11.「いつもかわいいですよ」
ジギスヴァルトと初めてちゃんと話をした日から、少しだけ彼の様子が変わったような気がする。突き放すような態度は少々和らぎ、雑談をしやすくなった。何より、あまり死のうとしなくなった。
私自身が望んでいたことだが、ああも死に焦がれていた彼がぴたりと自殺行為を止めるとなると、むしろその方が心配になった。調子が悪いのではないか、とさえ思ったのだ。あとで冷静になってみると、どう考えても発想がおかしい。
「最近、自殺しないね」
そう尋ねると、ジギスヴァルトはばつが悪そうに目を逸らして、どこか拗ねるような調子で口を開いた。
「おまえはすぐ泣くから」
どうやら彼は、未だに本の角で頭を打ったときの涙目を、自分が乱暴にしたから、と思っているらしい。私が嫌がる自殺を繰り返せば、また泣くかもしれない、と危惧してくれているようだ。
いいのかな、と思った。あんなに生きることを厭うていたのに、そうして私に気を使ってくれてもいいのか、と。けれどやはり私は彼が望むなら死んでもいいとは思えなくて、できれば死なないでほしくて、結局自分に都合よく口を噤んでしまった。
きっと今死にたいと言って、それを行動に移されれば、私に止めることはできないから。
ジギスヴァルトが死のうとしなくなれば、彼のことを強く監視する必要がなくなった。だからこそ、それまでよりは緊張感なく気ままに過ごしているのだが、そうすると時折ジギスヴァルトからの視線を感じるようになった。
たとえば、ノイくんに文字の読み書きを教えているとき、たとえば外で洗濯をしているとき、たとえば居間で縫物をしているとき。以前より部屋から出てくるようになったジギスヴァルトは、少々離れたところに座っては、私に視線を投げてくる。
だからと言って、顔を上げた私と目が合うとすぐに目を逸らすのだから、一体何がしたいのやら。
「魔法石があれば、魔法をつかいやすくしたり、効果をたかめたりすることができます。あと、魔法をつかえなくても、お守りになるってディッくんいってました!」
王宮勤めは過去の話であり、王宮の人間に『通行証』を渡していても、訪ねてくれば追い返していると聞いている。そんなジギスヴァルトの収入源とは何だろう、と気になって尋ねた結果、ノイくんの返答は『魔法石を売ってます』だった。
おそらく、ジギスヴァルト本人に聞くのが一番手っ取り早く、彼の妻である私には尋ねる権利もあるのだろうが、少々はばかられてノイくんに尋ねた次第である。
裏庭で文字の練習をしていたノイくんは、にこにこと教えてくれた。木の枝で書いた文字が地面の上で踊っている。まずはノイくんやジギスヴァルトの名前の書き方から教えているのだが、書き慣れていないためにまだ文字が安定していなくて微笑ましい。
季節が冬に近付くにつれて寒さは増す。私はジギスヴァルトのローブを借りて、その上に実家から持参したストールを掛けて防寒しているが、元々がぬいぐるみのノイくんはあまり気温を感じないらしい。上着を着ることはなく、いつもの服装のままだった。
「旅人さんに大人気みたいです。危ないところにいっても、守ってくれるって」
「守る?」
「えっと、寒いとこで凍えなかったり、熱いとこで熱くないっていってました!」
その説明だけだと、随分便利な防寒、防熱器具の印象だが、実際はどうなのだろうか。
この家のあちらこちらに埋め込まれている魔法石は、一度使えば二度と手放せないと思うほど便利だ。しかし、私はその存在を初めて知ったくらい、一般的な存在ではない。家で使うものではなく、旅道具として認識されているのだろうか。
少なくとも、この家のように、便利な家庭道具としては周知されていないのだろう。
まあ、私が世間知らずという可能性も否定できないが、とりあえずその可能性は脇に置いておく。
「そういえば、ディッくんってどなたなの?」
ノイくんから、何度か聞いている名前である。
「ディッくんは、ディッくんですよー! 魔法石をかってくれます」
いまいち要領を得ない説明だが、とりあえず名前の始まりが『ディ』で、最後が『ク』なのだろう。『ジトくん』『クルちゃん』呼びから推測される。いや、それなら『ディックくん』と呼ぶだろうか。謎である。
魔法石を買ってくれるということは、旅人なのだろうか。それとも店に卸してくれるような商人なのだろうか。
すると、先程まで部屋で何かをしていたらしい、ジギスヴァルトが裏庭へとやってきた。その手には麻袋を持っていて、彼は私たちを一瞥するとそのまま井戸の方へ向かっていった。
「どうしたんだろう?」
彼の背中を目で追って、疑問符を飛ばす。ジギスヴァルトはあまり家から出ない。家の中で難しい魔法の本を広げているのがほとんどで、たまに外に出てきたかと思えば、のろのろと動いてぼんやり空を見上げていた。体調でも悪いのかと心配したのだが、日向ぼっこをしていただけのようで、拍子抜けしたものである。
そういうとき、ぼくもー! と嬉しそうに隣に並ぶノイくんは大層愛らしく、私に絵心があれば絵にして残したいほどだった。
「たぶん、魔法石をつくってるんだとおもいます!」
それを聞いて、私は途端に興味を惹かれた。あのあまりに便利な魔法石は一体どうやって作られているのだろう。
「……見に行ってもいいかな?」
「クルちゃん見たいです? じゃあ、ぼくもいくです!」
ペンの代わりにしていた木の枝を放って、ノイくんが立ち上がる。歪ながら、地面にはしっかりノイくんの名前が綴られていて、その文字を眺めるだけで頬が緩んだ。
「ノイくん、字上手くなったね」
「ほんとうですか!?」
勢いよく尋ねるノイくんににっこり笑って頷けば、彼は諸手を挙げて飛び跳ねる。嬉しくて堪らない、と全身で示していた。
「ほめられました!」
頭を撫でれば、くすぐったそうに肩を竦める。いつも以上に元気いっぱいになったノイくんに手を引かれ、私たちは一緒に井戸の方へ向かった。
◇◆◇
桶の中にはキラキラと輝く色とりどりの丸い石が転がっていた。しかし、石と呼ぶには真ん丸で、つるりとしている。水の中に沈む姿を眺めていると、綺麗だな、という単純な感想が浮かんだ。
「触るなよ。まだ形が安定してないから、おまえが触れば崩れて水に溶ける」
井戸へ向かうと、ちょうどジギスヴァルトが井戸から汲み上げた水の中に、麻袋の中身を流し込んでいるところだった。
「これからどうするの?」
「月明かりに三晩、陽光に二日当てる。そうすれば形も安定して、魔法石が出来上がる」
水につけた状態で光に当てれば固まるのか。ジギスヴァルトが言うのだから間違いないのだろうが、にわかには信じがたい。
「今はまだ昼だから、夜になったら外に出すですよ!」
ノイくんが補足をしてくれる。夜まではこのまま、井戸の陰に置いておくらしい。
色は赤が一番多く、次が青で、緑、黄、と続いている。魔法の種類によって色が違うらしいので、おそらく量の違いは需要の度合いによるのだろう。
「どうやって作ったの?」
素朴な疑問を向ければ、彼は言葉を探すように沈黙したものの、口を開くよりも早く人差し指を立て、その先に火の玉を作り出した。
「これを」
「うんうん」
「固める」
……なるほど分からん。
私は理解することを放棄した。固める、と言われても私にはそもそも魔法の心得すらない。そうなればどうして何もないところで火が出るかすら分からず、それを固めると聞いてもまるでその工程の想像ができなかった。
残念ながら、これまで十七年の人生で魔法に触れたことはない。この家に嫁いでくるなら、予習くらいしておけばよかった。
「これで、魔法の威力? とか上げられるのよね?」
先程のノイくんの説明で学んだことを口にする。
魔法使いは、そもそも稀有な存在である。潤沢な魔力だけではなく、それを磨かなければ魔法使いと呼ばれる存在にはなれない。
そのため、私も生まれてこの方結婚するまで、魔法使いには直接会ったことがなかった。そうなれば魔法についても詳しく知る機会もなく、質問ばかりが頭に浮かぶ。
「そうだな。あとは、例えば緑の石を持てば、風に対する耐性がつく。持っていれば、嵐の中でも風の影響を受けにくくなるな」
「え、すごい!」
素直に感心する。どうりで、旅人に需要があるわけである。旅をしていれば、野宿をする機会もあり、危ない場所を通ることもあるだろう。そんなときに、魔法石が身を護ってくれれば安心だ。
木板で塞がれた井戸の上に置かれた桶の中身を、背伸びして覗き込んだノイくんが口開く。
「今回、たくさんですね?」
不思議そうな声音だが、当然普段彼がどのくらいの量を作っているか分からない私には、実際に沢山なのか、判断がつかない。
「そうなの?」
「ジトくん疲れるから、いやだって。いつももっと、ちょっとだけです」
「それは……」
ジギスヴァルトの声が、途中でぐっと詰まる。ノイくんと共に桶の中の魔法石を眺めていた私が顔を上げると、彼は居心地悪そうに顔を背けていた。
「………………おまえのものを、色々買わないと、困るだろう」
ジギスヴァルトは居心地悪そうに、一見すると不機嫌そうにすら見える様子でそう言った。けれどその言葉は、間違いようもなく、私を思いやってくれているからこそ、出てくる言葉だった。
彼にあれが欲しい、これがない、と訴えたことはなかった。折を見て、もしくは商人とやらが訪ねてくれたときにでも頼んでみよう、と悠長に考えていた。
それなのに、彼がそんな風に思ってくれたのは、私のことを見てくれていたからで。
「あ……の! ありがとう!」
嬉しくて、逸る気持ちのまま、そう言った。不意に向けられる優しさが、じんわりと胸に滲む。自分でもだらしないと思ってしまうくらい、頬が緩んだ。
するとジギスヴァルトはまるで幽霊でも見たように、目を真ん丸にして驚愕の表情を浮かべていた。その目は、確かに私を捉えている。
な、なんだろう。だらしない顔をしていたので、みっともなさに驚かれたのだろうか。普通に傷つく。
「ど、どうしたの?」
尋ねてみれば、彼ははっと我に返った様子を見せると、再び顔を背けた。
「……おまえ、そんな顔……」
顔という単語が出てきて、疑いが確信へと変わる。やはり、変な顔をしていたらしい。確かに嬉しくて、随分だらしない顔をしている自覚もあった。
慌てて表情を引き締めていると、ノイくんがストールの裾を引く。
「クルちゃんは、いつもかわいいですよ」
にっこり笑う。絵画の中の天使のように穢れなく、愛らしい笑顔だった。ノイくんの方がどれほど可愛いことか! と思いつつも、それだけで簡単に慰められる。
「ありがとう」
たとえお世辞や慰めだったとしても、そう伝えてくれるノイくんの優しさが嬉しい。ジギスヴァルトは何故だか釈然としなさそうな顔をしているが、その理由について語ることはなかった。




