第141話 十一年前、二人の出会い
「久しぶりじゃな馬鹿息子」
爺さんに連れられて来た場所は見たことない世界だった。
木や葉は見当たらず、黒色の地面と灰色の壁のみ。堅そうな物体がそこら中にある。俺は怖くて爺さんの服を掴む。
「どーもです。そんな怖い顔しないでくださいよ~」
爺さんと俺の前に現れたのは中年の男性。茶髪のボサボサ頭とくたびれた服、鼻の上に奇天烈な形をした物を乗せている。
「すっかり人間の国に染まりおって。一族の恥さらしめ!」
「そう怒らないでくださいよ、ははっ。で、その子が兄さんの子供ですか?」
男性がこっちを見る。優しげで穏やかな目。不思議な外見だけど悪い人じゃなさそうだ。
でも怖い。服を掴む手に力が入って爺さんの腰元へ隠れる。
「息子夫婦の残した、ワシの可愛い孫じゃ。名前はテリー」
「兄さんのところに子供が生まれたのは聞いていました。いつか見に行こうと思っていたけど、まさかこんな形で対面するとはね」
男性の顔が寂しげに沈む。
爺さんと同じ表情だ。悲しそうな瞳、見たくない瞳……。
「十の八の森からの帰りだった。大洪水に巻き込まれた仲間を助けて自分自身は……」
「……そっか」
「あいつの後を追うように母親も……。この子だけが残された」
爺さんの大きな手を置かれた。ぐしぐし、と俺の髪の毛を撫でる。
……爺さんと男性が話している内容が分かる。父さんと母さんのことだ。村はそのことで騒がしい。
……父さんが死んで、母さんは見る見るうちに弱まっていった。生きる意味を失ったように、母さんは眠った。
母さんも、父さんも、もういない。
「母親とは一度会ったことがあります。とても綺麗で長髪が美しかった」
……うん、母さんの髪はサラサラで触ると心地好かった。
髪の毛だけじゃない。手を握ってもらって優しく抱いてくれて……いつも温かった……、っ。母、さん。
「う、うぅ」
「息子夫婦の話はやめい、テリーが思い出すじゃろ馬鹿ネイフォン!」
「うわわごめんねテリー君。というか父さん、本名で呼ばないでよ。この国では木宮もこみちで通しているんだから」
「知らんわ。まあ話を戻すが、今回はお前への報告と顔見せじゃ」
すると爺さんはしゃがみ込んだ。目線を合わせてくれて、ニコニコと微笑む。
「お爺ちゃんはこの馬鹿とお話しするからテリーは遊んでおいで。そうじゃな、おいこの辺で遊び場所はあるか?」
「馬鹿じゃないです父さん。そうですね、そこの階段を登れば神社があります。車も通らないし林もあるから丁度良いかも」
「テリー、向こうで遊んできなさい。知らない人に、というか人間について行っちゃいけないよ」
爺さんが指差す方向には階段があった。
人間? よく分からないけど爺さんは俺を遊ばせに行かせたいみたい。
俺が泣いちゃうからかな、ごめんなさい。
小さく頷いて階段を昇っていく。
「……いつかテリーを一人で人間界に行かせる。ワシはあいつを族長として鍛え、人間界についても学んでほしいのじゃ」
「ここにですか?」
「まだ先の話じゃよ。残されたあの子を甘やかすのは簡単じゃがワシは敢えて厳しく育てたい。一人でも生きていける逞しい子になってほしいのじゃよ」
「……なるほど」
「いつか人間界へ旅立たせる時、お前にはその手助けをしてもらいたい。頼む、我が息子よ」
「勿論です父さん。全力でサポートさせてください」
階段を登るとそこには不思議な建物があった。
初めて見る形のおかしな家。でもここはとても静かで横には木があって、なんだか気持ちは落ち着く場所だった。
「誰もいないのかな……」
建物の中に入るのは少し怖いから周りを歩いてみる。
砂を踏みしめる音、葉っぱが揺れる音。それ以外は何も聞こえず、さっきまでの騒音でうるさかった場所とは別世界のようだった。
うるさい音を寄せつけず、世界から切り離されたみたいで森の中にいるかのよう。
「……誰?」
声をかけられた。俺はビクッとして声がした林の方を見る。
林の中、木に寄り添うようにして立つ一人の女の子がいた。
エルフの森にはない変わった服装。太陽に照らされて黒い髪がキラキラして眩しい。
女の子は木の影に隠れて俺の方を不思議そうに見つめていた。
「こ、こんにちは」
「……こんにちは」
返ってきたのは虫の鳴き声のように小さな声。
俺と同じくらいの身長なのに、女の子はどこか弱々しそうで肌の色は白くて。なんだか寂しそうに見えた。
この子、エルフじゃないんだよね。人間って爺さんは言っていた。思わず話しかけたけど、良かったのかな……?
「どうしてそこにいるの?」
でもなんだか話しかけてしまう。知らない土地の知らない子だけど、この子は……なんだか俺に似ている気がした。
一人でいて、泣きそうな顔をして細くて弱くて、今にも消えそうな……。
「……お散歩」
「そうなんだ」
「……君もお散歩する?」
「うん」
女の子が手招きする方へ向かう。建物が遠くなって林が近づく。
うちの森よりも少ないけど林の匂いは、気持ちが落ち着く。
「俺ね、テリーって言うんだ」
「……姫子」
「姫子って言うんだ。変わった名前だ!」
「テリーの方がおかしい」
女の子と喋りながら林の奥へと進んでいく。
隣を歩く姫子は、本当に細かった。掴むと折れそうで砕けそうで見ているこっちが不安になるくらい。
「テリーはどこから来たの?」
「んとなー、森から来た!」
「……森?」
「じゅーのいちの森だよ。エルフの森の中で一番偉い森なんだって」
林の中をぐるぐると歩く。
木は細くて頼りないけど匂いはとても好きだ。
「エルフ? 何言ってるの?」
「エルフ知らねーの? ほこりたかきこうきなるいちぞくなんだぜ」
「……」
「あ、信じてないだろ!」
不思議そうに俺を見つめる姫子。
……あれ、姫子? なんだか苦しそうだよ。
息遣いが荒くて頬は赤くなってる。歩き方も変だ。
でも俺の後をついて来る。けれど足取りは遅くなっていく。
「苦しいの?」
「……ちょっとだけ」
「ほらおんぶしてやるから乗れよ」
「う、うん」
姫子をおんぶしてあげる。お手伝いで運ぶ丸太に比べたら軽い。
背中に伝わる温もり、人の息遣い。そして良い匂い。
木々の匂いとは全く違う、初めて嗅ぐ匂いだ。とても気分が良い。
「ごめんね。私、体が弱いの」
「気にするなって。そうだ! 俺がエルフである証拠見せてやるぜ」
姫子をおんぶしたまま地面を走ってそのままの勢いで跳ぶ。
地面から離れた両足は木の上へと着地、姫子の方を振り返る。
「ふふん、どうだ!」
「……すごい。テリー、すごいね」
「このくらいよゆーだよ」
そのまま木の上を渡り歩いていく。姫子と話しながら俺は笑っていた。
……こんなに動いて笑うのって久しぶりだ。……いつも森の中を駆けまわっていた。でも最近は遊んでなかった。
父さんが死んで、母さんが死んで、俺は残された。
父さんがいなくなった後、母さんは俺の横で見る見る衰弱していく。ベッドから起き上がれなくなって、たまに俺の方を見るけどいつも天井を見て、天井を突き抜けて。
母さんは天を見つめていた。そこに何かあるかのように。そこに誰かいるかのように。
寝込んでから息を引き取るまで数日足らずだった。
俺はずっと傍にいた。母さんが目を閉じて、安らかに眠るその瞬間まで。
幸せだった。父さんと二人、俺に笑いかけてくれた。温かかった。
それがもうない。二人はいない。そう思った時、母さんの温もりが消えた時、涙が溢れて止まらなかった。
もう、父さんも母さんもいないんだ。
「……テリー、泣いてるの?」
「えっぐ、ぐすっ」
涙が止まらない。悲しさが止まらない。
もう俺を抱いてくれない、手を握ってくれない。俺の当たり前だった日常はもう帰ってこない。
たくさん泣いたのに、なのに、まだ涙が溢れてくる。
「母さん、うぅ……っ」
「テリー、泣かないで」
ぎゅう、と抱きしめられた。
温もりが、暖かさが、俺を包んでくれる。
「ぐすっ、姫子……?」
姫子は抱きつく。
細くて弱々しい体で俺に精一杯しがみついて、その小さな体で、俺を温もりでいっぱいにしてくれた。
「……もっとお散歩しよ?」
「えっぐぅ……っ、ぐす。あぁ、そうだな!」
涙を拭って、跳ぶ。
姫子をおんぶして、一緒に、自然と笑顔になって。
……気持ちが落ち着いて、ポカポカとなった。




