相良崎中学校
「・・・・・・変なおじさんだったね」
澪は僕の背中から顔を出した。
「ああ。真夏にスーツ姿だもんな。ネクタイもきっちり締めてたし。クールビズとか知らないのかな?」
僕と澪は再び歩き出す。
できるだけ日陰を探し、右へ左へふらふらとだ。
「ふふっ。お兄ちゃん歩きにくいよ」
「でも涼しいだろ」
「うん」
澪は家を出る時から緊張しているようだった。
もしかしたら昨日は寝れなかったんじゃないかと思う。
学校に通う。
普通の事。当たり前のことだとは思うが、なにかがきっかけで通えなくなる子もいるのだ。
当たり前。当然。
当然ってただ多数派の意見なだけなんだよな。
10人に9人、高校へ行けば、それは当たり前の事で、10人に7人大学へいけばそれもまた当然なのだろう。
そして10人に1人大学院へ進む。
こうなると当たり前ではなくなる。
逆に高校へは進まず就職を選択をしたらそれは当たり前の事ではないのだろうか?
いや。それもまた違う。
就職を選んだとして、それはその人にとっての当たり前なのだろう。
家庭の事情。本人の事情。
いろいろなものが絡まりあって、その経験が自分の当たり前になっていくのだ。
澪は今、戦っているのだろう。
多数派の当然という意見の中でもがいている。
僕は澪の助けになってやりたい。
1年や2年、学校へ通わなくたっていいじゃないか。
集団生活?そんなもの高校へ入ってからでも学べる。
勉強が遅れる?
遅れはいつでも取り戻せる。
平均でいれば波風が立たない。
これが普通という事なんだろう。
でも誰しも一度は思ったんじゃないか?
自分に超能力があったらなんて。
多数派の当然という言葉ではなく、超能力の使える少数派になりたいなんて。
「澪。着いたぞ。そろそろ僕の背中から顔を出せ」
相良崎中学校は部活に励む声が響いていた。
運動部の掛け声。
吹奏楽部の管楽器の音。
澪は前髪を直しながら僕に向き直る。
「よし!」
僕は澪の頭を撫でた。
くしゃくしゃに撫でてやった。
「うわああ!お兄ちゃん!」
「元気な声が出たな。行ってこい!僕は職員室に寄っていくから」
澪は目を白黒させていたが、にっこりと笑う。
「いってきます」
「おう!いってらっしゃい」
いつもよりはしゃいだ声を出す僕。
滑稽に見えるかもしれないが、それでいい。
澪は僕の大切な妹なんだから。
澪を見送った僕は職員室に向かう。
卒業生とはいえ、学校に入る為には色々と許可がいるのだ。
「雲母」
声は僕の頭の上から聞こえる。
「おう。時流。ずいぶん静かだったな。寝ちゃったのかと思ってたぞ」
「この高度で寝たら事故がおきるであろうが」
「まあなあ。ところでなんだ?お腹すいたのか?」
「確かに腹はすいてはおるから、何か食べたいのはやまやまであるが、それよりも」
「ん?なんだ?神妙な声を出して」
「あのスーツ姿の男。我の存在に気付いて負ったのではと思ってのう」
「は?なんで?時流が見えてたって事か?」
「なんとなくとしか思えないが、違和感はあっての」
なんてこった。
時流が人には見えないって知ってたから、肩車を素直に受け入れ太もものぷにぷに感を楽しんでいたというのに。
「下種め」
「え!僕、声に出てましたか?」
時流は僕の肩から軽やかに飛び降りた。
前転宙返りを決めるあたり軽やか過ぎる。
「まあ良いわ。雲母。お主今からどうするつもりじゃ」
「僕は、部活でも見て回ろうと思ってるんだけど。澪と一緒に帰りたいし」
「過保護じゃのう」
「過ぎたるは及ばざるが如しっていうじゃないか。僕の過保護は過保護すぎて過保護になってないくらいさ」
「よくわからない理屈じゃのう」
「僕もよくわからない。でも、家族なんだし守ってやりたいって思うのは当然の気持ちじゃないか?」
「シスコンもたいがいにしておけよ」
「な!」
僕はいろいろな意味で驚きの表情を浮かべる。
こいつ時々、へんに詳しかったりするんだよなあ。
もしかしたら、澪だけでなく、時流も僕の大事な春画を覗いたんじゃないだろうか?
僕の大好きなシリーズ(お兄ちゃんだめ)にシスコンという表記がなかったか探してみよう。
楽しむためではない。
あくまで、中身を覗かれていないか確かめるためだ。
僕は職員室で手続きをすると、グラウンドに出た。
野球部や陸上部が真っ黒に日焼けしながら声を出している。
「なんじゃ。ぶるまあではないのう?」
「なぜお前がブルマーを知っている!?」
「いやさ。なに。寝る前に読書をしたのじゃ」
僕は悶絶する。
やっぱりこいつ、僕のお宝春画を読んでいたんだ。
妹が見つけた春画は僕にとってあくまでデコイだったのだ。
僕が隠したかった本物は別の場所にあった。
それを見つけるとは。
もう顔真っ赤である。
恥ずかしくて時流の顔を見ることができない。
「おい。雲母」
「なんだよ」
「泣き顔になっているところ申し訳ないのじゃが、誰か近づいてくるぞ」
白い体操着に臙脂色のパンツ。
「雲母兄ちゃん久しぶり!いや。もう雲母先輩って呼ぶべきかな」
「お前の口から先輩なんて聞くと気恥ずかしいな。いいよ。今まで通りで」
そこには僕の記憶より少しだけ大人びた、洞 美紀の姿があったのである。