包帯
僕は頑丈に巻き付いた包帯を凝視してしまった。
(なんだありゃ?しかも両腕)
骨折ではない。
包帯の彼女は階段の手すりを伝っているわけだし。
もちろん石膏で固定されているようでもない。
怪我?
もしかして。
あの包帯の下には、時流の言っていた掻きむしった傷があるというのか?
だが包帯の範囲が尋常ではない。
肩から手首の辺りまで巻かれているのだ。
その全てが傷?
ありえない。
「もう!遅いから迎えにきたぞ!」
「うわ!なんだ?あおいか」
「うわってなによ!失礼ね」
あおいは不機嫌そうに腕を組んだ。
「いや。ごめん。ついぼーっとしちゃって」
包帯の異様さに肝を抜かれてしまった僕はいつの間にか歩みをとめていたようだ。
「早く牛乳ちょうだいよ!喉かわいちゃった」
あおいは舌を出し手の平でパタパタ仰いでいる。
喉が乾いたというジェスチャーなのだろう。
「わかった。わかった。はいよ」
僕は手に持っていた牛乳を手渡す。
「くるしゅうないぞ」
「まだそのネタ続いてたのか」
あおいは紙パックにストローを刺し一気に吸い込む。
彼女は満面の笑みを浮かべ手で口元をぐいっと拭いた。
「ぷはあ!生き返った!」
「ぷはあって言うなよ。おっさんみたいだぞ」
「いいのよ。大人はお酒が楽しみなんでしょ?成長期の高校生には牛乳が楽しみなの」
「そうか?」
「そうよ。この一杯の為に生きてる~的な」
あおいの言い分は分からなくもない。
冷えた牛乳は確かにおいしい。
「と・こ・ろ・で」
まだ飲み足りないらしいあおいはストローを咥えたままにんまりと笑った。
「雲母、今、何みてたの?」
「ぱんつ」
「変態」
「ちが!」
「うんうん。雲母も思春期が来たんだねえ。お姉さんは嬉しいぞ」
あおいは僕の背中をぽんぽんと叩いて頷いている。
「違うんだって!違わないけど」
「皆まで言うな。雲母も男の子なんだもんねえ」
「うわあああ!待て待て!違う違う!」
僕は慌てて指をさす。
「包帯を見てびっくりしちゃんたんだよ」
あおいは指の行き先を見て一瞬だけ表情を強張らせた。
「ん。雲母。屋上で話そうか」
僕らは屋上に向かった。
そのまま屋上に行ったわけではない。
あまりにあおいがストローを吸い続けていたので、再度購買部に寄り牛乳を買ったのだ。
僕は再び牛乳を奢らされたのだ。
高いやきそばパンになってしまったものだと思う。
あおいの両親には子供の頃からお世話になってるからいいんだけどね。
あおいは適当な場所を探しハンカチを床の上に敷いた。
「ここにしよっか」
あおいの顔が少しだけ神妙に見えるのは気のせいだろうか?
「なあ。さっきの話だけど」
「包帯の子でしょ?」
「知っているのか?」
「うん。でも先に言っておくけど、雲母。他人を指さしてその人の特徴を言うのは良くないよ」
「ごめん。あまりにびっくりして」
「私に謝っても意味無いの。これから気をつけなさい」
あおいはメッという仕草をし、僕のおでこを指先でつついた。
「仕方ないけどね。最初見たときは私も正直、びっくりしたし」
「あの腕の包帯って怪我なのか?」
「わからない。たぶん・・・・・・怪我だと思う」
あおいは少しだけ困ったような表情を浮かべ言葉を続けた。
「彼女。神坂雅って言うんだけど元々、部活の後輩なの。でも・・・・・・半年くらい前、突然部活を辞めちゃって」
「辞めた?後輩っていうくらいんんだから1年生かか2年生だろ?」
「うん。実は」
あおいは言いよどんでいる。簡単に話していい物か迷っているようだ。
「大丈夫。他言はしない」
「他言っていうより、あまり人の事を憶測で話すのはどうかなって思って」
「分かっているところだけでいいよ」
「うん・・・・・・」
おあいは小さく深呼吸をする。
「実は彼女ね。心の病気にかかっちゃってるみたいなの」
「心の病気?」
「うん。入部してきた時は誰とでも話す気さくでとても明るい子だったのだけど」
「それがどうして病気に?」
「わからない。でも私、一度だけ見ちゃった事があるんだ」
あおいの顔は曇っている。
思い出したくないのかもしれない。
「あの子ね」
少しだけ続いた沈黙が夏の風に流されていく。
「彼女と二人で部室にいた時の事なんだけど、突然、痛い痛い痛い痛いってものすごい早口になって・・・・・・。自分の両腕を掻きむしり始めたの」
「掻きむしる?」
「うん。私は彼女の両腕を押さえたんだけど、とても押さえきれなくて」
あおいは苦しそうな表情を浮かべた。
「結局、その数日後に彼女は退部届けをだしたの。」
「だとしても半年前の事だろ?包帯は傷跡を隠す為なのか?」
「わからない。暫くは制服も長袖でしょ。私も彼女の包帯に気づいたのは夏服になってからだし」
でも・・・・・・。
あおいは顔を上げた。
「私は彼女を助けてあげたいと思ってる」
小さく伸びをしたあおいは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「実は。後悔してるんだぁ。部活やめてから雅ちゃんとはあまり話さなくなっちゃったんだけど」
神坂雅を彼女と話していたあおいが、突然、雅ちゃんと呼んだ。
もしかしたら部活の後輩と呼ぶだけの関係ではなかったのかもしれない。
「雅ちゃんの包帯姿見て後悔してるの。私があの時止められてたら今、包帯姿じゃなかったかもしれないじゃない?」
「あおいのせいじゃないさ」
僕はあおいの肩に手を置いた。
「そう?そういってくれるのは嬉しいけど。でもやっぱりあの時、雅ちゃんを止められたのは私だけなんだし、やっぱり後悔してるよ」
「女の子にとって肌は命なんだからさっ」
勢いよく立ち上がったあおいの顔には笑顔が戻っていた。
だが、僕の目に映し出されたあおいの笑顔は少しだけ悲しそうに見えていた。