第84話 自然で自然とハイテンション
「さあ着いたぞ若きティーンズよ」
ティーンズとは十代、そりゃ若いだろ。そんなツッコミは言わずに車から降りる。……テンションが上がった。テンションの数値が5、20、50と上がっていく。心の底から何かがうねりを上げ、喉から抜け出て中空へと昇る。鳥肌が立ち、目は見開き、鼻と口は入り込む空気を存分に歓迎している。踏みしめる大地、聞こえる木々と葉の擦れる音。全てが、全てが最高だ。
「ここはキャンプ場だ。若きティーンズはもっと自然と触れ合うべきさ」
心地好い音を奏でる清流、都会とは全く質の違う美味しい空気、目を癒す深緑の森。そこそこ素晴らしい自然が広がっているのだ。トクン、と心臓が跳ぶ。覚醒した本能と血がゆっくりと血管を流れて全身へ染み渡る。爪の先が、髪の毛先が、産毛も犬歯も舌先も何もかもが、歓喜の声を上げて宙へ浮き上がる。なんだこの感覚は。そうだ、これは……森にいた時の感覚だ。森を見て森を思い森と共に生きてきた、あの頃の自分を取り戻したような気分。そして同時に、ただただひたすらに嬉しい。喜びの感情と一緒に沸き立つ高揚感がたまらなく気持ち良い。あ、あ、ああ、
「テリー?」
「しゃおらあああああああああああああああああああああああああ!」
「うわビックリした。え、何テンション上がってるの?」
馬鹿か清水、馬鹿か! 森が目の前にあるんだぞ!? 川が流れているんだぞ!? お前、お前ぇ! この状況、この環境で、興奮しないわけがないだろ。上着を一枚脱いで屈伸運動を始める。ヤバイヤバイ、今すぐに森へ向かえと脳が全力で命令している。止められない欲求、感情。止まる理由なし。人間の世界で腐りかけていたエルフの本能が目を覚ましたのだ。あああもう限界。
「ひゃっほおおおおおおおおおおおおおおおううううう!」
「木宮!? モリオ以上に跳んだよ今! え今あ嘘おい、二段ジャンプした!」
久しぶりに嗅ぐ木々の匂いで目が覚めた。そうだ、俺の居場所はここなんだ。ホームに帰ってきたと言っても過言ではない。森に吸い寄せられるように体は宙を跳んだ。漲るパワー、溢れる感情、抑止力なんて働かない。ただ森の空気に触れたかった。より近く、鼻先を擦りつけるくらい木に接近したい。樹皮にディープキスしたい! その思いが足を動かし、二段ジャンプという人間の物理学では説明出来ない神業を生み出した。以前二段ジャンプくらい出来るとか言ったが実際そんなこと出来るわけないと思っていた。まさか今ここで出来るとは。喜びのあまり筋肉のリミッターが外れかけているみたい。でも関係ない。嗚呼、空気が美味しい。故郷の森とはまではいかないけど十分に癒される。
「森よー! 俺は帰ってきたぞ! 再会を喜び、分かち合おうぜ!」
幹の上に乗り、木々を跳び歩く。これこれ、これこそ至高。本当に幸せ。人間界で汚れた体と心が浄化されていくようだ。目に見えない森のシャワーが汚れを洗い落としてくれる。そうだ、服を脱ごう。全裸で森を駆け巡りたい。生まれた時の姿で森と接したい。揺れる木々の枝に呼応して俺の股間の小枝も揺らしたい。って誰の股間が小枝だっ! ウフフ、一人でボケとツッコミをしちゃうくらい浮かれているようだ。あぁん、自然最高!
正確な時間は分からないけど恐らく十五分は走り回っていたと思う。服は脱いでいないです。さすがに全裸で誰かと会ったら恥ずかしい。全裸散歩は爺さんが召された後の誰もいない故郷の森で実行しよう。今回はやめておく。軽快に地を蹴り、木の葉に触れながら、常に深呼吸。森の香りを満喫しながらキャンプ場へと戻ってきた。聞こえる水の音と皆の話し声。おっ、戻ってこれたみたい。
「あ、テリーやっと帰ってきた」
「木宮、手に抱えているのは何?」
呆れたような表情の清水、こちらを指差す小金。その近くではネイフォンさんが椅子に座って煙草を吸い、姫子はこちらをじっと見つめる。ん、これか。
「森で採った食べれる山菜とかキノコ」
「サラッと言っているけどそれすごいよね! サバイバルでもするつもり!?」
ぎょぎょ、と気持ち悪いくらい目を見開いてツッコミを入れてくる小金。お前はホント元気にツッコミをするよな。生命エネルギーの使い道を間違っていると思う。もっと人間社会に貢献しろ馬鹿クズ変態眼鏡。別にこれくらい普通だろ。こちとら人生の大半を森の中で過ごしてきたんだ。毎日がサバイバルだよある意味。知識と匂いと経験でどれが食べられるかの判断くらい容易だ。ほらこのキノコとか絶対美味しいよ。
「出来たらなー、兎か猪を捕まえ、ってなんだ清水」
「ちょっと面貸しなさい」
小金に返答している途中で清水に口を塞がれる。息が遮断され、少しだけ呼吸が乱れる。なんだよいきなり。そのまま引っ張られて小金達から離れる。つり目で睨みを効かしながら清水が耳元へ顔を近づけてきた。外耳に当たる清水の温い息、ボソボソとした囁き声が変にくすぐったい。
「何興奮してんのよ。エルフだってバレるでしょ」
はあ? 何言っ
「二段ジャンプで森へ跳び込んで、戻ってきたと思ったら十数分足らずで人間では採集しきれないであろう量の山菜を持って、自分が何したか分かってるの?」
えー……なんで俺怒られているんすか。どうやら説教されているみたい。超至近距離でぶつけられる声は怒気がこもっており、表情は不機嫌そうな色味を帯びている。そうピリピリするなって。せっかく遊びに来たんだ、少しくらい自由に動き回ってもいいじゃん。どうせ小金は馬鹿だし、姫子はぼんやりしているから多少のことはバレないさ。それに俺は陸上選手を叔父に持つ人間だぜ? 設定上ね。陸上選手ことネイフォン・ウッドエルフは向こうで目を細めて煙草を吸っている。「あぁ、やはり自然は素敵だね」みたいな微笑みをしている。けどお前煙草吸っているからな。それで自然を満喫していると思っているのか。今すぐ全エルフに謝れ。
「聞いてるの!?」
「おー、痛い痛い。分かったから首絞めるのやめて。地味に痛くてしんどい」
気づいたら清水の腕が首を絞めていた。やめてやめてやめろ、落とすつもりか。失神させるつもりかおいっ。分かったよ、今から気をつけるって。森の中を走り回って気分爽快、大分リフレッシュしたから次からは落ち着いて過ごせると思うよ。だから首絞めるのを直ちにやめておくれ。
「次変なことしたら首絞めるからね」
もう絞めています。
「はあ、痛かった」
ようやく解放されて皆の元へ向かう。綺麗な川がゆっくりと流れている横、そこには謎の機材が置かれている。四角い物体は四本の足で支えられており、上には網が乗っている。足元には『炭 –燃える炎と男の浪漫-』と書かれたダンボール、クーラーボックスやトングの入った袋がある。あれ……この物体、ホームセンターで見たことがあるような。確か、バーベキューセットだったか?
「今からバーベーキューするんだよっ」
「説明ありがとう眼鏡」
「安直なあだ名で僕を呼ばないで!」
へー、なんとなく知っているぜ。火を起こして肉や野菜を焼いて食べる為の機材だろ。ドラマとかで観たよ。こういうのは海辺や河川敷でやるんだよな。お腹も減ってきたし、ちょっと楽しみだ。早く火を起こしてバーベーキューしようぜ。なんで皆固まっているんだよ。おい早く準備しろ眼鏡、と目線で要求する。すると眼鏡が反応する。
「実は今、どうやって火を起こすか考えているんだ」
「あぁ!?」
「そんなにキレる!? だ、だって僕はアウトドア経験皆無で、委員長や寧々姉ちゃんは女の子だし。やり方が分からないんだよ」
泣き顔で反論してくる眼鏡野郎。やり方が分からないって、普通に火を起こせばいいだろうが。なんでそんなことも出来ないんだ。見損なったよ眼鏡。その眼鏡は何の為にあるんだ。役に立たない眼鏡が。炭と一緒に燃やしてやるから寄越せよ。
「さっきから木宮が眼鏡の悪態をついている気がするっ」
使えない馬鹿は無視するとして、というかネイフォンさんは何をしているんだ。あなたは仮にもエルフでしょ。火を起こすことくらい簡単に出来るはず。なんで手を貸してくれないの? 自前で用意したのであろう組み立て式の椅子にどっぷり腰を下ろして半透明の煙を吐くおっさんは「空気がうめぇ~」とかほざいている。何言ってやがる、その指に挟んだ物はなんだ。同族だけどムカつく。同族嫌悪だよ。意味違うけど。
「もこみちさんも手伝ってくださいよ」
「悪いが私はオリーブオイルを高めから振りかけることしかやらない。それに、こーゆーのは君達若者だけでしなくちゃ。何の為のキャンプだい?」
お前の口にオイル流し込んでやろうか。煙と同時に良い風のことを吐き出すネイフォンさん。それっぽいこと言いやがって、これだから大人はズルい。特にエルフの大人はズルい。自分が楽をしたいのに、それを隠蔽して他人に面倒事を押しつける。口だけは達者だから子供は反論出来ないで渋々受け入れるしかない。ちっ、分かったよ。俺らでやればいいんだろ。別に簡単な作業だからいいさ。
「お、木宮やるの? 着火剤と点火棒ならここに……」
ダンボールから炭を取り出して網の下に敷く。まあテキトーでいいか。縦に置けば良い具合に燃えるだろ。次は火種だな。山菜と一緒に木の棒と幹の皮持ってきて良かった。何か燃える物……お、ネイフォンさんのスポーツ新聞がある。
「あれだよね、確か最初は小さな炭を寄せ集めてそこに着火剤を……」
燃えろー、燃えろー。う~ん、久しぶりにするからなかなか火が、っと、点いた。そんなこと思っていたら点いた。数ヶ月していなかったけど意外に忘れていないものなんだな。体で覚えたことってずっと忘れないんだな。あとはこれを炭の下に置いて、まあテキトーに風でも送れば大丈夫だろ。エルフの息吹を食らえ。
「僕だってそれくらいは知っているんだよ。ただ実技経験がなくて怖くて……って、あれ? なんか火点いている? え、え? だって着火剤と点火棒はここに……」
「おーい眼鏡君、もう一本吸いたいからライター貸して」
「……え」
えええええええええええ!?と騒ぎ出す小金。うるせ、黙れよ。火が点いて騒ぐとかお前は野生の動物か。その眼鏡はなんだ、文明を手に入れた人間の証だろうが。文明とは火、すなわちテメーら眼鏡は火を操れる種族だろ。何をそんなに驚いていやがる。少しずつ炭に火が燃え移ってちょっとずつ熱が発生し始めた。もう少し経ったら食材が焼けそうだ。今のうちに食器や食材を準備しておこう。なあ清水、お肉って牛と豚どっちもあるよ、ね……?
「……テリー、さっき言ったこともう忘れたの?」
「痛い痛い痛い! 首締まってる締まってるから! 割とマジで意識飛ぶレベルでガッツリ締まっているからこれ!」
なぜか再び首を絞められて失神しそうになる俺の横で小金が狂ったように叫び、ネイフォンさんが楽しげにこちらを見つめ、姫子はじっと立ったまま無言で俺を眺めているのが視界に映った。も、森の空気が吸いたい……。




