22.「帰れない……よね?」
暇な時間ができると余計なことを考えてしまう。それが嫌で、家の掃除や片付けに勤しんでいた。
何かと物を積み上げ、突っ込み、おおよそ整理整頓とは程遠いこの家の様子に感謝したのは、さすがにこれが初めてである。これまで、収まりがいいよう、並べなおしたりなどはしていたが、この機会に戸棚の中身なども一度全部取り出し、仕分けして片づけ直すことにする。
そうして何かに没頭していなければ、余計なことを考えてしまいそうだった。
「どうして、台所に本があるのかと思ったら……」
本を片手に疑問符を飛ばす私に、鍋敷きにしていた、との情報をもたらしてくれたのはノイくんである。パラパラと開いてみたら魔力がどうだのこうだの、と書かれてあったので、これも魔法に関する本なのだろう。
こんな扱いをしていいものか。先日ディルクさんが魔法関係のものは何であれ、希少で価値がある、と言っていたのだが。
「クルちゃん、これはどうするです?」
片づけを手伝ってくれているノイくんに問い掛けられる。彼の両手には三冊の本が抱えられていた。鍋敷きにされていたものだけではなく、居間や台所付近で回収したものもあった。
ひとまずそれを撤退させることにする。
「私の部屋の本棚に入れておいてくれる?」
「はい! りょうかいです!」
元気のいい返事と共に、ノイくんはそのまま私の部屋へと向かった。私の部屋の本棚は、すでに先日整理した。すると、空間にゆとりができたので、あの程度の量なら収まるだろう。微笑ましい気持ちで見送って、私は居間にある目の前の戸棚に向き直る。
これは必要なのか、処分してもいいのか、私では判断できないものがほとんどだ。ノイくんに相談しつつも保留にして、を繰り返し、なかなか進まなかった。
しかしそれでも、乱雑に突っ込まれていた戸棚はすっきりと片付き、中身は管理しやすいように分類ごとに分け、掃除もすることができた。ようやく成果も目に見えてきた気がする。
何故か食事用の匙まで紛れ込んでいた戸棚の整理を再開すると、綺麗に折りたたまれた、比較的しっかりした作りの書類らしきものを見つける。
それに見覚えがあるような気がして、手に取って何の気なしに開いた。その中身を目にして、私は。
「クルちゃん!」
びくぅ! と大袈裟なほど肩が跳ねる。手に持っていた書類を、反射的に自分の胸に押し当てて隠した。驚きすぎて、どきどき、ととんでもない早さの鼓動を感じる。
「本、しまえました!」
ノイくんの報告を受け、それでも焦りにも似た感情はなかなか収まらない。私は混乱して回転の鈍くなった頭を必死に働かせた。
「あ、ありがとう。ごめんなさい、私、外に忘れ物してきたからちょっと出てくるね。ノイくんは家の中で待ってて」
そう言って、ノイくんの返事を待つよりも早く家を飛び出した。玄関から裏庭の方に回る。胸は今も、内側で大暴れしていた。
戸棚で見つけた書類に、私は見覚えがあった。しっかり受け取って、この家まで持ってきたのは私自身である。
それはジギスヴァルトと私の、結婚証明書だった。
◇◆◇
嫁いで来てすぐの頃、ジギスヴァルトに手渡して以来見ていなかった結婚証明書は、四つ折りにされていたものの、褪せることのない文字が綴られていた。
「あんなところに置いてたんだ」
受け取ってとりあえず入れた、とかそんなところだろう。あの家の乱雑な様子から容易に想像がついた。
他のものと同じように片づけてしまえばいいのに、それが結婚証明書だと理解すると、自分でも不思議になるほど動揺して、思わず一人で裏庭にまで来てしまった。家の隅にある井戸のそばで結婚証明書と見つめ合う。
「間違って捨ててしまったらどうするのよ」
愚痴っぽく呟いて、それでも困らないのかもしれない、と思った。この結婚は、ジギスヴァルトが自殺を果たすために成された、形だけのものである。一緒に暮らしてはいるけれど、とても夫婦らしいとは言えないものだ。
私といて死ねないのなら、彼にとって私と結婚する意味はない。つまり、結婚証明書も、ただの紙切れというわけだ。
「戻ろう……」
明るくない自分の思考に、どんどん落ち込んでいっていることを自覚する。あまりにも生産性がない。もう、気付かなかったふりをして、同じところに片付けておくと決めた。
自分自身に呆れつつ、一歩踏み出そうとしたところで、強い風が吹いた。服も、髪も巻き上がる。冬を目前にした森の中では、こうしてよく、風が吹くようになっていた。
「ぇ、あ!」
思わず俯いて目をつむれば、その拍子に手の中からするりと結婚証明書が零れる。あっと思ったときにはすでに遅く、私の手から離れたそれは、風に煽られて飛んでいこうとしていた。
「ま、待っ……!」
慌てて手を伸ばそうとしたけれど届かない。見失わないよう、背の低い草木をかき分け、必死に追いかける。風がやんだところでようやく木の幹に引っかかっているのを回収することができた。
「よかった……」
安堵の息を吐く。きちんと持っていなかったことを反省しつつ、拾い上げたそれをまた四つ折りにする。同じ目に遭わないようにしっかりと手に持って、家に戻ろうと振り返った。
「え」
漏れたのは、あまりにも間抜けな声。
振り返ったそこに、見慣れた家はなかった。広がるのは、木、木、木。それしかない。結婚証明書を追いかけた距離は、精々私の足で十歩ほどだった。そんなに森深くまで進んでいるはずはない。
そこまで考えて、私はあることを思い出した。
「もしかして、敷地から出たから……」
頭に浮かぶのは『通行証』の文字。あの家の敷地には、ジギスヴァルトによって魔法をかけられている。それは、通行証を持つ者でなければ、この家を見つけられず、辿り着けなくなる、というものだった。
反射的に森へ飛び出した私は、当然通行証を持っているはずがなかった。
「ええっと、つまり、まさか……?」
眼前の光景を眺めながら、眩暈を起こしてその場に倒れてしまいそうな心地だった。
「もしかして、帰れない……よね?」
『やらかして』しまったことを自覚し、私は薄暗い森の中で一人途方にくれることとなった。




