第35話 初詣
「明けましておめでとっ、今年もよろしく~」
「……なんで清水がいるの」
「ネイフォンさんに鍵もらった」
昨日はきったないネイフォンの家で鍋をして年越し、今日は元旦。今年一年の始まり、天気も快晴で何とも素敵な一日目じゃなかろうか。てことで寝るに限る。布団に包まれて幸せの時間を過ごしていると誰かが揺り起こしてきやがった。家の鍵は持っているのは俺の他にネイフォンさんだけ、またオッサンが突撃してきたのかよと懸命に目を開けばそこに映るのは清水寧々の姿だった。サラサラの前髪とアーモンド形の綺麗な瞳が朝の日差しに当たってキラキラと輝いている。驚きの次に襲ってきたのは腹の辺りに感じる重み、ずっしりと何かが圧迫してきて腸が唸り声を上げているぅ。状況がよく把握出来ていなかったが目が光に慣れるのと同じ速度で今の状況を理解していく。清水が俺の上に乗っかっているみたいだ。特徴的な毛先の黒髪ロングの髪を左右に揺らしながら体重をかけてきやがる。やめろぉ、重たいんだよ。片腹痛しというか全腹痛々しいだ。しかし今この場で清水に向かって重たいとか言ってみろ、逃げ場のない状態でこいつの拳を逃れる術はない。元旦の朝から顔面を殴られるだなんて惨めなことにはならないよう言葉には出さず怒りは睨みつけることで解消する。この野郎、朝からなんて嫌がらせだ。ニコニコと微笑んでいる清水はちょっと腰を浮かせると勢いよく再び乗っかってくる。ぐは!?
「い、痛い……」
「何さ~、私が重たいって言いたいの~?」
「いいから早く退けよ」
元旦の朝を嘔吐で迎えたくない。なんとかして清水を払いのけてゆっくりと深呼吸、朝の新鮮(森と比べたら全然新鮮じゃないけど)な空気を腹いっぱい肺いっぱいに吸って大きく伸びをする。目覚め方は最悪に近い形だったが起きてしまえばこっちのもの、目は冴えて思考能力も通常業務へと切り替わった。さて、なぜ清水がうちに来たのか問い詰めることにしようか。いくら唯一正体を知られている人間とはいえ不法侵入は許されたものではない、場合によっては何かしら粛清を下すかもしれないぞ。軽くチョップするとかパンツ見せてもらうとか。
「なんでうちに来たんだよ」
「テリー、新年最初の挨拶は明けましておめでとうございますだよ。これ常識」
朝から他人の部屋に無断で上がり込んで跨るのは犯罪だというのも常識だと思いますがね。皮肉を垂れても話が進まないのでここは大人しくその新年の挨拶とやらを返しておく。明けましておめでとうございます。さあ次は俺の質問に答えてもらおうか。
「今から初詣に行こ、ほら早く着替えて」
「は? いやこっちの話聞けよ」
話が勝手に進むので慌てて言い返す。しかし俺の言葉が清水に届くことはなく彼女はこちらを振り返ることなく部屋出てしまった。扉の向こうから聞こえる「早く身支度してよ~」の声。ありえない、勝手に部屋入ってきて勝手に出やがった。他人の部屋に入室する時と退室する時は挨拶するのが礼儀だろうが。お前の言うところの常識じゃないのか。新年の挨拶がどうのこうのと言う前にお前自身が言うべきことがあるぞ。なんて理不尽な対応なんだ、ちょっと泣けてきたぞ。……着替えるか。決めた、俺は絶対清水を許さない。人間界の暮らしに慣れない俺のサポートをしてくれているがそんなのは関係ない、それを理由に威張られるのは誇り高きエルフのプライドが黙っちゃいない。とりあえず今日は付き合ってやるがすぐに帰ってやる。一度俺の本気を見せないといけないようだな。待ってろよ清水寧々。
「はい、おにぎり」
「うおおおっ! ありがとう清水大好きだ!」
「テリーは単純だなぁ」
おにぎり美味しいっ、具は鮭か。海苔の風味と白米の相性は最高で咀嚼する口が止まらない。食い進めていくと中心部には具材は埋め込まれている、これがおにぎり最大の特徴である。海苔と白米だけでも満足なところに具の要素が絡んで美味しさ偏差値は跳ね上がる。鮭はおにぎりの具として定番であり、長年人間共に親しまれているがそれも納得の美味しさだ。コンビニで買う冷えたおにぎりとは違ってホクホクと温かいおにぎりは朝ご飯にはピッタリの一品、頬は蕩けて落ちてしまいそうなくらい美味しい。
「これって清水が作ったのか?」
「うん、そうだよ。もう一個あるけど食べる?」
「食べる! これ今まで食べたおにぎりの中で一番美味しいぞ」
「え? そ、そう?」
朝ご飯食べてなかったから助かるよ。清水のこと許さないとか決意したけどやっぱりなしの方向で。だってこんなにも美味いおにぎりを作ってくれる清水が悪い奴なわけがない、何を言っているんだねテリー・ウッドエルフ君。もう一個のおにぎりの具は鰹節だった。醤油と鰹節の合わせ技には参ったと降参せざるを得ない、抜群に美味しい。さっきから美味しいしか言えず自身の乏しい語彙力が嘆かわしいと一瞬だけ思うが後残りの思考は全ておにぎりの美味さを堪能することに使用中。あぁ、なんか幸せだな。
「そう言われると作った甲斐があったかも……えへへ」
「清水、もうないの? ねぇもう一個! 腹減ってしょうがないんだ。具何でもいいからちょうだいよ早く」
「……」
痛っ、なぜ今殴られた? おにぎり二つ程度で腹が満足するわけがない。当然催促する、早くよこしやがれ。けど何を言っても清水は呼びかけに答えてくれず黙ったまま腹部を殴ってきた。また腹にダメージが蓄積されていく。外部はのしかかりと拳で痛い思いをして内部はおにぎりで癒される。外と中で待遇の差があり過ぎる。そして清水は若干機嫌が悪くなったような気もする。……何か変なこと言ってしまったのかな? だからといってどうすることも出来ない、スタスタと早足で歩いていく清水に黙ってついて行くしかない……。
「……そういえばさー」
駅まで歩いて電車に乗った辺りでようやく清水が口を開いてくれた。元旦なのに電車は通常営業しており、よくもまあそんなに働けますねと感想が呟けそうだ。元旦だろうと働く人間は少なからずいる、大変な世界だな。
「エルフの世界に神社とかあるの?」
「いや、ないよ」
いつもより口調を大人しめに調整して応答する。下手に刺激して清水の機嫌をこれ以上悪化させてはいけない。おにぎりの為に。神社ってのは神様のお家として建てたものだっけ? それはつまり人間共が神を信仰して奉っていることを指す。エルフの世界に有神論はない。誇り高き品性と知識を持って祖先を敬うことを信条としているので神様なんて不確定的曖昧な象徴は信じていない。人間共がエルフの存在を空想上の生き物と思うようにエルフにとって神様なんてのは存在しない物語の登場人物程度の認識さ。
「なんでそんなこと聞いたの?」
「今から私達がどこに向かっているか分かる?」
? いや、皆目見当つかない。なぜ新年の朝から連れ出されないといけないのか、おにぎりがなかったら今でも憤慨して足取りも重たいだろうよ。さっきの質問を考えるに神社が関係している。となれば目的地は神社、それしか考えられない。
「神社だろ?」
「そうだよ。日本の新年は初詣で始まるの、神社でお祈りするの」
「へー。もしかして姫子の神社?」
「勿論だよ~」
詳しくは知らないが人間界の日本界では神様を信仰している。全ての人間ではないがそういった傾向があるみたい。初詣とは年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりするそうだ。この地域で、また俺達の知り合いがいる神社が一つある。クラスメイトで委員長の漁火姫子の家だ。何度か遊びに行ってよく知っている。清水の発言から考えるに今からそこに初詣に行こうってことだろう。姫子とは仲良くさせてもらっているし初詣ついでに新年の挨拶も出来る、一石二鳥の極み。なんでエルフの俺が人間共に混じって参拝しないといけないのだ、と文句垂れたいところだが言ったところで「テリーの社会勉強の為にこうしてわざわざ誘ってあげたのになんだその態度は」と迎撃されるのがオチ、手作りおにぎり食べれたので大人しく従いましょうかね。
「姫子ちゃんとはよく遊んでいるから場所は知っているでしょ?」
「まあな。最近は行ってないけど」
「え」
「え?」
? なんで清水はそんな顔しているのさ。日本界のことわざで言うなら豆鉄砲を食らった鳩のようだ。驚きで口をポカンと開けている、その理由が全く分からない。清水が何に対して驚いているのか、俺の発言のどこに違和感を持ったのか。……もしかして俺が最近姫子の家に行っていないってこと? 確かにスマビク大会前までは頻繁に遊びに行っていたよ。それはスマビクを特訓していつか姫子を倒す為、それは印天堂65本体を賭けて姫子に勝つ為。けれど大会で痛感して同時に絶望した。いくら練習して上手くなろうとも姫子には勝てない。俺が敵わなかった予選大会決勝トーナメント進出者相手に無双した姫子に勝てるだけの技術が一朝一夕で身につくわけがないのだから。だとしたらこれ以上特訓しても無意味。そんな時間があるならバイト探しと睡眠に使うべきだろ。だからスマビク大会が終わって以降、姫子の家には一度も遊びに行っていない。特に行く理由もないからな。俺が来なくなって姫子も気を遣わずに済んでどちらとも時間を有効に使えて良いことじゃないか。
「久しぶりに姫子と会うな~、元気しているかな?」
「テリー、本気でそれ言っている?」
はあ? 何を言っ……っ、おぉ。豆鉄砲を食らった鳩のようだと言ったが訂正しよう。豆鉄砲を自ら食らいにいって唸る鷹がそこにいた。獰猛な目でこちらを睨んでいる、歯は剥き出しで息が荒い。鷹、それを通り越して鬼だ。神と同様存在しえない空想上の生物を彷彿とさせる程に清水から発せられるオーラが重たく冷たく、毒のように受ける側の肌を腐臭させていく。清水……え、怒っているの?
「いやだって家に行く用事がないから会わないよ。それに姫子も俺なんかの相手をせずに済んで清々しているはずさ」
「もう一度だけいうね。テリー、本気でそんなこと言っているの?」
「いやだから」
「テリー最低! この馬鹿エルフ!」
突如清水の語気が勢いよく弾けた。戸惑う暇も与えず瞬息のうちに腹を抉る衝撃が襲い、内臓全てから空気が吐き出されて視界が眩む。衝撃が電車の揺れに上乗せされて足がフラつき膝から崩れ落ちそうだ。今まで受けてきた数多の殴打、理不尽な蹴りだったり妥当な制裁をたくさん受けてきた。その中で一番速くて、痛烈な一撃だった。
「っ、痛ぁ……何しやがるテメェ。というかエルフって言うな馬鹿」
「馬鹿はどっちよ」
それから清水は何も言わず黙ったまま外の景色を眺めるだけだった。訳も分からず睨みつけることも出来ない。逆流するおにぎりに酔いながら神社に着くのを待つしかなかった。




