第144話 VS四柱
「やぁテリー君、待っていたよ」
正門を出てしばらく進むと見慣れた男性が立っていた。ネイフォンさんだ。
そしてその横には、
「遅いです。何してるんですか服ダサイ人」
日野がいた。
ボサボサ髪のおっさんと髪を結った女の子、共に茶髪で茶色の瞳。
俺と同じエルフの民が二人並んでいたのだ。
「え、二人って知り合いだったの?」
「んー、全然。さっき会ったばかり」
俺の問いにネイフォンさんがケロっと軽く答える。
対して日野は少し不機嫌そうだ。つーかこいつは普段から俺に向けて不快感を放っているし。
「事情は清水さんからラインで聞きました。……まさか他にエルフが住んでいるなんて」
「ははっ、私も驚きだ。しかも大真面目な留学が目的で私とは大違い」
確かに、人間界を知りいつかその経験を故郷で活かしたい日野と、ただ遊びたいネイフォンさんでは意識の差は歴然だな。
「というか二人がどうしてここに……まぁ日野は高校生だから分かるけど」
「相変わらず間抜けなんですね」
な、なんだと!?
お前はまた俺のこと馬鹿にしやがって。
「……あなたを待っていたんですよ」
「俺を?」
「あなたが置かれている現状は清水さんとこちらのネイフォンさんにお伺いしました。……ここを去るんですよね」
じっと見つめてくる日野の瞳は真っ直ぐ静かで、俺はどんな顔をしていいか分からなかった。
戸惑う中、日野は再び口を開く。
「のんびりしている暇はないんじゃないですか。早くしないと」
「な、何を」
「やることがあるんでしょ?」
っ、どうしてそれを……?
「テリー君、確かに族長の命令は絶対かもしれない。けれど私達は君の手助けがしたい。ただそれだけさ」
ヌッと近づくネイフォンさんの手。
指の隙間から見える不衛生な髪の毛と、穏やかな笑み。そして頭の上に大きな手が乗っかる。グシグシと乱雑に撫でてくるネイフォンさん。
「族長とか掟とか。そんなの考えなくていい」
「本当は駄目ですけどね」
「アイリーンちゃん茶化さないで。とにかく先を急ぎたまえ。早くしないと爺さんが起きてしまう」
爺さん……そうだ、あのクソジジイが黙っているわけない。でも爺さんはまだ俺の前に現れない。どうして……?
「あの人は今日の夕方に出発すると言ったけど本当は早朝に経つつもりだった。嘘の出発時間を伝えるのが私の役目だった」
「早朝!? で、でも今朝爺さんは来なかったですよ」
「昨夜、爺さんに揚げ物を食わせてやったからね~。今頃も私の家で寝込んでいるだろうさ」
ネイフォンさんはニヤッと笑う。とても嫌な笑みだ、かなりキモイ。
「爺さんは足止めしてある。あとは君次第だ。頑張りたまえ」
頭の上に置かれた手が離れていき、一歩引くネイフォンさん。
俺の叔父で、ずっと助けてくれた恩人がニコッと優しく微笑んだ。
「どうして……」
……本当に、どうしてそこまでしてくれるんですか。
俺の生活費を稼いでくれて、一生一度の忘却魔法を使ってくれて、ありとあらゆる場面で助けてくれた。
あなたにどれだけ助けてもらったか。どれだけ恩を受けたか。なんで、なんで、
「俺なんかの為にどうしてそこまでしてくれるんですか……っ、あなたが俺に尽くす理由なんてないのに」
「君は兄の子供だからねぇ」
「それっぽっちのことでなんで!」
「確かにそれっぽっちだね、それで十分過ぎる」
笑みを崩さずボサボサ頭が揺れる。
不衛生な髪も、不衛生な無精髭も、ずり落ちかけた眼鏡も全て慈愛に満ちてこの人の姿が暖かく感じた。
「森を出て自分勝手に生きてきた。族長の使命を兄に押しつけて一人ヘラヘラとしていた。けど兄が死んだ時、残された爺さんと君を見た時、私の中で一つの決意が生まれた。こんな自分でもやるべきことがある、と。君の為に尽くしてあげたいと思った。親不孝で不真面目な私がせめて出来ること、それをやっているに過ぎない」
「……ネイフォンさん」
「さあ、私から言うことはもうない。後始末は任せてくれ。行きたい場所があるんだろ?」
だらしない笑み、気の抜けた声、汚い格好。そんなネイフォンさんが、ただただ大きく映った。
……ずっと俺のこと気にかけて、なんてお礼を言えば。
いや、そうじゃない。清水の時と一緒だ。
俺を助けてくれている、なら俺は自分のしたいことに向けて一心不乱になるべきだ。
お礼も恩返しもその後でいい。今は進もう。
「ありがとうございます。俺、行ってくる」
「……テリーさん」
日野がネイフォンさんの横から一歩前へ出る。
茶髪の髪が宙で流れて、
ふと日野が何か投げてきた。
「うおっ?」
反射的に手で受け止めたそれは、弓だった。
微かに匂う森の優しい香り、美しくて滑らかな曲線が手に馴染む。
「私の森で作った弓矢です。馬鹿なあなたですが弓の扱いは上手いみたいなので役に立ててください」
「役に立てるって、いやここじゃ使う必要がないだろ」
「テリー君の邪魔をするのはジジイ一人じゃない。この先進んでいけば分かるさ」
戸惑う俺の言葉に追従するようにしてネイフォンさんが答えてくれた。
……なるほどね。じゃあ、あいつらか。
脳裏にチラつく薄茶色のフード姿を思い浮かべながら、自然と動く両手が瞬く間に弓矢を腰に装着していた。
「ありがとな日野」
「……別に」
目を逸らして無愛想に返事が返ってきた。相変わらずお前はそういう奴なんだな。妹のエミリーちゃんみたいに少しは素直で可愛らしい一面を見せてほしいものだ。
「少しは可愛らしい一面見せろよ」
と思ったら普通に声に出ていた。
途端にギロッと睨んでくる日野、怖い!
「……」
「いや、その、あれだよ? 俺に対して当たりが強いか」
「善処します」
「ら?」
「次あなたに会う時にはもう少し、少しだけですが優しく接してあげようと思います」
……なんてことだ、日野が少しデレているぞ!
かなりの衝撃、押し寄せるインパクト!
おいおい普段なら毒舌で反撃してくるところじゃないか、どうしたんだよ?
思わずたじろいでしまった。
「……ぁあ、もう恥ずかしい。さっさと行きやがれ、です!」
日野に背中を押さえた。ぅ、おっとっと……前へ一歩出た。
一歩……進んだ。
「そうだな……進まなくちゃ。行きたい場所があるんだ」
一歩、また一歩と。
足が動いて前へと進む。体が勝手に、動く。
そうだ、そうだよ。俺は何をしたいんだ。誰に会いたいんだ。
そんなの決まっている。姫子に、あの子に会って……全てを伝える。
だから進むんだ。
グダグダ考えている暇なんてないだろ。
ただ自分の気持ちに従って、素直に一直線に、走れ!
「ネイフォンさん、日野。じゃあな!」
次の一歩は全力で踏み込めた。
体が軽く、けれど歩は重く、前を向いて全速力で走る。
「行ってこい少年、全力で突き進め」
「行ってらっしゃい……服ダサイ人」
二人の声が耳に届く。沸き上がる想い、溢れる力。
今なら何でも出来そうな気分だ。さあ、行くぜ!
姫子の家へ向かう道をひたすらに走る。
電車には乗らず、ただ馬鹿みたい突き進む。
電車に乗る暇などない、自分の歩を止めたくない。だから俺は走る、ひたすらこの道を。
そうしているうちにあることに気づいた。
人が、いない。
人通りが少ない。それだけではない、違和感がある。
何か、いつもと違うくうきを感じる……。
「っ!」
目で捉える前に、脳が判断する前に、体が後ろへ下がった。反射で退き、前を見据えれば、
「気づいていたか、さすがエルフだ」
薄茶色の衣を纏った人が立っていた。
フードで隠された顔から低い声が吹く。
その姿、放つ気配、声に連動するかの如く自然と指先が矢尻を摘む。
「やっぱノームか……」
「ご明察。だが只のノームだと思うな、我は……」
フードを外して顔が露わになる時、先程以上の劈く威圧感が肌に切り込んできた。
「大地と世界の秩序を守る番人ノームあり。その中でも秀でる一握りの精鋭、大地と一族を支えるは四つの大柱」
そこで一区切りして深く息を吸い込んで、
「その名も四柱。それが一人、ナルッチェ・アースノームとは俺のことだ!」
遂には衣も脱ぎ捨てて大声で自己紹介する長身の男。勢いに任せた低い声が辺りに唸り轟いた。
……テンション高いなこの人。
「えっと、四柱?」
「深くは考えなくていい。我は只……」
呆気に取られた意識が再び警戒心を持つのに時間はかからなかった。
地面から湧き立つ土が滑らかに流動する様を見ただけで全身が引き締まった。これはヤバイ、と。
「俺を捕らえに来たのか」
「ご明察。エルフの族長に依頼されたことだ」
あのジジイ、やはり手を打ってきたか。
目の前に立ちはだかるノームの男。ここは通さないと言わんばかりに鋭い眼光が俺を捉えて離さない。
「すまないが身柄を確保させてもらおう。我らはこれ以上の争いを生み出したくない」
「そう言ってる割に今から戦う気満々じゃねーか」
「心配ご無用。この一帯には我が人除けの魔法を発動させてある」
だから今は人が誰も通らないってわけね。やっぱお前らの魔法って便利だな。
……言いたいことは分かった。
アンタは俺を捕まえたいわけだ。なら俺が取る行動は只の一つ!
「勿論今すぐ投降してくれるなら我も……」
「オッケー、全力で抵抗してやるよ」
「……深く考えなくていいと言ったのは間違いだった。どうやら分かっていないようだな」
迫る威圧感を無視して堂々と構える。
いやいや、ちゃんと理解しているさ。お前は俺の邪魔する奴、障害物ってことだろ。
だったら単純明快、お前を倒して先に進むのみ!
「仕方なし。四柱の力を思い知らせてやろう」
溢れる湯水の如く地面が沸き立ち、男の手元へと集まる。集まり、そこから長く細く伸びていき、次第に形を成していく。
それは一つの棒となって男の手に収まった。
「土魔法、形成。強固なる矛は指し示す先を打ち払う!」
自身よりも長い円柱状の棒を、長身のノームはクルクルと回しそして先端を俺に向ける。
「残念だが貴様に勝ち目はない。なぜならば……」
男が突進してきた。加えて横から迫る土の棒。
男との距離はまだある、が長い棒はいとも簡単に俺の首元へ強襲をかけていた。
「避けたか、だがしかし!」
上半身を後ろへ逸らし攻撃を回避、眼前を通過する土色の物体が宙を流れるようにして再び俺に迫ってくる。
今度は足も使って避けていく。けれど攻撃は止まることなく立て続けに、執拗に、容赦なく俺を捉えようとしなり動く。
「我は知っておるぞ。エルフが得意とするは弓矢を用いた遠距離戦。逆に言えば近づいてしまえばお前に成す術はない!我の勝ちだ!」
ペラペラと饒舌ですね。両手も口も達者なようだ。
確かにこの距離では矢を放つどころか弓を構えることすら難しい。
自分のことを精鋭と名乗るだけあって腕も確かだ。自由自在に武器を操り、距離を開けさせない連撃。
「もらった!」
いやもらってねーよ。
右上部から斜めに切り込んでくる棒を躱す。
棒はそのまま横の壁へと当たり、鈍い音を立てて壁に亀裂が入った。
「よく躱す。果たしていつまで持つかな?」
ニヤリと嬉しそうに笑ってノームは構える。
……壁に亀裂が入る程の威力。まともに食らえばマズイ。その一撃が休むことなく何度も襲いかかってくるし、さらに俺の武器は弓矢。
こいつが勝ちを確信するのも頷ける。そりゃ嬉しいよな。
「あー、一つ言っていいか?」
「後悔しても遅い」
発言は認めてもらえず代わりに攻撃がやってきたわ。
まあ、いいけどさ……お前、一つ勘違いしているぞ。
俺が下がった時の足運び、詰め寄り方、腕の振るう型と多用する攻撃の形。もう十分に見た、そして慣れた。
気を抜かず注意すれば、悪いが容易に躱せる。
「よっと」
「ぬ?」
後退から一転、体勢を低くして前方に沈み込む。そこから地面を一つ蹴ればもう奴の懐だ。
右の拳を横腹まで引き、冷静に丁寧に、鋭く突き放って男の腹部を撃ち抜く。
「ぐぼっ!?」
息と悲鳴を吐き出して男が硬直した。
続いては左の拳、下顎目がけてぶん殴る。
「ぉ、ぇ!?」
その勢いのまま跳んで体を旋回させつつ力込めて右の後ろ回し蹴り。奴の肋骨辺りを捉えた。
「……げぇ」
「せっかくだからやっぱ言わせてもらうわ。確かに俺らエルフは弓矢を使うのが得意だけど」
もう意識も薄れているだろうノーム。細長い棒が手から滑り落ちて自身の体も傾きかけている。
俺は壁へと跳んだ。
ノーム、お前は勘違いしてる。エルフが弓術に長けているのは正しい。
けどなぁ、別に体術が苦手なわけじゃないんだよ。
「接近戦も得意だよ。特に俺は」
壁を蹴り、上からノームに突っ込む。
人間相手じゃないのだ。手加減しなくても大丈夫だろ。
体勢を崩さず足を一直線、狙いは奴の顔。
食らえ、俺が人間界で身につけた技。その名も、
「ウルトラキック!」
足の裏に伝わる小気味良い感触、ゴグシャとなんか恐ろしい音が聞こえた。
顔面に飛び蹴りを食らったノームの男はもう何も言葉を発しなかった。白目を剥き、鼻穴から血を吹き出してそのまま地面へと倒れた。直後に棒が地面へと落ち、砕け散った。
「……まずは一人目、撃破」




