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五月第一週 休日

お待たせしました。





 その日は普段朝の弱い愛奈でも、気持ちよく目覚めることができていた。


 いつもは視界が開けてもすぐに眠気に負けて閉じてしまうところを、何故か覚醒しそのまま上体を起こすことができたほど。


 理由は分かりきっていて、今日が楽しいイベントの日だからであった。


 ベッドから抜け出るより先に、窓の外を見上げて口元に弧を描く。


 いい天気だ。


 今日に限っては晴れてもらわなければ困っていた。だって、雨なら中止になってしまうから。


「よしっ、今日は楽しもうっと」


 ゴールデンウィーク四日目。休日。今日はバーベキューの日だ。



 時計を確認すると、目覚ましよりも十分ほど早く起きたようだ。

 アラームを切ってから、ベッドからぴょんと飛び降りる。


 さっとシャワーを浴びて、髪をセット。


 あまり長くはない髪だけれど、そろそろ伸ばそうかとも思っていた。


 あとはヘアピンで髪を留めれば、立派な優等生の出来上がり。


「……なんか普段と変えた方がいいかな」


 鏡とにらめっこしてそんなことを考えていても、結局何も決まらずため息。


 首丈だからあまり髪を弄ることもないし、なら私服くらいは張り切ろうと考えて、クローゼットからあれやこれやを出して決めていく。


 バーベキューだから、あまり汚れの目立つような服にはしないようにと気をつけながら。


 諸々を終えて部屋を出ると、正面の改太の部屋の扉が開いていた。


 そういえばここのところ、朝からランニングに出かけている姿をよく見るけれど、何かに影響でも受けたのだろうか。


「あれ、姉貴早ぇな」

「おはよう改太。今日は友達と遊びに行くからね。……改太こそ最近朝からばたばたと、どうかしたの?」


 彼の部屋の扉を閉めて、リビングへの階段を降りようとしてばったり。


 改太は真新しいジャージに身を包み、首にかけたタオルで汗を拭いながら階段を上ってきているところだった。


 愛奈の言葉の意味が一瞬分からなかったようだが、ふと自分の肩にかけられたタオルを見て気づく。


 肩を竦めて頷き、改太は愛奈と視線をあわせた。どこか真剣味を帯びたその瞳は、今までの改太には無かったものだ。


「俺は届かないところに、何の努力もせず手を伸ばしているだけだった。それを気づかせてくれた人が居てさ。……いや、そんなつもりは無かったのかもしれないけど。あ、伊丹翔の友人って言ってたから、もしかしたら姉貴の知り合いかもな」

「えっ……ああ、そう」

「じゃ、オレシャワー浴びてくるわ」


 言うだけ言って愛奈の横を通り過ぎ、二階のシャワールームへと向かっていく改太。その後ろ姿を見送って、思わず愛奈は呟いた。


「なんか、かっこよくなっちゃって」


 誰に影響を受けたのかは分からないが、成長した弟に色々な感情が渦を巻いた。


 弟が、ちゃんと男になってきた、とでも言えば一番しっくりくるのだろうか。


「伊丹くんの友達で、改太に影響を与えるような人。……行き着いた先がランニング……まさかね」


 一瞬脳裏をよぎった少年が居たが、彼がそんな激励をする人間とはとうてい思えない。変な想像をした自分に苦笑いして、愛奈は朝食の為に階下へと向かっていった。


「おはようお母さん」

「愛奈おはよう。今日はおでかけだっけ……あら、可愛い」

「ありがと」


 リビングでは、既に母加奈美が朝食の準備をしているところだった。今日バーベキューにでかけることは伝えてあるので、愛奈の分だけは早めに出来ている。


「まさか愛奈がそんな格好するなんて……いつ買ったの?」

「ん~、この前デパート行った時」


 答えながら愛奈は椅子に腰掛ける。


 確かに今日の愛奈の格好は、普段出かける時よりもずっと愛らしいものだった。


 若草色のティアードミニフレアに、上は水色のレースがついたパフスリーブ。


 パンツとYシャツで出かけることが多い愛奈にしては、随分イメージが違う。


 鮭を箸でほぐしていると、加奈美はなんだか嬉しそうに対面に座った。まだ自分の分は出来ていないだろうに、話をするそのためだけに。


「今日は誰と行くんだっけ」

「昨日も言ったでしょ。友達よ」

「そうは聞いたけど、そんな服着ていくなんて……好きな人でも出来た?」

「そんなんじゃないってば」


 白米を口に運びながら、否定する。どうして毎回恋愛沙汰にもっていこうとするのか。加奈美自身が高校時代に青春のせの字も無かったということは聞いているが、だからと言って娘に憧憬を照らしあわせることなどしなくてもいいだろうに。


「で、誰よ」

「千春と、クラスメイトの陸上部と、そのお姉さんと、クラスメイトの

軽音部と、クラスメイトの帰宅部」

「へえ、男女比一対一か」

「いつそんなこと言ったのよ」

「クラスメイト、なんて女の子のこと言わないでしょ愛奈」

「うぐっ……」

「それで、その帰宅部の子ってどんな人なの」

「なんでピンポイントで帰宅部なのよ!」

「え、一番ありそうだったから」


 にこ、と微笑む加奈美は、実年齢よりも少し老けて見えるふくよかな女性だ。その老けた原因は明らかに終わらなかった姉弟喧嘩である為、申し訳ない気持ちはあるのだが。


 それだけに、子供の楽しそうな姿を見るのが好きなようで。それを理解してしまっているからよけいに愛奈はやりづらかった。


「ほっぺ赤いわよ」

「うっさい」


 ぱくぱくと箸を動かすしか、出来ることがない。


「もしかして、最近朝から外に出る理由もその人?」

「うっさい」

「ははあん……」

「うっさいうっさいうっさい」


 ぱくぱくぱくぱく。


「別に恋愛感情なんかじゃないんだから!」


 そう、すべては逆ハーを築いて男なんていうふざけた生き物を嘲笑する為。その一手にすぎないというのに。


 だというのにどうしてこんなに自分が恥ずかしい思いをしなければいけないのか。


「ごちそうさま!」

「はいはい、気をつけていってらっしゃいね。……愛奈可愛いから、きっと大丈夫よ」

「よけいなお世話だっつってんでしょ!」


 終始にやにやとした表情を崩さない加奈美を放置して、朝食を食べ終えた愛奈は立ち上がる。これ以上何か言われると、変になってしまいそうだった。















 暑すぎず、半袖でも十分に過ごせるほどの適温。

 日差しが心地よく、雲一つない晴天。


 絶好のバーベキュー日和となった今日の午前十一時、数人の男女が郊外の河川公園へとやってきていた。


「ん~、すっごく気持ちいいねえ! 川の音が素晴らしいと思わないか~?」

「二宮、テンション高いな」

「そりゃあなあ!」


 茶髪のイケメン二宮蓮と、スポーツ系好青年伊丹翔。

 先頭を歩く男子二人は、意気揚々と大きなナップザックを背負って進んでいく。河川公園上の橋を渡り、すぐわき道の階段を下れば到着だ。


 さわさわと流れるのは四車線ほどの幅を持つ大きな河川。河川敷はごろごろと大きな岩が転がり、そこかしこにパラソルやテント、人々の影がある。


「思ってたより混んでなさそうでよかったですね!」

「うん、なんだか連れてきてもらってありがとね」

「いえいえ!」


 その後ろできゃいきゃいと会話を弾ませるのは、砂場千春ともう一人。黒髪をストレートに伸ばしたおとなしそうな少女。

 二宮蓮の一つ上の姉で、二宮(にのみや)華乃(はなの)だ。同じ高校の先輩であり、普段はぜんぜん外に出たがらない彼女を心配した蓮が無理矢理連れてきたのである。


「でもでも、蓮くんってお姉さん思いなんだねっ!」

「そんなんじゃねぇけど、姉さんちと最近家でごろごろしてばかりだしな」

「む、蓮だって外に遊びに行ったとしてもカラオケとかばかりで動いてないじゃない」

「あはは、似たもの姉弟なんですね!」

「似てない」

「似てないから」


 千春の言葉を姉弟揃って全否定。そんな二人にちろりと舌を出して笑う彼女は、くるりと背後を振り向いた。最後尾についてきている、残る二人をみる為だ。


「早く早く、川綺麗だよー!」

「うん、そうだね。さっきから新緑の木とか、見てるもの全部楽しいよ」

「…………」


 進藤愛奈と、薬師寺和也。二人は並んで歩いている、というには和也が一歩後を歩いているような状況だが、愛奈の返事を聞くに景色を楽しんでいたらしい。


 千春の声に気づいて愛奈は微笑んだが、和也は澄み渡った空や街道を挟む木々、そして前方にかかる橋など、見るものが多くそちらに集中しているようだった。


「おーい、ここ降りるぞー!」

「はーい!」


 翔の声に従って、河川敷へと降りていく。

 午前の太陽に反射したきらきらとした水が、六人の目を奪う。


「んじゃ、さくっとバーベキュー始めるとするかぁ!」


 川辺に荷物を置いて、レジャーシートを敷いたりザックの中身を広げたりしていると、受付を済ませてきた蓮が戻ってきた。


「肉ー! 肉ー!」

「落ち着け翔。うーん、そうだな。じゃあ薬師寺とオレが火をやろう。薬師寺、いいか?」

「……ええ、たぶん」

「はっは、何でも出来そうだと思ってたけど、バーベキューは初めてか」


 手持ちぶさたにしていた和也を捕まえて、蓮は連れだって近くの岩を運び始めた。二人でやっとのことらしく、わっせわっせと持ち上げているのが見ている側からすると面白い。


「そいじゃ、俺は向こうで器材を洗ったりしてこよう。誰かきてくれねえか?」

「あ、じゃあ私が」

「お、先輩よろしく」

「ええ」


 ザックの中身をあれこれ出していた翔は、準備が整ったのか網やらトングやら野菜の入ったビニールやらを抱えて立ち上がる。

 翔の声かけにささっと反応した華乃は、やはり見た目通り気遣いの出来る性格をしているのかもしれない。


「じゃ、私たちはどうしようか」

「う~ん……でも出来ることないよ。荷物番してるのが一番じゃないかなー」

「ちょっと申し訳ないね」


 困ったような笑みを見せる愛奈に、千春はにやりと口元に弧を描いた。向こうで作業をしている男二人や、流し台の方に行った残る二人には聞かれる心配のないこの状況だ。


「で、最後尾で二人どんな会話してたの?」

「……もしかして薬師寺くんの話?」

「ほかに誰が居るの! だってほら、あれじゃない。カラオケの時も結局うまく話せてなかったし、今日が絆を深めるチャンスでしょ!」

「いやだから、別にそんなんじゃないってば」


 誤解だというのにも関わらず、どうしてこうもやたらと薬師寺との間柄を邪推するのか。それが色恋沙汰、男女の話題のネタだとは理解をしても、自分のことで言われるというのは微妙なものであった。


 微妙、で済むほどに気を許していることに気づき、ふと弟の言葉を思い出す。


『姉貴には、無理だよ』


 そんなことはないはず。

 せっかく逆ハーエンドへの切符を手に入れているのだから、今度は自分が男を弄んでやるのだ。あんな悲しみを与えたことへの復讐。そうだ、出来ないはずがない。


「愛奈?」

「え? どうしたの?」

「どうしたのって……なんかちょっと考えこんでたし。まいいや。薬師寺くんのこととか、後で聞かせてね」

「いやだから――」


 説明もとい弁解をしようとして、愛奈は口を噤んだ。


 和也と蓮の二人が、もう戻ってきていたからだった。














 ひゅっ、と風を切る音。

 ぽちゃ、と水を打つ音。

 釣りの許可されたこの自然公園では、同時に釣り具の貸し出しも行っている。


 和也はバーベキューを一頻り終えてのち、周囲が始めた談笑の空気に耐えられなくなって一人川べりの岩場で川釣りとしゃれこんでいた。


 沢の音が人々の喧騒を相殺し、ゆっくりと落ち着いた空間の中で。

 ただただ糸の先を眺めるだけの時間は、嫌いではない。


「よぅ」

「……? 伊丹さん」

「釣り好きなのか?」

「一人遊びは、得意ですので……」

「はは、相変わらず面白いヤツだな」


 背後からかけられた声に振り向けば、そこには釣り竿を背負った翔の姿があった。

 よっこいしょという賭け声とともに隣にあぐらをかいた翔は、慣れた手つきで餌を付けると軽く竿を振る。


 和也の糸とは少し離れた場所に落ちた波紋を確認して、それからしばらく無言の間が続いていた。


「……部活には、入らねえのか?」

「ええ。……あまり、そういうのは」

「そうか、残念だ」


 ぽつり、ぽつり。釣り時特有の小さな言葉のキャッチボール。


 翔もあまり喋りが得意という訳ではなく、和也などはさらに輪をかけて無口だ。

 しかし不思議と居心地が悪いわけではなく。

 お互い自らの釣り糸をのんびりと眺めていた。


「六月の始めに、体育祭がある」

「……?」

「クラス一丸となってやるのも楽しいが、それ以上に意味があるんだ」


 唐突に出された話題に脈絡はない。

 困惑する和也に、目線だけを翔は向ける。


「他の特待生との差をつけるチャンスとして、俺は利用したいんだ。俺らの組は、陸上の特待生は俺以外に居ない。だがB組には四人もいる。その上で俺が居るクラスが勝つっていうのは、大きいんだ」

「……」

「きょとんとするなよ。お前の力を貸してくれってことさ」


 若干苦笑気味に、翔は言う。


「……役に立つ、なら。いくらでも」

「そっか。そいつぁ、頼もしいな」


 消極的に、疑問符を浮かべつつも答える和也の瞳に嘘はない。

 そう確信して、頼もしい味方の参戦に翔は笑う。


「負けたくねえんだ。ありがとよ」

「はい……」


 無口でクール。最強の手札が加わった翔は、満足げに笑って。


 反応した糸を勢いよく引き上げた。
















「……長靴」

「またベタな」

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