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第143話 もう一人の大切な人

「言わなくちゃいけないことがある」


雲のない空は水色、太陽に照らされて空気が蒸し暑く、眩しさのあまり目を細める。

カラカラと喉は乾きでひび割れ、飲み込む唾は固形のように痛々しく引っかかる。熱気で揺れる空気の中で、俺は向き合っていた。

伝えるべき相手、もう一人の、大切な親友の前で……











全てを思い出し、姫子が病院に運ばれた日から一日経った。

今朝の気温は高く、太陽の熱光線がアスファルトに反射して歩くだけで汗が滲みそうだ。

俺は学校に向かっていた。いつも通ってきた、木宮照久として過ごしてきた高校へと向かう。


……今日、爺さんと森に帰る日。つまり今日が人間、木宮照久として過ごせる最後の一日だ。

賑わう通学路を一人歩いていく。楽しげな生徒達の会話、人間の多さ、蒸し暑く気分を害す。

そんな通学路が、学校が、居心地が良い。まだ噛みしめていたい。


けど、そんな時間は残っていない。もう、あと少しで迎えが来る。いつものようにヘラヘラと、昼飯を楽しんで教室でのんびりと過ごすことは出来ない。

あの、いつも過ごしてきた平穏が、こんなにも渇望してしまう日が来るなんて思いもしなかったな……。


「さて、テリー。伝える時が来たぞ」


自分に言い聞かせて教室の前に立つ。

このドアを開けばいつもの光景。クラスメイト達と挨拶を交わし、小金のウザイツッコミに付き合わされて姫子と清水と楽しくお喋りする。それも最後になるかもしれない。そして何より、


俺は伝えるんだ。もう逃げない。

自分の気持ちに正直な想いを……姫子にぶつけるんだ!


「姫子ぉ! 話を聞いてくれえええ!」


勢いよく扉を開けて中へなだれ込む。

大きな音にビックリした級友達がこちらを見て、意味が分からないと言った表情。途切れ途切れに聞こえてくる「お、おはよう木宮君」の声。

教室の中、そこに姫子はいなかった。


……まぁ、そうだよな。

昨日病院に運ばれたのだ。今まで見てきた咳が出る程度の軽症ではないはず。

となれば普段から欠席しがちの姫子が今朝から登校しているはずがない。少し考えれば分かることだ。


「やあ木宮、朝からテンション高いね。僕まで気持ちが高ぶりそうだよ。溢れるエナジー!」


小金は無視するとして。

分かっていたけど、もしかしたら学校に来ているのでは!?と思った。けどさすがにいないよな……うん、そうだ。


やっぱりあの場所、約束の場所だ。

姫子は……そこで待っている。ずっと、ずっと待っていた。


「き、木宮? いつになく僕のことをスルーしてるね。僕少しだけ目尻が熱くなってきたお、泣く寸前だお?」


「小金、俺今日欠席するから。じゃあな」


「え!?」


踵を返し、教室をすぐに出る。

俺に優しくしてくれた皆、夏は涼しく冬は暖かい教室。もう見れないかもしれない、もう感じることが出来ないかもしれない。

俺が見つけた大切なものの一つ、振り返らず廊下を走り抜けていく。


姫子、姫子……っ、今、会いに行く!


「ま、ま、待ってよ木宮どういうことだよ~」


「……小金」


足を止め、後ろから追ってくる喘ぎ声に意識を向ける。

振り向きはしない。けれど、このまま去るのも……まぁ、その、お前にも色々と世話になったからな。

センター分けの地味な髪型と地味な顔を見たくないから背を向けたまま、上を見つめて言葉を放り投げていく。


「お前ウザかったけど、今思えばそんなに嫌じゃなかったかも。餅吉って名前はやっぱ個性的だし、いつか見たフンフンフンディフェンスのキレは良かったぞ。ツッコミも稀に面白いのがあった」


「……木宮?」


「じゃあな小金」


「ま、待っ」


言葉は待たず再び走り出す。

向かう場所がある、会いたい人がいる、想いを告げたい人がいる。

だから、俺は、走るんだ。地味に過ごすとか目立たないよう気をつけるなんて関係ない。ただ全速力で廊下を駆けていき、人混みをすり抜けて校庭へと飛び出た。



……でも、その前に会っておくべき人がいる。姫子以外にも、俺が会いたい人がいる。


もうすぐ朝のホームルーム。遅れてきた生徒達が慌てて校内に入っていく。

チャイムの鳴り響く音に生徒の走る音が混ざる。朝の忙しい喧噪、次第に消えていく足音。

チャイムが鳴り終わる頃、正面玄関には静穏に包まれて誰一人いない。俺と、もう一人を除いて。


「……清水」


俺の前に清水が立っていた。

いつも見てきた、顔を合わせてきた、親友の清水寧々。長い黒髪が綺麗で毛先はキツめのカーブを描いている。

笑ったり怒ったりニヤニヤしたり、表情豊かな清水が今は……顔を俯かせて唇をぎゅっと閉じていた。



俺は昨日、全てを思い出した。

十一年前、人間界に来ていたこと。姫子と出会って、かけがえのない温もりをもらったこと、約束、自分の過ち。

記憶が蘇る前から想っていた気持ち、姫子への想い。それら全てをぶつける為に俺は姫子の元へ向かうつもりだ。


でも、その前に。もう一つだけ心に留まるものがある。

爺さんに言われて森へ帰ることになった時、頭の中に浮かんだのは姫子だけじゃなかった。

一年前から隣に立ってくれて支えてくれた大切な人の顔が浮かんだんだ。


清水……お前の顔が。


「話はネイフォンさんから聞いたよ。テリー、森に帰るんだよね」


普段の元気な声が聞こえない。ゆっくり静かに、何か噛みしめるように清水は喋りはじめた。


「ああ、そうなるかもしれない。だから一応お別れを言おうと思ってさ」


族長の命令は絶対。従えば俺は今日のうちに人間の国を去ることになる。

お世話になった清水にお礼を言うのは当然の流れだ。


けど、それだけじゃない。それだけじゃ収まらない、気持ちが溢れてくる……。


「清水には本当に世話になった。何も知らない俺の面倒を見てくれて、隣で支えてくれた」


「最初の約束だからね、テリーの手助けをするって」


森からやって来た俺を、人間界について無知で無力な俺を助けてくれた。

ただ自分の両親がエルフと知り合いってだけで協力してくれた、色々と教えてくれた。

人間の暮らしを教えてくれて、休日一緒に遊んでくれてバイトも一緒に選んでくれて一緒に働いて。勉強も見てもらったし、ご飯も作ってくれた。

俺に手を差し伸べてくれた……大切な、宝物のように、大事な人だ。

返せない程の恩をもらった。お礼が言い尽くせない程に、本当に、嬉しかった。


そして、


「それだけじゃないんだ」


ただお礼を言いたいだけじゃない。

俺は、自分の気持ちに気づいた。清水をどう想っているか、自分の中でどんな存在なのか。


姫子のことが好きだ。小さい頃から、記憶を失って再会してからも、俺にとって姫子はかけがえのない人。

でも、それは姫子だけではなく、もう一人……


「清水、その……俺は……」


機嫌が良いと思いきや突然ブスッと怒って、普通に殴ってくるし口喧嘩は強いし感情の起伏の激しさに戸惑うこともあるけど。

俺に向けて差し出してくれる手と、安心する笑顔を見せてくれる。そんな清水のことが……


俺は清水のことも……


「俺はお前が」


「はいストップ!」


「ぐほっ!?」


意を決して口を開こうとしたら口元に何かが迫ってきた。不意のことでその物体を目で追い切れず、唇にぶつかる固い物質。

驚きを押さえつけるようにして口内に流れ込んでくる刺激物、シュワシュワと弾ける流水。

げ、げぼっ!? こ、これは!


「炭酸ジュースじゃねぇか! 何しやがる!」


俺が炭酸の飲料水が嫌いなの知っているだろ! うぐおぉ、口の中がシュワシュワしてやがるぅ、シュワってる~!

なんだよいきなり、真面目な顔していたのに俺っ。真面目な顔返せ、どうにかして返せ!


「……テリー、それ以上は言わないで」


「はあ? な、なんで」


「それ以上言っちゃ駄目なの。絶対に、駄目、だから」


先程の勢いはどこへやら、途切れ途切れに言葉を出して再び顔を俯かせる清水。

カラカラだった喉を刺激する炭酸水。その不快感すら消えそうなくらい、今の清水を見つめることで精一杯で何も感じられない。

どうして、な、なんで……?


「テリーが今、一番会いたい人は誰?」


「それは」


「私じゃない、でしょ。そうでしょ! だったら私に何か言う暇があるの? 馬鹿テリー!」


元気な声が突き抜ける。

鋭く響く声に俺自身固まり、出しかけた言葉が胸の奥へと引っ込む。

目の前の、ドドン!と立つ女の子に完全に気圧されていた。怖えぇ。


「ほら早く行った行った」


「け、けど俺まだ」


「相変わらず馬鹿なんだから。ええ、この馬鹿! アホ! エロ!」


「ものすげー罵倒! そこまで言われる筋合いは……う、うーん、あるか」


清水の前では馬鹿なこと言ったりアホな行動したり清楚エロイ足をジロジロ見ていたからな。は、反論の余地がないぞ。



はは……結局、最後まで清水には敵わなかった。

こいつは本当に、俺にとって大切な人だわ。人間とかエルフとか関係ない、かけがえのない大切な友達だ。


「……ほら、いい加減行かないと殴るよ?」


「割とマジで痛いのでやめてください。うん、行ってくる」


言葉を言えなかった、伝えたいことが伝えられなかった。

でも心はスッキリして、自然と気持ちが明るくなった。今なら何でも出来そうなくらい。

その気持ちにさせてくれた、背中を押してくれた。


「今までありがとう。俺、行ってくる。会いたい人がいるんだ!」


それだけ言うと俺は走り出した。清水の横を抜けて、正門へ向けて跳んでいく。

後ろは振りかえらず前だけ見て。



隣にいなくても支えてくれるものがある。送り出してくれた、触れずとも背中を押してくれた、それがどれほど嬉しくて幸せなことか。

この一年間、本当にありがとうな。でも今は何も出来ない。やるべきことがあるから。


だから、これだけ言わせてくれ。

やっぱり、最後に一つだけ。振り返らず、前を見つめながらも後ろにも届くように俺は叫んだ。


「清水、お前のことも大好きだ! 姫子に会ってくる!」


空は水色、空気は蒸し暑い。

その中俺は跳び抜けていった。











「やっと行ったかあの馬鹿……」


最後の最後に何を言っているんだろ。

私のこと大好きって言いながら次には姫子に会ってくる、だって。意味不明だよ。普通に考えたら二人とも好きで二股するってことになるのに。


「ホント、テリーはいつまで経っても馬鹿なんだから」


ホント、本当にどうしようもない奴なんだからぁ。あー、どうしようもない馬鹿ー。


……本当にどうしようもないな、私のこと気にかけてさ。


「テリーが何言うかなんて簡単に分かったよ」


独り言がぽろぽろと落ちていく。

テリーが走り去った後の私だけしかいない空間で小さく僅かに声だけが落ちる。


あのままじゃテリーは私のことも気にかけてくれる。姫子ちゃんのことで精一杯なくせして私に何かしようとする。


私にとって……とても、嬉しいことを。



テリーが好きだ。

最初はネイフォンさんの頼みで引き受けたテリーの世話係。

森に引きこもっていて人間の世界について何も知らない馬鹿。そのくせプライドは高くてすぐに人間を見下す。車や建物にビビッて人混みを極端に嫌って何かある度に「俺は高貴なエルフなんたら~」と偉そうにする。ホントは一人じゃ何も出来ない駄目エルフのくせして。


……いつからだろ、そんなテリーのことを気になったのは。

いつから、テリーの横にいるのが心地好くて楽しくなったのは。

最初はただの友達、ううんそれ以下の知り合い程度。それが次第に私の中で大きな存在になって…………傍にいるのが当たり前になって、それで……


でもね、私分かっていたよ。

テリーには姫子ちゃんがいるって。


「だってさ~、あの二人お似合い過ぎでしょ。姫子ちゃんとか露骨だしぃ」


私はテリーのサポート役。

だから二人をくっつけようと色々やってあげたわー。

二人とも照れながらも互いのこと意識しちゃってさ、見ていてニヤニヤが止まらなかったよ。


見ていて、ニヤニヤして……私の隣に立っていないテリーを見て、どうしてって。

気づいたらいけない気持ちだった。持ってはいけない想いだった。


「あー疲れたー、私ってば頑張り過ぎぃ。良い人過ぎるでしょー」


我慢して耐えて見ないようにして気持ち閉じ込めて、ずっとずっとひたすらひたすらニヤニヤした。溢れそうな想いを押さえつけて二人の恋を応援した。


本当は、本当は私だって……テリーのこと好きだけど。


「あーあー、ホント、っ、どうしようもないなぁ」


独り言がぽろぽろと落ちていく。つられて、涙がぽろぽろと落ちていく。

眩しい空を見上げて、瞳から溢れる涙が頬を伝う。一度出たら駄目だ、あっという間に視界が潤んで止まりそうにない。


テリーが言いかけた言葉、全て聞きたかった。その気持ちを、全てを受け止めて私自身も想いを告げたかった。

抱きしめたかった、テリーの傍にもう一度立ってテリーに触れて、何も考えず素直になってぎゅ~としたかった。


でも私がそれしちゃテリーの決断が鈍っちゃう。あいつ、馬鹿だから。

馬鹿なくせして私のことまで気にかけて……そんなんされるから思わず……


俯いて歯を噛みしめて必死に耐えてやった。

少しでもテリーに触れたら全て吹き飛びそうで怖かった。溢れる想いをなりふり構わず晒し出しそうだった。

でも、でも! 我慢した。テリーの言葉聞いたら私どうにかなりそうだったから言葉遮ってやった。あいつを送り出せた。


「その結果これだよ。あーあ、いつまで泣いてんの私?」


自分に素直にならなくて必死なって閉じ込めて世話焼いた結果がこれだ。

一人残って大泣きしてる。声も出さずにただ、引くくらい泣いて後悔してる。

自分は世話係だとか、テリーや姫子ちゃんの為だとか、色々考えて気を遣って、本心はそんなんじゃないのにさ。


違うの。ずっと……テリーの傍にいたかっただけ。


でもそれはもう届かない。私自身で遮ったんだ。

後悔してるし悲しくて仕方ないけど、うん! もう、いいの。


……私が身を引いて送り届けたんだ。

これで失敗したら絶対許さないんだから。

だから、テリー。絶対に自分の想いを告げてよね。それがせめて私の願い。


もう走り去った後の正門を見つめて、私はいつものようにニヤニヤと笑ってやった。それでも涙は止まらず次の瞬間にはその場に崩れてしまった。


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