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16.「馴れ馴れしい!」



 ディルク・ハイゼは商家の息子らしく、こうしてこの家まで頼まれた品を運ぶと共に、魔法石の買取りも行ってくれているようだ。ようやく、話に聞いていた『ディッくん』の謎が解けた瞬間であった。


 いや、まあ、何度か名前を聞いたときに深く尋ねておけばそもそも謎にもならなかったのだが。まあいいかと尋ねないでいたため、今日まで彼の正体を知ることはなかった。


「笑いすぎて悪かったね。改めてよろしく」


 ディルク・ハイゼが持ってきてくれていた荷物を、とりあえず家の中に運び込んで、彼とジギスヴァルトと三人で食卓に腰掛けた。馬を休めるためにも、いつも少し休憩してから立ち去るらしい。


 ノイくんは、その馬のお世話を以前から買って出てくれているようで、外からははしゃぐような声と、時折馬のいななきが聞こえる。


 それまでずっと収まりきらない笑いを漏らしていたディルク・ハイゼは、正面に座ってそう気軽に口にした。


「申し遅れました。私はクシェルと申します。主人がいつもお世話になっております」


 彼に応えるように名乗れば、隣にいるジギスヴァルトが、ぎょっとした顔で勢いよくこちらを振り返った。


「何?」

「……何も」


 すっと目を逸らされる。とても何もない、という様子には見えない。何か変なことを言っただろうか。失礼がないよう、気を払ったつもりなのだけれど。


 些かの不安に駆られていると、それを吹き飛ばすように、ディルク・ハイゼから明るい声が掛けられる。同時に、向かいの席に座る彼にぎゅっと両手を握られた。


「素敵な奥さんじゃないか。よかったね、ジギスヴァルト!」


 先程の甘ったるい様子はなく、友人への気安さのようなものが感じられた。心から友の結婚を祝福し、妻である私への世辞も忘れない。この様子からかんがみるに、どうやら距離が近く、やたらめったら手を握るのに他意はなく、元々そういう人らしい。


「あの、ディルク様。手を……」

「やだなあ、もっと気安く呼んでよ! ディルクさんとか、ディッくんも捨てがたいし、何なら呼び捨てでもいいんだよ!」


 明るく社交的なのはよく伝わってくるが、それ以上に押しが強い、という感想を抱く。明朗な点も、ジギスヴァルトとは正反対の印象だ。


 なんて考えていれば、またジギスヴァルトによって引き剥がされた。解放された手は、速やかに食卓の下に隠してしまうことにする。何かと手を握られては、不快なわけではないが戸惑って反応に困る。


「馴れ馴れしい!」

「手を握っただけじゃないか」


 険しい顔のジギスヴァルトに、ディルク・ハイゼ改めディルクさんは、平然と肩を竦めるのみである。『ディルク様』を拒否されるなら、この呼び方が一番呼びやすい気がした。


「いやあしかし、なるほど。だから前回食料を多めに持って来いと言っていたんだね。それならそうと言ってくれればよかったのに。友だち甲斐のないやつめ」


 からかうような調子で、ディルクさんはそう軽やかに口にする。ますます不機嫌そうになったジギスヴァルトは、しばらく彼を睨みつけると、低い声で言い捨てた。


「……うるさい。鼻水垂らしてビービー泣いてたくせに、偉そうに」

「やめてよ! それ今関係ないし、二十年も前の話じゃん!」


 先程まで落ち着いた様子だったディルクさんは、途端に慌て始める。幼い頃の話をされるのは、場合によっては猛烈に恥ずかしい。その気持ちは私にもよく分かったので、少々同情する。


 私からすれば信じられないような、恥ずかしいセリフを平然と口にするディルクさんだが、そんな彼にも、顔を赤くしてしまうような思い出話はあるらしい。


「ジギスヴァルトのそういうとこ、すごい年寄りくさい。自分は変わらないからってさ」


 そう言って、ディルクさんは拗ねるように唇を尖らせた。どうやら二人は二十年来の付き合いらしい。話しぶりから、不老不死のこともよく知っているようだ。


 ずっとそうだと聞かされていたが、本当にジギスヴァルトは二十年経っても様子が変わらないのだな、と改めて理解する。

 想像しようにも、私には信じられないことで、真面目に考えようとすればするほど、なんだか眩暈がするようだった。


 きっと彼は、私がおばあちゃんになっても、若く美しいままなのだろう。老いないことに関しては、羨ましいとさえ感じるところかもしれないが、何だかそれはとても、寂しいことのように思った。


「でもさ、クシェルちゃんも一緒に暮らしてるなら、もっと他にも必要なものってあったんじゃない? 俺今回、食料とかいつもの追加くらいしか持ってきてないよ」


 クシェルちゃん、という慣れない呼び名に少々驚く。身内は名前で、使用人には当然の如く『クシェル様』と敬称をつけて呼ばれていた。社交界に出れば一人前の淑女として扱われるので、そのように呼ばれることはない。

 街などでは、年下の女性はそう呼ぶのが一般的なのだろうか。何だか新鮮な気分だった。


「ああ、今回必要なものを頼むから、次回はそれを早めに持ってきてほしい」

「それは構わないけど、クシェルちゃんがよければ、うちの店に来ない?」


 ディルクさんはそう提案しつつ、私の様子をしげしげと眺め、それから家中へ視線を巡らせた。


「見たところ、上着もジギスヴァルトのものを借りてる状態でしょ? 靴も可愛いけど森で生活するにはちょっと歩きにくそうだったし、それにこの家って食器とかもあまりなかった気がするんだけど。女の子ってそういうの自分で選びたいんじゃない? どうかな」


 よく見ている人だな、と驚くと共に感心した。確かに服の上から羽織っているローブはジギスヴァルトのものだった。寒くなってきたが、上着代わりになるものがストールしかなかったので、彼のものを借りたのだ。


 靴は実家から持ってきたもので、森での生活に適してはいない。これでも一応貴族の出身なので、実用性よりも見た目重視のものである。何より好んでその手伝いはしていたものの、これまで使用人がいて当たり前の生活をしていたので、こうも動き回ることを想定していなかった。


「それは、その……」


 言葉を濁す。確かに、ディルクさんに見繕って持ってきてもらうよりも、自分で好みのものを選べたら楽しいだろう、と思う。何より、私はほとんど街に出かけたことがなかった。


 両親がいた頃はまだ幼く、叔父はアマーリエと同じく、私が外出するのも好まなかった。そのため、多くの人が住むらしい街は、どんなところだろう、と想像と期待ばかりが膨らんでいる。好奇心から街へ行ってみたかった。


 ちらり、とジギスヴァルトの様子を窺う。あまりにも夫婦らしくない夫婦だと思うが、これでも嫁いで来た身なので、夫の意向を確認せずに返事をすることはできない。


「うっ……」


 ジギスヴァルトはさっと顔を背けた。これは反対されるのかもしれない。それならそれで、食い下がるつもりはなかった。頼めば、必要なものはディルクさんが持ってきてくれるそうなので、街に行けなくても困ることはない。ちょっとした好奇心で、我儘は言いたくなかった。


「……行きたいなら行けばいい」


 しかし、ジギスヴァルトからの返答は、意外なものだった。彼は背けていた顔を、非常にゆっくりこちらへ向けると、じとり、恨みがましそうな目で私を見つめる。


「ただし、僕も行く」


 その顔があまりにも不服そうで、とてもじゃないが、共に行きたがっているようには見えなかった。




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