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第43話 過酷なティッシュ配り

「ティッシュどうぞー」


本日は土曜日、一月新年の匂いがまだ残る中ひたすらポケットティッシュをひたすら配り続ける。なぜかって? バイトだからだ。駅前の広場、大勢の人間が行き交う場所で大量のポケットティッシュが入った鞄を手に持ち、もう片方の手でひたすらひたすらひたす~ら人間に配り届ける。これがこのバイトの全てだ。


「ティッシュどうぞー……」


スーツ姿の男性や女性、若い男女のカップル、熟年夫婦や家族連れのあらゆる年齢の人間が駅から溢れ出てきてそれと同じ数の人間が駅の中へと入っていく。その交差点部分でひたすらひたすらひたすっらひたす~ら笑顔で配り続ける。この苦しみ! 今すぐにでも嘔吐してポケットティッシュで口を拭いたい、それくらい気分が悪い。俺は元から大衆が苦手なんだよ。特にこんな都心部なんて一秒たりとも居たくない。数えきれない人間が歩く音、臭い、熱気、全てが体に纏わりつき鼻の穴から侵入して外部と内部から全身を腐らせていく。視覚も聴覚も嗅覚も、どれもこれも不快感を煽る一方だ。


「て、ティッシュどうぞー」


おまけに半数の人間がティッシュを受け取ってくれない。受け取ってくれない、ない! 取ってくれる人間も大体が雑に受け取る奴ばかり。こっちは親身になって笑顔を絶やさず配っているのに、なんだこいつら。ストレスが時間の経過と共に怒りへと昇華して腸の中を渦巻いている。うねるように腹をのたうち回って熱が発生。爆発しそうな感情の限界を吐き出す為に深呼吸して吐く息の熱風が全てを物語っている。なぜ高貴で尊い存在であるエルフがこんな真似をしなくちゃいけないんだ。それ言うと本末転倒だけど言わせてくれ。こんな休日の真っ昼間から駅前広場で文句も言わず延々とポケットティッシュを配るこの苦行、この辛さ、お金の為とはいえ仕事選び間違えたかもしれない。


「……ど、うぞ」


あー……あー…………あーぁーあー、ああぁぁ! もう嫌だ!











「お疲れ様、また夕方よろしくね」


「……はい」


やっと終わってお偉いさんの人間から休憩していいと言われた。その場では作り笑顔を保ったまま逃げるように這いずって近くの喫茶店に入る。店内の一番端っこ、人間が最も少ないスペースに潜り込んだ瞬間、テーブルに突っ伏す。も、もう無理だ。これ以上は死んでしまう……。逃げこんだ喫茶店の中も十分に人間で埋まっているが駅前の戦場よりはマシだ。し、死ぬ。森の匂いが恋しい。お水を持ってきた店員さんが困ったように俺の横を右往左往している気配を感じるが関係ない。放って置いてください、お願い頼むから。もう人間と接する気力は微塵も残っちゃいないんだ。はぁ……ティッシュ配りの短期バイトがここまで辛いものだとは想像していなかった。人間界にやって来て三ヶ月目、遂にバイトを始めた。目的は印天堂65の入手及びエルフの森で65がプレイ出来るよう周辺機器も合わせて揃えること。その為に何が必要か、金だ。衣食住あらゆるもの全てが金で成り立っている人間界、何をするにしてもお金がいる惨めで汚い世界。学歴もなく人間界の常識も全ては把握していない俺が金を稼ぐ方法はアルバイトしかない。数少ない知り合いに聞いて色々と調べているうちに『簡単! 初アルバイトの方にお勧め!』と書かれた求人情報を見つけた。それがこのティッシュを配るバイト。仕事内容は歩く通行人にポケットティッシュを配る、これのみ。馬鹿でも賢いエルフでも出来る簡単なお仕事だ。人間相手に何かするのは嫌だけどまあ金入るならいいか、と思って軽い気持ちで安易に応募して採用されて今日がバイト初日、予想を遥かに上回る気持ち悪さだった。人間が傍を通る度に笑顔でポケットティッシュを渡す、この作業を延々と繰り返すのみ。十分に一回の頻度なら我慢してやるけど休日の駅前広場で人間の波が止むわけがなく常に笑顔で常に渡さなければならない。ずっとだ、ずーっとだ。どこを見ても人間の顔、顔、顔、顔。人間が多過ぎて吐き気が止まらなかった、いつ吐いてやろうかありもしないタイミングを計っていたくらいさ。なんならいっそ楽になろうと自ら指を喉に突っ込んで全てを解放したい自殺願望に似た衝動が駆け巡っていたよ。数時間の労働がやっと終わって今は休憩時間、恐らく三十分くらいかな。休憩終わったらまた同じ作業を二時間程続けないといけ……うっぷ、想像しただけで吐きそうだ。無理無理、もう気力が持たないって。


「あ、あの……ご注文は」


まだ店員さんいたのか。別に何もいらないです、お水があれば今は大丈夫です。はあ、仕事間違えたな……もう帰りたい。


「チョコパフェとメロンソーダください。あとこの人大丈夫なんで」


ん? この声は……あいつか。突っ伏した頭を上げれば店員さんが分かりましたと一礼して立ち去るところだった。代わりに目の前の席に座ったのは、


「やっほー、お疲れ」


「清水か……」


清水寧々、この人間界で数少ない知り合いの一人であり俺がエルフだと知っている人物。俺がさっきまで着ていた青色のウインドブレーカーと同じ物を手に持っており、どことなく清々しい表情をしている。清水もポケットティッシュを配り終えた後なのだろう。なぜかって? 清水も同じバイトをしているからだ。採用されて来週の土曜からバイトするんだぜぇ、と自慢したら清水も同じバイトをすると言い出した。私でもしたことないバイト経験をテリーにさせるわけにはいかないとかブーブー文句垂れて同じバイトに応募して、そして即採用されて俺の初出勤日と同じ日にバイト入るという荒業を成しやがった。さっきまで同じ広場で一緒になって配っていたけど、清水の方はあまり嫌そうな様子じゃない。寧ろ爽やかに微笑みを浮かべている。おうおうなんだその顔は。


「テリー死にかけているね」


「当たり前だろ、人間だらけで精神崩壊するかと思ったぞ」


「そんなに辛い? 私はティッシュ配り楽しかったよ」


た、の、し、ぃ~? この拷問のどこが楽しいだと? 気でも狂ったか清水。あれか、初めてのバイトで緊張しちゃうし分からないことや嫌なことばかりで涙ぐんだこともあったけど私は仲間とこの職場で働く喜びを見つけて今はとても充実してますっ、とか言うのかテメー。労働の楽しさ見つけましたみたいな顔しちゃってさー。お前みたいな奴を夢希望溢れる若者って言うんだよ。この社会適合者が。俺? この人間界においては社会不適合者かもしれない、けどエルフだから関係ないもんね。狩りと栽培が出来れば生きていける。電車に乗れなくてもゲーム買わなくてもバイトしなくても生きていける、簡単なことだ。ああ、森に帰りたい。


「もう嫌だぁ、バイトしんどい」


「こういう仕事だって最初から分かっていたでしょ。なんでこのバイトに応募したのよ?」


呆れたようにパフェを食べる清水。何それ、美味しそう。違うんだよもっと楽なバイトだと思っていたんだ。予想以上のシビアさ、人の多さ、全てが想定外。商品の袋によく書かれている『※写真はイメージです』みたいな感じだ。描いていた仕事とは遠くかけ離れて寧ろ裏切られた気分。何が『簡単! 初アルバイトの方にお勧め!』だよ、嘘の求人広告書きやがって。騙された憐れな青年がここで死にかけているぞ。ここまで人間が多い場所で配るとは思わなかった。どこか遠くの荒んだ商店街で徘徊するジジイババアに渡す程度の楽なアルバイトじゃなかった。坊や偉いね、黒糖胡麻飴あげようとかじゃなかった。


「夕方はまた人増えるから頑張らないといけないよ」


「もう無理だって死ぬって。あれだけ人間が多いと一人くらい殺人犯がいるんじゃないのか? 死ぬ前に殺されちゃうよ、もしくは殺される前に死ぬ。ああ駅前で盛大に吐き散らすんだろうなぁ……」


「邪推しないで、きっとテリーもバイトが楽しくなるよ。ほら、休憩終わるよ。行こう」


そうだといいんだけどな。











「清水……俺は、もう……駄目だ」


「何言ってるの、バイト終わったよ」


夕方からも再びティッシュ配りに没頭、熱中、楽しく頑張った。……いやすいません、嘘です。全然没頭も熱中もしてないし楽しく頑張れていない。徐々に気温も下がって寒くなるが人間は増えて気持ちの悪い熱気が増す一方。西日が差し込んで眩しいわ、人間多いわ、なぜか知らない女子高生数人から声かけられたり、人間多いし、人間多いし! 耐えに耐えて現在六時過ぎ、やっと終わりを迎えた……。


「屍はあの森に埋めてくれ」


「あの森ってエルフの森? なんで私がそんな辺境にまで骨を埋めに行かないといけないのよ。ほら立って」


バイトが終わってちゃんとお偉い人に挨拶、専用の上着を返却した後今日の働いた分のバイト代を頂いた。その額なんと驚愕の六千円なり。おにぎりセットを二十四個帰る金額だ。労働のキツさに見合った金額だと思う。バイト代もらえた時は嬉しかったけど今になって精神的疲労が襲ってきて当分は立てそうにない。今は駅から少し離れた位置のベンチに寝そべって気力回復を促している。


「森、草、何かしらの葉っぱ……新鮮な空気が欲しい」


「いつまで寝てるのさ。もう帰ろうよ」


「無理、起きれない」


というか清水は元気そうだな。精神的辛さが滲み出たバイトだが、それに加えて意外と体力も使う。何気に合わせれば五時間もずっと立ちっぱなしでティッシュを配っていたから足の疲労も溜まっているはず。俺的には平気だけど清水は女子だ、キツかったのでは? いやでも清水は頭蓋骨を握り潰すゴリラパワー搭載だから体力には自信があるのかも。今これを言うと確実に殴られるので絶対に言わない。精神ダメージで意識が朦朧としているのにこれ以上傷を負うわけにはいかないんだ。


「タクシー使って帰ろうぜ」


「せっかくのバイト代が台無しでしょ、いいから早く立ちなさい」


「……立てない」


「世話のかかるエルフだなぁ。ほら、手」


すると清水が手を差し伸べてきた。なんだよ、ご自慢の握力で俺の手を握り潰すつもりですか。


「あ、起こしてくれるのね」


「なんだよ思ったのよ」


いや別に。清水に引っ張られて起き上がることに成功。途端に立ちくらみが襲う。寝ていた状態から起き上がって気持ちが悪いってことじゃない、未だに駅前で大勢の人間が群がっているのを見て気分が悪くなっただけだ。あ、ヤバ、倒れそう。重心が崩れて視界が大きく傾いていく……


「わっ、ちょ!? テリーちゃんと立ってよ!」


「ご、ごめん」


後頭部から地面に落ちかけたが清水が支えてくれたおかげで倒れずに済んだ。素早く脇の方へ回り込んで腕を回してくれた清水。すいません、僕もう一人じゃ立てそうにないです。


「ホントにごめん」


「もう……別にいいよ、私疲れてないし」


そう言って清水は文句もアイアンクローもなく支えてくれる。ホントに申し訳ないよ。ごめんね、抱きつく形になっちゃって。清水が同じバイトに応募してくれなかったら今頃ベンチで寝そべったまま夜まで爆睡していただろう。全体重を預けるのは男として恥ずかしい、自力でも立てるようなんとかして気力を振り絞る。


「清水」


「何?」


「なんか良い匂いする」


「離れろ馬鹿!」


突き飛ばされた。畜生がぁ、出たな気分屋。思いきり突き飛ばされて体勢を保てるわけがなく勢いに押されたまま地面へと倒れる。痛っ、背骨がぁ。


「ほら行くよ変態エルフ」


「て、手を貸して」


「嫌」


無視してスタスタと歩いていく清水。お、お願い助けて。一人じゃ歩けないのよぉ。必死になって手をかざすが、清水姉さんはこちらを一切振り返ることなく駅に向かって直進していく。……いつまでもここで突っ伏しているわけにはいかないか。まるで俺が伏せて女性のスカートの中を覗こうとしている風に勘違いされるかも分からん。警察のお世話にはなりたくない、だってあいつらなんか威圧的で怖い。……バイトって辛いんだな。というか金を稼ぐって大変だな。今日あれだけ精神削って配り続けて手に入ったのは六千円。これを七回してようやく毎月ネイフォンさんが仕送りでくれる金額へと到達する。キツイな……とりあえず分かったのはもうこのティッシュ配りのアルバイトは絶対にしないってことだ。二度とするかこんなバイト。


「あ、テリー。明日も同じ時間であるから明日もよろしくね」


「……マジで」


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