つぎこそお買い物
僕は立ち上がり、すれ違いざま、澪の細い髪を撫でた。
それはもうめちゃくちゃに撫でた。
僕は言葉にできなかった。
胸に湧き上がるものが言葉を詰まらせてしまっていたのだ。
澪は再びクッションに顔を埋める。
僕は僕の手に願う。
僕こそ感謝の気持ちでいっぱいなのだ。
澪の髪をなでる僕の手から、澪の心に届いてもらいたいんだ。
澪、僕の妹でいてくれてありがとうと。
僕は次の言葉を見つけることもできず、扉を開く。
「澪。コンビニ行ってくるけど、なにか欲しいものあるか?」
澪はクッションに顔をうずめながら首を横に振った。
それは見慣れた澪のしぐさであった。
見慣れてはならない、学校に通わなくなった頃の澪のしぐさだったのだ。
僕は自転車にまたがる。
「雲母。お主、なぜ泣いておる」
「わがんない!よぐわがらないげど、まみだがどまらない」
「噛みまくりじゃのう。しかし、我は今、流している涙は尊く見える。お主はなぜ、妹御の気持ちに答えてやらなかったのだ」
「ごだえだがっだけど・・・・・・・ごえをだじだら」
「泣いてしまいそうであったというわけか」
僕は自転車をこぎながら静かに頷いた。
「しかし解せんのう。泣いても構わぬのではないか?」
「僕は、お兄ちゃんだがら!妹の前では泣けない!」
「そこがわからぬ。妹の前だからとか関係なくはないか?嬉しいから泣く。悲しいから泣く。辛いから泣くではいかんのか?」
「良い。悪いじゃなくて」
「そこじゃ」
時流は僕の頭をぺんっと叩いた。
自転車を二人乗りどころか肩車で乗っているのだ。
雑技団もびっくりの体制ではあろう。
「なぜ、お主ら人間は涙を堪える?涙を隠す?我にはそこがよくわからぬ」
「時流は泣くのか?」
「それは愚問というものであろう。泣く。喜怒哀楽というのは感情じゃからな」
では聞くが。
時流が姿勢を正す。
肩車状態だから時流が姿勢を正したのはすぐにわかった。
腿の筋肉がすこし強張ったからだ。
「お主ら人間は涙を尊いものとしてとらえすぎてはおらぬか?」
「涙が尊い?」
「うむ。涙を崇高なものと捉えすぎておる。捉えすぎて捕らわれておる」
「捕らわれてる?」
「捕らわれ過ぎであるといっても過言ではないな。涙など、所詮、体液。それがなぜ恥ずかしいのだ?」
「恥ずかしいって・・・・・・・教わった」
「じゃろうな。しかし、涙は恥ずかしいものではない。涙は喜怒哀楽の中で唯一、体液を吐露する行為だ。」
「それはそうだろうけど」
「まあ、感情の爆発という部分では哀ではなく愛でも体液を出すのじゃがな」
「子供の僕には刺激が強すぎます」
時流はかかと笑う。
「だから言うておろう。感情の爆発などなにも恥ずかしいことではない」
「えっと。時流の意見を聞く限りでは逆に恥ずかしく聞こえてきてますが」
「ならば聞くが、全米100万人が泣いたをどう思う?」
「全米とか言うなよ!自分のキャラを大事にして!」
「100万人も泣くなんて恥ずかしいと思うか?」
「数の問題なのかよ」
「そうではない。ここでいう数は問題ではない」
「そりゃあ。感動する映画なのかな?とは思うよ」
「観てみたくならんか?」
「そりゃ観てみたくなるさ。どれあけ感動するか観てみたい」
「では、喜怒哀楽に合わせてみよう」
「?」
「全米100万人が喜んだ」
「コメディかあ。僕、笑えるかなあ。アメリカンジョークは大味だから」
「全米100万人が怒った」
「むしろ結末が気になるけれど、映画観て怒るような映画は観たくないなあ」
「100万人が泣いた」
「興味はある」
「100万人が楽しんだ」
「インパクトとしては弱いかな」
「という事じゃのう」
「そういう事だよ!」
「人間は泣く場所を探しているという事じゃ。それは映画だけでなく小説の世界でもそうであろう。なのに、なぜ、お主ら人間は現実の世界の涙を拒むのじゃ?それが不思議でならない」
僕は時流に返す言葉がなかった。
なぜ泣かないのか?それは涙が恥ずかしいと教わった。
ただそれだけの事である。
「まあ100万人泣いたといってもアメリカの総人口を鑑みたら0.3%にも満たぬ話なのじゃがのう」
%を持ち出すキャラのぶっ壊れた時流はただただ笑った。
お買い物に出かけただけでした。すいません。