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20.「ごめんね、ジギスヴァルト」



 どうしてノイくんが連れ去られたのか。何とか見失わないよう、奇跡の救助劇で盛り上がる人々の隙間を縫うように追いかけながら考える。


 可愛かったから? それを理由に、人から盗んだりするだろうか。考えて、考えて、はっと閃く。


 もしかして、魔法石の価値を知る人だったのではないか。


 魔法石は、希少なものらしい。希少なものは高価だと相場が決まっている。


 ノイくんの目は、そんな魔法石が二つ、使われている。私からすれば、それでも盗みなんてするのだろうか? と思ってしまうが、一番現実味のある可能性だと思えた。


「……っはぁっは……!」


 荒い呼吸を繰り返す。大通りから外れ、商店街の間から住宅街の隙間を走り抜けていく背を追いながら、不安で胸がつぶれそうだった。泣きそうになりながら、そんな場合ではない、と必死に足を動かす。


 ノイくんを助けなければ。とっくに息が苦しく、足は感覚もなくなりそうなほど酷使していたけれど、ただその一心で走り続ける。


 目の前を走る背中は、大人の男のものだった。中肉中背で、特別屈強にも貧弱にも見えない。何とかその背を見失わずに済んでいるので、上手くいけば追いつけるのではないだろうか。そう自身に言い聞かせる。


 息が苦しくて今にも胸が張り裂けそう。ちょっとでも気を抜けば、きっとその場で崩れ落ち、もう立ち上がれない。


 気力だけで、何とか走り続けていた。


 目の前の男は人のいない方、いない方へと、入り組んだ住宅街を駆けていく。何度も角を曲がっていて、私にはもう、今どこへいるのかも分からない。


 そのときの私は、けして走りやすいとは言えない靴を履いていた。そんな私の足で男性を追いかけ、それ以上引き離されることがない、という違和感に気付くことはできなかった。


 もう何度目かも分からない角を曲がったとき、


「うっ」


 何かにぶつかり、跳ね返るようにしてたたらを踏む。足ががもつれて転びそうになった。


 柔らかくはなく、けれど痛みを覚えるほど固くもない『何か』の正体は、必死に追いかけていた男だった。


「ノイくん!」


 男の左手には、ノイくんがいた。ノイくんの首を乱暴に掴んでいて、今すぐ離してほしかった。きっと怖くて、痛い思いをしている。


「かっ……返して」


 恐ろしい形相の男に訴える。人相自体は、そう悪目立ちするものではないだろう。けれど、私を見下ろす顔は苛立ちに満ちており、恐ろしくて声の震えを抑えられなかった。


 男が、右手を振りかぶる。おそらく現実にはそんなことはないだろうに、どうしてだかその動作が非常にゆっくりと感じられた。


 その拳が私に向かって振り下ろされると悟ったとき、咄嗟に目を閉じた。固く目をつむって、衝撃に備える。


「ぐぁっ!」


 けれど、何か派手な音と呻き声はしたものの、恐れていた衝撃はいつまでも届かなかった。恐る恐る顔を上げようとしたところで、強く腕を掴んで引っ張られた。


「きゃああっ!」


 怖くて思わず悲鳴を上げる。けれど、その手の主はそれにも構わず、声を張り上げた。


「大丈夫か!?」


 しかし、掛けられた声は恐れるようなものではなくて、これ以上なく安心できるものだった。


「ジ……ギス、ヴァルト……?」


 目の前には、見慣れた顔が、見慣れない表情をしていた。大量の汗をかいていて、険しい顔をしている。憤慨しているような、けれど焦り切っているような、不思議な顔だった。


「そうだ、ノイくん!」


 振り返ると、先程の男が十歩は離れた距離で仰向けに倒れていた。その全身は何故だか水でぐっしょりと濡れているのが分かる。どうやら昏倒しているようだ。


「ノイは、ここにいる」


 ジギスヴァルトは絞り出すような声で、私を掴むのとは反対の手を差し出す。確かにノイくんがそこにいた。


「の、ノイくん。よ、よかっ、た……っああぁ!」


 彼の手から、ノイくんを受け取ると、安心して涙が溢れ出した。頭ではどうしようもない部分で、大きな声が出る。本当に、よかった。どうしようかと思って、本当に、どうしようもなくて、怖かった。


 安心すると一気に身体が疲労を感じ、その場に崩れ落ちそうになる。けれど、ジギスヴァルトに腕を掴まれたままでは叶わない。


「……っして、追いかけたりしたんだ!」


 ジギスヴァルトが怒鳴り声で問いただす。


「だ、だって、だって、ノイくんが……」


 大事な家族だ。家族が連れ去られようとしているのに、どうして見送ることができようか。


「僕に言えばいいだろう! 他の誰か、誰でもいい。頼んで、助けてもらえばいい。クシェルが一人でどうこうするより、その方がノイだって安全だ!」


 そんなことを言われても、無我夢中だったのだ。そこまで考える余裕はなかった。ただ助けたくて、失うことが恐ろしくて、必死だった。


「分かってるのか!? 殴られるところだったんだぞ! それで済めばまだいい。そんな、おまえ、だって……」


 間近で怒鳴られながら、けれど不思議と焦ることはなく落ち着いていった。怖いとも思わなかった。ただただ申し訳なくて、それ以上に心配になった。


 ジギスヴァルトの頬に、手を触れる。ゆっくりと頬をなぞれば、彼は大きく目を見開いた。


「……泣かないで」


 ほとんど無意識にそんな言葉が出た。怒りに染まっていたジギスヴァルトの表情が、くしゃりと歪む。自身の頬に触れていた私の手を掴んで、拗ねるような、絞り出すような声で口にした。


「泣いてない」


 次の、瞬間。私は抱きしめられていた。背中へ回ったジギスヴァルトの手が、ぎゅうぎゅうと締め付ける。痛いくらいの抱擁は、まるで縋りつくようだとさえ思った。


「泣いてない」


 彼がもう一度繰り返す。私はそれに応えるように、ノイくんを抱えていない方の手を、ジギスヴァルトの背に回す。


「うん。ごめんね、ジギスヴァルト」


 名前を呼んだ、その返事のように、抱きしめられる腕に力が籠った。


「……勝手にいなくなったりするな」


 彼が向けてくれるのは心配で、けれどそれ以上の恐れだった。多くの人の死を見送った彼は、きっと人間の身体がどれだけ脆いかよく知っている。なくしてしまうのは一瞬だと、誰よりも理解しているのだ。


「ちゃんと、いろ」


 傲慢なようで、小さな子どものように切実な願いだった。


 私は彼に、他の何よりも恐ろしい思いをさせたのだ、と気付く。


 彼の『死にたい』は『寂しい』ということだ。ずっと人の人生を見送ってきた彼だからこそ、孤独は骨身にまで沁みていることだろう。


「ちゃんと、いるよ」


 抱きしめられながら、まるで叫びだしたい心地だった。ジギスヴァルトのことを想うともう堪らなくて、胸が張り裂けそうだった。


 この人の、そばにいたい。


 それが私の、生きる意味であればいいとさえ、思った。



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