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12.「困っていることはないか」



 視線を感じる。

 私の頭を今まさに占めているのはそれだった。


 最近、ジギスヴァルトから向けられる視線が顕著になったような気がする。何でもないときにふと向けられるときもあれば、食事中に、向かいの席からじっと投げかけられるときもある。


 非常に落ち着かない。どうかしたのか、と尋ねてみても明確な返答はなく、何でもない、と逸らされるばかりである。そのくせ、私が彼から視線を外せば、また例のジト目で見られている気配を感じるのだ。


 加えて、何故だかよく後ろをついてくるようになった。例えばノイくんと洗濯物を干していると、裏庭にある木製の長椅子に腰掛けてじっとこちらを見ている。かと思えば不意に立ち上がって干すのを手伝ってくれる。


 掃除や、食事の用意のときも同様である。

 こういうとき、ジギスヴァルトは何も言わずに黙々と手伝ってくれるので、余計に彼の意図が読めない、と首を傾げることになっていた。


「ありがとう」


 私が戸惑いながらも礼を言えば、ジギスヴァルトは決まってその紫の瞳でじっと私を見下ろした。それでも何かを口にすることはなく、どうにも不可解そうな顔のまますっと目を逸らすのだ。一体何がしたいのだ。もしくは不満でもあるのか。それならそうと言ってくれればいいのに。


「クルちゃん、難しい顔してます。どうしたですか?」


 頭を悩ませながらひたすら夕飯の芋の皮を剝いていると、心配そうな目を向けてくれるノイくんと目が合った。


 食卓に座って私が芋の皮を剥き、その隣に座るノイくんが、皮の剥けた芋を桶の中の水にさらしてくれている。暖炉によって部屋の中は温かく、ストールもいらないくらい心地いい。何だか穏やかで、時間がゆっくり流れているように感じるひとときだ。


 ノイくんは私が困っていたり、頭を悩ませていたりすると、いつも今のようにすぐに気に掛けてくれる。可愛くて、心優しいノイくんは、いつだって私の心の癒しである。


「大丈夫よ。ありがとう」


 自然と笑みが浮かんで礼を言えば、ガタタッと大袈裟な物音がした。音の方へ視線を向ければ、どうやら部屋から出てくるところだったらしいジギスヴァルトが、こちらを見て目を見開き、後ずさっている。


「どうしたの?」


 何があったのか、と驚いて目を丸くすれば、彼はまたいつものように私をじっと見つめ、それから分かりやすく顔を顰めるとすっと背けた。


「なんでもない」


 それから、部屋から出てこようとしていた様子だったのに、静かに自室内へ戻っていく。一体何をしたかったのだろう。とても『なんでもない』という様子には見えなかった。

 どうにも気落ちした様子だったのが気にかかる。


「どうしたんだろう」


 思わず呟けば、ノイくんもまた、不思議そうに首を傾げる。


「ジトくん、お疲れさまですか?」

「どうなんだろうね」


 私からすれば割といつもよく分からない行動を取っているので、あまり深刻にはならずに気軽に捉えているが、本当に一体、何を考えているのだろう。


 ◇◆◇


 私が寝支度をしているときが、今も変わらずジギスヴァルトからノイくんへの、絵本の読み聞かせ時間となっていた。


 ノイくんはたどたどしいながら、絵本の文字くらいならばもう自分で読めるようになってきているのだが、どうやら読み聞かせてもらうこと自体が好きらしい。今日も夕食の片付けが終われば、これがいい! と絵本片手にジギスヴァルトにねだっていた。


「そうして、お姫様は王子様のキスで、長い眠りから覚めたのでした」


 やっぱりジギスヴァルトには似合わないなあ、と思いながら私もそれに耳を傾ける。寝支度を終えて、二人の向かいになる食卓の席に腰掛けていた。


「もう一回! もう一回!」


 ノイくんはいつものように、そうねだる。すると、ジギスヴァルトがじっとこちらを見ていることに気付く。


「ノイくん、今日はもう遅いから、また明日にしよう?」


 止めてほしい、と訴えられているのかと思って声を掛ければ、はーい! とノイくんは気持ちのいい返事をくれた。

 絵本を両手に持ち、片付けているノイくんの姿を見ながら、これでよかったのよね? という気持ち込めてジギスヴァルトへ目を向ける。すると、彼は何故だか苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。


「なに?」

「……何でもない」


 とても何でもない、という様子ではない。一体何なのだ、ともやもやした気持ちを持て余したが、答える気のなさそうなジギスヴァルトは、すっと目を逸らしていた。


 詮索するのは諦めて、ふと考える。この家にある絵本は、お姫様と王子様の恋物語が多かった。ノイくんの趣味なのか、それともジギスヴァルトがそれを選んで買い与えたのだろうか。


 もし後者だとすれば、ちょっと想像つかなくて理由が知りたいような気がする。いや、知るのが怖いような気も……。


「そういえば、絵本だと悪い魔法に対抗するのっていつも、王子様のキスとか真実の愛よね」


 ふと思いついてそのまま口に出す。絵本の紡ぐ物語は、いつだって美しく、清廉で、意地の悪い言い方をすれば都合がいい。


 現実は、そんな夢みたいに鮮やかには解決しない。目の前の魔法使いが、三百年も苦しめられているように。


「いや、あれは中々的を射ている」

「え、そうなの?」


 しかし、ジギスヴァルトの返答は意外なものだった。


「魔法は、精神の影響を強く受け、心乱れた状態だと制御も難しくなる。大昔の文献に載っているような変則的な呪いには、『愛する人』など感情に寄与する単語が散見しているくらいだ」


 まったく知見のないことであるために、咄嗟に話を飲み込めず、頭の中でふわふわと転がす。


「つまり、強い感情はそれだけ魔法に影響を及ぼすということだ」


 いまいち理解できていないことを悟られたのか、最後に簡潔に纏められた。とりあえず、それだけを心に留めておくことにする。

 しかし、心乱れた状態で魔法の制御が難しくなるということは、三百年も魔法使いを続けているジギスヴァルトは、当然精神の制御が必須なのではないだろうか。


 それにしては、結構感情的なようにも思うけれど。

 なんてことを考えていると、絵本を片づけたノイくんがとことこと駆け寄ってくる。私の隣に座りなおせば、あまりの可愛さにでれっと頬が緩んだ。


「クルちゃんはもうおやすみですか?」

「うん、そうしようかな?」


 ジギスヴァルトはまだ起きているのだろうか、と目を向ければ、彼はどうにも不服そうな顔をしていた。腑に落ちないような、そんな顔。


「何、その顔」


 そう問うてみたものの、彼は答えてくれることはない。つんと顔は背けられたものの、怒っている様子でもなかったので、そっとしておくことにした。


 ◇◆◇


「困っていることはないか」


 いっそ高圧的と感じてしまうくらい、物々しい顔で彼がそう尋ねてきたのは、その次の日のことだった。ちょうど昼食を食べ終え、片付けのために立ち上がろうとしたところだ。

 同じく食卓の椅子から飛び降りようとしていたノイくんと共に、椅子に座りなおす。


「なあに、突然?」

「いいから、何かあるなら言え」


 そう強引に迫られると急にはパッと浮かばない。ジギスヴァルトがこんな風に尋ねるということは、家のことについてだろうか。


 しかし、生活には割と満足しているし、必要なものは揃えてくれる、とこの間話したばかりだ。何か気がかりなことは……と考えて咄嗟に浮かんだのは美しくも可愛い妹のことだった。


「手紙を」

「手紙?」

「ええ、妹に手紙を出したいのだけど、どうすればいいの?」


 最近まで、こうして顔を合わせて話すことがなかったので、追々尋ねたい、と思いつつも後回しにしていた。あれだけ、私のことを案じてくれていたアマーリエである。楽しく暮らしている、と報せてあげたかった。


 連絡が遅くなってしまったとはいえ、まだ季節が一つ巡ろうかという頃なので、許してもらおう。

 アマーリエは今頃どうしているだろう。私が安心したいがために、なるべく早く離れようと思っていたけれど、いざ離れるとはやり彼女に会いたくなってしまう。


「それは……そうだな。確認する」


 少々考え込む仕草を見せたジギスヴァルトは、そう返答する。

 その口ぶりから、彼はこの家で手紙という連絡手段を使用してないことが伺えた。


「ジギスヴァルトは手紙を書いたりしないの?」

「王宮からの召喚を拒否するためのものなら、その場で使いの者に預けるぞ」


 今のジギスヴァルトには、かつてのように王宮勤めをするつもりはないようだから、その姿は容易に想像がついた。しかし、王宮を通して私との縁談を取り付けたことを考えても、縁が切れてしまっているわけではないのだろう。


「ジトくん、ディッくんにはお手紙しないですか?」

「は? どうして。必要ないだろう」


 ノイくんの問いかけに、ジギスヴァルトが心底不思議そうな声を出す。旅人か商人だと思われる『ディッくん』だが、どうやら手紙を交わすような間柄ではないらしい。


 そんな会話を聞きながら、個人的な手紙を送る相手が、今はもういないのかもしれない、と悟る。彼が生きた三百年の中で、親しい人はみんないなくなったと言っていた。

 思いやりのないことを聞いてしまったのだろうか。


「他は?」


 しかし、ジギスヴァルトは何も気にしていない様子で、重ねて問い掛ける。


「……特に思いつかないけど」


「何かあるだろう。困ったことじゃなくても、こうしたいとか、こうしてほしい、とか」


 そろそろ見慣れてきた端正な顔が、私へと向けられている。ううむ、ジト目でなければ更にいいと思うのだが。仏頂面以外は驚いたような顔と、慌てふためく顔くらいしか見たことがない気がする。もったいない。せっかく綺麗な顔をしているのに。


 そんな風に思考が逸れてしまっていることに遅れて気付き、はっと我に返る。しかし、改めて考えても、やはりこれと言って何も浮かんでこない。

 この家での生活にも慣れてきたし……しばらくそう考え込んで、ふと『してほしい』ことならば思いついた。


「じゃあ、これからは名前で呼んでくれる?」


 素直な要望だったのだが、ジギスヴァルトの顔が怪訝そうなものとなる。


「なんでそんなこと……」

「だってあなた、いつも『おまえ』とか『おい』と呼ぶばかりで、名前では呼んでくれないじゃない」


 別に不便はないからそれでもいいのだけれど、少々味気ない。私の呼び方は改めさせたのだから、私だって同じように求めてもいいだろう。


「呼んでなかったか?」

「ないですよ?」


 くりくりとした目で、私に代わってノイくんが肯定してくれた。ジギスヴァルトはまるで自覚がなかったのか、納得しかねるようだ。

 しばらく口ごもり、私へ目を向けたジギスヴァルトは何故だか怪訝そうな顔のまま口を開く。


「…………クシェル」

「はい。ジギスヴァルト」


 こうやって改めて呼ばれると何だかくすぐったい。照れ隠しのように笑えば、ジギスヴァルトは分かりやすく目をみはった。それから勢いよく立ち上がる。


「なっ……!」


 それから何かを言いかけ、口をパクパクと開閉していたが、じわじわと顔が赤くなっているような気がする。どうしたのだ、と思うよりも早く、彼は立ち上がったときとは対照的に、ゆっくりと、脱力したように椅子に座りなおし、目の前の食卓に突っ伏した。


「だ、大丈夫?」


 思わず心配になって問い掛けたが返事がない。


「…………こんな、ことで……」


 何がこんなことなのか、と更に問うたが、結局ジギスヴァルトは突っ伏したまま、それ以上の説明をしてくれることはなかった。




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