるのか。


 きっと私の常識では計れないことが、今後も沢山出てくるんだろうなあ、と察して眩暈が起きそうだった。




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