第39話 ふよふよで大きな双丘
「このっ、くそっ、おらぁ! 死ねモリオおおぉぉぉ!」
「……照久、うち神社だからそういった危ない発言は控えて」
渇いた地面を蹴り、亀裂が走る前に空へと駆ける。崩れる地、荒れる風、震え揺れる空気の振動を身に纏って拳をひたすら前へと突く。他の存在を否定するかの如く全てを裂く拳、赤き衣を翻して空を舞う姿は配管工としてのパフォーマンスを越えている。トレードマークの口髭をしならせてモリオは火の玉と己の拳と蹴りを放つ、がそれら全てを躱され防御する褐色の服を着たモリオ。激しい攻防の応戦、互いの攻撃を避けて反撃に転ずる、そしてその繰り返し。吹き荒れる荒野での決闘を経て相手を場外へと吹き飛ばしたのは……モリオだった。いやまあ俺の選択キャラも相手の選択キャラもモリオなんだけどさ。吹き飛んだのは俺の方、伝統の赤いユニフォームを着た正統派タイプのモリオは茶色の偽物モリオの連撃に耐えきれずに空中へと吹き飛ばされて操作不能状態。なんとかして空中ジャンプで復帰しようとしたがそれを読んで相手モリオは既に着地地点で構えていた。十数年前のゲーム、現在発売される高画質ゲームに比べたら圧倒的に画質が悪いのだがそれでも俺には見えたような気がした。茶色モリオがニヤリとほくそ笑んで拳を振るうその瞬間を。
「また負けかよ……やっぱネトスマの実力は半端じゃないな」
勝者は相手、本名も顔も知らない奴だ。ネットだもの、探しようがない。姫子の家に遊びに来ていつも通り姫子と対戦を続けていたがどう頑張っても勝てる気がせず、ちょっと気分転換にネトスマをやってみることにしたわけで。ネトスマとはネットスマッシュビクトリーズの略称で、家庭用ゲームの大乱闘スマッシュビクトリーズをネット環境に接続してオンライン対応したものだ。これによって日本界全国のあらゆる人間との対戦を可能にした。友達同士で和気あいあいと楽しく遊ぶスマビクの枠から飛び出し、限界まで技術を磨いた強者が手加減なしの本気で決闘する修羅の世界だ。世間はガチ勢、廃人、もうどうしようもない、等と呼ばれて畏怖されている。一対一の真剣勝負、ゲーム名の大乱闘なんて関係ない。コンピューターレベル9相手にようやく勝てるようになった俺なんかじゃ太刀打ち出来ないよな、奴らは発売から十数年経ったゲームを今でも日々やり続けているのだから。ネトスマをプレイ出来る環境を揃えている姫子も当然ネトスマ歴戦の猛者だ。さっき見本プレイを見せてもらった時に姫子の対戦を目にしたが、まあ強かった。相手だって相当強いはずなのに姫子は与えられた四機を一つも減らすことなく完封勝利。それ見て俺でも勝てるかもとか思って挑んでみたが連戦連敗、完敗の一言に尽きる。どいつもこいつも強過ぎるんだよぉ、同じキャラ使って負けるなんて屈辱以外の何物でもない。言い訳出来ないもの、同じ性能のキャラクターだから。
「もう一回やる?」
「当たり前だ次は勝ってやる!」
意気込みだけは一人前とでも言っておこうか、口で言うのは簡単さ。比較的狭いステージで特に障害のないポポポランドでアイテムなしのストック制残機4のタイマンバトル、己の力量のみが勝敗を決する。そうなるとまあ勝てないですわなー……レディゴーと開戦の合図から数分足らずで全機消滅した。強い、強過ぎるって。何がヤバイかと言えば一度コンボにハマると自力じゃ抜け出せないのだ。どれだけコントローラーのボタンを連打しようともモリオが何かアクションを起こせるわけでもなく無慈悲にダメージ値が増えていくのみ。そしてフィニッシュの強攻撃で天空へと昇天、キランと星になるモリオ。最後なんてコンボから抜け出せないと分かっているからコントローラー放棄したよ。はあーあーあー、やる気削がれた。恐らく日本界のどこかで俺と同じ画面を見ている奴がいるんだろうな。恐らく今頃「うっは、初心者乙(笑)」とか言っているのか……クソぉ、実際のリアルファイトだったらお前なんて瞬殺だぞ。
「疲れた。次は姫子がやってみてよ」
「分かった」
絶対に勝てない勝負に挑み続けることは精神的にも参る。気力が回復する兆しがないので姫子へバトンタッチ。俺の代わりとして姫子にプレイしてもらうことに。良い機会だな、ちょっと姫子のプレイを見てみよう。いつも戦う時は自分自身の操作で精一杯だから姫子のプレイングを見ることは全然ない。どのようにして操作しているのか、指の動きと目の動き、じっくりと見ることで何か掴めるかもしれない。すんなりと対戦相手も見つかり、早速バトル開始。
「相手はイエスか。なかなか珍しいんじゃない?」
赤と紫のキャップを被った短パンがトレードマークの少年イエス。さらには紫と黄色の縞々シャツを着ている逸脱した奇センスの持ち主。ネットに書かれている情報によると優しくて勇敢な性格の持ち主で一見ごく普通の少年に見えて実は超能力を持っているイエス君。ちなみにイエスって名前は印天堂エンタテイメントシステムの略が由来らしい。どうでもいい補足情報です。スマビクでは隠しキャラとして登場、ヤッシー以上にクセのある動きで相手を翻弄するそうな。強力な投げ技、ステップ速度は全キャラのうち三番目に速く、また超能力の一つであるOKサンダーを自分自身に当てて移動する。トリッキーな性能が魅力のキャラクターだ。家庭用スマビクにおいてはOKサンダーアタックの強力な攻撃で大乱闘している他のキャラを一掃するという鬼畜的強さを発揮し、タイマン勝負でも出の速いOKファイヤー繰り出しからの投げ技である程度のダメージを与えることが可能。使えるようになれば相当に強い、だがそれは家庭用スマビクでの話だ。ガチ勢ネトスマにおいてネスはそのクセある動きで使用者はあまりいない。理由として復帰力が乏しいからだ。大乱闘では複数の相手を吹き飛ばせるOKサンダーアタック、しかし一体一のネトスマでは隙を作るだけの当たりもしない大技として朽ちている。圧倒的復帰力の弱さ、それがイエスの弱点だ。そんな使いにくさ抜群のイエスを敢えて使用するとは、対戦相手は腕に自信があるようだな。俺なら勝てないだろう。だが姫子は違う。
「……」
「うおおお、イエスが飛んでいく」
素早い足技で牽制を入れつつ距離を測るイエス、しかし姫子のブービィがそんなこと知らねぇと言わんばかりの強行突破。一瞬にしてイエスに近づき攻撃を開始、次々と決まっていくコンボと増えていく相手のダメージ値。一度空中へ突き落せばもう勝負は決まったも同然、復帰力の弱いイエスに対してブービィが全キャラ屈指の復帰力。くるくると回りながら足蹴りを放ち続けてイエスを奈落の底へと突き落とす。そして自分はちゃっかりフワフワと浮上して地上に復帰。おまけにイエスを一機撃退に要したダメージはなし、0%のノーダメージで倒したのだ。つ、強い。予選大会でも十分に分かってはいたけどこれはあまりにも強過ぎる。上には上がいるって言葉があるがそれがしっくりくる。なんという圧倒的実力、イエス使いが赤子のようじゃないか。このイエスが赤子だとしたら俺なんて胎児レベルの弱さになってしまう、いや生を受けてすらいない状態だ。おたまじゃくしだ。漁火姫子、恐るべし。……いやいや、何を感心しているんだ俺は。そうじゃなくて、だからこそ姫子の動きを観察するべきだろうが。一体この小さな体のどこにこれだけの動きを生む秘訣があるのか。呆けて画面を見ている場合じゃない、ちゃんと姫子の技術を盗まなくてはいけない。その答えが記されている場所は姫子の手の中、ボタンをどのようにして入力しているか指の動きを観察してみよう。
「わー、強いなー姫子はー」
驚きの声を上げながらさりげなく姫子の後ろへと回り込む。横からだと姫子のプレイングに支障をきたすかもしれないので。椅子に座ってプレイしているので上から覗き込むようにして見れば後ろからでもコントローラーが見えるはず。さてさて一体どんな風に動かしているのか……。えーっと…………っ!?
激震が走った、思わず空白を空けてしまうくらいに。血流がいつもの二倍の速さで流れるのが手に取るように分かる、勢いよく血管を動き回って爪の先や髪の毛にまで血を巡らせているみたいに全身が熱を帯びてくる。目が血走り呼吸が荒くなるのを止められない。思わず息を飲んでしまった。といった過剰な表現をしているがそれ程に姫子の指の動きが凄いとかとんでもないコントローラーの握り方をしていたとかではなく、つーか視線はそこには向かってなかった。
「ま、マジか……!」
指の方は見ずに眼球が捉えている先とは……まあ、そのー……。いやさ、このさ、後ろから見下ろす角度だと姫子の様子が真正面から見るのとは別でして。正面から見てもよく分からないものが横から見るとすごく分かりやすいってことがよくあると思う、うんそう思う。例えばとある膨らみがあるとしよう、それは正面から見てもよく分からないが視点を変えて横から見ると凹凸の差がよく分かる、そんなことだ。何が言いたいのか、はっきり言えないけど……その……む、胸が。正面からだと見えない線が見えるんですよ、この位置からだと。コントローラーを握る手の手前、とある物体が立ち塞がって姫子の手が見えないではないか。でっぱりが大きくてコントローラーが見えない。驚愕だ、思わず戦慄したよ。あれ……なんか、そんなに大きかったっけ? いやいや、普段から凝視していたわけじゃないし冬の厚着だとよく分からなかったけど、そんなに……でしたっけ? 一度ショッピングモールにご飯を食べに行った時、姫子がナンパされたことがあった。ナンパ野郎が怖くて俺の腕にしがみついた姫子、その時腕に柔らかいものが当たっているなぁと興奮に似た驚きを感じたことはあったけどまさかここまで大きいとは。おまけに今日はなぜか薄着の姫子、胸元がいつもよりちょっぴり開いているタイプの服を着ている。そ、そのせいで……あの、ここの位置だと谷間というものがくっきりと見えて……つーか大きさの全貌がはっきりと分かる。あ、あれ? こんなにも圧倒的存在だったのか……!? 今まで全く気づかなかった。ご、ごふっ!? お、おまけに……おまけにぃ! 時たま激しくコントローラーを操作しているせいか、揺れることがある。たぷん、と波打って小さく揺れているぅ! アングルの良さと薄着のおかげで形がよく分かる、大きい。あぁ柔らかそう。ヤバイ、コントローラー捌きを観察しに来たらとんでもないものと遭遇してしまった。二つの柔らかそうなブービィがふよふよ浮いているぅ!? あ、見え……見え……っ!
「……見ないで」
「あ」
これだけ長時間凝視していたら気づかれるよね。まだ対戦中なのに姫子はコントローラーを置いて両手を胸元に置いてこちらを見上げるように睨んできた。胸元を隠されてこの台詞、どうやら完全にバレてしまったようだ。ど、どうしよう。そんなじろじろ見るつもりはなかったんですよ? 最初は真面目にプレイングを観察するつもりだったのですが、予想外の物体と遭遇しちゃって……あ、ははははーっ。とりあえず笑ってごまかす。
「照久」
「ご、ごめんなさい」
そして次には土下座する。なんとも惨めな休日の過ごし方だろう。人間界に来てから土下座することが多いような……それだけ俺が無礼な真似をしているってことか。先程まで拝んでいた絶景を思い返してニヤニヤしながら頭を床へつけて深々と謝罪、そうして貴重な休みの日は過ぎていった。




