21.「ありますよ?」
街から住み慣れた家に戻ってきた私は、再び人間の男の子の姿となったノイくんと、ひしっと抱きしめあった。
ジギスヴァルトが言っていた通り、ぬいぐるみ姿でも周囲を感じたり記憶は残るようで、連れ去られたときのこともしっかり覚えていたらしい。
「クルちゃんは、だいじょうぶですか?」
不安げに問い掛けてくれたノイくんに、改めて無事に一緒に帰ってこられてよかった、と泣きそうになってしまった。
「私は大丈夫よ」
ノイくんをさらった男は、私を振り切ろうとするよりも、私を殴って昏倒させ、悠々と街を去ろうとしていたらしい。そのため、待ち伏せて殴ろうとしていたようだが、それはジギスヴァルトが助けてくれた。
怪我と言えば、精々走るのに向いていない靴でがむしゃらに走ってできた、靴擦れくらいのものである。あのときは必死で怪我をしていることにも気付いていなかったが、落ち着いてから痛みを感じて、怪我に気付いた。
「ノイくんが無事でよかった」
その靴擦れも、ハイゼ商会で手当済みである。数日もすればすっかり完治するだろう。怪我を治す魔法もあるそうだが、魔法による治癒は少々特殊で大仰なものになってしまうらしい。
あのあと、駆け付けたディルクさんの手配によって、ノイくんを連れ去ろうとした男は捕まり、私たちは一旦ハイゼ商会の店に戻ったのだ。男はやはり、魔法石のことを知っていて、盗んで売ろうと考えていたようだ。
「……しばらく大人しくしていろ」
怪我を案じてくれているのだろう、ジギスヴァルトは素っ気なくそう言って、自室へ戻ろうとする。
ハイゼ商会に戻ってから、彼はずっとそばにはいてくれたものの、硬い表情をして黙りこくっていた。はたからだと怒っているように見えたのだろう。喧嘩していると思われたようで、大丈夫? とハイゼ商会の人たちにこっそり何度か心配そうに聞かれた。
「あ、の! ジギスヴァルト、迷惑をかけてごめんね」
自室へ姿を消そうとする彼を慌てて引き留め、そう謝る。素っ気なさに、無性に不安を覚えた。ジギスヴァルトは難しい顔をしたまま私をじっと見降ろし、
「迷惑では、ない」
それだけを口にした。
それが、五日前の話。以来、ジギスヴァルトは部屋に籠ってほとんど姿を見せなくなっていた。
◇◆◇
コトコト、暖炉の上に置いた鍋の中身をかき混ぜながら、溜息でも吐きたい気分だった。脚立に乗って隣に立つノイくんが、きょとんと目を丸くする。
「どうしたですか?」
「うん?」
すっとぼけて誤魔化そうとしたけれど、どうやらさすがにそれは通用しなかったらしい。ノイくんはますます不思議そうに首を傾げていた。
「しょんもりした顔をしているです」
『しょんもり』という言葉をあまり聞き慣れなくて、考える。『しょんぼり』と同じ感覚だろうか。
「……ジギスヴァルトが、怒ってるかなって」
誤魔化せそうになくて、観念した私はようやく正直に答えた。
街でノイくんをさらわれたとき、男を追いかけたところでノイくんを助けられるだけの算段はなかった。ただ、見失っては二度とノイくんに会えないかもしれない、助けなければ、と頭にあるのはそれだけだった。
そうは言っても私の行いは軽率としか言いようがなく、ジギスヴァルトには随分と迷惑をかけた自覚はある。彼の言う通り、まずは誰かに助けを求めるべきだったのだ。
あれ以来、部屋にこもっているジギスヴァルトは、あんなに楽しみにしていた食事にさえ顔を出さなくなった。
一度、いつものように部屋の扉を勝手に開けようとしたのだが、それよりも早く内側から閉められた。普段との違いに何事だと焦ったのだが、彼は扉越しに拒絶の言葉を口にした。
『死んでないし、死のうとしないから、少し放っておいてくれ』
最近ではすっかり彼の命の心配もしなくなっていた。言われて、彼の自殺行為を案じなければいけないことに気付いたくらいだ。普段、ジギスヴァルトがそれだけ私に合わせてくれているのだと実感した。
先回りしてそう言われれば、それ以上踏み込む名目も失ってしまった。私に言えたのは、鍋を置いておくから食べたいときに食べて、ということだけだった。返事はなかったものの、一昨日鍋の中身が減っていたので、私が寝ている間にでも部屋から出てきていたのだろう、と思う。
避けられている。どうして、と考えると理由が分からなくて、心当たりと言えば先日の軽率な行動で叱られたことくらいだった。
「ケンカしたですか?」
この世の終わりを目の当たりにしたように、ノイくんが悲しげな顔をしていた。その表情に胸が締め付けられる。この優しい子を不安にさせるなど、言語道断である。
「そんなことないよ」
私自身、今がどういう状況で、彼がどう思っているか分からないままに否定した。すると、私の言葉を信じてくれたのか、ノイくんはすぐにほっとしたような笑顔を浮かべる。
「それならよかったです! それじゃあジトくん、お部屋からでてこないの、考えごとをしているのかもしれないですね」
「考えごと?」
「はい。ジトくん、死にたーい! ってよくお勉強してます。頑張り屋さんなのです」
私の中で『死にたい』と『頑張り屋』の相性が悪すぎて、顔が引きつりそうになる。ジギスヴァルトがどういう人かを知っていれば、納得しきりではあるのだけれど。
しかし、死のうとしない、と自ら口にしていたので、その予想はどうだろう。外れている気がする。
呼びかける私を拒絶するためにそう言っただけ、という可能性はあるが、ジギスヴァルトはその場しのぎの嘘を吐く人ではなかった。少なくとも、私が知る限りでは。
「……でも、三百年も探し求めて見つからないのに、呪いを解く方法なんてあるのかな」
仮にも、ジギスヴァルトは我が国において『世界で最も偉大な魔法使い』と、大仰な通名で呼ばれている。そんな彼がそれだけの時間をかけても見つけられていないもの。存在を疑うのも致し方ないことだった。
「ありますよ?」
しかし、私の呟きに対し、ノイくんからあまりにも軽い調子で返答がくる。
「死に方はわかんないですけど、呪いをとく方法はあるって、ジトくんいってました!」
「え、それじゃあどうして呪いを解かないの?」
私の疑問に、ノイくんは記憶を呼び起こすように宙を見上げる。
「えっと、条件? をみたせない、みたいな」
ことを言っていたような……、記憶に自信がないのか、だんだん尻すぼみになりながら、ノイくんが呟く。
私は咄嗟に、何の返事もできなかった。にわかには信じがたい。だって、あれだけ死にたい、と繰り返しては死ねない、と嘆いているジギスヴァルトだ。そんなものがあるならば、他の何よりも優先してその願いを叶えたことだろう。それだけ難しい条件ということなのだろうか。
ちょっと、待って。じゃあ、もしかしてジギスヴァルトは、その条件さえ満たせばいつ死んでしまうかも分からないのか。
だって、あんなにも、狂おしいほどに死に焦がれている。
胸が大きく一跳ねして、それからどくどくどく、と早く脈打つのを感じる。喉がカラカラに乾いて、鍋をかき混ぜる手が震えてしまいそうだった。
「クルちゃん、どうしました?」
ノイくんに呼びかけられ、はっと我に返る。慌てて彼の方を振り返れば、また心配そうな顔をさせてしまっていた。
「考え事をしていただけよ。ノイくん、お皿を取ってきてもらってもいい?」
「はい!」
動揺を誤魔化すようにお願いすれば、ノイくんは意気揚々と戸棚へ向かってくれた。胸の内がざわざわするこの心地を、悟られなくてよかったと思う。
死にたくても死ねないジギスヴァルトの存在は、私にとってとても安心できるものだった。彼がその生に苦しんでいることが分かっていても、どうしてもそれに安堵してしまっていた。
それは彼が死なないからではない。死ねないからだ。けれどその浅はかな安らぎは、あまりにも容易く崩れようとしている。
三百年見つからなかった条件が必要とはいえ、方法があるということは、いつその条件が満たされても可笑しくはない。
満たせるのは、明日かもしれない。明後日かもしれない。それはつまり、いつジギスヴァルトがいなくなってしまうか分からないということだ。
「はい、どうぞ」
ざわめく心を押し付けて、両手で皿を渡してくれるノイくんから、しっかりとそれを受け取る。
「ありがとう」
先日ハイゼ商会で購入したばかりの二揃いの食器は、使い勝手がよく、見た目も好みで気に入っていた。
せっかく二人分買い揃えた食器も、まだ一度も合わせて使えていない。それにどうしようもない寂寥を感じたのは、たぶん、きっと。
ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。
今後の更新予定
8/3 7時に22話
8/3 19時に23話
8/3 21時に24話
以上で完結いたします。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。




