第70話 ウキウキ裏山ピクニック
「あー、のどかだな」
日曜日、また明日から五日連続で学校に通わなくちゃいけないという嫌な現実から逃げるようにして山へ登山した次第だ。昨日は清水と映画観て怖い思いをして、おかげで昨晩はビクビクしてなかなか寝つけなかった。そんな精神の疲れを癒すべくこうして木と葉に囲まれた山に来たのだ。山と言っても樹海広がる巨大な山岳ではなく学校から少し離れた場所にある小さな裏山だ。頂上まで歩いて二十分程度。日当たりが悪くて道も整備されていない、ピクニックにはちょいと不向きなコンディションだ。おまけに今は二月、外は普通に寒い。こんな季節に自然を満喫しようと山へ行く物好きな人間はそうそういないだろう。静かで落ち着ける。両手を広げ、大きく息を吸い込む。肺に満ちる森の空気と匂いがたまらないぜ。あーこれこれ、この空気。人間臭くもなく、木々の枝と葉が揺れる音のみが響く静穏なる世界。ちょっとだけ故郷の森を思い出す。あぁ、もっと早い時期から来れば良かった。ここを第二の癒しスポットとして疲れた時はここに立ち寄ろう。ちなみに第一の癒しスポットは学校の中庭の茂み。森の匂いがかげて幸せ過ぎる、もうハッピー。さーて、コンビニで買ってきたサンドイッチと唐揚げを食べようかな。日曜のお昼、一人でピクニック。なかなか粋じゃないか。ふふっ、いただきまーす。
「あー、のど……あ」
ん? なぜか後ろから足音が聞こえる、そして機嫌の良さそうな鼻歌も聞こえた。振り返れば、一人の女子が立っていた。え、まさか幽霊? とか思って手足の先が震えたが顔を見てその人物が霊じゃないと分かった。黒髪のツインテール、覚えている。忘れるわけがない、だって昨日会ったばかりだから。昨日、電車の中で絡まれていた毒舌吐く女の子が後ろから歩いてきていたのだ。な、ぜ? なぜここに来るし。
「あ、昨日の……服ダサイ人」
「それで覚えんな。お前助けた良い人として覚えとけよ」
「今日はジャージなんですね、ダサイです」
「会話が成立しねぇ!?」
別にジャージでもいいだろうが。山登るのにファッション決めてどーするんだよ。時と場合で着る服を変える、当然だ。昨日はまだ言われてもいいが今は違う、自然を満喫するべく汚れていい格好で来たんだよ。つーか、お前もジャージじゃん。
「ジャージ着ている奴にジャージ批判されたくないんだけど」
「私はいいんです、似合っているから」
なんつー暴論、ビックリして声出なかったわ。アレか、可愛いは正義ってやつか。可愛ければ何でも許されると思うなよ、可愛かったら暴言吐いていいとかそんな決まりないから。可愛いが正義だとするなら俺は清水の理不尽な暴力を受け入れなくてはならない。そんな不条理通ってたまるか。まあ最近はこちらがセクハラ発言とかボケたりするから殴られているから文句はサラサラ言える権利ないけど。それはともかく、確かにこの子のジャージ姿は似合っている。今時風と言うか、ただのジャージじゃなくて着崩してピチピチ感が出ている。ピチピチ感とは服が小さくて肉がギュウギュウって意味ではなく若々しいって意味だ。ギャル、とまでは行かないにしろ普通に若い女の子がオシャレと称して来ているジャージだと思う。同じジャージでもこんなに違うとは。オシャレとはよく分からないものだ。
「別にダサくてもいいだろ。誰にも迷惑かけてないから」
「私が迷惑してます。せっかく自然を満喫しに来たのが台無しです。今すぐ帰ってください」
昨日と斬れ味の変わることない毒舌。電車の中でチャラ男二人に絡まれていたこの子だが、臆することなく堂々と立ち向かっていた。気性が荒いというか怖いもの知らずというか、可愛い顔して言うことはヘビーだった。おまけに男一人を容易に気絶させる手腕の強さも持っている。何この子、ある意味スペック高い。だがそれ以上に異常なのが、ここにいることだ。よくいる女子高生的な雰囲気の乙女が人気のない山に一人で登ってきたのだ。クレイジーだろ。普通なら友達とショッピングやカラオケに行くはず(清水曰く)、だがこの子はせっかくの日曜日を裏山だなんて地味な所へ来た。おかしい、何だこの子。
「というかなんであなたがいるのですか? ここに住んでいるとか?」
そんなわけあるか、ちゃんとアパート住まいだよ。まあ実家はこんな感じのところに建っているけど。
「俺も自然を楽しみに来たんだよ。お互いセンスの良い休日の過ごし方だよな」
「あなたと一緒にしないでください」
へいへい、そうですか。昨日軽く話した程度の、ほぼ初対面の奴とこんな場所で遭遇するとは。漫画やアニメだったらここで「う、運命の出会い!?」とか言うんだろうな。残念だけど俺には姫子と清水のダブルヒロインがいますから、はい。まあどちらも仲の良い友達なだけなんですけどね。このツインテール娘と二日続けて会うことになるなんて思いもしなかったな。悪いけど君に構っている暇はないんだよ。こっちだって貴重な休日を使って木々に囲まれた空気と空間を満喫したいんだ。この子は無視して楽しもう。あー、唐揚げ超美味しい!
「コンビニで買った食べ物なんかでそこまで笑顔になれて幸せ者ですね」
隣の方から何か冷やかしが聞こえるが無視だ無視。若者風に言うならシカトだ。こーゆーのは放置しておくに限る、小金を対処する時と同パターンでオッケー。はいサンドイッチも美味いぃ。
「こんな時はコンビニで買った物よりも自分で作ったお弁当の方が何倍も美味しいんですよ~」
そう言いながら女の子は鞄から小さな箱を取り出した。ん、あれ何……っ!? お、お弁当箱だと? 中には小さくて丸いおにぎりが数個、ウインナーや卵焼き、肉じゃが等々、手作りお弁当を象徴するおかずが敷き詰められていた。おまけに弁当箱とは別に小さなタッパーも用意してフルーツ入れてあるし。フルーツ……ふ、フルーツ!? な、何ということだ。完璧なピクニックスタイルじゃないか。コンビニで買ってきたサンドイッチと唐揚げが途端にチープでちっぽけな存在に見えてきた。い、いかんいかん。惑わされるなテリー、あんなのどうせ見た目だけさ。ぜ、全然美味しくないに決まってらぁ。…………ぁー、でも……美味しそうだな。
「あ~、お弁当美味しい。コンビニの唐揚げの百倍美味しいな~」
「ぐっ、なんつー嫌味。でもその通りな気がする」
ヤバイ、なんだこの圧倒的敗北感は。手に握られた唐揚げが惨めに見えてきた。俺がこの人間界に来てからずっと購入し続けてきた、愛してやまないホットフードなのに、絶大なる信頼を寄せているジューシーな相棒なのに……! 今は隣に蹂躙するお弁当が気になって仕方ない。清水の手料理を知っている分、余計に手作りという響きに心惹かれてしまう。少し分けてもらうか? い、いやそれは駄目だ。こんな口の悪い女に頭を下げて食べ物を分けてもらうなんてエルフの誇りに傷がつく。先祖に顔向けが出来ぬ。俺は誰だ? 今後のエルフを率いる次世代の族長だろうが。そんな偉い奴が人間のガキ相手に弁当分けてくださいだなんて頼めるかよ。意地でもサンドイッチを食らい続けろ、意地でも唐揚げに夢中で食いつけ。それが俺の……やる、べき、こと……
「すみません、サンドイッチ一つあげるんでお弁当少し分けてください」
結果、物々交換という答えに辿り着いた。こ、これは別にいいもんっ。分けてくださいと無償でお願いするのではなくちゃんと要求に見合った品を寄贈する、錬金術師で言う等価交換の法則だ。全は一、一は全。てことで分けてもらおう。出来ればウインナーがいいです。ウインナー所望っ。
「嫌です」
そして断りやがったこのアマ。なんつー野郎だ! このクソガキがぁっ、エルフの次期族長が頭下げて物々交換を申し出とるんじゃい。ちっとは良い返事しろよおいいいぃ。
「これは私が頑張って作ったお弁当なんです。あなたみたいな素性の知れない人に渡したくありません」
そう言って女の子は美味しそうにポテトサラダを口へと運んでいく。あぁ、それすごく美味しそう。サンドイッチ食べている最中なのにお腹が減ってきたチクショー。今日の晩ご飯は清水に来てもらって何か作ってもらおうかな……ぐすん。ん、そういえばこの子の名前を聞いていなかったな。昨日はせっかく助けてあげたのに毒を吐き逃げされて互いに自己紹介出来なかった。まあどうせ一日限りの些細な出会いだったと思っていたがこうして今日も会えたのだ。う、運命!?とまではいかないにしろ多少の縁は感じる。せっかくだし名乗っておくか。勿論偽名の方で。
「そうか、素性を知りたいなら教えてやるよ。俺は木宮照久っていうその辺の高校に通っている生徒だ。よろしく。君の名前は?」
「はあ? 何勝手に爽やかな笑顔で自己紹介しているんですか。聞いてないんですけど」
口の悪さは天下一品だな。もし仮に俺が清水に向かってそんな口のきき方した日にゃ、アイアンクローを食らってからのダイビングエルボーアタックで頭蓋骨粉砕されちゃうぜ。骨が砕けて脳に突き刺さりそう。うげ、想像しただけで気持ち悪い。そして気持ち悪いと目で訴えかけてくる女の子。なんだよマジで、名乗ったら名乗り返せよ。人間の小娘は礼儀がなってないなホント。
「あー、はいはいそぉですか。じゃあ今からお互い無視しような。干渉しないってことで頼むわジャージ娘」
これ以上口で言い合っても時間の無駄だ。せっかくの休日を生意気な女子相手に消費するのは勿体ない。あちらも俺と話すのは嫌みたいだしそれならお互い無関心無干渉を決め込めばいい。空気を楽しもう、普段のやかましい喧噪の世界から離れた休息地で誰にも邪魔されずに癒されようとしたのを忘れたか。手作り弁当を分けてもらえなかったのは悔しいがいつまでも引きずっても仕方ない、切り替えていこう。サンドイッチを頬張って森林の天然水を飲む。これで十分だ。コンビニクオリティ万歳。
「待ってください。ジャージ娘なんてカッコ悪い呼び方しないでください」
「お互い無視しようって言っただろうが。俺がスタートって言ったら開始なジャージ娘。あ、今のスタートはノーカウントだから。はいスタート」
「だからその呼び方しないでください二回も言わせないでください」
はいスタートって言ったじゃん。ルールに則って沈黙に徹してくれよ。あちらも不快そうだから会話ゼロにしようと提案しているのに意外とグイグイ話しかけてくる。何ですか、天邪鬼なんですかあなた。
「私には日野愛梨(ひのあいり)って名前があります。変なあだ名で呼ばないでください」
お前だって俺のこと服ダサイ人って呼んでいたくせに。日野愛梨と名乗った女子はこちらを睨んで卵焼きを食べている。その卵焼き美味しそうだな、少し分けておくれよ。ジト目で不機嫌そうな表情、そんな顔さえしなければ普通に可愛い女の子なのに。毒舌なのが玉に瑕だ。なんで人間界の可愛い女子は皆何かしらの悪い点が付き添っているのやら。清水の暴力性、姫子の無口無表情等々。それが個性であり、それがあるからこそ可愛く見えると言ったらそうなのだけど。アレだな、完璧よりも不完全な方が好きだって原理だな。たぶん。
「あー、のどかだな」
「……こっち向いてください」
「あ? だから喋るなっ、ぶぼぅ!?」
注意しようと振り返れば口の中に何か突っ込まれた。ぶ、ぶぶ!? 何だよッ急に。何しやが……あっ、美味しい。これは卵焼きの甘い味わい。ふんわりと口に広がってとろりと溶けやがる。美味い……えへへー…………はっ!? 何しやがる!
「どうですか美味しいですか木宮照久さん」
「ん、ぁ、ああ美味しいよ」
「そうですかそうでしょうっ。私が作ったのですから当然です」
偉そうに胸を張ってドヤ顔する日野愛梨さん。自慢げだな。確かに美味しいから文句は一つもないけど。卵焼きを咀嚼しながら木々の空気を吸う。この一服最高、超幸せ。




