第137話 勧告
「……来たぞ」
昼休み、俺は中庭に来た。初夏の匂いが風に乗って吹き抜ける。
気温も上がってきて中庭で昼ご飯を食べている人はいない、誰一人としていない。
春や秋頃は多くの生徒で賑わっていた中庭が静穏に包まれている。が、これはあまりに静か過ぎる。
減ったとは言え最近でも生徒はここで昼食を食べている。なのに、どうして誰もいないんだ。
中庭の横を通る人すらいない。今この場に俺と、土竜防人だけが立っている。
「貴重な時間を割いてもらいありがとうございます。エルフ、君が多くの疑問を抱えているのは分かります。僕が教えられる限りのことは伝えるつもりです」
制服姿のノーム族の青年は抑揚のない声で淡々と話す。
どこにでもいそうな姿の、けれど醸し出すオーラは人とは違う。緊迫した空気が伝わってくる。
「まず最初に、今この一帯には人避けの魔法をかけています」
いきなりとんでもないこと言ってきたよこの人。早速意味不明なこと言われて脳は麻痺しかける。
「え……何ですか人避けって」
「君達エルフも人間は立ち寄らないよう森に結界を張っているはずです。それに似た力を考えてもらって結構です」
十の四の森で見た結界がぐにゅーんと解ける瞬間を思い出した。
人が立ち寄らない魔法。それで今この場に人が誰一人としていないってことか。
理解し難いし、すんなり受け入れられるものじゃないな。何サラッとすげーこと言ってるの?
けれど俺の困惑は無視して土竜は話を続ける。
「次に、僕が突然転校してきて驚かれたでしょうが僕はこの国に干渉をするつもりはありません。この学校に来たのはあなたの監視、そして来たるべき時に連絡をする為です」
「監視、だと?」
「不法入国になるでしょうが催眠魔法で人としての戸籍と転入手続きは完了しています。どうか学校内ではディオム・アースノームではなく人間、土竜防人として接してもらえますか?」
「催眠魔法!?」
は、は、は、はぁ!?
こいつは次から次へと何を言っているんだ……!?
「催眠魔法と言っても対象を完全に操るわけではありません。時間をかけて催眠をかけ、それも数分足らずで解けてしまう魔法です。が、僅かでも催眠魔法が効けばその間に人間として暮らすのに必要な書類や証明は手に入れることが可能です」
……だ、駄目だ。話についていけない。
人避けに催眠の魔法、大地を動かす土魔法。どれもこれも理解の範疇を越えている。
俺の知らないことばかりだ。どうしてこんなことになった?
訳が分からなくなり、混乱が脳を掻き毟って思考が崩れそうだ。
それでもノームは淡々と話していく。
「っ、そうだ。さっき言った監視って何だよ!?」
「説明が丁寧ではなく申し訳ない。簡潔に話していこうと思います」
どうぞおかけになってください、と土竜はベンチの方に手を向けた。
俺は迷わず生い茂った茂みの中に座り込む。表情を崩すことなく土竜は手を下げる。
「どうせ誰も来ないのなら俺が落ち着ける状態で聞く」
「そうですか、では続けます」
深呼吸し微かな草葉の香りを吸い込む。
気を静めろ、冷静になれ、思考を鈍らせるな。
こいつは俺に何か攻撃をしかけてくるわけではないのだ。如月に比べれば危険性はなく寧ろ友好的だ。
それなのに、どうしてだろう。胸が騒いで不安が拭えないのは。
何か、とても大切なものを失う気がしてならないのはなぜだろう。
「シルフの王子がこの国の工場を破壊、多大なる被害を与えた。あなたとシルフが戦闘し、建造物及び自然を破壊した。これら事件を知り得た我々ノームはあなた方を監視することにしました」
「……秩序を守る為、危険な俺らを監視か」
「その通りです。次に同様の事件を起こす前に止める為、そして拘束する為に僕は来ました。今までは接触せず遠くで監視していましたが」
そして昨日、如月が記憶を取り戻して俺と再び戦うことになったのが登場の合図となったわけか。
話の通りならばこの青年は一ヶ月前から俺と如月を監視していたことになる。
気づかれず、何が起きても迅速に対応出来るように、遠からず近からずに潜伏していたのだろう。
オッケー、なんとなく分かった。クールだぞ俺。その調子だ。どんどん話を聞いていこう。
「お前の目的は何だ?」
「秩序を守ること、それがノームの使命。遥か昔、かつて人間と他種族による戦争は数えきれない程あった。多くの者が犠牲になり命を落とし、争う中で自分らの使命を忘れかけた種族達は戦争をやめた。大英雄エルフの忘却魔法を始めとする様々な種族の協力によって人間は我々の存在を忘れ……」
「簡潔に話すんじゃなかったのか?」
「失礼しました。現在では種族間での干渉はほとんどありません。今のその状態を保つ、一つの種族がその生活圏内で過ごす今の平和を維持すること即ち秩序を守ることが目的です」
「だから人間界を破壊しようとした如月を捕まえたわけか」
「彼の行動は度が過ぎている。戦争の再来を喚起する危険なものだ。即刻捕縛するつもりだったが彼は記憶を失っていたので監視することにした。記憶を取り戻し再び危険な動きをすればすぐに捕まえられるように」
……大体状況を把握してきた。
森を愛するのがエルフ、風と共に生きるのがシルフ、それと同じだ。秩序を守るのがノーム、種族間における争い事がない平穏を望んでいるだけ。
そう考えるとこいつはとてつもなく良い奴ではなかろうか? 一つの種族の問題を解決するのではなく、この世界に生きる全ての種族のことを思って今の調和を保とうとしている。それが秩序を守るってことだろ。
「シルフの王子の言い分は分かります。が、それは彼の種族のことを考えたこと。人間の国を完全に滅ぼそうとするなら世界はまた戦火に覆い尽くされる、草も水も風も大地も枯れていく。同じ過ちは繰り返さない、大地を血で濡らしたくない。その為に我々ノームは今の、多くの種族が各々の国で他種族と交わらず生きていくことを目的とした完全中立立場の、世界の番人です」
「大層な使命をお持ちのようで。今の状態が一番良いと?」
「全てにそれが当てはまるわけではないでしょう。夢物語を語るなら、あらゆる種族が差別も争いもなく互いの手を取って暮らしていけるなら、私語になりますがそれはとても素晴らしいことだと思います」
「……」
土竜の言う通りだな。
エルフもシルフも人間も仲良く暮らせたら互いに利益をもたらすだろう。エルフの森にゲーム屋ができてしまう。爺さんウハウハだ。
が、そんなの到底無理だ。木々を伐採して風を汚す人間を、エルフとシルフがニコニコスマイルで和解するだろうか。そんなことはない。
さらに言えば人間が俺らの存在を認めるか? 謎の生き物として駆除する対象になる可能性だってある。
そうさ、今の状態が一番良いに決まっている。人間と関わってはいけないってことだろ……。
「話が逸れてしまいました。どうも僕は説明するのが苦手のようです」
土竜は申し訳なさそうに少しだけ頭を下げる。
どこにでもいそうな人間らしい髪色と目をしたノーム族が一呼吸して場を整える。
「君とシルフのいざこざの後、僕は二人を監視しておりました。もし次に問題を起こすなら二人に勧告しなくてはならないからです」
「勧告……」
あぁ、これだ。この嫌な予感と言うべき心臓の跳ね方が不安でたまらない。
自分自身もう分かっている。これから俺がどうなるのか、土竜が何を言うのか、何を勧めてくるのか分かってしまう。
今しがた俺自身も思ったじゃねぇか、人間とエルフは関わってはいけないと。
昨日から抱えていた不安が急に重たくなった。
「大地の番人としてあなたに勧告します。指示する日時までにこの地から去ってください。あなたの住んでいた場所、エルフの森へ」
「……」
昨日言われたことをまた叩きつけられた。
土竜の言葉が脳に食い込み、拒絶したくなる痛みが襲ってくる。
「あなた自身が何かを破壊したり人間に危害を加えたことはないが、それでもシルフと抗争した事実は変わらない。我々としては両者共にこの国から出てもらうのが最も安全であり秩序を守れるとの見解です」
「……まぁ、そうだな。その通りだ」
元々俺はここにいて良い存在ではない。自分の正体を隠して人間として振る舞って、ゲーム機を買う為に住んでいるだけ。
大昔とはいえ戦争した相手、そして今現在も森林を伐採する人間は憎むべき相手。そんな人間の住む世界に俺がいるのはどうかしている。
「……そんなこと、分かってる」
そんなこと十分に分かっている。
でも、それでも、なんでだろうな…………すごく嫌なんだ。
ここを離れるのが、学校に行けなくなるのが、姫子や清水に会えなくなると考えると信じ難い程に胸が痛くなる。
かけがえのない宝物を、大切な友達を失う気がして、たまらなく嫌だ。
「即刻立ち去れと言うわけではありません。寧ろあなたは被害者、シルフの横暴に巻き込まれた側です。我々の見解だけであなたを追放するのはあまりに身勝手だ。また後日、話し合いの場を設けます。最終的な判断はそこで行いますのでもう暫くお待ち願います」
土竜は頭を下げるとその場から去っていった。
残されたのは俺だけ。他に誰もいない、音の無い世界。
その中で俺は震えていた。なんで、なんで震えているんだろうな。
誰もいない中庭の茂みの中で、葛藤した。
俺はどうすればいいんだ、と。
嫌だ、ここから離れたくない。まだ森に帰りたくない。
「クソ……何なんだよ」
掠れた声が響きもせずに地面へと落ちて儚く消えていった。