名刺をいただく
彼の名前は代本 大和。シミ科ヤマトシミ属のヤマトシミである。体長九ミリで羽化してから三年が経つ、痰黄色の触角を手入れするのが日課の小柄な雄の紙魚だ。
大和は、紙魚が食べる紙を加工し、より美味しくする加工業の会社、株式会社紙魚山食品、営業部の係長だ。
三体六本の足を素早く動かし、様々な紙魚達の会社に出向き、名刺を交わすことの多い毎日だ。
今日もコストパフォーマンスの良さを掲げ、紙魚達の食べる紙を仕入れ、人間に見つからないよう安全に販売する、シミコーポレーションへと足を運んでいた。営業スマイルで固めた挨拶をすまし、担当の者と名刺を交換する。
大和とシミコーポレーションの営業部、大水 美奈は、互いの名刺を受取ると、ちらりと名刺に書かれた情報を読み取り、そして躊躇うことなく名刺を口へと運んだ。
紙魚社会での名刺交換では、初めに頂いた名刺はその場で食べるのが礼儀。名刺を食べた後はもう一度名刺交換を行い、二枚目の名刺は丁重にしまわなければならない。
紙を食べる紙魚にとってこの礼儀は、名刺の味で自社の商品のレベルを瞬時に伝えられる重要な事だった。
ちなみに何も混ぜていない紙をストレートタイプ。紙に紙魚が好んで食べる繊維、炭水化物などを混ぜ合わせて加工した物をミックスタイプと呼ぶ。紙は年代を積めば積むほどビンテージ物として高値が付く。
大水の名刺はストレートタイプで、あまり古くはないが口当たりは良く、安物だが満足のいく味ではある。これに紙魚山食品の加工技術を加え、ミックスタイプにすればなかなかの商品が作り出せるだろう。
大和と大水は互いの名刺を胃へ落とした後、もう一度名刺交換をした。正助は自社と手を組むメリットを織り交ぜながら大水の名刺を褒め立てていく。
大水は契約には前向きそうな姿勢を見せている。この商談も、きっと上手くいくだろう。大和の読みは外れることなく、商談はスムーズに進み、あっさりと契約を交わすことに成功した。
大和は紙魚山食品の中でもエリートの部類だ。出世も確実で、上司からの信頼も厚く、部下からはいつも冷静で男らしいと評判だった。
そんな大和を先輩はこう呼んだ。『名刺ハンター』と。
このあだ名は大和の功績を称え、着けられた物ではなく、あるエピソードから生まれたものである。
それは、大和がまだ駆け出しの新人だった頃の話だ。
とある小さな会社、道紙魚商事の代表取締役、道長というセイヨウシミの雄と先輩と共に商談をしている時だった。
若い大和は頼もしい先輩が隣にいるが、始めての商談だったため、極度に緊張していた。
頭の中で、何度も読み返したマナー本の内容が、エンドレスで再生し始める。
特に頂いた名刺は食べなければならないという部分が強く主張されていた。マナーは守らなければという思いだけが、独り歩きしてしまい、二度目の名刺交換で受け取った名刺もうっかり食べてしまったのだ。
緊張で定まらない司会の中、咀嚼を繰り返す大和を、先輩と道長は言葉も出せず、目を天にして見つめている。
はっと我に返った大和は、二匹がこちらを見ているのに気が付き、自分が犯した間違いを自覚した。どっと冷や汗が流れ出る。やってしまったと思い、なんとか場を持ち直そうと口から出た言葉が
「申し訳ありません! あまりの美味しさについ二枚とも食べてしまいました!」
というでまかせだった。
先輩は顔が青くなっていき、道長は下を向いて何も喋らない。
先輩に「馬鹿っ」と小突かれ、先輩と共に道長に再び謝罪をしようとした時。
なんと道長が天井を見上げ、大きな声で笑い出したのだ。
今度は大和が目を点にして道長を見る番だった。
道長はひとしきり大笑いした後
「そうか! そんなにうちの名刺は美味かったのかアッハッハ!!」
と豪快に言い、「おーい、皆!」と社員達を呼び集める。
「こちらの代本さんが、我が社の名刺を二枚とも平らげるほど気に入られたそうだ。土産として、皆の名刺も渡して差し上げてくれ!」
道長の声により、ゾロゾロと社員達が笑いながら大和の側にやってきて、次々と名刺を差し出して来る。それを大和は何度も礼を言い、頭を下げながら、一枚一枚丁寧に受け取っていった。
そして、会社に戻る頃には初成功した商談の喜びと、三十枚以上の名刺を大和は抱えていたのだった。
この話は飲み会の席でいつも先輩に笑い話として喋られてしまう。
やめてくれと恥ずかしがる大和の姿は、いつもと違うギャップがあると、雌社員達の間では密かな人気がある。
冷静沈着で男らしく、時に可愛らしい一面を見せ、日課は触角の手入れ。小柄ですばしっこく、真面目で実は上がり症で恥ずかしがり屋の紙魚山食品営業部の係長。
そんな代本 大和は今日も元気に名刺を頂く。