第17話 霞む視界に浮かんだある日の言葉
「うわっ、何ここ?」
「ゲームセンター」
「鼓膜破れそうなんですけど」
人間で賑わっているショッピングモール内だがここは別世界のように格段と騒がしい。
見たことない派手な多色の照明で照らされる使用目的が予測出来ない機械と装置の数々、何より視覚からの情報を掻き消す程の爆音がこのゲームセンターとやらに来てから止むことなく耳を襲う。
「音楽ゲームとか景品ゲームとか色々あるよ」
委員長が簡潔質素に説明してくれるけどゲームセンター内の馬鹿騒ぎでよく聞こえない、なんでここまでうるさいんだよおい。聴覚イカれているのか人間共は。
静穏な森で過ごしてきた身としてはただでさえ人間界の日常生活でも電車の音や騒音で辛いのにこんな破壊音が鳴り響く奇天烈な空間は耐えられない。
爺さん、なんだか森が恋しくなってきました。
ゲームと言ってもテレビゲームがあるわけではないっぽいな。そもそも理解出来ないマシーンだらけで思考が追いつかないって。
あー、うるさい。気分悪くなってきたぞ。
「何かする?」
「俺はいいや、よく分からないし。いいん……えっと、姫子は何かやりたい?」
こんな場所は今すぐにでも唾を吐きつけて踵を返したいところだが、せっかく来たし何かするべきなのかも。
それに委員長はゲームセンターで遊びたいのかもしれない。
刺激の強い蛍光に目を細めながら店内を観察すると俺達と同世代の少年少女が多くいる。
やはりゲームは子供達向けの娯楽のようだな。小さな子供達が楽しそうに銀貨を機械に投入してボタンを連打したり、ネイフォンさんみたいなボサボサの髪をした青年が無数の玉が放出されて転がり落ちるのを眺めていたり、ゲームは多種多様あるみたい。
興味がないことはないこともないが今は聴覚の心配が優先なので早めにここから脱出したい所存であります。
パパッと委員長のしたいゲームに付き合って外に出よう。
「……じゃあ、あれ」
「何?」
「プリクラ」
委員長の指差す方向を見れば、何やら四角い小屋が数個建っていた。
入口にピンク色の暖簾を下げた壁に女性の写真がデカデカと貼られた白い小屋、プリクラと言うゲーム機らしい。
見た感じ危険度はそれほど高くなさそうである。巨大な画面に映る無数のモンスターを銃で撃ち殺しているゲームに比べれば幾分か可愛らしいくらいだ。
だが一体どんなゲームをするのか見当もつかない。
「お~、中は明るいんだ。つーか眩しっ、何これなんか地味に熱い!」
「ここ見てて」
「え、どこ?」
小屋の中に入ると目の前に大きな画面、そして意外と狭い。
またしても委員長と接近する形に、これ以上はやめてぇ。
なんだここ、画面はあるけどボタンがなければコントローラーの類いもない。これは本当にゲームなのか。
委員長が勝手に画面を指で触って何やら操作している。
なんと、画面に直接触って遊べるのか。斬新なゲームだなこれ。
スマビク以外ゲームをしたことないからちょっぴり楽しみかも。等と胸ワク状態で構えていたら突然小屋内に鳴り響くカウントダウン。
3、2、1……えっ、はれ?
「ぎゃあ!?」
ビックリした。カウントダウンが始まったと思いきや、パシャリと機械音が鳴って……鳴って、終わった?
何が起きたか分からない、というか何も起きてないと思うのですが。
俺は特にこれといって操作してない、何もアクションしないで遊ぶゲームだったのか? 斬新過ぎるだろ。
「うわっ、なんか俺と委員長が映っている!?」
二秒ほど静止していた画面に突如映し出されたのは俺と委員長の姿、これは写真というやつか?
もしかしてさっきので撮影をしたと?
つーか、うへぇ……なんだ俺の顔。
瞬きした時に撮影されたみたいで画面に表示されている俺は目を瞑っている。おまけに口は半開き、顔は正面を向いておらず斜め下を見て俯いている。
プリクラの遊び方を全く知らない俺でもこれは失敗作だとお察し出来ます。
なんて残念な映り方をしているんだ。
対して委員長の方は完璧、しっかりと正面を向いて目線もこちらを向いている。ちょっと申し訳無さげにピースをしているのも好印象、写真で見ることで委員長の可愛さが再認識出来た気がする。
二人の映り方が対極過ぎて変なバランスになっているような。
あとやっぱり距離が近い。腕同士が密接しているじゃないすか、こうして写真で見ると恥ずかしくなってきた。
それからカウントダウンと共に撮影が数回行われ、着々とゲームが進行しているっぽい。
よく分からないけどカメラらしいものを必死に凝視した。
「これでゲーム終了?」
「うん」
そう言うと委員長は眩しい小屋から出て隣の小屋へと移動していった。慌てて後を追う。
こっちの空間はさらに狭く、またしてもボタンもコンローラーはなく、代わりにペンが備えつけてある。
ペン……これボールペンか何か?
あと……委員長がすごい速さで画面をタッチしていく。
何やら英数字の呪文を入力してるし。
何してるんだろ、全く分からない。
そして画面に出てきたのは先程撮影した写真、六枚程ある。
すると委員長はペンを手に取り何やら書き始めた。文字を書いたりイラストのスタンプを貼りつけて撮影した写真にアレンジを加えていっているみたいだ。
え、ちょ、何しているのか全然分からないんですけど。
「はい」
「ん?」
ずっと委員長の小さくて繊細な指を見ていたのみ。
気づけばゲームは終了したらしい。
小屋の外にある取り出し口みたいな場所から委員長は先程の写真を取り出した。
口半開きの俺と可愛い委員長が映った小さな画像が並んだ長い写真、これを俺にくれるの?
よく分からないけどゲームの景品ってことかな? ならありがたく受け取っておくか。
結局プリクラとはどんなゲーム内容だったのか分からず仕舞いだが、いつかまた機会があれば一人で遊んでみるか。
ゲームショップに次いで二度と来たくない場所第二位だから当分は来ないと思うけど。
「さて、そろそろ帰る?」
「……」
時計を見れば午後の三時半過ぎを指していた。昼食を食べてから二時間は経過している。
結構歩き回ったな、この広過ぎる建物内全て見ようと休憩なしで歩いたからそれなりに疲れた。
ふぅ、今日は学ぶことが多かったぜ。
ハンバーガーを食べてナンパの現場に遭遇してゲームセンターで遊んだりお店を見て回って、今日得た経験値は高いと思う。
同時に反省点も多い。
スマイルは頼んでも出てこない、女性下着店には入ってはいけない等、今後に活かしていこう。
「帰りの電車だけどさ、どっち方面に乗ればいいんだっけ? よく分からないんだよな」
「……」
「いいんち、姫子?」
「まだ……いたい」
うん? 突然止まってしまった委員長、少しだけ俯いている。
え、どうかした? もう大分見て回ったでしょ、俺はスマビクするかもしくは家に帰りたい。足がクタクタだ。
なのに委員長はその場を動こうとせず、じっとしていて……まだ見て回りたいの? うーん……
「……」
「あー、じゃあまた一階から見……って姫子? 顔赤くない?」
ふと顔を見れば委員長の顔が赤いような気がした。
頬に赤みが差してどことなく目線が定まっていない。呼吸も少し荒れているみたいだし……ぇ、どうかした?
「大丈夫、なんでも……ごほっごほっ」
「姫子?」
「っ……お薬飲めば……大丈ぉ…………げほっげほっ」
咳して足元がフラつく委員長。
咳を出しながら言われてはい大丈夫ですねってなるわけがない。
明らかに様子がおかしい、普段から小さな咳は出していたけどこれまでのとは比較にならない頻度で咳を出して誰がどう見ても苦しそうだ。
顔色は優れず、次第に呼吸が荒れていく。
「ど、どうした、んだ?」
き、気分が悪いの? どこか静かな茂みで休む? 俺は一体どうしたらいいんだ?
疑問と焦燥だけが脳に積み重なっていき、その重みで全身が沈んで汗が滲み出る。
委員長の苦しげな姿に伝染したように俺自身の呼吸も苦しくなり、息が取り込めなくなる。喉絞める困惑と緊迫が呪縛となって体の自由を奪う。
どうしたらよいか分からずオロオロするだけ、なぜかそんな自分のことを客観的に捉えることが出来て惨めになる。
いや俺のことなんてどうでもいい。委員長が、委員長が大変だ!?
な、なんとかしないと。
「ど、どどどどこにお薬あるの?」
「か、鞄に……げほっ」
マズイ、マズイマズイ。
落ち着け俺、なんでお前が泣きそうになっているんだよ。
知らない世界で知らないことだらけ、一人ぼっちで不安で泣きそうになった頃と同じ状態になってどうする。
別にお前は普通なんだろ、一番苦しいのは誰だと思ってやがる。委員長だろ。
ぁ……あぁあぁ落ち着けって!
その場に崩れ落ちそうな委員長の肩を掴んでなんとか立たせる。
既に委員長は一人では立てない程に衰弱して咳は一向に止まる気配がない。
その姿を見つめるだけで心臓が嫌な音を立てて跳ね、止まない咳を聞く度に思考が歪んでいく。
ど、どこか、どこか座れる場所とかないのか?
撹乱した視力で情報を得ようと辺りを見回す。
あれだけ夢中になって見て回ったショッピングモール内がひどく小さく見えた。
鬱陶しく思うくらいたくさん人間がいたはずなのに誰一人として視界に映らない、密室に閉じ込められたようだ。
けど目に見えないだけで辺りから無数の視線は感じる。
晒し者にされて、皆が俺らを見ている。委員長と俺の周りだけが浮いている、そんな錯覚が恐怖と不安が連鎖して全身を腐臭しながら硬直させていく。
一歩も動けず、視線を右往左往させて恐怖と不安から逃げようとするが何も変わらずただ積み重なっていくのみ。
「げほっ、ごほっ……!」
助けなんて呼べる状態じゃない、俺も委員長も。
なんだよ、なんで急にこんなことに?
さっきまで普通に歩いていたじゃないか、急に容態が悪くならないでよ人間のくせに!
俺に、俺が、俺は何をすればいいんだ。
悪化する委員長の咳、その苦しげな声を聞く度に心臓が冷静さを剥がされて俺自身の呼吸も荒れる。
飲み込む空気が痛い。
嗚咽が漏れる。
黒く霞んでいく視覚、混乱して猥雑になる思考、脳と体がまともな経絡を取れずにぐちゃぐちゃの頭と完全停止した四肢、積りに積もった焦燥感と恐怖は受け皿から溢れて足元に吐き散っていく。
こみ上げる吐き気と弱音、涙が止まらない。
泣くなよ、惨めだろ泣くなって。俺が泣いてどうするんだよ、何も出来ないからって泣いて何になる。
委員長が、苦しんでいるんだぞ。……なんとかしろって、足掻けって……なぁ、泣くなよ、俺。
俺が……どうにかしないと……っ、っ!
……泣かないでよテリー。
「姫子っ、この薬でいい!?」
突然、弾けた。思考も全身も視界も何もかも。
目の前が真っ白になったと思いきや俺は姫子を近くのベンチへと座らせて勝手に鞄の中へ手を突っ込んでいた。
乱雑に漁って薬を取り出し、姫子へと見せる。自分が何をしたのか、あの一瞬でどんな動きをしたのか全く分からない。
無意識、腐臭した脳の連絡を受け取ることもなく体が咄嗟に動いたのだ。まるで脳以外からの命令を受けたかのように。
足は床を蹴飛ばし、両腕は姫子の体を支えて、その動きがぐちゃぐちゃの思考を白へと還元させて意識を足のつく床へと下ろしてくれた。
「う、うん……それ」
薬の使用方法なんて知らないし用法用量を正しくお使い出来るわけがない。
だからといって混乱してアタフタするのはもうやめだ、自分に出来ることをやれ馬鹿。
姫子の体に気を遣いながら薬を飲む手伝いをすればいい。鞄に入っていた水筒から水を注いで薬を口に含んだ委員長に飲ませる。
休日の気持ち悪いほど人間が集まったショッピングモールの目立つベンチのところで涙をダラダラ流して狼狽しながら必死になって何かやっている俺、それがどうした。
見るなら勝手に見てろ、動揺なんかするか。周りなんてどうでもいい、そして俺自身のことも知ったこっちゃない。
ただ姫子が無事ならそれでいい。それだけで俺はいい。そう思えた。
薬を飲んでゆっくりと呼吸を続ける姫子が横へ倒れないよう傍で支えてあげながらじっと待つ。
「大丈夫?」
「うん……」
あれだけ発作的に起きていた咳も次第に弱くなっていき、呼吸も落ち着きを取り戻してきた。
赤かった頬も薄いピンクになって苦しげな表情は緩和されていくように柔らかい、いつもの顔つきになる。
目を閉じたまま休む姫子、微かに震える手の振動を感知出来たことに俺自身も混乱から脱したんだなと確認。
何も出来ない、人間界の薬をどう使用するか分からない、頼りなくて泣いてばかりの俺でもやれることはやってやる。
震えている姫子の手を優しく握る、ただそれだけ。これしか今の俺はしてあげることはない、偉そうに聞こえるがでもこれが精一杯の気遣い。
押し寄せる人間の波が視界から完全に消えるのを感じながら姫子と二人だけの空間でじっと姫子の容態が落ち着くのを見守り続けた。
「……さっきはごめんね」
「別にいいよ、つーか何もしてないよ俺」
しばらくして姫子の咳も止まって立ち上がれるくらい元気になった。
元々体の弱い姫子だったが今日は歩き疲れたこともあって気分が悪くなったらしい。
病弱な人間が長時間歩き続けてしかもゲームセンターだなんて吐き気のする場所に行けばそりゃ発作も出るよ、俺だって吐きそうだったもん。
これ以上見て回るのはお互いに危険なので素直に帰ることにした。
電車は人間が大勢いて混雑する恐れがある為、タクシーを使った。
タクシーなら余裕持って座れるし、スムーズに家まで送れる。その分料金は電車より高いが今回は仕方ない。
来週の昼食は清水にめぐんでもらうかコスパの良いトッピングなしうどん(180円)で食い凌ぐことにしよう。
にしてもタクシーは本当便利だった。
初めてショッピングモールに来た時も電車が恐くてタクシーを使って来たものだ。
今思うとすごく贅沢なことしていたなと反省。
「大丈夫? 家まで送ろうか?」
「ううん、ここで平気」
神社の前でタクシーを降りる。階段を上がれば神社もとい姫子の家があるが、ちょっと不安かも。
家の中まで送ろうかなと申し出たが姫子は大丈夫だと言う。
まあ顔も赤くないし苦しそうでもないから平気だとは思うけど……いや、帰ったフリして遠くから見ておくか。
時刻はもう夕方、今からまた姫子の部屋に行ってスマビクをやろうとするなんて馬鹿な真似はしません。
今日はゆっくり安静にしてね。
「じゃあ俺は帰るね。今日は色々と付き合ってくれてありがと」
「……照久」
「ん?」
ここから約二百メートル先に良い具合な草の茂みを見つけたのであそこで姫子が無事階段上がるのを見守ろうと歩を進めようとしたら声をかけられた。
どうかしましたか? たこ焼きはもうないですよ。
「今日はありがと。迷惑かけてごめんなさい」
「謝らなくていいよ、無理に引っ張って連れ回した俺が悪いんだから」
「……照久、あのね」
「今日はもう安静に寝てろよ? その間俺は家でスマビクの戦略練るからさ。次戦う時は勝つからな!」
もうこれ以上はいいよ、あまり長時間立たせたくない。
早く帰って部屋でぐっすり寝てください。
あと晩ご飯もしっかり食べてよね、俺も生姜焼き弁当食べるから。
「……うん、また来てね」
「勿論、じゃあ今日はここで。じゃあね」
「バイバイ」
手を振って姫子と別れて早足でその場を離れる。
……後ろから視線を感じる。俺の帰る様子なんて見ないでさっさと帰っていいのに。ホント姫子はよく分からない子だなぁ。
……ホント、分からないや。
早足が次第に加速していくのを理解しながら足が止まらない、今更になって脳がどよめき立っている。
あの時、本当に良かった。混乱して気絶しかけた意識が持ち直して姫子を手助け出来たのは奇跡だと思う。
それくらい俺はあの時切羽詰っていた、泣いて汗を滲ませてキョドりにキョドっていた。
そんな自分がどうして気持ちを持ち直すことが出来たのか……分からない。
ただ、何か、脳ではないどこかから聞こえたんだ。
この子を助けようって、俺がなんとかするんだ、って。
そして、誰か、泣かないでと言ってくれた。あの言葉があったから。
って……何を言っているんだテリー、頭おかしくなったのか。
そんな都合の良い展開があるかよ。気のせいだって。
……本当に何だったのだろう?
「ま、いっか。無事終わったことだし」
要するに今日は頑張ったってことだ。それで十分、これ以上今日はもう経験値はいらない。
色々あって脳も全身もクタクタさ。ファックスを倒してヤケチュウを蹴散らしてジャイアントドンビキ―に吹き飛ばされて。姫子の母親と会って姫子の私服を拝んだり、ハンバーガー食べてナンパ男子を追い払って女性下着店で恥かいて。
そして……姫子と仲良くなれた気がする。
また今度、二人で遊びに行けたらいいな。そう思ってしまった。
次来た時は絶対にスマイルとたこ焼きを食べることを誓って俺は茂みの中へとダイブした。