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15.『――ただし、少々軽薄』



 朝起きた私は、自分の晒した醜態に頭を抱えた。なんて恥ずかしい人間だ、と思う。結局私は、自分の中の整頓できない感情を持て余し、それを全部ジギスヴァルトの前にさらけ出して弱音を吐いたのだ。


 みっともないにもほどがある。謝らなくていいと彼が言ってくれたから、もう申し訳ないとは思わないようにしたいけれど、それでなくても合わせる顔がない、という思いでいっぱいだった。


 けれどジギスヴァルトは、朝にはもう夜のことなど何もなかったような顔をして、そのくせいつもより早起きをして、平然と朝食の用意を急かした。おかげで私も、恐縮することなく普通を装い、その日を乗り切れた気がする。


「寒くなってきたね」


 秋に嫁いで来て、今では初冬を迎えようとしていた。同じ時期のロッシュ領よりも、森の中である分、外気は冷たい気がする。


 家の中は温かく快適だが、ついつい暖炉の前に集合してしまっていた。ジギスヴァルトと私は椅子に腰かけ、ノイくんは私が膝に抱っこしている。

 七、八歳くらいの男の子の容姿をしているが、本体がぬいぐるみだからか、想像していたよりもずっと軽い。


「寒いなら薪を足せばいい」


 ジギスヴァルトが、ジトりと目を向ける。


「そこまでじゃないから、大丈夫よ。ノイくんが温かいしね」


 人間の子どものように高い体温を有しているわけではない。けれど、布の塊を抱きしめるくらいの温度があって、私はノイくんのお腹に回した手に力を籠める。


「ぼく、あたたかいですか?」

「そうね、気持ちいい」


 微笑ましい気持ちのまま相好を崩し、ノイくんの頬へ頬ずりする。すると、ノイくんはくすぐったそうに歓声を上げて、私はますます楽しくなった。


「高が知れているだろう」


 胡乱げな、呆れを含んでいるようにも聞こえる声がする。それにつられるように目を向ければ、ジギスヴァルトはまるで悪事が見つかったようにぎょっとした様子を見せ、慌てて顔を背けた。どうやらじっと見降ろされていたらしい。何故だ、髪に埃でもつけていたのだろうか。


「はやくディッくんが来てくれるといいですね」

「ディッくん? どうして?」


 ノイくんの言葉に、疑問符を飛ばす。確かディッくんとは、魔法石を買ってくれる人である。何故ここで名前が出たのだろうか。


 私がそう、問い返したときのことだった。家の外から、何だか賑やかな物音が聞こえてくる。異変を感じ取り、反射的に身体が緊張した。


 森に囲まれたこの家で聞こえる音と言えば、鳥や獣の鳴き声と、精々木々のさざめき程度である。今、外から聞こえてくるような音は初めてだった。

 まるで、何かの足音のような。


「ああ……来たか」


 しかし、警戒心さえ湧き上がらせた私とは裏腹に、ジギスヴァルトの態度は平然としたものだった。膝の上のノイくんも、特別緊張する様子はない。それどころか、ご機嫌な様子で、素早く私の膝から飛び降りた。


「ぼく、お出むかえしてきます!」


 そう言って、ノイくんはすたこらさっさと玄関へ向かう。


「え、ノイくん!?」


 思わず、反射的に椅子から立ち上がり、その背を追った。隣に腰掛けていたジギスヴァルトも、後ろからついてきてくれる。

 ノイくんが扉を開け放つと、音は更に大きく聞こえる。この家へと繋がる一本道の向こうに、荷馬車の姿が見えた。


「ディッくーん!」


 ノイくんが手を振って呼びかける。一頭の馬に引かれる荷馬車を操る人影、その人が『噂のディッくん』か、と理解すると共に、ようやく肩の力を抜けた。一体何事か、と警戒してしまったではないか。


 あとから付いてきてくれていたジギスヴァルトは、そのことに気付いていたのだろう。驚いた様子もなく、私よりも一歩前へ進み出た。


 ゆっくりと進んでいた荷馬車は、私たちの目の前で止まる。馬の陰になっていた御者こと、『ディッくん』が優雅に降り立った。


「やあ、久しぶり、ノイ。ジギスヴァルトも息災そうで何よりだ」


 爽やかな好青年、という言葉がまず脳裡に浮かんだ。甘い蜜のような色をした髪には癖があり、同じ色の目元も柔和に細められ、優しげな印象を受けた。随分な美丈夫で、二十代後半くらいだろうか、と検討を付ける。


「うん? むしろ息災そうでご愁傷様です、と言うべきかな? ジギスヴァルトの場合は」

「……放っておけ」


 うんざりした様子を隠すことなく、ジギスヴァルトは大層不服そうに口にした。

 紹介されるのを待つべきか、それとも自ら挨拶すべきだろうか、と様子を窺っていると、『ディッくん』と目が合った。彼は一瞬驚いたように目をみはり、すぐに甘い微笑みを浮かべ、一息に私のもとへ距離を詰めた。


 挨拶をしよう、と私が身構えるよりも早く『ディッくん』の左手が私の腰をさらい、右手が私の左手を取っていた。


「初めまして、美しいお嬢さん。僕はディルク・ハイゼ。どうぞよろしく」


 ちゅ、と軽い音を立てて、取られたままだった私の指先に、彼の唇が触れる。爽やかな好青年だという感想に、心の中で一言付け足す。


『――ただし、少々軽薄』


 まるで、夜会で色んな貴婦人、ご令嬢と浮名を流していた貴公子然としている。自然な触れ方、甘い言葉に、一見すると情熱的な視線。


 軽率に触れると大火傷をしそうな、アマーリエには絶対近づけたくない類の男性だった。


「まさかこんなところで、あなたのような人に出会えるなんて! 僕はなんて幸運な男だろう。あなたに焦がれる憐れな恋の奴隷に、どうか慈悲を。あなたの名は、」

「おい!」


 ディルク・ハイゼとやらがすべてを言いきるよりも早く、強い力で引き剥がされた。


「気安く触るな!」


 ジギスヴァルトである。私の肩を掴んで自身の方に引き寄せると、眉間に皺を寄せ、不機嫌を隠そうともしない彼に、人差し指を突き付けられた。


「おまえは僕の妻だろう! 他の男に色目を使うな!」


 声を荒げて糾弾される。その言葉の意味が分からなくて、咄嗟に反応できなかった。しばらくの沈黙の後、ようやく向けられた言葉を飲み込む。


 …………そ、そんなもの使ってませんけど!?


 謂れのない非難を浴びせられ、たまらず心中で反論する。それをようやく口から出そうとしたところで、その場に大きな笑い声が響き渡った。


「ひっひー! ひー! ひー!」


 笑い声と言うか、笑いすぎて息ができなくなっている。か細い呼吸音のような声を漏らしてお腹を抱えて悶え苦しんでいるのは、ディルク・ハイゼだった。


「ディッくんだいじょうぶですか?」


 あまりの様子に、心配そうな顔をしたノイくんが慌てて駆け寄る。先程の爽やかな微笑みなど見る影もない表情を浮かべている。辛うじて笑い転げていることは分かるが、その顔を見なければ、呼吸困難に陥っているとしか思えない有り様だった。


「いやあ、あっはっは、ひー! ひっひ! ……っとと、ごめんごめん。ジギスヴァルトのそんな顔、初めてみたから、つい」


 ようやく喋れる程度に笑いを収めたディルク・ハイゼは、笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭いながら、そう口にする。

 言われたジギスヴァルトは、これ以上なくバツが悪そうにした顔を、思いきり背けていた。




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