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第92話 VS巨大猪

「ち、ちょっと待ってくれ。これを持っていくんだ」


家を出て外の森に向かって一直線に走っていると後ろから声をかけられた。村長の発狂音なら無視したけど呼びかけてきたのが門番のトフィニさんだったからパッと後ろを振り返る。次の瞬間、視界に飛び込んできたのは弓と矢入れ、宙を舞ってこちらへと飛んできている。走りながらも後ろを振り向き、両手でそれぞれ受け取る。その回転を殺さず一回転、再び前を向いて森へと向かう。弓矢か、久しぶりに触る。森に住んでいた頃は毎日のように狩りしていた。爺さんはゴミ収集に夢中で俺が食料を調達しなければならなかったから森中を跳び回った。だがここ半年は人間界に移住して、狩りからは程遠い生活を送っていた。本当に久しぶりに持つ。なんとなく手にしっくりとくる弓の感触、手によく馴染む。血液が指先から放出されて弓矢に流し込んでいるような気すらする。自然と震える手と心、やはり狩人の血が騒いでしまう……!


「我々も人数を集めたらすぐに向かう。決して無理はしないでくれ!」


りょーかいでーす、と矢入れを持った手を上げてサインを送る。さて、この辺の地形は把握していないけどテキトーに走り回ったら見つかるんじゃないかな。矢入れを腰へと巻きつけ、村を走り抜けて一気に外へと跳び込む。木々と葉の横を通り過ぎ、森の匂いに満ちた世界へ溶け込む。幸せ、これ超幸せ! 地面を蹴り上げて木の上へと着地、目を閉じて耳を澄ませる。静穏に包まれて木の葉が風に揺れる音が聞こえる。とりあえず大きく息を吸い込む。……快、感。故郷の森と同じ匂いがする。懐かしい匂いと空気が肌に浸透していく。思わず感涙してしまう程だ。泣きそう、泣きそうだよ僕。

うおっと、長い時間感動に浸っている場合じゃない。さっき大人達があたふた叫んでいたがどうやらその女の子は森の奥へと行ったらしい。より深くて暗い場所があるのだろう。そこには凶暴な猪がいると村長が騒いでいた。村の大人でもなかなか仕留めきれない猪、かなり凶悪なようで。人間界で例えるならドスファンゴかな。あのゲームやったことないから詳しくは知らないけど。クラスメイトの男子は大抵その話ばかりしている。狩りのゲームだから俺でも分かるかなと思って話を聞いてみたり、小金がこっそりとゲーム機を持ってきた時に見せてもらった。巨大な太刀を片手で振り回し、火を噴く双剣を踊り舞うように操り、振るうだけで斧から剣へ変形する武器、どれもこれも常軌を逸していてげんなりした。弓の武器も異常だった。一度に矢を数発放っているのを見て、ああフィクションだこれと思った。弓の武器を使ってドヤ顔で「非力な僕でも弓矢ぐらいなら簡単に扱えそうだよ」と完全に調子乗ったことをほざいた時は頭を叩いてやった。実際の狩り舐めるんじゃねぇクソ地味眼鏡。


「きゃああああ!?」


脳内で小金を批判していたら突如奥の方から悲鳴が聞こえた。結構遠くの方からだ。甲高い悲鳴、尖った鋭利な物が耳に突き刺さるような悲痛の叫び。痛い痛い、耳痛い。どうやら例の女の子が例の猪と遭遇したようだ。動物が絶命に瀕した時に出す叫びだったぞ今の。確か女の子は散歩という軽いノリで森の中に入ったらしい。普段着のような軽装で入ったとすれば猪に対抗出来る装備は持ち合わせていないと考えていい。つまりヤバイ、発音良く言えばヤヴァイ。急がなくては。声のした方を振り向き、足の裏に力を集約させて一気に解放、空中へと跳躍。前方の木に手をかけて振り子の要領で体を上空へと持ち上げて飛翔を続ける。耳へ飛び込んでくる悲鳴と動物の慟哭、次第に大きくなる喧噪。何かが走り去っていくすぐ傍まで来たところで木のてっぺんへと登り、森の上へと出る。視界が一気に開け、青の空が目いっぱいに広がる。飄々と雲が流れ、太陽が森全体へ光を注ぐ。視界と肺を満たす自然の癒し、思わずほっこりして笑ったところで森の下を見下ろせば、


「きゃあああ助けて!」


「うおー、逃げてる超逃げてる」


巨大な猪に追われている女の子がいた。猪突猛進を体現したかの如く猪が突進しており、その前には女の子が顔を歪ませて懸命に逃避している。意外と俊敏じゃん、普通に回避している。さすがエルフだ、人間の女子だったら既に昇天しているけどエルフの運動能力は人間の比じゃない。人間界に留学して人間の運動能力を見てきたから比較が容易に出来る。でも清水は例外かな。華奢で清楚な雰囲気から放たれる強烈な拳、あれは人間の範疇を超えている。元気にしているかな清水、久しく会ってないや。また手作りの料理食べたい……なんかセンチメンタルな気分に浸ってしまった。さっきから感情が紆余曲折を繰り返している。目の下で女の子がピンチだというのに。腰元に着けた矢入れから一矢取り出し、弓を構える。同時に声を張り上げる。


「そこの君ー! 今助けてやるぞ!」


「ふぇ?」


驚いたようにパッと顔を上げる女の子。髪の毛が黒色だ。……ん、人間? エルフなら茶髪のはず。ど、どうして人間がここに……あ、そういえばその女の子は人間界に移り住んでいて髪を黒に染めたとか村長が言っていたような。なら納得だ。髪の毛が黒色でも心はエルフ。それにあの身のこなしは人間離れした常人エルフの賜物。同族で間違いない。よぉし、今助けてやるぜ。猪に追われてどんどん遠くへと行ってしまう女の子。木の上を跳び渡ってその後を追いながら弓を引いて矢を構える。狙いを定めて……


「ちょ、馬鹿! そんな適当に構えて私に当たったらどうするのよ!?」


「おらぁ!」


何やら馬鹿と言われたが気にしないでおこう。木から斜め下へとダイブ、下の幹に着地してすぐに跳ぶ。視界の端で次に乗り移る木を確認した後に狙いへ全意識を集中、弓を引いて矢を放つ。手に伝わる感触が長年培われた記憶を起こし、何千回と行ってきた動作を体が自然と行ってくれた。矢は一直線に猪へと向かって狙いから少し逸れた後頭部へと突き刺さる。悲鳴を上げる猪、鋭利な牙を天へと突き上げて悲鳴を吐き散らす。……ちっ、外したか。舌打ち混じりに立派な木の枝へと両足を巻きつけて下を見下ろして新たに矢を抜く。


「す、すご……空中で矢を撃って狙いに当てるなんて……!」


「狙い通りじゃねーよ。目を射抜くつもりがかなりズレた」


「え?」


驚いたようにこちらを見上げる女の子。なんでそんな顔しているんだ? だってそうだろ。本当なら目を射抜いて視界を潰すはずだったのに、矢は少しばかり逸れて後頭部に当たった。クソ、やっぱ体が鈍っているなこれ。狩りの仕方を体が覚えていてもその体自身が鈍っていたら意味がない。精度が格段に落ちてやがる。やっぱり温い人間界の暮らしに馴染み過ぎたな。体が怠けないよう自主鍛錬はそこそこやってきたつもりだったけど駄目だったみたい。


「とりあえず今のうちに逃げなよ。えーっと、その……ん? なんか、どこかで会ったような……」


「な、何よ」


ふと既視感に囚われた。なんとなく見たことある、この女の子と会ったことがあるような……。しかも、人間界で。黒髪、茶眼、生意気そうな瞳に小さく端麗に整った顔のパーツ……。日野、愛梨…………ああぁぁん!?


「ちょ、なんで人間のお前がここにいるの!?」


ふざけんなっ、なぜ日野愛梨がここにいやがる!? 人間界で出会った口の悪い毒舌系女子。休日にやたらと出会ってその度に毒を吐いてくる。茶髪が嫌いって理由で俺のことを毛嫌いしている人間だ。な、なんで日野がここにいるんだ? ここは人間の来て良い場所じゃないって。っ、っと、


「ま、まだ分かんないのアンタ!? やっぱ馬鹿でしょ」


「話は後にしよーぜ。とりあえず今は逃げろ」


猪が暴れ出した。怒り狂った双眸が俺と日野を交互に睨みつけて牙を剥き、顔を覆うタテガミが逆立って殺気を漲らせている。やる気満々だな、いや殺る気と言うべきか。やっぱり大したダメージは与えていない、寧ろ怒りを煽っただけで逆効果だ。小金のゲームならこれで毒にしたり麻痺にしたり睡眠にしたり等々、様々な追加効果を発生させられるのだろう。残念だが小金よ、これが現実だ。一回矢を撃っただけで何かどうなるわけじゃない。ちゃんと急所を狙わなければ意味がない。先程以上に暴れ始めた猪、近づくのは危険だ。急いで逃げろー日野。


「い、いた。あそこだ!」


すると別の方向から男性の声と多数の走る音。トフィニさんを先頭に男が数人やって来た。全員しっかりと狩りの格好をし、弓矢を構えている。増援が来たようだ。門番のトフィニさんを先頭に屈強そうな男が揃っている。この村の精鋭達、といったところか。あれだけいれば日野は大丈夫そうだな。そう思い、猪の方を見れば、


「あっ、トフィニさん! 猪がそっち行きました」


巨大猪は猛スピードで男達の方へと突っ込んでいった。すごい速さだ。あの速さだと自分自身も制御しきれないのでは? がむしゃらに突撃する猪、向かう先には十の四の森の狩人。その結果は、


「う、うわぁ~!」


……全員吹っ飛んだ。矢を放つ前に猪が突っ込み、衝撃音と共に男達が宙へと舞う。猥雑した場を一掃、猪の突進をまともに食らって全員が見事に吹き飛ばされたのだ。大の男が軽々とやられた。え、ちょっと。増援に来たんじゃないんですか? いとも簡単にやられて男達は地面で「うぅ……」と瀕死の鳴き声を漏らしている。あっという間もなくやられちゃったけど!? な、何しに来たんだよ。日野が逃げる時間稼ぎにすらなっていない。ピクピクと死にかけの虫のように震えている狩人達、その傍らで猪が地面を蹴りながら吠えている。怒りを発散しきれないのか、猪は日野の方を向く。あ、ヤヴァイなこれ。


「日野逃げろ!」


「あ、あ……」


駄目だ、目の前で起きた惨事を見て萎縮してしまっている。足腰が震えてとてもじゃないが先程のように走り逃げきれる状態じゃない。トフィニさん達はちゃんと装備を整えてきたから突撃を食らってもあの程度で済んだけど日野は見事なまでの軽装、ちょっとコンビニ行って中華まん買おう的な身軽さ。あの巨体から繰り出される突撃を受けたら……重傷で済めば良い方だ。最悪の場合……っ!

俺がやるしかない。両足を真っ直ぐにすることで体を支えていたものがなくなり木から垂直に落ち始める。視界は逆さま。だが狙いは捉えて離さず迷わず矢を撃つ。今度は狙いを外さない。猪の前足へと矢が突き刺さり、再び悲鳴が森中に響く。


「ちっ、まだそんなに動けるのかよ」


後ろを向かれて目は狙えず一番動きを封じられるであろう前足を狙った。が、前足を射抜かれて血を流しながらも猪は地面を激しく蹴りつけて突撃のモーションへと入る。狙い定めた先は日野愛梨。常に毒舌、会えば不機嫌そうに睨んでくる生意気女子。だが女子は女子だ。それに一緒に中華まんを食べた仲、助けるのには十二分な理由。反転して着地、地を蹴って矢入れから矢を二つ抜く。一つを口に咥え、もう一つは猪の前足に狙いを定め、弓を引く。突撃する猪、距離が空かぬようこちらも全速力で駆け抜ける。空気が肌を切り抜けて木々が揺れる。地に伏した落ち葉が舞い上がり、森の匂いに合わせて気持ちが高揚する。獲物を捉えたら瞬きはしない、一瞬たりとも目を離すな。渇く眼球と湿る唇、吐く息が熱くて指先は冷たい。急かす思いがなぜか心地好く、森を走り獲物を追うのが果てしなく自分らしいと思えた。心満ちる緊迫した興奮が狂喜へと昇華し、その時には矢を放ち終えて猪の頭上を飛び越えていた。


「ほら、そこ危ないから逃げようぜ」


「あ……」


はい到着。右手で日野を引き寄せて跳ぶ準備をする。その間に咥えた矢を左手に持ち、後ろから聞こえる慟哭に反応。左足を半歩下げて右足に力を込めつつ体の軸を回転。矢を折るつもりで力を込め、体を半旋回させて突っ込んできた物体に矢を突き刺す。その直後には両足を崩し曲げて地を蹴飛ばす。その場から一気に離れる。地面スレスレを跳び、日野の体を胸元へとさらに引き寄せて、ぐっ!?


「痛てて……あー、ちょっと痛い。背中痛い……」


日野を抱えたままその場から回避することしか考えていなかったのが失敗だったか。跳び過ぎた。跳んだ勢いを殺すことが出来ずに地面を転がって木へと激突。背中を思いきり打った。痛ぇ……!


「っ、大丈夫か?」


「う、うん。今……何したの?」


「とりあえずもう一発右前足に矢を撃って反対の左前足にも矢を突き刺した。さすがにあそこまですれば落ち着くだろ」


抱きかかえた日野の頭をポンポンと撫でつつ獲物への注意も怠らない。両前足を矢で刺されて猪は頭から地面に崩れ落ちていた。牙が地面を抉り、尚も暴れている。タフな奴め、まだ完全には倒れないか。


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