第79話 落ちる髪の毛と何か
「晩ご飯何食べたい?」
「アレ、アレ食いたい。ほら、なんかアレ、米飯炒めたやつ」
「チャーハンね、了解」
学校帰り、家の近くにあるスーパーに清水と一緒に寄る。何の気まぐれか知らないが今日は晩ご飯を作ってくれると言ってくれた清水。遠慮してせっかくの好機を失うのは馬鹿らしいので即頷いてお願いした。やったね、今日の夕飯は手料理を食べられる。ねぎや人参を品定めする清水を品定めしておこう。後ろから見るとこのくせ毛がいかに神秘的なのかよく分かる。サラサラで艶やかな黒髪は毛先数センチのところで見事な曲線を描いている。フックみたいになっている、スティックパンなら何気なく置けそう。以前クラスメイトの話を耳にしたのだが人間界にはヘアーアイロンとかいう髪の毛を真っすぐにしたり曲げたり出来る道具があるらしい。オシャレ女子には必要不可欠な物だとか。いつかそのヘアーアイロンとやらで清水のくせ毛を真っすぐにしてみたいなぁ。
「あと卵とウインナーかな。麻婆豆腐も買わなくちゃ。あとフカヒレスープの素も……そうだ、あんかけチャーハンにしてみよっかな」
「なんか楽しそうだな」
忙しなくスーパー内を移動する清水、その後ろをカゴ持ってついていく俺。次々とカゴの中に材料が放り込まれていく。これだけの品を全て調理するのか。大変そうなのは明々白々。具材を切ったり洗うのだけでもメンド臭そう。だけど清水は嫌そうな顔は一切せず寧ろ楽しげに流行りの歌らしきものを口ずさんでいる。まさに上機嫌と称するのがピッタリと当て嵌まる。機嫌がとても良い。何かあったのか?
「最近料理するのが楽しいんだよねぇ。試行錯誤したり味つけを冒険してみたり、逆に敢えて間違った調味料入れたりさ」
何ちょっと俺の晩餐で冒険しちゃってんの? セオリー通り普段するような味つけで丹精込めて作ってないのかよ。いやでも気づかずにモリモリ食べていたけどさ。
「それにテリー、美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるもん」
「だって実際に美味しいから」
というか人間界の食べ物は大抵美味いし。清水が多少のマッドクッキングしたところで気にしないよ。料理の味判定なんて美味しいorめっちゃ美味しいの二択だろ。
「えへへ、そっか~。じゃあテリーの為に今日は今まで以上に奇天烈なトッピングに挑戦してみよっかな」
まあ食える範囲のやつでお願いします。
あんがかかったチャーハンは絶品、コショウが効いていて食べる手が止まらない。麻婆豆腐という少しピリ辛ながらも味わい深いおかずを頬張りながらチャーハンをかっ込む。チャーハンと麻婆豆腐を口にいっぱいに詰め込み過ぎて苦しくなったところで熱いフカヒレスープを啜り、喉を痛めながら流し込む。ふう、と一息ついて再びチャーハンを食べ、皿を傾けて……美味っ。あっという間に完食してしまった。やっぱチャーハン美味しい。幸せだな~。
「ごちそーさまでした」
「テリーはホント幸せそうにご飯食べるよね。見ていて微笑ましいよ」
お皿を片してすぐさま布団を敷く。あははぁ、このまま寝たい。他人に用意してもらったご飯食らって直後には惰眠を貪る。堕落の極みだ。幸せです。
「そういえばテリー、髪伸びたね」
食後の休憩中に清水がそんなことを言ってきた。髪の毛? 自分の髪を触ると確かにボリュームを感じる。清水の言う通り大分伸びた。ネイフォンさんみたいな質の悪いくせ毛じゃないから伸びても気にはならないけど。
「確かにそうだな」
「鬱陶しいから切りなさい」
「お母さん!?」
いや俺、母がどんな感じか分からないけど。
「てゆーかテリーはいつもどこで髪切ってるのさ」
「森にいる時は爺さんに頼んでいた。こっち来てからはネイフォンさんかな」
実家にいる時は爺さんに切ってもらっていた。他に頼める人いなかったし。人間界に来てからはネイフォンさんにお願いしている。ネイフォンさんの家には切る道具が一式揃ってあるのだ。まだ一回頼んだのみだが。
「髪切るお店あるけど怖くて入れないんだよな~」
人間界には床屋、理髪店、美容院と名称は違えど髪を切り整えるお店が多数ある。身嗜みを重んじる種族なのか、一つの区に美容院がたくさんあってビックリだ。そんな髪切りたいのか。ただ髪を切るだけではなくワックスでヘアーをセットしてくれるらしい。多少なりとも興味があったが、入店は出来なかった。なんか怖かった、すっごく怖い。知らない店に入る恐怖、素性不明の見知らぬ人間に髪を切られる恐怖。恐怖のダブルバーガーだ。齢十五越えたら安全性>好奇心の優先順位になるさ。よって美容院の類には行かず、髪は切らずに放置となった。
「じゃあ私が切ってあげるよ」
「え?」
私が切る? え、何言ってるの。こちらの返事を待たずに棚を開けてハサミやら櫛を取り出した清水。あっれー、僕の家にそんなハサミあったかなー? 全く身に覚えがない、購入した記憶がないのだ。考えられるとしたら以前清水が勝手に冷蔵庫や調理道具等を買い揃えた時、あの時に散髪用のハサミや櫛を買ったのだろう。あーなるほどね、そーゆーことね。……理解はしたけど目の前の光景は認識したくない。ハサミをチョキチョキ、不気味に動かしている清水。怖いんだけど。だ、大丈夫なのか?
「ほらそこ座って。新聞紙は……あ、スポーツ新聞あるじゃん。ネイフォンさんが買ったやつだね」
テキパキと準備をしていく清水。床に新聞紙を広げ、鏡を取り出し、大きな布で俺の首を絞める。完全に切る気満々だ。テーブルに置かれた鏡に映る自分の不安げな顔。せっかくのイケメンフェイスが台無しだ。……後ろでニタリと不気味に歯を見せる清水。出会ってこの方、一番怖い表情だ。ベストオブ嫌な笑み。恐怖と不安を示唆している。人間界で住み始めたことで野生の勘、自然の中で研ぎ澄まされた直感力は多少なりとも衰えた。だが今現在、心の奥底から何かが必死に叫んでいる。激しく蠢き、血管を引き裂くように暴れ回る何か。それはただ危険を知らせていた。奈落の底に沈みかけていた防衛本能、再び目を覚まし現状に対して最大級の警告を発している。第六感ってやつだ。第六の感受性が鏡に映る女はヤバイと告げている。第六感、お前は遊園地の時も注意を呼びかけてくれたよな。あの時は防げなかったけど今回はもっと激しく抵抗してみせるからそこで見ていてくれ。
「嫌だ! だったらお店行く」
「お店だとお金かかるでしょ。ほら動かないで」
抵抗するも時既に遅し。清水の操作するハサミはグパァと大きく開かれて俺の髪を挟んでいた。今暴れると刃先が地肌に当たる恐れがあり、下手に動けない。あ、詰んだ。終わった。怖いので抵抗を止めて全身を硬直させる。
「ふんふ~ん♪」
本当に今日機嫌が良いな。鼻歌混じりに髪を切り始めた。ジョキ、と切断音が聞こえると同時に視界の端に落ちていく茶色の物体を捉える。俺の髪だ。優美で艶やかで逞しい髪がバッサリ落ちていったのだ。新聞紙の上にこんもりと鎮座する髪の毛。…………は!? 一回でそんな切ったの!? ちょ、ちょちょちょ待てーい!
「テメ、おい清水! ワンカットで発生する量じゃないぞ今の」
「動かないで、じゃないと今度は血が落ちるよ」
怖い。俺の肌切りつける気ですか。正気かおい。マズイ、これは非常にマズイ。成績優秀で可愛くて料理も抜群に美味しいパーフェクト寧々ちゃんだが今は危険な臭いしかしない。こいつに散髪を任せてはならない、今の一撃で痛感した。このままでは瞬く間に丸坊主にされてしまう。ふっざけんな小娘、我が一族の高貴なる茶髪を軽々しく削ぐんじゃねぇ。しかし動けない。唯一動かしても危険の少ない口をパクパクさせる。
「清水、お前のことは信頼している。人間で一番頼りになる奴だよ。だからお願い、頼むから手を止めてくれ」
「あ」
あ? え、今……小さな声が後ろから聞こえたんですが。あれ……首筋に何かが伝っている。汗、かな。液体が肌をなぞる感覚が……あ、あああぁあ、あああぁぁぁぁ!?
「ぎゃああああ!? やったな、やったろ、完全にやっただろ! 貫いたなお前!」
「お、落ち着きなよ。ちょっと当たっただけだよ」
そんなわけあるか。今もれなく首筋がチクッと痛いわ! これ完っっっ全にアウトだよな。絶対ヒットしたよね。飛び跳ねて清水から最大限離れる。歯を剥き出しにして威嚇するのも忘れない。恐る恐る手を後頭部の方へと添えると……う、うぅ? なんか濡れてる。見たくない。手の平に付着したものを目視したくない。もぉ~、ほらあ、だから言ったじゃん。なんだよ、二発目で肌に充てるなんて逆にハイセンスだろ。後ろ髪バッサリ切られて、髪の毛じゃない部分を切りつけられて……
「ほらほら、次からは気をつけるから。ね?」
「……ぐすっ、もぉいいよ。放っておいてくれ、あぁ」
涙が出てきた。恐怖と悲しみを抑えきれない。年甲斐もなく涙流して泣く。なんでこんなことになったんだ。俺はただ美味しいご飯食べて今日一日を終えたかったのに。ぐす、ぐす、嫌だよ爺さん。助けて天国の父さん母さん。
「ぁ、ご、ごめんテリー。そんな泣かないでよ」
「うるせ、泣いて、ないだ、ろ」
「ホントにごめんね、もうハサミ持ってないよ」
ハサミを床に置いてこちらへ近づく清水。そのまま俺に抱きついてきた。両手を背中に回して手を頭の上に置いてくる。優しく頭を撫でる清水。温もりが胸元から全身へとじんわり伝わって心臓が落ち着きを取り戻す。うぅ、もう髪の毛切らないで。不安だしお金かかるけどお店で切るから。もしくはネイフォンさんに頼む。安心と信頼のおっさんお願いします。
「私もやり過ぎた、痛かった?」
「もう大丈夫……」
「ごめんね?」
その後もずっと抱きしめてくれる清水。恐怖も和らいで落ち着いて冷静さを取り戻した。なのでちょっと清水の足に手を乗せる。うお、サラサラでスベスベなのにもちっと指に吸いつく。エロ。
「……今日だけは許すけど次やったらまた髪切るよ」
その言葉を聞いて慌てて手をグーにしてまた硬直する俺だった。




