第63話 バレンタインデー
「お、小金おはよう」
二月中旬、今日も学校へと向かう。この寒い中朝早く起きて登校するのは非常に辛いものがある。猛威を振るう冬の寒気、毛穴すら塞いで防寒したい気分だ。春の季節へと移り変わる三月とは隣り合わせだがまだ春の訪れを感じ取ることは出来ない。昨日も今日も恐らくも明後日も、こうして身を縮めて寒さに耐え忍ぶ日々が続くのだろう。寝ても覚めても第一声目は寒いと呟く毎日。雲一つない青天だというのに気温は上がらず、そうなるとテンションも上がりゃしない。日光が出て暖かそうな空を見て「今日は天気良いな」と心ウキウキ外へ一歩踏み出せば予想を裏切る冷風の舞が肌を切り裂く。いい加減にしてくれよ。こういう寒い日は肉まんが美味しい、とか言うのも飽きてきたからさ。いや肉まんには全然飽きてないけどね。肉まんのジューシーな味を舌で思い出しながら学校へ続く道を歩いていると小金を見つけた。他にも多数の生徒が歩いている中、モブ顔で存在感の薄い小金を発見出来たことは地味にすごいと思う。後ろ姿で発見した、これすごい。肉まんに肉まんのタレを一滴も零すことなく全てかけるくらいの神業ではなかろうか。ちょっと気分が良くなったので声をかけてみることにした。俺からこいつに話しかけることなんて本当に珍しいぞ。どうだ小金、嬉しいだろ。
「ひゃああああああっ!?」
「き、キモ」
声をかけただけで突如悲鳴を上げた小金、とりあえず気持ち悪い。肩を震わせて足腰も微振動させながら二、三歩前進して首だけを半回転させる姿は男女年齢種族問わず不快な気持ちにさせるであろう。何だ今のモーション、時代によっては淘汰されているぞ。キモイのはいつものことだが今日は一段と磨きがかかっている。叫んだ後も手足を痙攣したかのように不規則に動かして挙動不審な小金、何かあったのかよ。
「落ち着け馬鹿、死ね」
「ぷはっあ、あ、なんだ木宮か。お、おおお脅かさないでおくれよ。あと最後さりげなく死ねって言わなかった?」
ようやく目があったと思いきや激しい動悸を抑えきれず口から盛大に息を吐き散らしている。普段の大声ドヤ感満載のウザツッコミや自嘲癖モードの気持ち悪さとは別ベクトルに向いた穏やかな気持ち悪さを発揮しているなー。小金が他人に不快な思いをさせない行為といったら悪の組織から世界救出するくらいなものだ。
「クラスメイトに死ねとか言うわけないだろ。落ち着けって」
「それもそうだね」
「ああ」
「……」
「いやー、今日も寒いな」
「……そこはもう一回死ねって言うのがセオリーでしょ! お約束でしょ!」
一拍置いてツッコミを入れてきやがった。動きが奇抜だったり動揺していると思いきやいつも通りの、いやいつも以上に声を張り上げている。まるで誰かにアピールしているかのようだ。……なんだこいつ。やっぱ話しかけない方が良かったのか。朝から小金に構うのも何気に疲れるし。そうとなれば無視して教室へ向かおうかな。思い立ったらすぐに行動へ移すのがベター、小金を放置して校舎へと向かう。
「ちょいちょい! 待ってよ木宮木宮っ、木宮君!」
そうはさせんぞと言わんばかりに腰回りにしがみついてきた小金。やめろ馬鹿、離れろ。俺にBL要素を植えつけようとするな。名前を連呼して呼び止めようとしている。それ偽名だからな。なんだよさっきから、今日なんか様子がおかしいぞお前。
「どうしたんだよ?」
「木宮、今日が何の日か知っているかい?」
知らない。祝日なら今日学校は休みになり、となると今ここを制服姿で歩いている奴ら全員間抜けの馬鹿野郎になってしまう。よって祝日ではなく、小金がこのような聞き方をするのだから恐らく小金個人に関する何か特別な日なのだと推測する。比較的可能性があるとすれば小金の誕生日。だがそんなこと俺からすれば果てしなくど~でもいい、ネイフォンさんが最近洋モノにハマったという近況報告くらいどうでもいい。日本界人は黒髪や染めた茶髪が多いけど外国人は金髪ばかりで同郷の女性を思い出して懐かしみエロイとのこと。懐かしみエロイってなんだよ。閑話休題、いらぬ話だった。とにかく今日は小金の誕生日だとする。だからどうしたって話だ。
「はいはいハッピーバースデー」
「え、は、ハッピ? 僕の誕生日は十二月だよ?」
じゃあ何だよ。祝日でもなければ誕生日でもない、となると他に何があるのだろうか。俺にはもう分からない。これで小金が「僕が初恋をした日」なんてほざくものなら全身全霊をかけたナックルをお見舞いしてやる。
「木宮、今日は待望のバレンタインデーじゃないか」
「バレンタインデー?」
初めて聞く単語だな。デーってこと、小金が何の日か尋ねてきたことから察するにバレンタインという行事が行われる日なのだろう。人間界に来て半年足らずの俺が日本界全ての行事を把握しているわけじゃないからな。勉強不足の駄目なエルフの為にご教授お願いしてもよろしいでしょうか小金餅吉君。そんな目でイライラと小金を睨みつける。
「なんで僕が睨まれているのかは分からないけど……ゴホン、バレンタインを意識していないなんて君はそれでも男子生徒としての自覚はあるのかね」
「じゃあな先に行ってるわ」
「ちょいちょいちょい!? 待って待って待っておくれ木宮木宮木宮ぁ!」
だから名前連呼するなって。あと抱きつくな。周りの生徒達からヒソヒソ声で囁かれているぞ俺ら!? 皆さん落ち着いて、こいつと俺はそーゆー関係じゃないんでっ。ボーイズなラブとか絶対ありないんで! クソが、なんで朝からこんな誤解を生まなくてはならんのだ。バレンタインデーについては知らないけどBLなら知っているぞ、考えただけで悪寒が走る。人間界以外にも俺には理解し難い世界が数多く存在する、そのうちの一つがそれだ。いくらエルフの森が爺さんだけの寂しい世界だろうと男だらけのむさ苦しい世界でも俺は歪んだ性欲に溺れるつもりはない。だから今すぐ離れろクソ小金餅野郎っ、さっきからしつこいんだよお前。
「ば、バレンタインってのは起源を辿るとローマ帝国やら遡ったり聖ウァレンティヌスが由来しているとか諸説も多々あるんだけど」
「短く説明して」
「簡単に言っちゃうと女子が男子にチョコレートを贈る日なんだ」
チョコ、か。チョコは知っている。茶色の甘いお菓子だ。食べたことはないけど甘くて女子に人気が高く、世界を代表とするメジャーなお菓子。コンビニに行けばお菓子コーナーの半数をチョコ関連の商品で埋まっているくらいだ。チョコレートとは一つの名称に過ぎず、様々な形へと変化する。熱せば液体になり、冷やせば固体になる。舌を転がりとろける甘さに変わりはなく、国民から親しまれている。だが歯を磨かないと虫歯になりやすいという諸刃の剣を有した超火力を誇るお菓子界の特攻隊長だ。とまあそんな情報くらいしか知らないが、バレンタインデーの今日は女子が男子に対してチョコを贈る日だと。なかなか粋な行事だな。贈るってことは勿論タダだ。そうに違いない。無料でチョコがもらえるなんて夢のようじゃないか。無償だよむしょー。対価を支払わずに何を手に入れることは錬金術の法則から外れているが俺は錬金術師じゃないので関係ない。
「近頃では友チョコとか逆チョコとか挙句の果てにはホモチョコなる派生したことになっているけど、基本的に女子が意中の相手に贈るんだ。それは告白と同義にしていい。つまりチョコをもらえた=モテる=超嬉しい!って等式が並ぶってことさ」
「それでモテない=小金=死ねのお前がソワソワしていたわけか」
「あれ? なんか変な等式になってるよそれ。あと今になって死ねって言うんだね! 時間差毒攻撃っ!」
だからやけにテンション上げるな。なるほど、小金が挙動不審でいつも以上に声を張り上げて自分の長所だと思い勘違いしているツッコミを頑張っていたのはそういう事情があったからか。小金の話をまとめると今日は女子が男子にチョコを贈る日。チョコを贈ると同時に好意も贈る、まさに告白をするのにうってつけのイベントみたいだ。普段は気弱で大人しいあの子も今日は頑張っちゃう!的なことが今この学び舎のどこかで発生している可能性もあるってことになる。そんな妄想をしただけで心臓キュンキュンしている俺も小金と遜色ない浮かれ男子の仲間入りを果たしたことになる。確かによくよく周りを見れば男子が心なしかソワソワしている。やけにキリッと精悍な顔つきで軍隊行進のようにカクカクと歩く奴がいれば三歩進む度にポケットから手鏡を取り出して髪型をチェックする奴もいる。中には「あ~、っべぇ今日なんか甘いものが欲しい気分だなぁ今日はなんかやけに~」とかわざとらしく独り言を呟く奴も。それは逆効果しか生まないのでは? 何もスタイルを変えず少し張りきっただけの小金の方がまだマシだ。人間の考えていることは分からないこともあるが今日のバレンタインについては多少なりと理解し得る、男にとって女から好かれるのは本能的に嬉しいことだ。紆余曲折するもののそれは子孫繁栄という生物全てに埋め込まれた本能に関係していることなのだから。
「チョコ欲しいチョコ欲しい……」
呪詛のように呟き始めた小金。おいおい軽くホラーだぞ。朝からおどろおどろしいオーラを発するのをやめろ。ま、とにかく今日がどんな日なのかは分かったよ。俺もチョコもらえたらいいな。タダでもらえる物はとりあえずもらっておこう。拾える物は何でも拾う爺さんと同じ理屈だ。こんなところで血の繋がりを感じようとは。何はともあれ張りきる小金を無視しながら校舎へと入っていく。




