第131話 闇夜を暗躍
「…リー。ねえテリー起きて」
「んぐあ? ぐぎぎ?」
「何その呻き声」
耳元から清水の声が聞こえたので目を開く。しょぼしょぼと覚醒しない目と意識の中で自分が寝ていたことを把握する。
隣には俺の腕を枕にして横になり、こちらを見つめる清水。
「私達いつの間にか寝ちゃったみたい」
その声を聞きながらぼんやりと記憶を遡っていく。
確か今日は……ん、そもそも今日なのか? 昨日の出来事では?
時間経過がよく分からず今何時なのかさえ知らない。
とりあえず寝る前までは清水とお菓子を食いながらダラダラ過ごしていたはず。それがいつの間にか寝てしまって、今こうなっているわけか。
ベランダの方を見れば外は真っ暗、数時間は寝ていたことになる。
つーか清水、腕痛い。お前ずっと俺の腕を枕代わりにしていただろ。なんか痺れているんだが?
「清水、今何時だ?」
「えっと……うわ、十一時半」
げんなりとした声にこちらの気分もへこむ。俺達は一体何時間寝ていたんだ?
十六歳という若き者が菓子食ってグータラして、夜深く更けるまで熟睡なんて、意識高いエルフ族が聞いたら呆れるだろう。意識高いエルフとは日野みたいな奴のことを指す。
「とりあえず起きるか」
清水に起きてもらって俺自身も上体を起こす。
ゴキゴキと小気味良い骨の音を鳴らしながら伸びをする。
既に夜の十一時を過ぎた、外は真っ暗でいつもなら就寝の準備をしている時間帯だ。
テーブルに散らかったゴミを片付けるか……お菓子食べたのはほとんど清水だけど。
「そういや、清水は電車で帰るんだろ。時間は大丈夫なのか?」
「今調べて……あ、ヤバイ」
「……もう帰る電車がないのか?」
俺の問いかけに対して清水は黙ったまま。この無言は肯定を表しているのだろう。
俺のアパートは高校から徒歩で十分とかからない位置にあり、いつも電車で帰る清水の家がここから遠くにあるということは簡単に分かる。
「終電は間に合いそうにない……」
清水の呟きが非常に重たく聞こえた。
おいおいどうするんだよ。
「タクシーで帰ればどうだ?」
「さっきお菓子買ったのでお金ない。テリー貸して」
「馬鹿め、俺が持っているとでも!?」
「なんで偉そうなの?」
う、うるさい。
どうやら俺も清水もタクシーを使用出来る程の金を持っていない。タクシーって便利だけど料金が高いところがネックだよなぁ。
人間界に来た頃は頻繁に利用していたが最近は全然乗っていない。俺も賢くなったものだ。
「どうしよ……」
「んなこと俺に言われても困る。電車はもう運行していなくてタクシーも金銭的に使えない。となるとお前が帰る術はない」
「そんなこと分かってるよ馬鹿テリー」
現状を簡潔にまとめたのにこの言われよう。小金なら精神やられているぞ。
「えー、じゃあ今日は泊まっていくか?」
「テリー、私はそんな軽い女の子じゃないんだよ?」
だよ?って言われても……。
だって帰る手段がないのならこれしかないだろ。
野宿でもしろ、と言ってもいいがお前は女の子だからこうして優しさを提供してあげたのに。
人間界ってのは危ない世界だ。夜遅く、女子が公園に一人でいると半裸のおっさんが迫ってくる世界なのだ。なんと危なくて変態なのだろう。この世界の行く末が心配だ。
「それに男の子の部屋に泊まったらうちのお父さんがキレるよ」
「清水の親父さ……あぁ、あの人か」
頭に浮かぶ親バカの形相。
普段は温厚で丁寧な言葉で話すのに、娘のことになると暴言を吐いて謎の医薬を投与しようとする清水の父親。
まあ確かに、あの人はキレるだろうな。
もし清水がここに泊まるとする。
俺的にはそんなの別にどーでもいいが、この世界で年頃の女子が男子の部屋で一夜を過ごすのは貞操観念が緩いとされている。清水の親父がそれを許すと思えない。俺を殺しにかかるかもしれない。
殺されなくても面倒臭いことになるのは明々白々だ。非常に鬱陶しい。
「というか日付け変わるまでに帰らないと……」
「おいおい? あと三十分しかないぞ」
「ねぇどうしよ……」
清水は困ったように小さな声で嘆く。
んなこと俺に言われてもどうすればいいんだよ。
クソ、俺に金があればタクシー呼んで簡単に住むことなのに。つい先日に家賃の徴収があったから今は手元に金がない。
さて、どうしたものか。
交通機関を頼ることが出来ず、徒歩で帰るには遠い。そして時間もない。
エルフの優秀な頭脳で導き出されるは……はぁ、これしかないか。
「清水、帰る準備しろ」
「?」
「俺が送っていってやるよ」
アパートを出て、上を仰げば黒の空を漂う灰色の雲。星々の輝きは閉ざされ、月の光すら届かない。微かな街灯に照らされて道はうっすらと見えて通行人は全くいない。
「それでどうするの?」
尋ねてくる清水に向けて俺は両手を差し出す。「え?」と理解していない清水。
色々と考えたけどこれが一番手っ取り早いんだよ。
「俺が清水を抱えて走る。そして家まで送る」
戸惑う清水を無視して清水を強引に抱きかかえる。身長差はそれほどないが清水はとても軽かった。つーか痩せ過ぎでは? もっとしっかり食べろよ。
「……このまま走るの?」
「エルフの身体能力舐めるな。本気で走ればすぐだろ。もし人に見られたらマズイから人影見えたらスピード落とす」
タイムリミットも迫ってきていることだしこれ以上説明している暇もない。
ぐっ、と両足に力を込めて地面を蹴る。体を吹き抜ける風が気持ち良く、軽快に走る。
あぁ、走るのって楽しい。ここが森ならもっとテンション上がるんだけどな。
「は、速い!?」
「あ? 怖かったらごめんな」
胸元でぎゅっと服を掴む清水。まぁ任せろって、安全運転で行くからさ。
スピードを出しつつ周りに気をつける。通行人を発見したらすぐに減速して物陰に隠れたり、道を変更して素早く抜けたり、屋根の上に乗り移ってやり過ごしていく。
「この調子なら十二時までに帰れるぜ!」
「なんでテンション上がってるのよ」
いやほら、走るのって楽しいじゃん? 普段正体を隠して狭苦しい生活をしているんだ。こうして颯爽と軽快と走り抜けるのが心地好いんだよ。
昼間だったらこんな真似出来ないけど今の時間なら人目につきにくい。見られたところで何かがすごい速さで通過していった程度にしか思われないはずさ。
順調に走っていき、屋根の上を跳んでいく。
「そういえば如月から逃げる時もこうやって清水を抱えたなぁ」
「……あの時ね」
「なんか懐かしいぜ」
一月半前のことなのになんだか昔のように思えるよ。時間が経つのって早い。
あの時は頭上から風の砲弾が迫っていたから今のように心地好く走れなかったけどね。
「ったく、馬鹿シルフのせいで俺は大怪我してさー」
「あはは、そうだったね。……ホント、懐かしいね。愛しくさえ思うよ」
「清水?」
走り続けると街灯もない道へ出た。けど周りは住宅街で、カーテンの隙間から暖かそうな光が見える。
とても静かで温く、俺が知っている人間界らしい空気だ。
ふと、前方から人が歩いているのが見えた。チラッと見た限り頭にネクタイを巻いたおっさんだった。あれ絶対酔っているだろ。
とはいえこちらの姿は見せたくない。走る方向を逸らし、壁へと突っ込む。壁を走っていき、力いっぱい踏みつけて空へと跳び上がる。
「きゃっ」
「あ、悪い。ビックリしたか?」
屋根へ着地して抱きかかえる清水に視線を落とす。目を潤ませて唇をきゅっと噛む清水の頬はほんのり紅色で、なぜか色っぽく映る。
下の道でおっさんの陽気な笑い声が聞こえる中、なぜか停止する俺と清水。時間と雲だけが流れていき、気づけば月の明かりが差してきた。
「……はっ!? なんかぼーっとしてた」
何をしているんだ俺は。急いで清水を送らないと隼人のおっさんがキレるじゃないか。
慌てて足を動かして屋根の上を移り跳んでいく。ええいもう面倒臭い、屋根の上を歩いていこう。どうせ誰も見ていないだろ。それに人間に姿を捉えさせる程俺のスピードは甘くねぇぜ!
「あ、今思えば抱きかかえるよりおんぶの方が良かったか?」
おんぶした方が安定感があったのでは?と今更思い至った。クソ、聡明で紳士なエルフ族のくせしてそんなことも気遣えないとは情けない。
けど今更なのでそのままの状態で走っていく。
「いやー、なんか悪いな清水。まぁ二人とも寝てたからお互い悪いってことで」
「……」
「清水?」
さっきから様子のおかしい清水。お前までぼーっとしているのか?
しっかり家までの案内頼むぜおい。
「テリーってさ、優しいよね」
「はあ? 俺が?」
「普通ここまで出来ないよ」
「まあ普通の人間に屋根を跳び移っていくのは無理だろうな」
ははっ、本当にテメーら人間は脆弱だぜ。これくらい出来るように訓練しろよ。
特に小金、テメーはくだらない恋愛持論をほざいたりゲームに熱中している暇があるならもっと自分を磨け。単純にムカつく。
「誰かの為に命を賭けるなんて普通は出来ないよ」
「だからあの時は無我夢中だったって言っただろ」
「それでもすごいよ。それで、とっても優しい……」
どんどん声が小さくなり、俺の服を掴む力は強くなっていく。
再び月が雲の中に隠れて暗くなった空の下、俺らは駆けていく。誰もいない、誰の声も聞こえない。そんな中、景色だけが移り変わっていく。
「あーっ、もう!」
「え!? 何だよ急に」
ビックリした、突然叫ぶなよ。
おいおいどうしたよマジで。これが現代っ子ってやつか。情緒不安定な若者が犯罪に手を染めるんだよ。全員エルフの森で心を浄化しやがれ。いや、やっぱり来るな。エルフの存在知られるから嫌だ。
「もぉ何なのよ馬鹿テリー」
いや意味が分からない。
「こんなの駄目なのに、勘違いって思い込んだのに、持っちゃいけない感情なのに私は……」
「なんかブツブツ言っているけど舌噛むなよ?」
「っ、屋根から降りるなら早く言いなさいよ!」
「痛い痛い! 顎を殴らないで!」
なぜか暴れ出す清水を懸命に抱えながらひたすら走り続けた。