四月第四週 平日
その日の朝もよく晴れていた。
登校時間。愛奈は普段二つ隣の駅から電車に乗って、学校の最寄りに到着してからは徒歩で学校に通っている。
入学して早三週間こうして毎朝電車に揺られてはいるが、ラッシュと呼ばれるこの時間帯の電車にだけは慣れることが出来なかった。
よって、たった二駅の移動と言えども改札を抜ける段階でふらふらである。
「まだ……酔わないだけましなのかなぁ」
思わず出たため息とともに、晴れ渡った空が顔を出す。駅を抜けて、ここから十分弱程度南西に歩けば高校に到着だ。
と、その時だった。
「愛奈~! おーはーぽー!」
「うわっ?」
どん、と背中に衝撃。独特の訳の分からぬ挨拶で気づいてはいたが、振り向けばやはりというべきか見知った人物の姿があった。
「千春!?」
「はろはろー! 愛奈は今日も可愛いねぇ!」
テンション高めの、ゆるふわ茶髪。身長は愛奈よりもいくらか小さい、小柄な少女。
中学からの友人である、千春だった。
……そして、ゲームでも親友キャラとして登場した少女でもある。
「愛奈のクラスってぇ、超イケメンが居るって聞いたんだけどぉ!」
「あ~……まあ、居るっちゃ、居る」
「うわっほぉい!」
彼女は生粋の面食い。それだけに、イケメンと聞くだけでテンションがあがっているのは仕方のないこととはいえ。満員電車に揺られた後、しかも朝のまだ早い時間帯からこのテンションにつきあうのは些かしんどいものがあった。
「……どうしたの愛奈ぁ、なんかテンション低くない?」
「電車というか、人酔いかな。やっぱり慣れないなぁ、私は」
「そっかそっか。それだけ?」
「それだけって……」
無邪気そうな表情で愛奈を覗きこむこの友人は、相変わらずというべきか鋭かった。気に病むほどのことではないにしろ、今朝は少々頭を抱えたくなる出来事が起きたのである。
「……うちのクラスに、薬師寺くんって人が居るんだけど」
「おお、なんだろうスゴく興味がわいてきたよ! 愛奈から男の話が聞けるなんて!」
とどまって居ても仕方がないので、愛奈は歩きだした。追従するようにして小柄な千春もついてくる。隣合って歩いていると、どこか姉妹のようにも見える二人だった。髪色から髪型から、ばらばらのはずなのにも関わらず。
「いや別に好きってほどじゃないんだけど、いいなあって思って」
「おお! それでそれで!?」
「好きな人居るのかって聞いたら、予想の斜め上の答えが返ってきて頭抱えてる」
「え、どんなだろ。男が好きとか?」
「ち、違う違う! そんなんじゃないんだけど……」
煮えきらない態度の愛奈に、千春は首を傾げる。
うーん、と手で額を押さえながら、彼女は言葉を選んでいるようにも見えた。
「朝、ばったり薬師寺くんと会ってね?」
空を見上げた愛奈は、早朝の出来事を思い出していた。
朝早く、愛奈はその日も寝過ごすことなくちゃんと目が覚めたので、親にはダイエットで走っているのだと言い訳しつつ西園にまでやってきていた。
西園に三つあるグラウンドの中でも"杉"と呼ばれる、林の中にある場所。ここに、一人の少年が居るから愛奈は覗きに来ていたのだ。
「いつイベントが起きるか分からないんだから……!」
自分に言い聞かせるようにして、彼女は西園で目当ての姿を探す。
そして、見つけた。真新しいジャージに身を包み、グラウンドを駆けるスプリンターを。
速い。他の人たちを置き去りにして、たった一人彼の周りだけ流れる時間が全く違う。そんな風に思わせるほどの脚力で、しかも数周続けて速度を上げていた。
「400メートルトラックなんだよね? ここって」
どんな持久力をしているのか。
そんな呆れにもにた驚きを胸に抱きつつ、走り終えたらしき和也に駆け寄った。今日もお疲れさまと、ちゃんと味見したスポーツドリンクを手渡す。前回濃いなどと言われて、わりとショックだったのだ。
「あ、すみません……ありがとう、ございます」
「ううん、私が好きでやってることだから」
「それはもしかし……いえ……すみません、何でもないです。ありがとうございます」
「ん?」
「なんでもないです」
珍しく彼のほうから話題を振ってくれたのかと思い、首を傾げていると。和也はどこか寂しそうに一人でかぶりを振ってから、両手で飲み物を受け取った。
なんだかんだで迷惑には感じていないようだとほっとして。
しかし考えてみれば、だ。彼ほどのルックスとこの真面目そうな雰囲気なのだから、彼を思う人の一人や二人は居るかもしれないと思い直す。
前世では出来なかったが、今なら出来る。
そう思い愛奈は、思い切って聞いてみることにしたのだ。
「ね、ねえ。もしかして好きな人が居るから……私と二人のところを見られたくなかった、とかじゃない? さっき言いかけたのって」
正直賭だった。それで頷かれたりしたら、公園で会うのは不可能に近くなる。
だが和也は一瞬呆けたのち、否定した。
「いえ……それは、大丈夫です」
「あ、そ、そうなの。好きな人とか、いないの?」
ちょっと、押してみた。
そう、これが、まずかったのだ。
「好きな人……」
「そうそう。学校とかで、この子かわいいなーとか」
どこか遠い目で、口からドリンクを離す和也。
その瞳は、だんだんと登って来た日光を真正面から眺めているようで。
ぽつりと、寂しそうに彼は言った。
「数年前、亡くなりました」
「えっ!?」
「……あれから、走るようになったんです。忘れたくて……けど、忘れられないもの、ですね……」
「あ、えと、その、ご、ごめっ……!」
「気にしないでください。大丈夫ですから」
「あ、あの……へ、変なこと聞いてごめんね!」
「いえ……」
予想外すぎて何も言えなかった。
一瞬、攻略がどうのということも忘れるほどに彼の瞳はまっすぐで。
同情というか、感情移入というか、どうしようもなく胸が痛くなって、愛奈はひたすら謝り続けていた。
そしてそれを、彼はずっと遠慮がちな笑みで受け入れてくれていた。
「ってことが、あってね」
「蔭のあるイケメン……いいなぁ」
「そんなこと言ってる場合じゃないのよ……」
「あ、うん。ちょっとオトすの難しそうだね。いくら愛奈でも」
学校のげた箱にまで到着した愛奈と千春の二人は、上履きにはきかえて廊下を進んでいた。愛奈の今日の顛末を聞いた千春は一つ頷いて、愛奈の現在の進捗を察する。
なるほど、昔に想い人を亡くし、今もその呪縛から逃れられない少年か、と。
「えっと千春。それじゃまるで私が薬師寺くんを狙ってるみたいに聞こえるんだけど」
「もしかして愛奈って鈍感なの? わざわざ朝早くに飲み物持っていくなんて、好きとしか言いようがないよ? 否定されても」
「……そ、そんなんじゃないのに」
「はいはい可愛い可愛い」
攻略対象だから、などと言えるはずもなく勘違いされて、愛奈は何とも言えないもやもやを胸のうちに納めるしかなかった。
別に和也のことが好きなのではない。物憂げな表情とか走っている時のかっこよさのギャップとか、敬語で丁寧な雰囲気で、無口なところとかが好きになりかけているなんてことはみじんもない。ないったらない。
「私……男になんて興味ないもん……」
「そういえば中学までは全く気にしてなかったもんね。あんなに自分磨きしてた癖に、好きな人の蔭も形もなかったし」
「今もなんだからっ」
「あーはいはいあーはいはい」
前世のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。見た目がいまいちだったからって、簡単にオトセると思われて、良いように遊ばれて……男なんて。むしろ自分がおもちゃにしてやる、って、そう思ってるはずなのに。
「……と、とにかく好きなんてことないから!」
「はいはーい。じゃ、愛奈のクラスってかっこいい人多いし、せっかくだからその人も誘ってゴールデンウィークにでも遊び行こうよ!」
「えっ」
「じゃ、後でそっちのクラス行くからー!」
どうしてそう繋がった。
そんな愛奈の表情も何のその、千春は機嫌良さそうに笑ってから、自分のクラスへと引っ込んでいった。
「……ゴールデンウィークか」
悪い話ではない、とちょっぴり思いつつ、愛奈も自分の教室に入っていくのだった。視界に、外を見つめて動かない少年の姿を入れて。