17.「……何のために?」
街へ向かう日取りを決めると、ディルクさんはそれまでに色々と取り揃えておくね、と言ってその日は去って行った。
手紙をアマーリエへ送る方法について、ジギスヴァルトが確認すると言ってくれていたのは、ディルクさんに対してだったらしい。手紙も、街へ行く際に持参すれば、ディルクさんが預かってアマーリエの元へ届くよう、手配してくれることになった。
約束の日までに家の中のものを見て回り、必要なものを確認した。家のものはノイくんとあれは必要か、これは不要かと話し合い、個人的なものでほしいものは、買ってもいいか、とジギスヴァルトに確認した。
そのすべてに彼は好きいすればいい、と答えてくれた。あまりに簡単に言われたので、本当にいいのか、と却って恐縮してしまった。
収入源となっているらしい魔法石に、それだけの金銭的価値があるのかもしれない。その割には、何かしらの贅沢をしている様子はないけれど。魔法石の売却も次回店でお願いすることになったようなので、そのときちらりと覗いてみよう、と決めた。
そして、外出当日。ディルクさんは先日と同じく、荷馬車に乗って迎えに来てくれた。
「ディッくん、フーナちゃん!」
それに一番に駆け寄ったのはノイくんだった。ちなみに、フーナちゃんというのは、荷馬車の馬の愛称らしい。本名はフロレンティーナだよ、とディルクさんがまるで恋人に向けるような甘ったるい声で言っていた。どうにも彼に女性好きの印象を持っているが、本命はフロレンティーナなのかもしれない。
「あれ? そういえば、ノイはどうするの? ここから出ると動けないよね?」
ディルクさんが駆け寄ってきたノイくんを抱き上げると、ノイくんはそのままフロレンティーナの顔に触れて、頬を摺り寄せる。動物と戯れるノイくんは、また一段と可愛らしかった。
「あ、ぬいぐるみにはなっちゃうけど、私が抱っこして一緒に行きます」
この家の敷地から出てしまうと、ノイくんを人間にしている魔法が解けてしまう。それでも、普段三人で生活しているこの部屋に、一人置いて行くことはできなかった。たとえノイくん自身に大丈夫と言われても、寂しがっていないかと気が気ではない。
ぬいぐるみを持ち歩くような年齢ではないので、奇異の目で見られてしまう気がするが、ノイくんを孤独にさせないためならば些事である。
「そう? よかった」
ディルクさんが安心したようににっこり笑う。そうと決まれば、と言わんばかりに、さっさと荷馬車の荷台部分に乗り込んで出発した。森ではすぐに日が暮れてしまう。早く出て用事を済ませ、明るい内に帰る必要があった。
家の建っている森から、一番近くの街までは歩けない距離ではない。ただ、どうしても歩くとなると時間が掛かってしまうので、ディルクさんが好意で迎えに来てくれたのだ。
人を運ぶための馬車は何度も乗ったことがあるが、荷馬車の荷台に乗るのは初めての経験だった。足元が少し不安定で心もとなくて、それが何だか面白い。自分でも不思議だが、少なからずわくわくしている。
難点は、箱の中に入る馬車と違って、風が直接あたることだろうか。そのため、どうしても肌寒く、ぬいぐるみに戻ったノイくんを抱きしめつつ肩を竦めた。
「どうしたの? ジギスヴァルト」
ディルクさんは御者席に座っているため、隣にいるのはジギスヴァルトのみである。彼は暗澹とした表情で、自身の立てた膝を抱えていた。
「今から街に行くんだぞ……」
風の音に紛れながらでも、辛うじて聞こえる程度の声に、何とか耳を傾ける。今のジギスヴァルトは売られていく子牛よりも、頼りない顔をしているのではないだろうか。
「そうね。行きたくないの?」
「…………」
私の問いかけに、ジギスヴァルトは答えない。無言の肯定である。
「そんなに嫌なら、お留守番してくれていてもよかったのに」
私一人でも、ディルクさんは送り迎えと、街の案内を買って出てくれていた。ジギスヴァルトが一緒なら、ノイくんも留守番でよかったかもしれない。無理をして、一緒に来てもらう必要はなかった。
私にはよく分からないけれど、ジギスヴァルトにとって街へ行くということは、これ以上ないほどの心の負担になっているようだった。
すると、彼はもはや見慣れてきた、ジト目を私へ向ける。本来美しいとさえ思っていた紫色の瞳には、何だか恨みがましさが滲んでいるように見えた。
「僕が、何のために来たと……」
言葉を濁す彼に、自然と疑問符を飛ばす。
「何のために?」
私の問いかけに、ジギスヴァルトは恨みがましそうな目のまま、しばらくじっと私を見つめ、それからふいっと目を逸らした。言いかけていたのに、きちんと説明してくれるつもりがなさそうだ。
「ねえ?」
「……うるさい」
声量はほとんど同じはずである。それなのにジギスヴァルトは、至極鬱陶しそうにそう言ってみせた。誠に遺憾である。
「ちょっと、ケンカしないでよー?」
真っ直ぐ前を向いていたはずのディルクさんが、振り返ることなく声を張って窘める。どうして気付かれたんだ、と思うと同時に『ケンカ』を咎められるなんて、まるで幼い子どものようで、無性に恥ずかしかった。
◇◆◇
荷馬車に揺られて辿り着いた街は、背の高い塀に囲まれていた。縦にも横にも大きな塀に圧倒されて、私はどうにも途方もない気分になる。その中心には背の高い塔が建っており、それが塀の外からも見えていた。
「日に三度あの鐘が鳴って、俺たちはその音に合わせて朝の支度をしたり、店じまいをしたりするんだ」
街へ入る門の前まで来て、荷馬車の速度を落としたディルクさんがそう説明してくれる。街は随分華やかな様子だった。
色んな店が建ち並び、客引きなどの賑やかな声が聞こえる。旅人と思しき人もいれば、きっとこの街に住んでいるのだろう、と思わせる子どもたちが元気に街を駆けていく。
門から街の中心部に続く道が商店や宿になっており、その裏手がこの街の人々の居住区となっているらしい。旅人や商人がよく立ち寄るこの街では、物資の流通も盛んであり、比較的豊かであるらしかった。
「じゃあ俺、ちょっと馬車を片づけてくるから、待っててもらってもいいかな」
そう言われ、一旦馬車から降ろされた私たちは、商店が建ち並ぶ通りから少し離れたところにあるらしい、馬小屋へ向かうディルクさんを見送った。
「私、街に降りるのって初めて」
街を通りかかったことも数少なく、機会があるとしても、馬車から降りずにそのまま通り過ぎるばかりだった。だからこそ、こうして自分の足で立ち、街の様子を身近に眺めることに、新鮮な気持ちになる。
「見て、ジギスヴァルト。背が高いから、ここからでも塔が見えるのね」
彼のローブを引いて、建物たちの上からにょっきり生えるように見える鐘塔を指さす。何もかもが物珍しくて仕方がなかった。
ジギスヴァルトは見慣れたローブを纏い、フードも被っているが、旅人の多いこの街ではそれによってさして目立つこともなさそうだ。
「ノイくんも見えるかな?」
「……目にしてる魔法石から見れば、その記憶は残るはずだ」
「本当? よかった」
せっかく一緒に来たのに、何も覚えていられないのは残念だ。きっとノイくんなら、一緒になって街の光景に目を輝かせてくれると思ったから。紫色の石を縫い込まれた目が、きちんと外を向いているように気を付ける。
そうして、道の片隅に寄り、通行人や馬車の邪魔にならないよう、ひっそりとディルクさんの迎えを待っていた。
「ジギスヴァルトは、この街に来るのは初めて?」
「中に入るのは久しぶりだが、昔は何度か立ち寄った。もっとも、様子が変わりすぎてあの鐘塔くらいしか記憶にないな」
果たして、彼の言う『昔』とは、一体どのくらいの月日を指すのだろう。途方もない気がして、あまり深くは聞き出さないことにする。
「あの家から出るのも久しぶりだったりする?」
「いや、ディルクと初めて会ったときだから……二十年前か。そのときに森で迷子になってたあいつを、この街の門前までは連れてきたはずだ」
思いがけず、ディルクさんとの初対面の様子を知ることになった。
ジギスヴァルトは否定したが、いくら長い時間を生きているとはいえ、『二十年』という時間は久しぶりなんてものではない。一体どのくらい、気合を入れて引きこもっていたのだろう、と考えて普段の様子を思い浮かべる。―――なるほど、あのくらいか。
しかし、そう思えば彼のこれほどの動揺っぷりも納得がいく。それだけ引きこもっていれば、こうして目の前を人が歩き去っていくだけで、一々びくりと肩を震わせるわけだ。
「昔はどこへでも行ったのに」
ぽつり、ジギスヴァルトはそんな風に呟いた。それは、いつのことだろう。もしかしたら、彼がまだ、不老不死になる前の話かもしれない、と何となく思った。
その可能性を意識すると、安易に尋ねることもできない。
今、死にたい、とただそれだけを願うジギスヴァルトも、かつては希望や展望を抱いて生きていたらしい。その頃の彼は、一体どんな人だったのだろう、と想像しようとする。
不老不死になんてならなければ、彼はずっと、そうした輝きを失わずにいられたのだろうか。私はそんな彼に出会ったとしたら、何を思うだろう、と考えてすぐにその思考を否定する。
ジギスヴァルトが不老不死でなければ、そもそも出会うこともなかった。私たちは本来、生きる時代が違ったのだ。
ふと、気付く。いつも不老不死という結果にしか目を向けていなかった。けれど、よくよく考えてみれば、大きな疑問が生まれる。
彼は不老不死を呪いだと言った。魔法の代償に時間を失ったと言った。
ならば、彼を呪い、代償を与えた『魔法』とは、一体何だったのだろう。
「……なんだ」
無意識の内にじっと隣に立つジギスヴァルトを見上げていたらしい。たじろぐように彼に問われ、私ははっと我に返った。
「ううん、何でもない。一緒に来てくれてありがとう」
誤魔化すように、礼を口にする。一度意識すれば疑問は私の中で膨れ上がり、尋ねたくて仕方なくなる。けれどそれを聞いてもいいのか分からなかった。
例え妻に対してでも、何もかも語り明かせるわけではない。何より私たちは、名目だけの夫婦なのだから。




