第128話 止まらない嗚咽と鳴り止まないコール
「うぅ、ナッシュ……君のことは忘れない」
「箱ティッシュ買っておいて良かったねぇ」
映画は終わる頃には、食べ終えたポップコーンの容器いっぱいに丸められたティッシュが詰め込まれていた。決してシコシコやったわけではなく、シクシクと泣いたからだ。
清水の突飛な思いつきで連行されて映画を観に来た。観たのは『さよなら子犬のナッシュ』という少女と犬が触れ合う姿を描いた感動溢れる作品。
もうね、切ない。どれくらい切ないかと言えば、
「うぐ、えっぐ、おえ、げぇおええ」
このように嗚咽が止まらないくらい切ない。
新しい家では飼えないからと、転校する同級生から強引に犬を押しつけられた少女。押しつけられた犬はまだ子犬だった、名前はナッシュ。最初は嫌がっていたけど一緒に暮らしていくうちに少女は子犬と心を交わして絆を深めていく。
ただのペットではなく、本当の家族となって、ナッシュは少女にとってかけがえのない存在になる。
このまま幸せな日々が続くと思った。けど、けど……っ、ある日事故でナッシュが………ぐす、今思い出しても泣けてくる。
そこからラストシーンへと繋がるのが反則だった。あれは駄目、あんなの絶対泣くに決まっている。ぐぅううん。
「やっぱりテリーは泣きやすいね」
「感動系はズルいんだよ。あれは泣けない方がおかしいだろ」
右隣でケラケラと笑う清水を睨みつけるが、大した効果は見られなかった。
あの感動物語を観て泣かないどころか、泣いている奴を見て笑っていやがる。
頭がおかしいのではなかろうか。感受性をどこかに置き忘れたのかよ。
「なあ姫子はどう思う?」
「ん、面白かった」
「そんな簡単に語らないでくれ!」
左隣を歩く姫子に聞いてみると至極普通で無難な感想を述べやがった。
少女とナッシュの絆はそんな一言じゃ語れないんだよっ。
今までに清水と二回映画を観てきたが今回は姫子も一緒だ。
放課後の教室、帰り支度を済ませて映画館のあるショッピングモールへと向かおうとしたら姫子が話しかけてきた。
どうやら劇を見て号泣していた俺のことが気になったらしい。
クラスメイトが淡々と帰宅する中、唯一マジ泣きしている奴を心配してくれる元クラス委員長の優しさに涙がポロリだよ。
せっかくなので姫子も誘い、こうして三人で映画を観に来たわけである。
「んふふー、生意気なこと言ったテリーへ報復出来たし私は満足ですわよん」
ムカつく口調とムカつく笑顔で言いやがって。
あれだからな、涙腺緩いのは仕方ないだろ。ずっと森の中で穏やかに健やかに過ごしてきた少年なんだよ俺は。
「つーか俺は腹減った。なんか食べようぜ」
日が落ちるのが遅くなったが時間的にはもう夜だ。
ポップコーンだけで晩ご飯を済ませたことにはならない。せっかくここに来たことだし何か食べていこう。てことで左右にいる女子二名に提案をした。
「私は別にいいよ」
快く了承してくれた姫子。あなたは良い子だよね、大抵のことはイエスと言ってくれる。けどまあ印天堂65だけは違う。全然譲ってくれない。
「ありがとう姫子。清水は何食べたい? 俺はハンバーグが食べたい!」
「んー……んん」
すると右隣の子は何やら悩んでいる様子で唸っている。かと思えば次の瞬間にはパァと顔を明るくしてニヤニヤと微笑みだした。
え、何その顔。こちらをニヤニヤと見てくる。ニヤニヤ、ニヤニヤと見てくる。
「私はぁ、ちょっと帰らないといけないからぁ。ご飯は二人で、二人きりで行ってきてぇ」
やけに言葉を伸ばして清水はそう言った。あぁ残念だなぁ、と言いながらニヤニヤしている。なんでさっきからずっとその笑顔なの?
「二人きりでご飯とか羨ましいよ~。仲良くディナーを楽しんで」
「いや清水も行こうぜ。どーせ暇だろ」
「寧々ちゃんは忙しいんですー。じゃあねお二人さん。よっ、お似合いカップル!」
そう言うと清水は早足になって俺らから離れていく。出口へと向かうのか、エスカレーターに足を踏み入れた。
「姫子ちゃん頑張ってねっ。あ、テリーはちゃんと姫子ちゃんを家まで送るんだよ!」
手をぶんぶんと振りながら下へ降りていく清水。最後の最後までわざとらしい微笑みのままだった。
なんだ今の強引なやり取りは。まるで俺らを二人きりにさせようとしているようで……はぁ、またか。なぜかことあるごとに俺と姫子を二人きりにさせようとしてくるけど何が目的なんだよ。
「気をつけて帰れよ! つーか大丈夫か、せめて駅前までついて行くけど?」
「私のことは気にするなアホテリー!」
どんどん離れていく清水に対して大声で尋ねると大声で返事が来た。
他の人からすればさぞ迷惑だろうな。
「ったく、何なんだあいつは」
残された俺と姫子。ふと隣を見ればいつも通り表情を変えず立っている漁火さん。
まあいっか。二人でご飯食べよう。
「俺ハンバーグ食べたい」
「うん。……行こ?」
姫子が歩き始めたので俺も歩幅を合わせてついて行く。このショッピングモールは何度か来ているけど一応案内頼みます。
今の時間帯の飲食店は人多そうだな。少し嫌だけど美味しいものの為だ、我慢してやるさ。テリー、我慢覚えた。
「にしても本当にあいつは何なんだろうな。よく分からん」
「……」
多少混雑しているフードコートへと着いて食券を購入する。カウンターで差し出すと店員のお兄さんが「お時間少々かかりますのでこちらでお呼びします」と言って謎の小さな機械を渡してきた。なんだこれは?
「料理できたらこれ鳴るの」
「便利だなおい」
姫子も注文を終えて空いているテーブルへ着く。
さて、少し時間がかかるそうなので待つか。賑やかなフードコート内を極力見ないようにしてぼーっとしておこう。
目の前で姫子が黙って座ってこちらを見つめる。何かあるわけではないけどとりあえず俺の方見るんだね。
「……照久、明日うち来る?」
「明日はバイトあるから無理かも」
「……そっか」
「行かないと清水がうるさいんだよ。部屋まで迎えに来るし」
バイトのある日は清水が部屋に突撃してくるのだ。というかバイトない時も朝ご飯作りに来ることだってある。
あれこれ世話してくるのは助かるけど頻繁に来なくてもいいのにな。
最近は自炊始めたし、最低限の生活は過ごせている。
俺が退院してから来る頻度がさらに増えたようにも思える。あいつなりに心配してくれているのだろうが、一人の時間を潰さないでほしいぜ。いやまあ特に何をしているわけでもないけどさ。
「……照久」
「ん?」
「寧々ちゃんと……その、仲良いよね……」
ボソボソと呟く姫子。人々の話し声でうるさい中、その小さな声を拾うのはエルフには造作のないこと。余裕で聞き取ったぜ。
ピクリとも動かない機械を手に持ちながら清水のことを思い浮かべる。
ん、まあ、仲良い……のか?
「俺的には仲良くさせてもらっているぜ、あっちがどう思っているかは知らないけど」
俺の生活のサポートをしてくれる、そう言ってくれて半年以上も経った。
人間界について無知だった俺の手助けをしてくれ、たくさんのことを教えてくれた。そう、俺にとって命の恩人であり、大切な友達だ。
「俺、ずっとクソジジイと二人暮らしだったからさ。清水は初めてできた友達なんだよ。そりゃ仲良いと言えばそうかもなー」
「……」
今思えば俺って同世代の知り合いが一人もいなかったんだよな。人間界の言葉で言えば、ぼっち。
それが今では清水を始め、姫子や日野といった知り合いが増えて、こっちに来て意外と出会いが多くてなー……ん? えっと、どうした?
「姫子?」
パッと見ただけじゃ変化に気づけない。それ程の機微たる姫子の変化。
微かに髪の毛の先を震わせ、下唇をきゅっと噛んで悲しげに瞳を潤ませているのだ。何か言いたげな、不満があるように見えて、そして、どことなく寂しげな表情を浮かべて……
「ど、どうしたんだ。咳が出そうなのか?」
「違う」
じゃあ何が、
「私のが先に」
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ!と謎の音が手元から響く。うん、ものすごくビビった。
「ぎゃああ!?」
なんだ、なんですかこれ! 赤いランプが点灯して強烈な音を放つ機械。心臓が膨張して一気に縮んだぞ。びっっっっくりした!
「え、え、うぇ、へ、ほ、ほほい?」
「……料理できたみたい。取りに行こ?」
そう言うと姫子はスッと立ち上がって先程のカウンターへと向かう。
え、いや待って。こ、これ持っていけばいいの?
「これ鳴り止まないんだけど!?」
「早くして」
姫子は淡々と返して足早に歩く。全然待ってくれない。
え……なんか、怒ってる? 一体何があったんだよ。
えぇ……訳が分からないよ。
とりあえずこの機械うるさいんですが。