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四月第三週 平日

 新しい服を買ったものの、出番はあるのだろうか。


 和也の疑問に答えてくれる人間はここには居ないし、そもそも和也自身が誰かに尋ねることすらない。会話というコミュニケーションツールそのものを、和也は得意としていなかった。


 昨日、しおりと二人で買い物をして。その帰り、彼女は満面の笑みで「楽しかったです! また行きましょう!」と言ってくれた。

 だがその言葉の何パーセントが本音なのかは分からないし、彼女は優しいから殆どが社交辞令かもしれない。

 昨日は和也も半強制だったとはいえショッピングというものを楽しんだし、願わくばまた彼女と出かけたいという思いもあるが、やはり彼女の本心が分からない以上自分から誘うことはできないのである。


「……ふぅ」


 人間関係にここまで卑屈になったのは、やはり一年半に渡る引きこもりが理由なのだろうが。だからといって今この瞬間から変われるはずもない。


 だからこそ今日も制服に着替える前にジャージを羽織り、朝から外に飛び出していた。


 日課というよりもほぼ習慣、もはや癖。

 毎朝この時間から家を出て、走り出す。目的地は近所の公園だ。


 公園と言っても、ブランコや滑り台といった遊具がおいてあるような場所ではない。ドッグランと筋トレ場、そして三つの400メートルトラックが設置された、"運動場"と言った方がしっくりくる公園である。


 通称、西園。


 三つある400メートルトラックは"杉""桐""柏"とそれぞれ呼ばれており、その由来を和也は知らない。


 だがトラックの外側に木々が連なり、内側にも植林されたこの"森林"を彷彿とさせるコースが好きで、和也は"杉"をいつも使う。


 測定などを行う場合は開けた場所にある"桐"の方がやりやすいのでアスリートや競技者たちはそちらを好むが、和也は特にタイムなどには興味がない。

 走れればそれでいいので、ただひたすらにここを使っていた。


 とりあえず全力疾走で一周、そのまま流しでもう二周走って、そこから徐々にペースをあげて三周。トップスピードに近くなってきたらそのまま全力疾走に移って一周、とこのルーチンを三回ほど繰り返して、和也は満足してトラックを外れ、家に帰る。


 少なくとも和也は、このくらいのことは誰にでも出来ることだと思っている。


 毎朝無理なく、こんな自分でも出来るものだとして認知している。


 ほかのアスリートは毎日もっと必死で走っているんだろうなと畏敬の念を抱いている。


「……ふぅ、ふぅ……」


 リズムを一定に、和也は走る。現在15周目。三度目の流しが終わり、最後にもう一度ギアをあげていこうとしているところだった。


 やはり、走ることは良い。自分が如何に苦しくなく走るかにずっと思考を割いていられるおかげでほかのことを考えなくて済む。


 あれからもうそろそろ二年が経とうとしているが、未だに和也の心は晴れない。"嫁"の凄絶な死に様が頭から離れてくれないのだ。同時に、彼女の普段の優しい姿も。


「…………ふっふっ……!」


 ペースを上げていく。もうそろそろ16周目も終わる、あと一周の間に全力疾走に近づけていかないと。


 足にかかる負担が、いつもとぜんぜん違う。なにより持ち上げるのが楽なのだ。

 しおりに選んでもらったランニングシューズは、今までの走りと一線を画すほどに和也の走りを変えていた。


「……全力」


 ラストラップ。全力疾走。これが終わると、そろそろ七時を回る頃になっているはずだ。

 今日は調子がいいから、もっと早いかもしれないが、だからと言って周回を増やす必要はないだろう。

 目的地点まで到達したらそのままの流れで外に出て、一度息を入れることにしよう。

 水道で水分補給することも視野に入れつつ、ピッチを極限まで上げて足を回転させることに集中する。

 土を蹴る度にぐんぐんと視界が進んでいく。もう少し、もう少し、あと一歩……!


 到着した瞬間に足を止めるのは危険なので、軽く流すように十メートルほど。そのままほぼジョグに近いペースでコースを外れて"杉"の出入り口へ。トラックの外に出ると筋トレ場と、その近くに水道がある。


 軽く水を飲もうかと、その水道に向かった時だった。


「ねえ、ちょっと、薬師寺くん! 無視しないでってば!」

「……え?」


 振り返った。

 確実に今、名前を呼ばれた気がしたから。

 そこには、なんだか疲れたような様子で和也のジャージの裾を掴む、一人の少女。

 みたことがある。

 いや、見たことがある程度ではなかった。隣の席で、入学して一週間だというのにクラスの中心で笑顔を振りまく教室のアイドル。


 進藤愛奈。


 特徴的なつり目をしているのに、性格は温厚でよく笑う。

 染めた様子もない黒髪は、首元でばっさり切っているというのに女性らしさを忘れない雰囲気。


 自分とは別次元に生きている存在が、なぜか今目の前に居る現実に困惑を隠せない和也だったが、彼に差し出されたものはもっと和也の理解の範疇を越えていた。


「お疲れさま。これ、良かったら飲んで」

「えっと……俺?」

「ほかに誰が居るんだか……あの、もしかして私、薬師寺くんに避けられてる?」

「いや……そんなつもりは……」


 SABASと白字で書かれた赤いボディの水筒。ボディを押せば噴射するように水分が出てくるので、疲労していても楽に水分を取れるスポーツマン御用達のドリンクボトルだ。

 愛奈から渡される理由が分からずフリーズしていたが、いつまでも惚けているわけにも行かないので恐る恐る手をのばす。


 受け取った瞬間、彼女は小さく笑った気がした。


「避けられていた訳じゃないんだ……良かった。私、学校でもいつも話しかけてたのに全部無視されてたからさ……なんかしたのかと思って」

「いや……え? ……俺を?」

「呼んでたよ!! 消しゴム拾ってもらったお礼もし損ねたし……」

「……」


 和也の予想以上に、愛奈は和也という存在を認知していたらしい。

 しかし、わざわざドリンクを渡してくれるなど、いったいどういうことなのだろうか。

 善意を受け取る理由が全く分からず、じっとボトルを見つめてしまう和也。もとより愛奈を正面から見つめるなど出来るはずもないのだが。


「今日も名前呼ぶまで気づかなかったし……」

「えっと……ごめんなさい」

「ううん、こうして話が出来たからもういいの。これから、よろしくね」

「あ、ありがとうございます……う、濃い」

「げっ。ご、ごめん! あんまりこういうの作ったことなくて!」

「あ、いやいや、そんな」


 どこか他人行儀でぎくしゃくしながらも、まさか愛奈と話すことになると思わなかったと一人思う和也。

 しかし、どうしてこんな時間に遭遇したのかとか、わざわざスポーツドリンクをくれた理由などを聞くのも怖くて、その辺についてはガンスルーだった。


 どうせ、学校では相手にされるはずもないのだから。













 愛奈は上機嫌であった。

 なぜと言えば答えは簡単で、隣の席に座っている人物に嫌われている訳ではないと分かったからである。

 どういう理由かまでは分からないが「まさか自分が呼ばれているとは思っていなかった」という風な表情をしており、もしかするとそういう希薄な雰囲気を漂わせる不思議系のキャラクターなのかもしれない。


 しかし、フラグ回収とばかりに意気揚々と早朝出かけた結果、思った以上の感触を得られた。昨日買いものに行ったのは、思った以上に大きなフラグポイントだったのかもしれないとほっと一息。


 ガールズ・バケーションIIIは、攻略難易度がそこまで高くないことでも有名だったことを思い出す。手順さえ踏めば、それなりに初心者でも楽しめる仕様だったのだ。


 それも考慮すると、隠しキャラとはいえ難易度に関してはそこまでほかのキャラと変わらないのかもしれない。


「進藤、なんか機嫌いいな」

「そうかな? ありがと! そういえば昨日伊丹くんが言ってた西園? すっごく綺麗だったよ!」

「綺麗ってことは……杉に行ったのか」


 昼休み。

 量はそんなに多くない弁当を平らげた愛奈は、ふらりと話しかけにやってきた褐色の陸上少年、伊丹翔と談笑していた。彼女の前の席、その机に座る彼の態度に何かを言いたいような気はしたが、それはそれだ。


「そうそう、杉。木がいっぱいで、朝露がね、すごいきらきらしてたよ」

「まあそうだろうな。でもいまいち測定とかには向かなくて。ほら、トラックの内側に木とかがあると反対側が見えないし、内側に人を待機させることも出来ないだろ?」

「確かにそうだね。あ、そうそう薬師寺くんもいたよ」

「なんだ、気になってたのか」

「そんなんじゃないって!」


 昨日のデパートでの会話。薬師寺がよく西園の杉で、毎朝ランニングしているという話題。

 当の本人の席を見れば、トイレかどこかに行っているようで不在だったが、翔は楽しげに目を細めた。


「なるほど、まあいいか。それより、薬師寺と友達になったのなら何の特待生なのか聞きやすいな」

「友達……っていうのはどうなのかなぁ」

「なんだ、俺たちにはアクティブに接する癖に、気になる奴相手だと奥手なのかおまえ」

「違うってば! なんかすっごく誤解してるよ!」


 むっとした表情で反論する彼女に、若干翔はたじろぐ。しかし薬師寺という男を知っている以上、ここで踏み込まなければという思いが彼にはあった。


「陸上部は俺が特待生で入ったとはいえ、そこまで強い訳ではない。入学前から部活には顔を出しているが、正直全国には厳しい。……薬師寺が杉で走っているのを見たとき俺は戦慄したんだ。あんな奴が居るのかと。もし、万が一一般入学だというのなら、俺は全力でアイツを陸上部に引き抜かなければならないんだ」

「え、なに薬師寺くんってそんなにすごいの?」

「あいつさえ居れば全国でも戦える……いや、それ以上さえ望めるかもしれんな」

「ええ!?」


 腕を組み、鼻を鳴らして翔は豪語した。一方で愛奈は、"桐"の近くをうろうろしていたら偶然見つけただけなので走りを見ていない。


 彼はそんなにすごいのかと、どこか和也の雰囲気と比べながら思考の海に沈んでいた時のことだった。

 ハンカチで手を拭きながら、和也が席に戻ってきた。

 おそらくトイレにでも行っていたのだろう。


 彼が席についた瞬間、翔は机から器用にすとんと飛び降りる。

 どうかしたのかと愛奈が思うよりも先に、翔が向かったのは和也の席。


「よっ!」

「……ぇ?」

「いやぁ、お前のことは結構前から知ってたんだぜ? めっちゃ速い奴が杉に居るってさ。もしかしてどこかの特待生かとも思ったんだが、運動部の朝練で、お前の姿を見たって奴は居ない。まさかと思うが一般か?」

「いや……あの……」

「ん? 気づいちゃいたがやたら無口な奴だな。よっし、共に俺も走ろう! そうすることで俺とお前はダチだ、ソウルメイトだ。な? せっかく、進藤がお前と友達になったらしいし?」


 くるり、と翔が振り返る。愛奈は突然の出来事になにも言うことは出来なかったが、男の友達作りというのは結構強引でも許されるからうらやましい部分はあった。


 それより、自分が薬師寺と友達になったなど一言も言っていないのだが……その辺体育会系には理解出来ないのだろうか。


 しかし、会話を交わしたことは事実。ならばせめてもの期待を込めて、和也を見つめた。

 結構な念を込めて、「友達よね!? 友達よね!?」と。


 しかし、一瞬こちらを見た和也はなにやら落ち込んだように目を反らし……



「進藤さんとお会いした記憶は……」


 あれぇ!?


「進藤お前……本当に"見てた"だけだったのか。思った以上に乙女かよ」



 ……あれぇ!? え、あれぇ!?





 何をどこで間違えたのだろうかと、頭を抱える愛奈であった。


 なにげに翔は走りの話題で和也とそこそこ会話を弾ませていたのが、よけいに納得がいかなかった。

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