第96話 さらば十の四の森
「んじゃあ帰ります。泊めていただきありがとうございました」
「いえいえ、族長の孫ですから。すごいですよねっ」
だから本人相手にすごいとか言われても返す言葉がないのですが。日野の母親に挨拶をし、家を出る。外は明るく、太陽が燦々と輝いている。朝の爽やかな風と温もりが全身を撫で、癒しと心地好さを届けてくれる。お祭り騒ぎの翌日、村は平穏に包まれていた。外でかけっこする子供達や雑談をする婦人、狩りに向かう若い男性達。平和で素敵な光景だ。そんな村とも今日でお別れ、俺は今から人間界へとカムバックするのだ。長期滞在する予定じゃなかったからな、顔見せに来ただけだし。エルフの聖なる鞄にお土産の茶葉と食料を詰めて、肺いっぱいに空気を詰め込む。この美味しい空気ともさよならか。とても良い村だったな。
「ふぉふぉふぉ、おはようテリー君」
村の広場へ行けばベンチに座っている村長と会った。相変わらずファンキーな三つ編み髭を物憂げに触りながら目を細めてこちらを見つめる。静かな雰囲気の老人と思いきや突如叫んだり酒飲んで暴れるキャラクターがブレまくりの村長さん。日光浴でもしているのかな。その近くで子供達が楽しげに遊んでいる。昨日俺のことをゲロ英雄と馬鹿にしてきたので散々追いかけてやった。こちらの存在に気付いたのか、子供達がわらわら~と寄ってくる。おい誰だ今股間触った奴、デリケートエリアに不法侵入するな。
「ふぉふぉふぉ、もう子供達に大人気じゃな」
「ねーねーゲロ英雄、今日も遊んでよっ」
「いいでしょゲロ英雄~」
純粋で無垢な瞳で見上げてくる天使達。とりあえずそのあだ名やめてくんない? 別に俺ゲロは吐いていないからね。驚いて咀嚼物を出しただけだから。お前らの村長は素で吐いていたけどさ。ふぉふぉ、と微笑むジジイ。昨日の夜は散々おろろろろ、と気持ち悪い声を発していたくせに今日は穏やかな表情で微笑んでいる。いやだから股間触るな、英雄の股間触るな! このクソガキ共がぁ。
「ふぉふぉ、子供達にも気に入られたのじゃし、もう数日くらい滞在したらどうかね?」
「いえいえ、用事がありますので。今日で帰らせてもらいます」
「えー、帰っちゃうの?」
「もっと遊ぼうよー!」
ぎゃあぎゃあと腰回りで騒ぐチャイルド達。肩車をせがんできたりするので一人を肩車してあげながらその場にて全速力で回転する。おらおらぁ、泣くまでやめないぞ! 族長候補の恐ろしさ見せてやる。
「わーっ! もっと速く速くぅ」
「次私の番だからねっ」
……やめておこう。この子達には勝てそうにない。回せば回す程元気になっていく男の子。泣くどころか発狂する程に喜んでいる。おまけに足元には目を輝かせて順番待ちする子供達が数人。こっちの体力が持ちそうにない。子供ってこんなにも元気なんですね。俺も小さい頃はこんな風だったのかな……んんん、あまり記憶がない。小さい頃の記憶よく覚えていないんだよなー。
「昨晩は盛大なもてなし本当にありがとうございました」
「何を言っとる。テリー君が巨大猪を討伐してくれたおかげじゃないか。こちらこそありがとう。是非また遊びに来ておくれ。歓迎するぞい」
「ありがとうございます。村長には感謝しきれないっす、感涙しそうです」
「グルグル回りながら言う台詞じゃないよね」
だって子供達がうるさいんですって。肩車して延々と回る。ちょっとしたピエロだ。晴れた空の下、子供達は太陽にも負けないくらい眩しい笑顔で俺を見つめる。なんと純粋な瞳だろうか。この村がいかに素晴らしい場所か示しているみたい。本当に素敵な村だ。爺さんの依頼を遂行した時はまた来たい。村の方々は優しく迎え入れてくれそうだ。あぁ、十の四最高。十の一がいかに荒んでいるかよく分かる。昨日聞いたのだが十の一の森は昔から族長となる者が住む所らしい。エルフとは森を愛し森と暮らす静穏な一族。大勢住んで賑やかに馬鹿騒ぎするものではない。族長の住む森とはその最高峰。その森は静かな程良い、らしい。だからうちの森には爺さんと俺二人きりなのだ。という理由もあれば単純に現族長がキチガイという理由もある。そりゃ族長が人間のゴミを収集していたら嫌だよね。俺だって実の孫でなければ他の森に移住しているさ。
「ディアバレスによろしく伝えてくれ。次会ったらボコボコにしてやると」
ハゲと髭ディスられたことまだ根に持っているんですね。
「あと数年、テリー君が成人すれば奴も族長の座を降りるじゃろう。そうなったらワシが直々会いに来てやるぞい。ぶっ倒す!」
「楽しみにしております」
「ふぉふぉ、楽しみじゃろう。その時はお主の妻も同伴されるぞい」
ニコニコと笑う村長。……その話、マジなんですね。昨日の宴、そこで村長に言われた一言は思考を吹き飛ばすのには十分な威力だった。言われた時は驚愕で咀嚼しているものを吐き出すくらいに。あれはビビったなぁ……俺と日野。
「お、来たようじゃな」
村長が見つめる方向を振り返れば、そこには日野の姿。黒髪を揺らしてこちらを睨んでいる。今日も不機嫌そうっすねぇ、仲良くなれたと思ったのに。その隣から出てきた日野の妹エミリーちゃん。姉とは対照的に満面の笑顔でダッシュ、俺の腹部へと飛び込む。おうおうお兄さんのストマック破壊するつもりですか。頭を撫でてあげたい衝動が溢れるが現在両手は肩車している子供の足を持っているので撫でることは叶わない。肩車しながら勢いよく抱きつかれて耐えるのって地味にすごくないかな?
「お兄ちゃん! 見送りに来たよ」
「さっき家の中でお別れしたじゃん」
「いいの、また会いに来たの!」
これまた可愛い子ですわ。エミリーちゃんは年相応の無垢な笑顔で見上げる。この可愛さ反則だ。いや決して興奮しているわけじゃない。ただただ微笑ましい。本当の妹ができたみたいで、なんか嬉しい。嫁なんていらないから妹欲しい。だって嫁って……この子の姉だもん。今すげー睨んでくる奴だもん。
「エミリー、そんな奴に抱きついちゃ駄目。ダサイ菌移るよ?」
「やーっ!」
妹を引き剥がそうとする日野。そして激しく抵抗する妹。昨日会ったばかりなのになぜかエミリーちゃんに懐かれたのだ。そりゃもう異様な程に。昨日からずっと俺から離れようとせず、度々抱きついてだっこをせがむのだ。なんて可愛い生き物だろうか。姉とは大違い。どうやら日野を巨大猪から助けたことで気に入ってくれたみたい。嬉しい限りです。
「ほらもー、後で服除菌しないと」
「酷いなお前」
そして日野愛梨。こいつは命の恩人を何だと思ってやがる。……こんな毒舌娘が許嫁になろうとは。
「あぁもうそんな抱きついたら汚いでしょ」
「だとしたらお前も汚れることになるな。昨日俺に抱きしめられたん」
「黙れ」
ピシャリと言葉を遮られた。クソ、こんな奴とどうして結婚しなくちゃいけないんだ。いやまだ決まったわけじゃないけどさ。……昨日、村長から言われたのは俺と日野が結婚するという話。どうやらうちの爺さんは俺の将来の嫁さんを紹介してもらうべくこうして俺をここへ向かわせたのだ。このままでは十の一は俺一人になってしまう。俺だって孤独死は嫌だよ、せめて妻子に囲まれて天寿を全うしたい。故にこのようなことになった。その相手が日野ってのは悲しいぜ……。
「ふぉふぉふぉ、相変わらず仲が良いのぅ。最初は紹介だけのつもりが二人は知り合いだとは。もう結婚決めちゃいなよユー達」
朗らかに笑う村長。ユー達とか言うな三つ編みジジイ。あれか、それは爺さんの影響受けているのか。人間界の言葉使いやがって、影響受けてんじゃねぇよ。最初は合コン程度の顔合わせのつもりだったらしいが、俺と日野が互いを知っていることが分かってからはこのジジイはやたらと結婚を勧めてきやがる。年も近くて顔見知りなのを踏まえての話なのだろうが……残念ですね。
「「誰がこんな奴と」」
生憎どちらも互いを嫌っているんでね。当の本人達は猛烈反対なわけですよ。なーぜこんな口悪い女と結ばれなくちゃいけないんだ。確かに可愛いけど絶対に嫌だ。性格キツ過ぎるんだよ。
「と言われても困るのぅ。君の嫁を探してほしいとディアバレスに頼まれたし」
「あんな妄言ジジイの願いなんて叶えるのは俺だけで十分ですよ、無視してください」
「ふぉふぉ、確かに妄言クソ野郎じゃがあいつはあいつなりに君のことを心配しているんじゃよ」
そうなのかなぁ。ゲーム機買ってこいとかほざく奴ですよ? ぜってー俺のことなんか気にかけてないって。小さい頃から厳しく育てられた覚えしかない。爺さんと過ごしてろくな思い出がないんだよ。村長さんの気遣いは嬉しいが申し訳ない。日野とは結婚出来ません。昨日そう断り入れたのにまだ言うか三つ編みジジイ。お前も妄言ジジイ枠に入れてやろうか。
「アイリーンよ、お前も族長と結ばれて嬉しいじゃろ?」
「昨日も言いましたが絶対嫌です。こんな馬鹿と付き合うくらいなら猪に突撃された方がマシです」
「んだとジャージカラオケ娘が。なら俺の股間の猪で今すぐ犯してやブベェ」
「子供の前で変なこと言うな死ね」
いきなり殴るなよ。いや今のは俺が悪いのか。すんません。子供の教育に良くないよね。
「お姉ちゃんが結婚しないなら私がお兄ちゃんと結婚するーっ!」
おっ、嬉しいこと言ってくれるねエミリーちゃん。お兄ちゃん嬉しくて涙出そう。肩車している女の子も「エミリーちゃんだけズルイ! 私もするの!」とぎゃあぎゃあ叫んでいる。ほら見てよこの人気ぶり、人間界風に言えばモテ期ってやつだ。
「このロリコン変態野郎」
「変なあだ名つけるなよ」
「そうですか分かりました超ダサイ人」
だから変なあだ名つけるなって! あぁもうここにいると日野の毒攻撃を受け続ける一方だ。昨日宿泊した時からずっとこうだよ、もう精神力は底尽きたっての。子供達は名残惜しいが、もう行かなくちゃ。肩車していた子供を降ろして荷物を持つ。
「じゃあ俺行きます」
「「やーっ!」」
半泣きでしがみつく子供達。なんて可愛いんだ! こっちまで泣けてきそう。う、うぅ。皆ごめんね、もう行かなくちゃ。お兄ちゃんには帰ってやらなければならない使命があるんだ。ゲーム機を買うという使命が。……こうして振り返るとなんと馬鹿げた使命だろう。投げ出さないで遂行しようとしている自分も愚かに思えてきた。けど族長の妄言に付き合うのは次期族長としての務めだ。絶対に成し遂げて見せる。決意を胸に、子供達を振り払って出口を目指す。エミリーちゃんの泣き顔は心にぐっと来た……ご、ごめんね。
「ではこれで。お世話になりました」
門番の二人に頭を下げる。トフィニさんとシェパールさんは微笑みながら手を差し出してきた。
「いつでも来てくれテリー君」
「次来た時は早撃ちのコツ教えてくれよ」
ガッチリ握手を交わして門を出る。……振り返れば村の皆が手を振ってくれていた。三つ編み髭の変わり者村長。その周りで泣き笑顔の子供達。柔和な笑みを浮かべるお婆ちゃんや若い女性、たくさんのエルフが手を振ってくれた。……なんて良い村なんだ。こんなにも、こんなにも多くのエルフが手を振ってくれる。どれ程嬉しいことだと思ってやがる、マジで泣きそうだ。十の四の皆、森、本当にありがとうございます。温もりを教えてくれて。この思い出を日々思い出しながら人間界で頑張っていこうと思います。千切れそうなくらい右手を振りまくる、全員に手を振る。
「本当にありがとうございました!」
皆に聞こえるように、森に伝えるように、全力で叫んで俺は村を出た。また来よう、今度は胸を張って来るんだ。村の皆と笑顔で騒ごう。ありがとう、感謝しきれないです。さぁ、また人間界でバイト漬けの日々だ。頑張っていこうぜ!
「で、なんでお前はついて来ているの?」
感動の別れで村を出て数分、ずっと隣を歩く一人の少女。日野だ。なぜついてくるし。
「森の外まで見送ります」
「んなことしなくていいよ。村長さんの命令か? 俺のこと嫌いなら無理しなくていいぞ」
「……」
けど日野はついてくる。一緒に並んで森の中を歩く。……まぁ、見送りを拒否する真似はしないけどさ。黙って歩く。森の匂いと声を噛み締めながら歩く。この空気ともお別れか。また汚い空気の中で過ごす日々に戻る。短い幸せだったな。はぁ、憂鬱だ。でも仕方ないよな。爺さんの願いだ。仕方なく人間界に戻ってやるよ。さて早く帰らないとね。
「……あなたは」
「え?」
無言のまま歩くこと十数分、日野が話しかけてきた。
「……何でもないです」
「何それ。気になるから言ってよ」
「嫌です」
この野郎ぉ……ここまで来て嫌がらせかよ。それからまた沈黙が続く。並んだまま何事もなく歩き進む。森の守護石を意識しているせいか、森の外へと向かうにつれて空気が変わってきている気がする。そんな極端に変化するわけがないよな。でもなんとなく寂しい気持ちになっているのも確か。やっぱり守護石のおかげで空気がより澄んだものになっているんだな。
「ふと思ったんだけど森の外まで見送るって言ったよな?」
「はい」
「この森抜けるのに一日以上はかかるぞ」
人間の住む地域から出るのに一日、そこからこの森に入って門まで来るのに一日以上かかったから間違いない。このまま歩けば森の外に出るまでに日が暮れるのは避けられない。んなところまで見送られる必要はないだろ。
「この辺でいいぞ。見送りサンキューな」
「……」
その言葉を聞いて足音が一つ消える。日野が止まったのだ。ま、俺なんかの為に一日かけて付き添う必要も義理もないさ。俺のこと嫌っているお前なら尚更のことだろ? 後ろは振りかえらず片手を挙げてヒラヒラと振る。また日野とは人間界で会うんだし、これで一生のお別れってわけじゃない。また人間の国ではよろしくな。
「……ねぇ」
「ん?」
ぶつかる声。振り返るとそこには日野が。変わらない半目の不機嫌そうな瞳。緑の景色に映える黒髪の姿。けど日野愛梨じゃない、俺の知っている人間の日野愛梨ではなく、エルフの服を身に纏ったアイリーン・ウッドエルフがいた。何を語っているのか、意思の読み取れない茶色の瞳がこちらを見つめていた。……な、なんすか?
「……え、えっと昨日言えなかったですけど……助けてくれて、ありがとう、ございました」
ペコリと頭を下げる。いやいやいやいやいやいや! 似合わないって。あなたは毒を吐けばいいんですよ。そんな素直にお礼を述べられると調子が狂うというか、気恥ずかしいというか。どうしたのよ急に。
「また来てくださいね。エミリーが楽しみにしているので」
「迷惑じゃなければまたお邪魔するよ」
「……絶対にですからね」
そんな絶対とか言われると困るんだけど……。爺さんの指令を成し遂げたら来るからさ。それがいつになるのかは知らないけどね。こんな素敵な村、来ない理由がないだろ。身を癒す空気に包まれたまま、日野に向けて微笑む。お前にニコッとかするとキモイとか言われそうだけど今は笑いたい気分なんだ。毒舌は勘弁な。
「次来る時は一緒に来ようぜ。カラオケ行った後にさ」
目を開く日野。しばらくポカンとしていたが、笑った。昨日見せたように、不機嫌そうな表情は消えてクスリと微笑んだ。ただのエルフ、ただの少女が笑った、ただそれだけ。でもその姿はとても素敵だった。やっぱお前笑った方が断然可愛いぞ。その姿を見るとこちらも思わず笑みが零れてしまう。
「笑わないでくださいキモイですよ」
そう言うと思ったよ。はぁ、俺が族長の孫と分かった後も態度は変わらずか。まあそれがお前らしいよ。鞄を背負い直して日野に背を向ける。もう行くぞ。ここまで見送ってありがとうな。
「それじゃあな、ジャージカラオケ娘」
「とっと帰ってください、私服ダサイ人」
テリー・ウッドエルフは日野に、アイリーン・ウッドエルフは木宮照久に、それぞれいつもの変わりない挨拶を交わして背を向けた。またな、人間の国で。……さぁて、戻ってバイトしますかー。