第61話 寝起きドッキリ朝ご飯
「テリー、おはよう」
「……なんでお前は定位置のように跨がってるの」
何やら腹の辺りに布団以外の重みを感じ、寝返りをうてないことに違和感を覚えて目を開けてみればそこには清水がいた。この光景は前にも見た気がする、この感覚も記憶に残っている。自然なノリで俺の上に座っているのは清水、屈託のない笑みを浮かべて楽しげに上体を揺らしている。……ちょ、マジやめて直腸が苦しんでいるから。寝起きの気怠さとのしかかる体重が混合し二重の鎖となって皮膚に食い込んでいく感覚に溺れながらも顔を傾けて枕元に置いてある時計を確認。現在七時半、小鳥のさえずりが外から聞こえてくる。学校がある平日ならもう起きていないといけない時間だ、平日ならね。だが今日は休日だ。学生なら誰もが待ち遠しい至福の一日、普段より起床時間が長引くのも致し方ないことではないだろうか。たまには惰眠を貪りたいさ。それなのに清水よ、その小さな幸せをなぜ奪うんだ。可愛い女の子に座っていただけて感激の極み、次は踏んでくださいみたいなマゾヒストな被虐趣向は持ち合わせていないんでね。即刻直ちにどいてくれ。
「女子が遊び来たんだからもっと喜びなよ~」
「寝起きドッキリ食らってヘラヘラ喜べるわけないだろ。いいからどけよ」
「もぉテリーつまんないなぁ」
しばらく腹の上で騎乗していた清水はようやくどいてくれた。朝から勘弁してくれよ、休日くらい昼まで寝かしてくれ。男尊女卑の旧世代だったら顔面に平然とビンタかましているからな。今の平等世界で良かったな女よ。上体を起こして瞬き数回、状況がよく分からない。目の前にはニコニコと笑いながら部屋のど真ん中で偉そうに鎮座している私服姿の清水寧々。髪の毛を後ろで一つにまとめている。ポニーテールという名の髪型だ。馬の尻尾みたいだからそう名づけられたそうな。普段は毛先で強力にはねている後ろ髪だが今日は結われている為やけに小綺麗に見えて、整ったポニーテールはいつものとは違う印象を受ける。髪型変えただけでこうもガラッと変わるものなのか。普段見慣れた容姿からの変化が新鮮で素晴らしい。……素晴らしいって言っちゃったよ。やめろやめろ清水のことを可愛いとか思っちゃいけないだろ。俺の清水がこんなに可愛いわけがない。まあ俺の、じゃないけど。
「で、なんでここいるの? いつ来た? 鍵閉めていたはずだけど? 窓から入ってきたのか?」
「グイグイ質問くるね。ほら、これ」
清水は微笑みを崩すことなくポケットから鍵を取り出した。あ? 何それ。まさかうちの鍵か。なぜ清水が持っているんだ。それは家主の俺と保護者のネイフォンさんしか所有していないはずだぞ。
「ネイフォンおじさんが作ってくれたの~。いいでしょ、あげないよっ」
「いらねぇよ持ってるから、ここ俺ん家だから」
あの放浪者スタイルの駄目エルフ野郎、他人に合鍵渡すか普通。ネイフォンさんが手引きしたのか。その結果これだ。早朝から押しかけられる事態になった。朝目を覚ますと腹の上に他人が座っているなんてプライベートの侵害甚だ過ぎる。この空間は俺が人間界で安心して過ごせる数少ない場所なんだよ、ザ・憩いの場なんだ。危険の多い未知の世界で生き抜くのに必死な毎日、せめて睡眠だけは満足に取らせてくれ。身も心も緩々のダルダルのズボズボにして安眠惰眠の夢想を楽しませておくれよ。それをお前は奪った、一体全体君は何様なんだ。
「清水よ、お前は通い妻か」
「誰がアンタみたいな生意気エルフの妻なんかになるか。自惚れんなテリー風情が」
うおぉ、朝からヘビーな毒舌どうもありがとう。軽く目眩がしたのは寝起きだからということにしておこう。本当に早朝なんだな、小鳥がチュンチュン鳴いている。あなたがアパートの合鍵を持っていることは分かった。じゃあ次の質問に行きましょう、なんで来たの?
「休日くらいゆっくり寝かせろよ」
「そんなことだろうと思った。ほら早く布団片付けて、朝ご飯作るから」
え、朝ご飯?
「いやコンビニで買うから」
「それじゃあ栄養偏るでしょ、私が作ってあげようっ」
そう言うと清水は鞄から色々と取り出し始めた。お米や卵とベーコン、野菜等々。その収容量何なの?と半ギレで問いたくなる数の食材が出てきた。え……ま、まさか清水、
「朝ご飯作ってくれるの!?」
「だからそう言ってるじゃん」
それは嬉しい。寝起きを強襲されて不機嫌だったけど一気に逆ベクトルの方向へテンションが移動したよ。朝早くから来やがってこの野郎、両足揉み揉みしてやろうかと思っていたけど今では感謝感激雨霰の至りだ。毎日朝の運動がてらコンビニでおにぎりを買うだけの日々だったから手作りの朝食なんて久方ぶりだ……。あ、涙出そう。人間界に来てから不安と恐怖という材料でしか泣いてこなかったのに今回初めて嬉し泣きで泣きそうだ。
「清水って料理出来るのか?」
「簡単なものしか作れないよ、って社交辞令程度に言っておこうかな。台所借りるね」
どうぞどうぞご自由に。文句なんて言える身分ではございません。清水は鞄からエプロンを取り出すと慣れた手つきで着ている。薄い水色がベースで白の水玉が散りばめられたシンプルで可愛らしいエプロン、身に纏った清水はいつもとは違う印象を受けた。しっとりと落ち着いた、眺めているだけで温かい安心感が心の底から満ちていくような感覚。今までに感じたことのない気持ちだ。こ、これが恋なのか?いやそれとはまた違う気がする。なんだろ、これ。心癒す謎の思いはともかく、清水のエプロン姿はとても似合っていた。フワリとエプロンを翻しながら微笑む姿は繊細儚げなのに優美であり、清楚な綺麗さを持つ。まるで極彩艶やかに咲く花が透き通る銀色の硝子花瓶に生けられたようだ。普段あれだけ活発でうるさい奴が布一枚装備するだけでこうも印象が変わるとは。服装って大事なんだな、また一つ賢くなったよ。ポニーテールの髪型も似合っており、うなじが色っぽく感じられる。セクシーとまではいかないにしろ十分な可憐さと色気が合わさって見ていて飽きない。もうずっとポニーテールにしてなよ。
「じゃーまずはお米を炊かないと。テリー、炊飯器は?」
「え、ないよ」
「……はい?」
炊飯器とは、日本界に住む人間が主食として食らっているお米を炊くことが出来る機械のことである。米と水を入れてスイッチ一つで炊き上がる魔法の鍋だ。炊き上がったお米は熱く情熱的でそれだけで腹を満たせるぐらい美味しい。炊き立ての米と醤油で永遠に食べ続けることが出来るのは当たり前だと思えるのは決して詭弁でも妄言でもないはず。だからこそ我が家にも一台欲しい代物だ。毎朝お米炊いて毎日おにぎり握ってやるさ。でも生憎まだ持っていなくてね。購入しようと思えば一応買える金額ではあるが所詮使う頻度は少ない。よって買う必要なしだ。あと買うのなんかもったいない。お米を買うのも面倒だし、スーパーで見たことあるけどかなりの値段になる。あと買うのなんかもったいない。炊飯器購入を断念するのに追撃をかけたわけで。つまり俺ん家に炊飯器はない。ってことでオッケーすか清水さん?
「いやいやテリー君? お米炊けないと私の朝食プランが崩壊するんだけど」
「俺がお前の計画を予期して布団の中で待ち構えていたとでも? そんなわけないだろ。ばーか」
「……」
「あ、ごめん、ごめんなさいっ。無言で拳を振り上げないで!」
すごい顔になってるよ清水さん! 拳をグーにしてニコニコしないで。微笑みを浮かべてはいるけど目が全然笑ってない。黒い笑顔とはこのことか!?
「はぁ、もういいよ。コンビニでインスタントご飯買うから。じゃあ味噌汁作るね。テリー、鍋どこあるの?」
「ないよ」
「……あ?」
鍋ってアレでしょ、鍋ね。ネイフォンさんの家で見たことあるよ。それも我が家には置いておりません。
「……お味噌汁作れないじゃん。え、何この家? フライパンはさすがにあるよね、ベーコンエッグ作りたいんだけど」
「ないです」
「……」
「痛い痛い! グーで殴らないでっ」
人間界に来て、こちらの生活も慣れて快適に過ごせるようになってきた。衣食住の大事さはエルフの森でも人間の国でも変わらない。まず衣は品が多くて安さが売りの服屋『いまむら』で揃えばいいし、住もこうしてアパートを一室借りているので大丈夫だ。まあ清水が鍵を手に入れやがったので安心した住居ではなくなってしまったけど。そして食について。これに関してはお弁当屋さんで数多くのお弁当を頼むことが出来て味に飽きることなく毎日食べることが出来る。そして二十四時間営業しているコンビニに行けばラインアップ豊富な千差万別の食べ物飲み物が選び放題だ。特にホットスナックはこの寒い時期には大変ありがたい。だから食も非常に充実しております。
「調理道具全然ないくせに何言ってるの? この駄目エルフが」
まさかその台詞を言う立場から言われる側になろうとは。わざわざ朝早くから朝ご飯を作りに食材持ってやって来た清水。しかし俺の部屋にまともな調理道具はない。お米を炊いてお味噌汁やベーコンエッグを作ってあげるつもりだったようだが残念でしたね。料理なんてしたことがない。
「せっかく手料理振る舞おうと思ったのに結局コンビニのおにぎりになっちゃったじゃん」
「まあまあそう言うなよ。コンビニのおにぎり超美味しいだろ?」
「ドヤ顔で偉そうに言うなクソエルフ」
うちにまともな家電機器があると思ったら大間違いだぞ。フライパンや炊飯器のない一般家庭の水準を大きく下回る我が城に唯一あるのが洗濯機だけだ。ここを新たな根城として引っ越してきた時にネイフォンさんが買ってくれた。衣服を洗うのに大変重宝している。これ便利だよねー。そしてそれ以外に家電機器はない。テレビ、そんなものあるなら森に持って帰る。冷蔵庫、特に冷やしたいものがない。電子レンジ、ちょっと欲しいけど我慢。どうせここには長期間住み続ける予定はない。そのうち森へ帰るのだ。フライパンや炊飯器を買ったところでエルフの森で使う機会は恐らくない。まあ発電機は最終的に買うから森でも電化製品は使えるといえば使える。しかし冷蔵庫なんてデカイ物体を背負って森まで歩いて帰る気はサラサラないから大多数の荷物は捨ててしまう予定だ。人間界の道具を使うことを前提とした調理方法なんて覚えても仕方ない、よって今後も料理をすることはないってことだ。
「さらに偉そうに言わせてもらうなら清水は何度かうちに来たことあるだろ。その時に冷蔵庫や調理器具がないことに気づくべきだったな」
「汚い部屋だから極力見ないようにしようとしていたのが仇になったなー」
不機嫌そうにおにぎりを頬張りながら清水はそう言った。いや待て、この部屋汚くないだろ。ちゃんと掃除しているぞ。どうも先程から多少お怒りのようだ。朝ご飯を作ってあげようと朝早く起きてわざわざ部屋を訪ねたのにこちらの道具準備不足で断念されたのだから機嫌を損ねてしまうのは理解出来るが。そんな怒るなよ~、何度か俺の部屋には来たことあるだろ。その時に確認しておかなかった清水にも落ち度があると思う。冷蔵庫ない時点でお察しでしょ。
「まあ俺も清水の手料理は食べてみたいよ。コンビニのおにぎりも美味しいけど以前清水が作ってきてくれたおにぎりの方が数倍美味しかったから」
「っ……どしたの、テリー。急にそんなこと言いだして。いつそんな上手い機嫌取りの仕方なんて覚えたの」
別に機嫌取りをしたつもりはないぞ。本心だよ本心、嘘偽りのない本音を奏でただけさ。
「……あー、もう、テリーってそういうところが……もう、アレなんだから……」
「あ? なんか言ったか?」
「何も言ってないよ馬鹿エルフ君♪」
「痛っ、また殴ったな!?」
清水から謎の暴力を受けながら休日の午前は過ぎていった。




