第129話 日野と清水
「暑いー」
「そうだな」
昼休み、中庭で清水とランチ。
今日は売店で買ったサンドイッチとコロッケパンと天ぷらパンだ。サンドイッチとコロッケパンが美味しいのは周知のことだが今日初めて買った天ぷらパンは未知の味。興味本位で買ったが果たしてどんな味なのか……。
「暑いよー」
「この前買った高菜パンは微妙だったから不安だぜ」
ある日の放課後、売店のおばちゃんがオススメと言って高菜パンを推してきた。きっと相当に美味しいのだろうと買って教室に戻っていざ食べると微妙だった。いや不味くはないけど決して美味しいとは言えないザ・微妙。
文句を言おうと売店へ行くと既に閉まっていた。おばちゃん逃げやがった。
それがあるのでこの天ぷらパンも素直に喜んで口へ運べない。期待しないでおこう。
「暑いー!」
「さっきからうるせーぞ。夏なんだから暑いに決まってるだろ」
ずっと横で暑い暑いと口やかましい清水。
六月の中旬、昨夜は大雨で今日は晴れ。ジメジメとした嫌な湿度を保ちつつ気温は高く、蒸し暑さは今月で最高レベルだ。
もうすぐ夏本番って感じだな。
「どうして中庭で食べるのよ。クーラーの効いた教室に戻ろうよ」
「いつもここで食べているだろうが。俺らの日常に組み込まれた自明の理だ」
「それ意味分かって使ってる?」
清水はぶーぶーと文句を垂れて項垂れている。
確かに今日は暑いかもな。こんな日は森の泉で涼しむのが自明の理だった。久しく行ってないなー、そもそも故郷の森へ帰ってない。
果たしていつ帰れるのやら。まぁそう急がなくてもいいや。そのうち目的を達成出来るよ。今は気楽にのほほんと過ごそう。
「もう駄目、教室に戻ろ。ほら立って」
「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」
「この前観たドラマの真似しなくていいから早くしろ!」
どうやら暑さに参ったようで清水は教室に引き返そうとしている。
中庭に来てまだ五分も経っていないぞオラァ。草の良い匂いを堪能していないんだ、もう少し待てや。これはネイフォンさんで言うところの煙草みたいなものなんだよ、吸わないと落ち着かないんだ!
……草を嗅がないと落ち着けないってなんか危ない奴みたいだな、人間界だと。エルフの民なら「あー、分かるー」と共感してもらえると思うのだが。
「こんな暑いのに外で食べるなんてどうかしてるよ」
「どうかしてるぜっ!」
「今日のテリー面倒臭い! いい加減にしろや!」
ビンタされたので大人しく立ち上がる。これ以上ふざけるとサンドイッチごと吹き飛ばされそうだからな。
急かす清水の後について行って二年一組の教室を目指す。教室には小金がいるから嫌なんだけどなぁ、あいつウザイんだよ。
「これからは教室で食べるからね」
「あ? ふざけん…いえ、なんでもないです」
反論しようとしたら黒いオーラを纏った笑みを浮かべて握り拳を見せてきたので口を閉じる。怖いよ寧々さん。
この暑い中でも教室内は涼しくなる装置で涼しくなっている。文明利器の賜物だな。便利な世界だよ全く。
ズンズンと勢いよく歩く清水はとても怖いです。廊下に響く足音。
と、そこへ、
「こんにちはキミヤセンパイ」
「おい日野、棒読みやめろ」
廊下を歩いていると前から知っている人物がやって来た。俺と同じ色の茶髪を揺らす女子生徒、日野愛梨だ。今日も髪を後ろで綺麗に結っており、生意気そうな瞳で俺を睨む。
一つ学年が上で先輩だから言葉遣いを変えているようだが敬意は全然こもっていない。
「すいません、やっぱり言いにくいので服ダサイ人って呼びます」
「んだとジャージ不良娘が」
「私は不良じゃないです」
「電車の中で男をワンパンで仕留めたくせに」
「あれは正当防衛です馬鹿」
「馬鹿? おい今馬鹿って言ったな、さりげに馬鹿って言った俺聞いた。ねえこの子馬鹿って言ったよ!」
うるさい、の一言に続けて蹴りが迫ってきたので半歩引いて華麗に躱す。するとムッとして不機嫌そうになる日野。
はっは、テメー如きの蹴りを躱すなんて余裕だわ。と思ったら追撃のビンタが鼻先を掠めた。危ない、この子危ない!
「この野郎、命の恩人に向かってなんてことを」
「……ねぇテリー」
日野に対して歯をカチカチさせて威嚇していると清水に肩を叩かれた。振り返れば不思議そうな顔をして俺と日野を交互に見ている。
ん、ああ、日野のことか。
「…………彼女さんですか?」
すると日野の方も清水の存在に気づいたようで微かに警戒している。日野は俺を盾のようにして自身の姿を清水から見えないようにしている。それで隠れているつもりか。
日野が警戒する理由も分かる気がする。清水が俺に話しかけてきた。てことは俺の知人で且つ人間。
こんな時は俺が間を取り持てばいいんだよな?
「彼女じゃない、クラスメイトの清水寧々だ」
「……」
清水をじっと見つめる日野。初対面の人を襲う程の凶暴性はないから心配するな。
「テリー、その人は……」
さて次はこっちか。なんて説明すればいいんだろう。本名はアイリーン・ウッドエルフ、十の四の森出身の女の子だよ。これ駄目だよな。正体を晒すなという掟を正面突破で破っている。どうしたものか……
「こいつは日野愛梨って言うんだ。まあ、あれだな、俺の妹みたいなものだ」
「私はあなたの妹じゃないですっ」
「エミリーちゃんはお兄ちゃんと呼んでくれるぞ。ということは俺はエミリーちゃんの兄で、エミリーちゃんの姉であるお前は俺の妹だ」
実際のところ妹のようなものだろ。髭の村長からは許嫁として紹介されたけど俺らは拒否しているし、許嫁というより兄妹のような関係がしっくりくる。
けど不満があるようで日野はポカポカ背中を殴ってくる。無視しておこう。
「テリーの妹……てことは」
少し曇っていた表情が「あっ」と呟くのと同時に合点がいったという顔になった。あ、気づかれた。そりゃまあ、うん、だよな。
妹みたいな存在、茶髪で茶眼。事情を知っている清水なら日野を人間とは思わないだろう。
「ちょっと、誰ですかこの人」
「いやだから清水」
「そうじゃなくて! ……まさか正体を」
日野の方も気づいた。俺の正体が清水にバレていることが。
そして今、自分の正体もバレたことに気づいたようだ。
ポカポカ殴る力が格段に上がる。い、痛い!
待て待て、バレたのは俺のせいじゃないからな! 俺よりアホのボサボサ頭のせいだから!
「何やっているんですかっ、やっぱり馬鹿なんですか」
コソコソと小さいながらも怒気のこもった日野の声。
あー、これはあれだ。面倒臭い。
お互いにお互いの色々と経緯を説明するのがすごーく怠い。なんで俺が説明しないといけないんだ。
今俺がすべきことではない。今すべきことは昼食を食べることだ。早くパン食べたいんじゃあオラァゴラァウラウラァ!
「と、とにかくどっちも俺の大切な人ってことで、ね? じゃあまたな日野!」
ここは逃げるに限る。笑顔で手を振り、清水の背中を押す。ほら行こうぜ、お前も早く涼しい室内でゆったりしたいだろ?
けど清水はクルリと体を反転させて俺の横を通過。そして日野と正面から向き合っている。あ、やめて面倒臭そう!
「私、清水寧々って言うのー。昔からあなた達のことは知っているし、他の人にあなた達のことを話すことはないよ」
「……本当ですか?」
腰が引けながらも視線を逸らさず日野は言葉を返す。その目は不安と猜疑心でぐるぐると動いていた。
「私はテリーの協力者なだけだよ。てことでこれからよろしくね愛梨ちゃんっ」
手を差し出す清水。それはあの時と一緒。
俺が初めて清水と話した時、あの時もこいつはまっすぐ躊躇いもなく手を差し伸べてくれた。あぁ、清水が頼もしい。チームバトルでの姫子のブービィくらい頼もしい。
「……よ、よろしくお願いします」
しばらく動かなかった日野だが、清水の手を握る。
おお、すげーよ清水。あの生意気エルフ娘がおどおどしてペースを乱されている。
さすがクラス委員長を務めるだけのことはある。対人関係に関しては俺や小金とは圧倒的にレベルが違う。
「テリーのことは狙ってないから安心してねぇ」
「な、何ですかいきなりっ」
「え、違うの?」
「全然違います。あんなアホなんて」
何やら喋っているけど俺の悪口を言っていることだけは分かった。アホで言った、あの子アホって言ったよ今!
「じゃあまたね愛梨ちゃん」
「はい、ではこれで」
ペコリと頭を下げた日野と別れて教室へと向かう。
ふー、一時はどうなるかと思ったけど清水のコミュニケーション能力の高さに助けられた。
なんか変に色々と考えたりして腹が減ってきたよ。早くパン食べてぇ!
「テリ~、あんな可愛い妹いるならもっと早く教えてよ」
「別に言う必要ないと思った」
「あぁ、エルフだと思うとすごーく可愛くて愛しく見えるねっ。私もあんな妹欲しいな」
「……日野のこと、誰にも言うなよ」
一応注意しておこう。俺と違って日野はもう忘却魔法が使えない。自分の身を守る力がないのだ。あいつの人間界留学の妨げになる可能性があることは潰しておきたい。
「大丈夫だって寧々ちゃんに任せてよ」
ドンを胸を叩いてニッコリ笑う清水。まぁ信じてますよ清水さん。俺も散々助けられてきたし。
「ところでテリー、さっき言ってたのって……」
ん?
「私のこと大切な人って……本当?」
先程までのニッコリ笑顔は消えて、少し頬を赤く染めて清水はこちらを見つめてくる。しっとりと潤った瞳、しばらく目を合わせていると恥ずかしそうに顔を俯かせている。
おいおい、何を言っているんだよお前。
「当たり前だろ」
「そ、それって」
「俺にとって清水はベストフレンドじゃないか。パンをくれて、ご飯を作ってくれて、ご飯を、ご飯を作ってくれるじゃないか!」
「……あっそ」
途端に歩くスピードが速くなってどんどん先に進む清水。え、何?
なんで急に早足になったんだよ。…………あっ!
「はいはい早く教室に行きたいんだろ。どれだけ暑いんだよ」
「うるさい天然ジゴロ馬鹿」
それから昼休みの間なんとなく清水は不機嫌だった。
ちゃんと中庭から教室に移ったのに……な、何が不満なんだよ!?