第135話 土の民ノーム族
「授業のうちに課題が終わらなくてね」
「はあ、そうすか」
如月に頼まれて裏山へと来た。
先程の授業でスケッチが全て終わらなかったようで残りの作業を放課後にしたいんだと。
それに俺も付き合ってほしいと頼まれたわけだが……なんで俺は律儀について来たんだよ。別に断っても良かったじゃないか。
溜め息交じりに山を登って行く。
「付き合ってもらって悪いね木宮君」
「まあ気にするなよ」
ものすげー気にしろ。自分が人様に多大な迷惑をかけていることを自覚して一生気にしろ。
断れば良かったのに、なぜか押し切られてしまって俺自身「まあ少しくらいならいいか」と思ってしまった。
何をしているんだ俺は。今からのり弁当を買ってのり弁当を食べるという大事な用事があったのに。
「どうしても今日のうちに片付けておきたくてさ」
そう言いながら如月が止まる。山頂へ着いたのだ。本日二度目の光景。
街の中と比べて空気は多少澄んでいるし木々は心を癒してくれるから来ること自体は嫌じゃないんだけどな。この中二病と二人きりってのは嫌だ。
どうやらこいつの中で俺は仲の良いクラスメイトと位置づけられているみたい。
こちとらテメーに重傷を負わされたんですが?
「やっぱり人はいないよね。こんなところ授業でなければ来る機会がないよ」
スケッチブックを手に取り如月は進んでいく。
その先には……って、おいおい。
「……そっちで描くのか?」
如月が向かっていった先は特に荒れている場所。かつて俺が風の魔法を避ける為に奮闘した所で、木々が削られ地面が抉られている。
授業中には他の生徒がここを不思議そうに、そして興味津々と見つめる中こいつは気持ちが落ち着かないと言って遠くに離れていた。それなのに今は自らグイグイと近づいていく。
「こんな傷、ここで一体何が起きたんだろうね」
俺に背を向けて如月はゆっくりと独り言を吐いていく。
山頂の緩やかな風に撫でられて銀髪は微かに揺れる。空を見上げれば赤みを帯びた太陽が遠くの方で沈み消えようとしている。
それでもまだ辺りは明るく、ギラギラと反射して光る銀髪が目から離れない。
「さぁな。俺にも分からない」
物憂げな如月の呟きに一々反応してあげる義理もないがテキトーに相槌を打っておこう。
何が起きたんだろうね、だと? 本当のことを言ってやろうか。
「まるで風魔法で切りつけた跡だ」
……え?
一瞬、自分が発したのかと錯覚した。今俺が思っていることを誰かが呟いた。
風が揺れ、木の葉が落ちてゆっくりゆっくり地面へと落ちる。その先、銀髪の男が呟いた。
な、何を……は!?
「今、何て言った?」
俺の聞き間違いか? もしくは本当は俺の口から零れた言葉で自分自身ビックリしたとか?
そんなわけない。今のは、如月の声だった。
まさか、いや……でも、そんなことが……?
不安が徐々に浸食していき汗が滲む。嫌な心音が臓器と筋肉に響いて全身が痙攣しそうだ。
嘘、だろ。そんなことがあるのか。
「もう一度言ってやろうか?」
その言葉でハッと意識が戻る。不安で曇った視界が焦点を定めて、目の前を映す。
銀髪の後ろ姿。それがゆっくり、もったいぶるようにして如月がこちらを振り向いて、
「まるで風魔法で切りつけたみたいだ。こんな風にな」
バラバラに刻まれたスケッチブックを放り投げた。
「っ!? ……嘘だろ」
風に乗ってスケッチブックの切れ端が林の方へ流れていく。
嫌な予感が的中した。
……こいつ、記憶を取り戻した。
「全て思い出した。ここで何が起きたか、ここに誰がいたか、何よりも俺がどうして人間界に来たのか」
この表情を俺は知っている。
表面上は爽やかで気品ある笑顔。けれどそれは仮面に過ぎない。目は冷たく見える物全てを見下しているかのよう。
記憶を失う前のエアロ・ムーンシルフの目だ。
「随分と長い間眠っていたようだ。深い闇の底に閉じ込められていたかのように」
あ、中二病っぽいところは相変わらずなのか。
って、今はそんなこと思っている場合じゃねぇだろ!
後方に跳んで距離を開ける。こんなこと、こいつの前では意味がないのかもしれないが反射で跳んでしまった。危険だと、脳が警告を鳴らす。
「数時間前。そこで躓いて倒れた時、頭を走る痛みと共に記憶が蘇った。どうやら何かきっかけがあれば思い出せるようだな」
気づけば如月は宙に浮いていた。
あの頃と同じように風を纏い、風を操って、胡坐をかいて空中に座り込んでいる。
「おいクソエルフ、よくもやってくれたなぁ」
「……それは俺の台詞だっての。つーか忘却魔法使ったの俺じゃねーし」
口答えする自分の声に力がないのが分かる。
こっちにまで伝わってくる風圧と、そして如月の殺気。怒りに満ちているのは見なくても分かる。肌で捉えることが出来る。
何かきっかけ、ちょっとした拍子、忘却した記憶に関することに触れると記憶が蘇ってしまうのか。忘却魔法と言っても完璧に忘れ去ることが出来ないんだ。
なんという衝撃の事実。一生に一度の魔法は完璧じゃなかったのかよっ。
「破壊するはずの世界でのうのうと過ごしていたとはな……我ながら情けない。が、全てを思い出した以上やるべきことは一つ。この世界、人間界を壊す!」
如月が俺に向けて手を向ける。
背筋が凍り、汗が喉元を流れた。何か来る、そう思った瞬間に俺は真横へ跳んでいた。
直後、後ろの方で衝撃音が轟く。
「ぐっ」
木の幹が抉れ、バキバキと音を立てて崩れかける。
今のは……風魔法による砲撃。避けなかったら危なかった……!
「ちっ、避けやがって。まぁいいさ、テメェはいたぶり殺してやる。もう一人のエルフも清水寧々もな」
ニタァ、と醜悪に満ちた口で笑うシルフの王子。
記憶を取り戻したのだ、こいつが俺を攻撃してくるのは当然。
……そうだよな、やるべきことはお互い決まっている。あの時、ここで対峙した時に戻ったに過ぎない。
覚悟を決め、俺は身構える。今度は俺がしなくちゃ!
「よくもこの俺をコケにしやがって。テメェら全員ぶっ壊してやる!」
右手と左手、それぞれに青白く光る球体を抱えて如月がこちら目がけて飛んできた。
考える暇なんてない、今度は俺が忘却魔法を使う番だ!
俺が今こいつを止めなければ清水が危ない。ネイフォンさんはもう忘却魔法を使えない、止められるのは俺しかいない。
願え、願うんだ。エルフの心を持って唱えろ。一生に一度のみ許された不思議な力を、今、この時! さあ発動しろ!
「……っ、忘却魔法!」
「させねぇ! その前に殺す!」
発動、しろぉ……! は、早く……もう、あいつが目の前に…………っ、っ!
な、なんで発動しないんだ……頼む、忘却魔法ぉ!!
「双方そこまでだ」
突如地面が割れた。
両腕を構える俺と風を纏う如月、両者の間に亀裂が走り地面から人が出てきたのだ。
体も思考も一瞬にして停止、目の前に現れた人物に目を奪われた。
「なっ……!?」
茶色の薄いローブを羽織る青年。眉毛にかかる程度の髪は墨のように黒くキッチリと整っている。少々つり上がった細目が鋭い。
そして肌の色、女性のように、いやそれ以上に白い肌だ。ミルクを流し込んだような真っ白に近い程の白い肌をした男が地面から生えている。
状況が分からず口を開けてポカンとしてしまう。
なんだこいつ、地面から出てきた? 謎の人物の向こう側で如月も驚いた表情をしている。
空気が爆ぜ、風は激しく暴れて地面は噴火のように突き上げる。
「僕の名前はディオム・アースノーム。大地の番人、秩序を守る一族です」
色白の青年は表情を崩さずその場に立つ。
ローブを翻して土埃を払うその姿はどこか勇ましく、何物を受けつけぬ威圧感があった。
アースノームと名乗る謎の一族、鋭い眼光を前にして俺は一歩も動けなかった。
だ、大地の番人? 秩序を守る……?
「こりゃ珍客だ。お前が根暗のノーム族か」
次に言葉を発したのは如月だった。
距離を取って風の衣を纏って謎の人物を嘲笑うように見下している。
「知っているぜ、何せ同じ四大精霊だ。土の中で生活する引きこもり一族に会えるとはなぁ」
上空へと浮いていき下を見下ろす優越感に満ち満ちた瞳は楽しげに光っている。
直後、両の手に浮かせた淡い球体がうねうねと動き出した。意思を持っているかのように、蛇の如く空中を這いずって青白い軌跡が描かれていく。
「なぜノームがここにいるのか知らないが俺の邪魔する奴ぁ皆殺しだ。そこのエルフ共々木端微塵にしてやらぁ」
上空遥か十数メートルに浮かんだ如月の上を這いずる青白い線。二つの球体は時に交差し、何かを描いている。
それは大きな円だった。円の中には複雑な形をした文字らしき模様が輝き、こちらを見下ろしていた。
「空に綴る風の文字よ。蹂躙する王の息吹、集い梳ける疾風、吠え猛る北風、灰夜は愚者の嘆息。鋭鋒・極輪・玄天・六骸、満ちて唸るは破滅の慟哭――『空白の紋章(ホワイトスペル)』!」
如月の詠唱が終わると同時に巨大な円に描かれた文字は消え、円の線のみが光る。
次の瞬間、円の内部から白銀の波が出現して降り注いできた。伴って上空から轟く爆音。
まるでゲートが開いたように激流が溢れ出る。か、風なのか……!?
「全てを飲み込み切り裂く風魔法の奥義だ、何も出来やしない。四大精霊としてシルフとノームが同列なのが嘆かわしいぜ!」
湯気のような群青色の細い光線を携えて白銀の豪風がうねりを上げて迫ってくる。
地面へ向けて突き進む巨大な風はとてもじゃないが回避出来そうにない。なんだこの規模は、デカ過ぎる。
今から跳躍しても逃げきることが出来そうにない。そしてこの風圧と威圧、直撃すれば一体どうなってしまう?
「くっ、駄目か……!」
食らえば重傷は免れない、けれど逃げる時間はない。
何も出来ず、ただ白銀が眼前に迫るのを見つめるしか出来ないのか!?
「エルフよ、そこから動かないでください。僕が防ぎます」
押し寄せる轟音と風の中でその声が耳に届いた。
横を見ればノームと名乗る青年の姿。銀の光りを反射した肌は真っ白で、鼻横の黒い影とのコントラストがまるで美術作品のように綺麗だった。
ノームは両手を上に掲げて、ただそれだけだった。
この状況を前にしても表情は先程から崩れることなく冷静な瞳が天を捉えていた。
「私語になってしまうが、それは僕も同じだよ。君のような他国の秩序を乱す者と並べられてね。……土魔法、防御」
地面が突出した。それはありえない光景で、あっという間の出来事だった。
大地がめくり上がり、上へ上へと伸びていくのだ。土が、土が……動いている!?
岩のように大きな土が無数に動いて伸びる。そこら中を動き回って俺らの周辺を囲もうとしている。信じられない光景だ、目を疑った。
硬直しているうちに辺りは土で覆われていき、ついに完全に囲まれた。光りが差し込まない真っ暗闇。地面によって壁が形成されて全方向を包む。
何も見えない中で頭上からドドド!と巨大な音が迫ってきているのが分かった。
ぶつかり、広がり響く衝撃音に体が痺れた。
揺れる地面と震える地面。今、この壁が風魔法を受け止めている……っ?
「ば、馬鹿な……無傷だと!?」
差し込む光り、その先には目を見開いた如月。宙に浮かぶ奴の顔は唖然としていた。
何が起きたのか完全に把握出来ない。ただ、この土壁が如月の攻撃を防いだのは理解出来た。
あの巨大な風を受け止める頑丈な守り、それを作り上げたノームの青年。
今のが……土魔法。
「土魔法、拘束」
めくれた土の壁がピクリと動いたと思ったら急速に天へと伸びていった。凄まじいスピードで如月目がけて猛撃する数多の大蛇。
「ちっ、こんなもの」
「先程は鋼に近い強固な土。今は泥に近い土だ」
青年の呟きが如月に届いたのかは分からない。
俺自身、風の砲撃で弾け飛ぶ泥が再び集結する姿、風の斬撃で切断されても一瞬でくっつく泥が次第に如月を覆い囲もうとする光景を見つめるしか出来なかった。
幾多の土が密集する中心部で、如月が抵抗する姿と奴の焦燥に歪んだ顔が少しだけ見えた。
飛びかかった土は全て繋がり、一つの球体となっていた。
小さな月が十数メートル上に浮かんでいるのだ。あの中には如月が……。
あいつの攻撃を防いだだけではなく、完璧に捕縛した。
でもあの状態じゃ息も出来な
「クソがぁああああ『風纏羽衣』!」
雄叫びと共に泥が爆ぜ散った。
風の衣を纏った如月は怒り狂った瞳をこちら側に向けたまま激しく息を吸って吐く。
「げぼっ、ク、ソがぁああああ風の王子を舐めやがってぇ!」
「土魔法、攻撃」
その時になって俺も気づいた。弾けた泥が如月の頭上で集まり一つの形を成していたことに。
巨大な円柱だった。電柱よりも太く巨大な土色の物体が空を見下ろしていた。
ここから見ても分かる、あれは泥ではなく硬質を帯びた武器であると。
躊躇なく円柱が落下し、息を整えるのに必死な如月を押し潰す。
「!? な、にぐおぉ!?」
風の鎧ごと如月を押しつけ、円柱は高速で落下して地面へと突き刺さる。
先程にも負けない衝撃、土埃が舞う。
ち、ちょっと待てよ……何だこの戦いは。
土が風を圧倒した。それだけは分かった。
隣では青年が何食わぬ顔でスタスタと円柱の元へ歩いて行く。
……防御、拘束、攻撃、あらゆる用途に使えて且つ切り替えが速い。柔軟性と汎用性の高さが桁違いだ。これが、ノーム族。
「シルフよ、暴れ過ぎだ。大人しくしてもらいます」
円柱は地面に突き刺さり、めり込んでいた。
円柱の先、土と土に挟まれた如月はピクピクと痙攣しており、微かに何か叫んでいた。叫ぶというより喘ぐ。最早、虫の息だ。
「まだ意識はあるはず。君と、そしてエルフ。両者に我々ノームから通達があります」
エルフと呼ばれて俺は身構える。青年から距離を取っ……いや、こんなの無駄だ。
俺が何も出来ずボコボコにされた。その相手である如月をあっけなく倒したこいつに俺が敵うわけがない。
両手を下げ、ノームと名乗った男の方を見つめる。
「僕も無駄な争いは避けたい、これ以上秩序を乱したくはないです」
「……なんだ、何が目的だ?」
風が止まり、空気が静まり返る。
緊張と不安が入り交ざる中で、ノーム族の青年はゆっくりと言葉を紡いだ。
「シルフ、エルフ。共に人間の国から去れ」