13.「お星さま、きれいです!」
親愛なるアマーリエ
日ごと寒さ深まる時節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私は日々楽しく、穏やかに暮らしています。
可愛い妹への手紙は、そんな書き出しとなった。伝えたいことが沢山あって、何から書けばいいだろうか、と悩んでしまう。
手紙を送ることに関しては、今度、懇意にしている商人に預けられるか尋ねてくれるらしい。そのため、まだいつ手紙を出せるかは分かっていないのだが、逸る気持ちを抑えられずに、早速書き始めてしまった。
私が元気に楽しくしていることを伝えたい。そうした思いと共に、アマーリエはどうしているだろうか、と気にかかる。
元気にしているだろうか。寂しがってはいないだろうか。笑っているだろうか。
十五歳の彼女もそろそろ嫁ぎ先を探す頃だろう。さすがに叔父も、実子の嫁ぎ先ならばもっと慎重に相手を選んでくれると思うが、アマーリエを愛してくれる素敵な男性と巡り合えるか、心配でならない。
そんなことを思いながら書いていれば、手紙は呆れるほど長くなる一方だった。
アマーリエは私の可愛い妹で、自惚れでなければ彼女の方も私を姉として慕ってくれていた。だからこそ、離れて暮らし、会えなくなったことが心配で寂しい。
けれど、こうして手紙を書いていると、手紙を書かなければならない距離ということに、どうしようもなく安堵した。これでよかったのだ。
強引なやり方とはいえ、婚姻を成立させてこの家に呼んでくれたジギスヴァルトには、当初から感謝していた。そう、今だって。
――あの子が大切だから、そばにいることが怖かった。
思わずごめんなさい、と呟いて、その日は結局、手紙を書ききることができなかった。
◇◆◇
アマーリエを大切に想う気持ちは、私の中で罪悪感を芽生えさせるものだった。ずっとその気持ちから目を逸らしていたのに、彼女へ手紙を書こうとしたことで膨れ上がる。馬鹿馬鹿しいくらい、自業自得だった。
ふう、と溜息を吐いて、食事の後片付けを済ませる。
「何だ、溜息なんか吐いて」
すると、それを見咎めたジギスヴァルトが、怪訝そうな目を私に向ける。
「ごめん。何でもないよ」
すぐにそう答えたのだが、彼はそれでは納得できなかったようで、表情を和らげることはなく、再度口を開こうとする。
しかし、それよりも早く、わあ! という歓声が聞こえた。声の主はノイくんだ。外で読んでいた絵本を置き忘れた、と言って先程外へ出たのだが、一体どうしたのだろう。
「ちょっと見てくるね」
嬉しそうな声だったので、大きな問題が起きたわけではないのだろうが、ジギスヴァルトの追求から逃れたかった私は、これ幸いと外への扉へ向かう。引き留められることはなかった。
玄関から外へ出て、裏庭へ回り込む。夕飯も終えた今の時分では、とうに日は暮れ、世界はすっかり夜を迎えている。
家の中は暖炉の火で温かいが、一歩を外へ踏み出すと途端に寒気に晒された。ストールを肩にかけた程度ではやはり寒い。日中はまだそれほどでもないのだが、森の中ということもあり、夜はよく冷える。
「ノイくん?」
「クルちゃん!」
呼びかければ、長椅子のそばに立っていたノイくんが、ランプを左手に、絵本を右手に抱えたまま勢いよく振り返る。そのまま駆け寄ってきたかと思うと、ノイくんは絵本を手に持ったまま空を指し示した。
「お星さま、きれいです!」
促されるように空を見上げ、思わず私も歓声を上げそうになる。見上げた先には、満天の星空が広がっていた。
夜空の中で、白い光が輝き、時に瞬いてその存在を主張している。冬は特別星が綺麗に見えるというが、なるほど、と素直に納得できる光景だった。
「きらきらしてますね!」
「うん。綺麗ね」
同意すれば、ノイくんは嬉しそうに笑う。
この家は森の中の、ぽっかりと開けた部分に建っている。そのため空を見上げると、星空が背の高い木々に囲まれて見えた。それはまるで、額縁で彩られているようだった。
実家で見ていた星空とはまた違っていて、新鮮な心地がする。
「何をしているんだ」
二人で並んで空を見上げていると、玄関の方からジギスヴァルトが顔を出す。二人していつまでも戻らなかったので、様子を見に来てくれたのかもしれない。
「ごめんなさい、つい夢中になっちゃって。あ、その格好、寒くない?」
「いや、別に」
ちょっと顔を出してノイくんの様子を見るつもりが、そのままはしゃいでしまっていた。ジギスヴァルトはいつものローブ姿である。それでも平然としているので、案外寒さには強いのかもしれない。
「ジトくん、星がきれいですよ!」
ノイくんがそう声を掛ければ、ジギスヴァルトもまた、空を見上げる。
「……ああ、そうだな。今日は晴れているのか」
その反応はどうにもあっさりしたものだった。味気ないとも感じる。しかし、すぐにその思考を改める。ノイくんのように目を輝かせるジギスヴァルトが、まったく想像できなかったからだ。
きっとこれが彼らしい反応、というものなのだろう。
ご機嫌に星を見上げていたノイくんは、突然はっとしたように真面目な表情を浮かべる。手に持っていたランプをその場において、昼間読んでいた絵本を開いた。
「ぼく知ってます! 人間はこういうとき、踊るんですよね!」
ランプと星明りに照らされた絵本には、輪になって踊る人々の絵が描かれていた。昼間に一緒に読んだので、その内容には当然覚えがある。星々の美しさに胸を打たれ、その感動から踊り出したのだ。
ノイくんが、星空にも負けないほど顔を輝かせてこちらを見上げる。彼が何を期待しているかは伝わってくるが、生憎私には即興で踊れるほどの技能はない。
踊りと言えば、夜会などの社交の場で何度か踊ったくらいである。社交の場で恥ずかしくない程度には踊れるつもりだが、当然ながら一人で踊るものではなく、今この場でどうすればいいか思いつかない。
三人で手を繋いで輪になってみればいいのか、などと色々考えていると、するり。ジギスヴァルトに右手を取られた。
「え、なに?」
そのまま、彼の右手が私の腰に添えられる。格好だけならば、夜会で踊る男女のようだ。
「え? ええ?」
「踊るんだろ」
「え?」
「踊ってくれるんですかっ?」
私が戸惑っている内に、ノイくんが嬉しそうな声を上げる。自分が踊らずとも、私たちが踊っている姿を見るだけでもいいのだろうか。
「え、というか、あなた踊れるの?」
「一応は。王宮で勤めていた頃、必要に駆られて身に付けた」
正直あまり想像ができない。踊る機会があったの? ジギスヴァルトが?
ノイくんや私以外の人と接する姿すら、上手く思い描けない。服だって、簡素な服の上からローブを身に付けている印象しかなく、一体どんな格好で踊っていたのだろう、と思う。
色々と考えてみたけれど、私の想像力では限界を感じるほどの未知だった。
戸惑っている内に、ジギスヴァルトが動き始める。私もそれに合わせて慌てて踊り始めた。
「ま、待って待って」
「待たない」
そう言われたものの、二人寄り添って踊るのに、相手に合わせないわけにはいかない。言葉とは裏腹に、ジギスヴァルトは私の動きに合わせてくれた。幸いだったのは、おそらく三百年ほど前に身に付けた彼の動きが、私の知る男性側のものとそう変わりなかったこと。
まったく違うものだったらどうしよう、と思っていた。
聞こえてくる音楽は、木々のさざめきと鳥の鳴き声。照明は星明りと足元のランプのみ。華やかなドレスも、煌びやかな宝飾もない。
私はジギスヴァルトについていくだけで精いっぱいで、何とも不格好な踊りっぷりだっただろう。必死すぎて見栄えに気を払う余裕はない。
そんな中でも、何とかちらりとジギスヴァルトの顔を見やってみる。かつてないほど近くにある彼の顔は、せっかく踊っているのに楽しそうでも、真剣でもなく、相変わらずの仏頂面で。
「ふ、ふふ」
あまりにいつも通りなのが何だかおかしくて、私は途端に緊張感が抜け、思わず笑い声まで漏れる。
すると、突然ジギスヴァルトの動きが乱れた。私はそれに対応できず、彼もすぐに立て直せず、彼の足が私の足を踏んづけた。
「いたっ」
思わず声が漏れる。体重が掛かっているほどではなかったので、激痛というわけではなかったが、足先は繊細な部位でもあるので、反射的に声が出てしまった。
「わ、悪い!」
ジギスヴァルトが慌てた様子で私から手を離し、一歩距離を取る。
「い、痛むか? 怪我は?」
自分のせいで私が机に腰を打ち付けたと思ったときも、大げさすぎるほど焦っていたな、と思い出す。
「ごめんね、大丈夫よ。そんなに痛くないから」
「いや、でも、いいから見せてみろ!」
その場でしゃがみ込み、私の足の様子を確かめようとする。あんまり慌てふためくジギスヴァルトの様子に、思わず。
「ふ、ふふっ。あ、ははは」
堪えきれない笑い声を立ててしまった。
何だかすごく、楽しかった。足の痛みなんて、ちっとも気にならないほど。自分でも驚くくらい、この時間を満喫していた。誰かと一緒に踊って、こんなに楽しいと思えたのは初めてだった。
夜会に出ていたときは、必要だからこなしていた。役目でも何でもない時間が、こんなに楽しいなんて。
不思議に思い、けれどすぐにその理由に気付いた。私は、この家が好きだ。この家での生活が、ノイくんが、ジギスヴァルト、が。
だから、こんなにも楽しい。ちょっとしたことで、自分でも驚くくらい簡単に、心が湧きたつ。
「心配させてごめんなさい。本当に大丈夫だから」
子どもっぽくて意地っ張りで偏屈なのに、妙に素直で優しいところを持つ私の夫は、それでもまだ、おろおろと様子を窺っている。優しい人だ。上手くそれを出せないだけで、思いやり深い人なのだ。
この人のところへ嫁いでこられてよかった、と思う。きっと私はとても恵まれている。
――ああ、だから。自覚すると尚更。
ちょっとしたことを真剣に心配してくれるその優しさが、申し訳なかった。




