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四月第一週 入学前のエトセトラ

 薬師寺和也という少年が引きこもった理由は、それほど大きなものではない。


 そりゃあ学校は面倒くさい以外に何かがある訳でもなかったし、さぼりたいとは常日頃から思っていたことだ。

 だが、いじめを受けていたこともないし、勉強恐怖症になった訳でもない。


 たった一度、ひょんなことからふらりと学校をサボり。


 そのままずるずると連日サボるようになって、結果として薬師寺和也という一人の引きこもりが完成した。たったそれだけのこと。


 親は放任主義で、学生の間は好きなことをしていればいいというから、引きこもる前から見ていたアニメに没頭することにした。


 そして和也は出会う。


 そのあり方に心を奪われるすばらしい女性。すなわち、"嫁"と。


 ……そう、嫁である。


 婚約者を得た訳でも、ましてや中学一年生にして誰かを娶ったわけでもない。最近はなんだか日常的に使われるまでに至った俗語、隠語の上での"嫁"である。


 つまりはまあ、次元を超えてしまった恋だ。


 ほとんどの束縛を受けず過ごしてきた和也にとって、その気丈な可憐さを全面に押し出してくる彼女のキャラクターはとても美しく見えた。

 この世のものではない、そこまで思えるほどに、彼女に魅了されてしまった。


 それからというもの、和也は月に渡される"衣食住全て込み"の小遣いのほとんどを彼女のグッズや、彼女の出ているアニメ"魔法少女☆ラジカルなのちゃん"のDVDに費やすようになり、今では立派なガチオタの一員であった。


 食事はもっぱら宅配ピザ。それとコーラ。

 服など、ジャージが何着かの着回しで十分。

 住に関しては母と二人だけの実家だが、ほとんど母は仕事で居ないし、その居ない時間は全て自分の部屋に引きこもる生活。


 みるみるうちに体型は悲惨なことになり、ぶよぶよの肥満へと姿を変えた。

 引きこもり始めてから、半年。

 たった半年だが、和也が鏡を見たくなくなるまでには充分過ぎる時間だった。自らをして"気持ち悪い"と思うその汚い容姿を、戻そうという気概すら生まれなかった。

 そんなことに金を使うくらいなら、自らの"嫁"に消費する。


 中学一年生の秋から始まったその生活は、中学二年生を間近に控えた冬もそれは変わらなかった。


 だが、和也は二年生になる目前で雰囲気を変える。


 いや、更正とか、そんな素敵な話ではない。


 単純に春アニメで"魔法少女☆ラジカルなのちゃん"の二期がやるからだ。


 ハンプティダンプティの如く膨らんだ肥満体型がテンションをあげてスキップをかます。

 二期のあおり文句は、"衝撃の展開"だそうだから楽しみでたまらなかった。


 第九話となる今日も、和也は狭い部屋に閉じこもってリアルタイム視聴出来る時を今か今かと待っていたのである。


 さっきまでは。


「な゛……な゛ぁ゛ん゛て゛た゛ょ゛ぉ゛……は゛や゛ち゛ゃ゛ぁ゛ん゛……」


 意気揚々とスナック菓子片手に、部屋中央にデンと構えた32インチのテレビ前に待機していた彼の姿はもうない。

 その代わりにそのずんぐりした体を、自らの座っていたくたびれたクッションに埋め、わんわんと深夜なのも憚らずに号泣していた。


 何のことはない。

 魔法少女☆ラジカルなのちゃん2nd第九話にて、和也の"嫁"は仲間をかばい凄絶な死を遂げたのだ。

 散り際に見せた儚げな笑顔と、お気に入りのヘアピンだけを残して。


「ぅ……うぅ……」


 単純な時刻換算にしておよそ三時間の間わき目も振らずに泣きじゃくっていた和也は、その肥満体をゆらりと幽鬼のように起きあがらせた。

 瞳は虚ろ。それほどまでにショックだったのだろう。しかし彼はなにを思ったかふらふらと部屋を出ていくと、しばらくして戻ってきた。


 白黒にプリントされた、"嫁"の笑顔。黒の額縁。


 遺影か。


 悲壮に満ちた表情で和也はカーテンレールの上に写真を飾ると、パソコンへと移る。ネット通販サイトで、購入していたのは仏壇だった。


 一連の作業が終わると、ふう、とチェアの背もたれに体を預けて天井を見上げる。


「ぅ……ぐず……」


 三時間泣きはらしてなお、彼の涙腺は枯れることを知らなかった。


 天井にたちまちモザイクがかかり、頬を滴が次々と伝っていく。皮膚の脂と混じって白濁した液体が、くたびれたジャージを汚す。


「……」


 あまたのアニメの中で唯一無二だった存在が逝った事実。死ぬ前のシーンや、フィギュアのたぐいがなくならないからと言って、和也にとってそれは問題ではなかった。

 そりゃあ、故人のビデオを見てもその人が生きているということにならないのは現実世界でも同じこと。和也の感情移入がその域に達していたというだけだ。


「ぁ……」


 ふいに、入る光。

 カーテンの隙間から日差しが入り込んでいたのだった。六月頭の今、初夏と呼ばれるこの時期の朝は早い。

 それにしても、今日は快晴のようだった。


 和也は何かに取り憑かれたようにふらふらと窓に近寄り、徐にカーテンを開いた。


 とたんに入り込む、暖かな陽光。


 それが、まるで自分を"はやちゃん"が包みこんでいるような気がして、悲しくもあり、そして暖かくもあり。


 和也はいそいそと、ピザの空箱の山を踏みつけて、体幹の悪い体型を必死で制御しつつ部屋を出る。


 廊下を数歩進めば、玄関だ。しばらく、そこから出ることすらしていなかったように思う。

 古びたスニーカーを履いて、放心状態のまま和也は扉を開いた。


 窓からのそれとは違い、全身に行き渡る光。暖かに包み込む光。


 一歩、踏み出す。


 一歩、続いてまた一歩。


 マンションの階段を最上階から二十階ほど駆け降りて、それだけで息の続かない体を無理矢理動かして進んでいく。


 自暴自棄? 違う。和也は全身で大好きだった少女を感じていた。


 そして、苦しくも心地よく、走る、走る。涙が横に流れていく感覚も、不思議だった。

 体が悲鳴をあげる。


 足はもつれ、次の瞬間にも転びそうだ。前に足が出ないことがこれほど情けないとは。

 でも、走っている間だけは。走っている間だけは、なにもかもを忘れることが出来た。


「は……はっ……!」


 みっともないだろう、街の歩道を、ふらふらと走る肥満の姿は。

 だが、それも悪くない。今の和也に、周りなんて関係なかった。格好が悪いとか、知ったことではなかった。

 彼女を感じながら、悲しみを忘れられる。きっと足を止めた瞬間に、また切なさと寂寥が押し寄せてくることだろう。何故か、感覚で分かった。

 だから、走り続けていたい。



 薬師寺和也、中学二年の初夏の出来事だった。



 そして、和也が"嫁"に"魔法少女☆ラジカルなのちゃん"の"はやちゃん"を選んだというその数億分の一の確率が、この"世界"が変化した大きな要因だと、和也は気づくことはない。
















 進藤愛奈は転生者だ。

 自覚したのは五歳の頃。その時やっていた少女アニメでとあるキャラクターが次元跳躍をやってのけた瞬間に、全てを思い出したのだ。


 もっとも、その時思い出したのは前世の記憶があるということぐらい。

 今生きている世界と大きな差異がある訳でもなかったし、今も以前も日本人女子。

 高校生までの記憶しかないということは、つまりはそういうことなのだろう。

 きっと、高校生の時に自分は死んだのだ。


 元の名前は、どうしてか思い出せない。

 正直、それでも構わなかった。だって自分は、散々男に弄ばれた挙句、捨てられたのだから。


 逆に、"この世界"がどういう世界なのかは、今生の中学三年生に至って初めて自覚出来た。


"私立つつじヶ丘高校"


 そして、自分の進藤愛奈という、聞き覚えのあった名前。

 照らし併せてみると答えは簡単で、この世界は"ガールズ・バケーションIII"の舞台である私立つつじヶ丘高校を擁し、なおかつ自分は主人公の少女であるのだと。


 中学の勉強内容は前世の特権でそこそこ覚えていたし、お目当てのつつじヶ丘高校はそんなに偏差値の高い場所でもない。

 前世では男に良い思い出がなかったが、この期に腹いせの如く、逆に男を弄んでやろうかなとも考えた。


 なにせこのゲームには、逆ハーエンドというものがある。

 全ての手順をうまく踏めば、攻略対象のキャラクター全員を籠絡出来るのだ。

 その後どうなるのかなんて分からないが、面白そうであることは間違いない。

 別段好みのタイプが居たとかそういう訳ではないけれど、あのゲームは攻略キャラ6人に加え隠しキャラもちゃんと攻略したくらいにはやりこんでいる。


 大丈夫だ、問題ない。


 男は嫌いだったが、徹底的に自分を磨いた。高校で、高笑いをするそれだけの為に。

 破滅してもいい、だから一度だけ男というものに復讐してやりたい。


 そんな暗く愉悦した気分で愛奈は私立つつじヶ丘高校の試験を受け、見事合格する。

 春休みを終えた今日は、そう。


 待ちに待った、高校の入学式だ。

 同じクラスになるはずの攻略キャラ二人が居るというだけで、目の保養には充分だろう。どうするか、手順を頭の中で再確認して愛奈は頷く。


 真新しいブレザーの制服。スカートはちょうど良い感じに可愛いミニの長さで、それだけでもこの高校に入った価値はあると思える。


 2年前に改装された校舎は現代チックなガラス多めの、白いきれいな建物で。入学式も、そつなく終わり。


 中学からの友人は、思い返してみれば"ガールズ・バケーションIII"での親友キャラだったことも思わぬ行幸だった。


 配属されるクラスは、1ーA。これも原作と変わらない。ここから、始まるのだ。自分の楽しい学校生活が。


 とりあえず、逆ハーエンドを迎えるには大人しめながらも明るい少女であるという必須条件があるので、猫を被り。


 黒板に張られた席順の紙を確認して、自分の席が一番後ろの、窓際から二番目という悪くないポジションにあることを把握。


 ブルーの新しい鞄をおいて、周囲の観察をしてみれば、居る居る。二人の、一際目立つイケメンが。


 一人は二宮蓮。爽やかな口調と、明るいリーダー気質。クラスの中心となる快活な少年で、軽音部ではギターボーカルをつとめることになる万能人間だ。茶髪をいい感じにワックスで固めた、今時を生きる若者である。


 もう一人は伊丹翔。ばっさり切った短髪は黒く、浅黒く焼けた肌が眩しいスポーツ少年。あまり強くないつつじヶ丘高校陸上部のホープで、五月の時点でもうエースの短距離ランナーとして活躍しているという設定だったはず。180センチ近い長身も併せて、かなりの人気を誇っていたキャラクターだ。


 うんうん、と、自分が乙女ゲームの世界に来たことを確認する。実際、本当にそうなのか不安ではあったのだ。

 だからこそこうして、本当に主人公であるらしいことを理解して少しうれしくなる。


 これからの未来に胸を踊らせつつ窓の外を眺めようとして、しかし愛奈はフリーズした。


 彼女の席は、窓際から二番目。つまり、一番窓に近い席がもう一つあるということ。彼女の左隣には、もう一人の人間が座っているのは間違いのない事実で。


「……」


 南を向いている窓の外から差し込む日光に向かって、小さく微笑みを湛えながら頬杖をつく一人の少年。


 黒髪は無造作で、セットしているなどとはとうてい思えないが。整った面貌と優しげな瞳が、窓際の陽光とセットでとても絵になっている。


 愛奈は自慢の視力を活かし、黒板の名簿にもう一度目をやった。


 隣のその少年の名は、「薬師寺和也」


 彼の雰囲気、そしてその容姿は、攻略キャラ二人と並び立つほどであり、このクラスでは群を抜いていることは間違いない。


 しかし、「薬師寺和也」の名に、該当するものは何一つ出てこない愛奈。


 困惑とともに、しかし、察した。








 知らないイケメンが居る……と。

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