萌えなの?
はむはむ。
この状況をどう説明すべきだろう。
妹の友達である海老塚美紀が僕の首に唇を当てている。
どちらかというと心地よい。
僕はファーストキスより先に大人の階段を上ってしまうというのか。
「雲母!危ない!」
恍惚の表情を浮かべる僕の背中に衝撃が走る。
いやいや。危ないって、なにより危ないのは僕の背中に蹴りを入れた時流。お前なんだけど。
お陰で僕は美紀に馬乗り状態である。
僕の腕の中で美紀は静かな怒りの表情を浮かべた。
「なんだお前。雲母兄の守り人か?」
守り人とはなんだろう?
「はっ!守り人などという聞こえの良いものではないよ。我はこやつの主である」
「なんだと?人間と主従関係を結ぶなんぞ馬鹿な事を」
「馬鹿なのはこの雲母だけじゃ。我は決して馬鹿ではない」
美紀の声にノイズが走る。
美紀の声であり美紀の声ではない。
「まあいいや。今日はおいしいご飯をいただけたし、満足。満足」
美紀は僕の腕からすり抜け、振り向きざまに言葉を続けた。
「このまま私とやりあう気なら付き合うが、どうする?」
「今回は見逃してやるが、次は無いと知れ」
振り向いた僕の目に映る時流は氷のように冷たい目をしていた。
美紀は肩を竦め、部活に戻っていく。
残された僕は妙な高揚感に襲われていた。
「雲母!お主、大丈夫か?」
「え?大丈夫どころか、なんで邪魔するんだよって感じ」
「本当に大丈夫なのか?特に頭が」
「馬鹿にするな!頭は一番大丈夫な場所だ」
時流はため息を吐いた。
「鈍感じゃのう。お主精気を吸われてたんじゃぞ」
「せいきを吸う?」
「よくぞ我慢した。そのまま漢字変換しておったなら、我がお主を殺しておったところじゃ」
「簡単に殺すなよ。だいたい、僕の頭の漢字変換機能がなぜお前にわかるんだ」
「勘じゃ」
「勘か」
勘じゃあ仕方ない。
女の勘は鋭いって聞くからな。
「しかし、鬼とはのう。珍しい」
「鬼?もしかして美紀に鬼が取り憑いてるっていうのか?」
「うむ。この世界の言葉に照らし合わせれば取り憑いてるんじゃが・・・・・・鬼は特別な存在でのう」
時流は口を噤む。
「鬼が特別な存在?だって鬼って言うなら最もポピュラーな怪物じゃないのか?」
「お主の持つ、鬼の姿はどんな姿じゃ?」
「角が生えていて、虎柄の衣服。赤い肌に青い肌。生き血をすすり、人肉を食べる。そして金太郎や桃太郎に退治された。そんなところか」
「じゃろうな。だが、鬼の元は人間じゃ」
「人間?だって鬼って明らかな敵役じゃん。赤い肌。青い肌って」
「赤く焼けた肌。青白い肌ならどうじゃ?」
「虎柄の衣服は?」
「防寒着」
「じゃあ!生き血をすすっていたってのはどう説明するんだよ」
「葡萄酒を知らない人間が初めて葡萄酒を見たらどう感じるかのう?」
「人肉は?」
「既に葡萄酒を人間の生き血だと勘違いしておれば、誤解も生まれよう」
「じゃあ角は?」
「ただの被り物じゃ。雲母は海賊を知っておるな?」
「知っている」
「海賊の姿は?」
「ひげもじゃで、動物の衣服を纏い、海焼けしていて角の生えた兜をかぶっている」
「まあ、そんなところじゃろう。では桃太郎の話をしようか?」
「おい!僕は今、鬼の話を。いや。美紀の話をしてるんだ!」
僕は声を荒げてしまう。
「まあ聞け。桃太郎は鬼が島を目指し船を漕ぎ出す。その島が海賊の漂着していた島だと思えば説明はつかぬか?」
「漂着って」
「赤く焼けた肌。青白い肌。海賊の兜をかぶった言葉の通じぬ者たち。それを当時の日本人は鬼と呼んだ。そして、鬼を退治して、金銀財宝を手に入れたという話じゃ。ではその金銀財宝の元の持ち主は誰じゃ」
「それは」
「それは誰かから奪ったものじゃろうな。だから、金銀財宝を持ち帰ってめでたしめでたしではないのじゃよ」
「桃太郎をディスるなよ」
「今では鬼を退治するのではなく話し合って宝を分けて貰うらしいがのう」
「その結末の変更には僕も違和感を感じている」
「じゃよなあ。裏取引したようにしか見えぬものなあ」
時流はにやりと笑う。
「じゃあ!金太郎はどうなんだよ」
「こちらの方が説明がつきやすい。肌の色や生き血の話はさっき言った通りじゃ。そしておとぎ話という口伝のわりに、金太郎のモチーフになった、坂田金時と呼ばれる武将の話じゃったのう」
「姫君を差し出して鬼を痺れさせる神便鬼毒酒を飲ませる話だよな」
「あれはただの日本酒じゃ。葡萄酒を飲んでいたものからすれば、それは不思議な白濁した酒。呑みなれない米発酵の酒を飲んで酔いつぶれただけじゃ」
「日本酒って」
「今でも神社や寺に奉納するであろう。お神酒とも般若湯ともよばれるが、米で発酵した酒じゃよ」
「ええ?」
「まあ聖水もそうじゃがな。神に酒を捧げればお神酒。神に水を捧げれば聖水じゃ」
ともかく。
時流は咳らいを一つする。
「見たこともない肌を持つ、言葉のの通じぬ外国人に姫君を差し出した時の武将。話のわからぬまま武将たちを葡萄酒でもてなす外国人。その時、金太郎はどう感じたのかのう?」
「日本人が飲む量より多い。ただそれだけでつけられてしまった酒呑童子という名前の事を」
「鬼なんだろ?」
「言葉が通じぬ。肌の色が違う。というだけで討伐せざるを得なかった。酔いつぶれて寝てしまった鬼の顔は果たして鬼のような顔をしていたのじゃろうか?」
「だとしても!」
鬼は鬼だ。
僕は言葉をつなげる事もできず、飲み込んだ。
「まあ当時の日本人からしたら仕方ない事かもしれぬがのう」
「だって。鬼は鬼じゃないか」
「そうじゃろう。多数派に飲み込まれた者たち。それが桃太郎であり金太郎じゃ。その行動は間違っておるという気はない。ただ、多数派の意見に身を任せた者だというだけじゃ」
「鬼が人間だったっていうのか?」
「ありていに言えばな。鬼は異世界の干渉では無いゆえに我では手の打ちようがない」
時流は美紀の背中を追うように視線を送っていた。




