第126話 夏服って素敵だよね
「納豆の糸がぁ、クソが!」
朝ご飯、それは一日の始まりを告げるもの。
始まりとは、布団の中で目を覚ますことでも朝の日差しを浴びることでもなく、一日の活動エネルギーを摂取する朝食のことを意味すると俺は思う。
清水に買ってもらった炊飯器を巧みに操作し、指示された通りにインスタント味噌汁の生成を行い、昨日購入した納豆のパックを開封。
簡易で質素かもしれないが自分で用意したという自作感に酔いしれてテンション爆発状態だ。
甘醤油とカラシを投入して納豆を混ぜる作業へと突入。黒く光る箸が大豆の波をかき分けてさらなる粘りを生み出し、小さな気泡が溢れる。
納豆とは不思議な食べ物だ。独特の臭いと執拗な粘りは他の食材にはない唯一無二の個性、是非今後とも長所として自信を持ってほしい。応援してるぜ納豆。
熱々ホカホカの白米と納豆は相性抜群、味噌汁のアシストが加わって相乗効果が口中に広がる。
あぁ、感無量。と言いたいが納豆の糸が纏わりついて苛立ちが発生、どれだけ箸を旋回させようとも糸は決して切れない。それどころか衣服についてさらに糸の本数が増える始末。ムカつく。
「ちっ、長所であり短所でもあるな。全く憎たらしい奴め」
肩と腕の可動域限界まで激しく動かしても納豆の糸は切れなかった。決着がつきそうにないので糸は無視して納豆を頬張る。
朝ご飯を食らって一休みしたいが登校の時間が迫っている、糸だけに構っているゆとりと気力はない。
白米と味噌汁の合わせ技ダブルスプラッシュを堪能してタオルで乱雑に口元を拭う。空になった食器はちゃんと洗う几帳面さを発揮。
その勢いのまま歯を磨き、鞄に財布を放り込む。後は制服に着替えるだけだ。いつもの制服……っと、
「そういえば今日から違うのか」
長袖の制服に手をかけたが寸前のところで止め、押し入れの方へと向かう。
ちゃんと前日にしていたのに忘れるなよ俺。納豆に気を持っていかれ過ぎだ。
押し入れから取り出す、半袖の制服。
六月の上旬、今日から一週間は夏服移行期間だそうだ。
これまでは長袖の冬服だった学校指定制服。季節も変わり気温も上がってきたので本日から夏服へと移行するんだってさ。
『いまむら』のハイセンスな青色のシンプルシャツの上から夏の制服を着て下は薄くなったズボンを穿く。見た目では分からないがこのズボンは以前よりも薄くて通気性が高まっているみたいだ。人間界の職人技が光っている。
さて、衣替えもしたことだし今日からまた頑張っていくか~。
「ふふ~ん、今日も良い天気~」
六月、それは一年の第六番目の月。水無月とも言う。
梅雨と呼ばれる六月から七月にかけて降り続く長雨の時期へと入り、これからは雨の降るジメジメとした日が始まる。加えて気温の上昇、蒸し暑くなることが予測される。
早朝と深夜は少し肌寒いかもしれないが日中は半袖の方が快適になりつつある今日この頃。
夏服を身に纏って軽快に歩を進める。登校する大勢の生徒も大半が夏服だ。
中には「私寒がりなの」といった面持ちの女子生徒や「俺は皆とは違う、まだ長袖でいるんだ」と大衆の流れに逆らうキザな男子生徒もいる。全員ではないにしろ移行期間一日目でほとんどが夏服になっているようだ。
今までとは違う新鮮な光景を見つめながら教室を目指す。
ま、服が変わっても受ける授業は何一つ変わらないんだけどねぇー。
売店に寄ってメロンパンを買って教室へと入る。メロンパン超美味す~。
「……あん?」
なんか様子がおかしい。教室に入れば謎の違和感が襲ってきた。
夏服のせいではなく、人間から放たれる異質なオーラを感じる。
ライトノベルを熱心に読む如月以外の男子が既に全員揃っており、キチンと着席しているのだ。
女子生徒達はいつも通りキャッキャとガールズトークを嗜んでいる、清水も楽しげにお喋りしている。
だが男子生徒は誰一人として口を開かず黙ったまま姿勢正しく座って静止状態。これはかなりの違和感だ。
な、なんだこいつら。いつもならゲームの話で盛り上がっているはずなのに今は咳ばらい一つもしない。怖い、あとなんかキモイ。
「異世界に転生してチート魔法を使う、か。ふふっ、甘いな俺なら転生せずとも既に……」
自分の席に着くと前方から澄ました声色の中二な呟きが聞こえてきたが無視する。
如月を除く男子の様子がおかしい。姿勢正しく背筋を伸ばして両手を膝の上に置いて目線は固定。普段の授業中より態度が良い。
なんだよマジで、狂気すら感じる。
とても放置出来る問題じゃないので後ろの生徒に話しかける。いつもは話しかけられて鬱陶しいと思っている小金餅吉に。
黒縁の眼鏡をかけた黒髪の地味な顔した小金、ツッコミ気質でやたらと俺に絡んでくるウザイ奴も今は平然たる顔で前を見つめている。必然的に視線が合う。キモイ顔しやがって。
「おい小金、なんでそんなキモイ顔しているんだ」
「静かにしたまえ木宮、我々は今精神統一しているのだよ」
普段なら「朝の挨拶としてはポイズン過ぎる!」とかいった訳分からないツッコミをするはずなのに、今は地方議員のような厳粛なる低い声で淡々と返事するのみ。
様子がおかしいのは一目瞭然だったが言動でさらに拍車がかかる。
「何に対して精神統一しているんだよ」
「知らないんだね木宮。今日は何の日だい?」
会話を継続させるとようやく小金は姿勢を崩し、弱々しい指で眼鏡をかけ直す。視力増強装置の真ん中を指で押してクイッと持ち上げている。
その姿は一目瞭然で気持ち悪い。なんだろう、普段もキモイけどこうして真面目な顔しても気持ち悪いって救えないよ。シリアスなモードに向いていない奴め。
で、今日が何の日かだっけ?
別段、特に思い当たる節はない。男子全員(人間)がこんなことになる事件でも起きるのか?
「今日から夏服でしょ?」
そう言う小金も半袖のシャツを着ている。
ああ、お前の言う通り今日から衣更えの期間だよ。それがどうかしたのか。
一つ息を吐いて小金の顔が険しく濃い表情になった。
「去年、僕は一年四組で良かったなと心から思えたことがあった。そして進級し、またしても幸福が訪れようとしている。この二年一組に……委員長がいるおかげで」
委員長とは姫子のことを指す。一年生の頃はクラス委員長を務めており、皆から委員長と呼ばれていた。俺も最初はそれに準じて委員長と呼んでいたが本人から名前で呼んでほしいと言われたので今は姫子と呼んでいる。
二年生になってクラスの委員長は清水が就任したが元一年四組の生徒は未だに姫子のことを委員長と呼び続けているみたい。
そんなこんなで委員長こと漁火姫子、彼女のおかげで今現在クラスの男子は沈黙に徹しているそうな。
訳分からん、そもそもまだ姫子は登校してきていないだろ。
チラッと姫子の席に視線を流せば空席の状態。まだ朝のホームルームまで時間があるから欠席や遅刻と断定するのは早計だ。
そもそもホームルームまで後二十分もある。普段なら教室の半分以上も席が埋まっていないはずなのに今日はほとんど埋まっている。男子全員が着席しているせいだろう。
こいつらが朝早くから全員集合している理由、それは姫子、そして夏服。……どういうこと?
「冬服では分かりにくかった、いや厚手の冬服でもその片鱗は見れた。けど薄い夏服になればあの存在感がよく分かるようになるんだ。あれだけで僕は夏を乗り切れる自信がある……! 正直言うよ、君と親友になったのはこれが目的でもある」
俺としてはお前と親友になった覚えはないけどな。
イラッとしたけど一々言うと話が進まないので黙って小金を促す。
ニヤリと笑う小金、再び眼鏡をクイッと上げる。
「委員長は木宮と仲が良い、木宮のところによく来る。そんな木宮の傍にいればより近くで委員長を見ることが出来る。委員長の……委員長の……!」
「あー、よーく分かったよ。お前が本当に気持ち悪いってことが」
意味が分からないが発言からしてこいつがヤバイのは重々把握した。
記憶喪失前の如月とは違う意味で、日本界のモラル的に危ない奴だということだ。
委員長と連呼しながらキリッと澄ました顔、けど口元から涎が零れている。き、気持ち悪い。
もしこいつが敵だったら遠慮なく殺せる自信があるっ。
如月、どうして記憶を忘却する前にこいつを始末しておかなかったんだ。風を汚す工場よりもこいつを破壊した方が為になったと思うよ。
小金が何言っているのか理解不能、もう面倒臭いので前を向いて朝寝でもしようかなと頬を机の上に乗せた時だった。
「き、来た……!」
ざわわ、と男子の騒ぐ声が聞こえた。「馬鹿っ、声が大きい」と慌てながらも「おぉ」と感嘆の息を漏らす男子生徒。教室の扉にいる男子数名の声だ。
なんだ? 突然男子達の雰囲気が変わった。
顔を少し持ち上げて周りを観察すると女子は平常通り、男子だけ様子がおかしい。男子全員、とある方向を見つめている。
決して凝視はせず、チラチラと一方向に目線を泳がせているのが第三者の位置からよく分かる。後ろの小金も、
「おぉ、ブラボー」
と眼鏡を押しつけながら呟いていた。押し過ぎて眼鏡の縁が鼻柱に食い込み、レンズが眼球に張りつく勢いだ。
何をそこまで必死になって見ているんだ? 馬鹿かよ、そう思って再び頬をついて寝ようとしたところで、今度は反対の頬を机の上に乗せたところだった。
入口に立っている人物が目に入ってきて、視線が合う。その人物はこちらへと真っ直ぐ近づいてくる。
夏服で、胸元のリボンを揺らし、双丘を少しだけたゆんたゆんと揺らして……。
「……照久、おはよう」
「お、おはにょう」
噛んでしまった。なんだ俺、緊張すると噛みやすくなるのか? き、緊張というか……動揺してしまったのですが。
目の前には姫子。セミロングの綺麗な黒髪、整った小顔とパッチリとした瞳がキュート。背が低くて一緒に立って並ぶと目線が頭一つ分以上も違う程。小さくてとても愛しくて可愛い女子生徒だ。
背は低いけど……その、アレは大きい。
恐らく、クラスで一番ではないだろうか。
机に突っ伏す俺の目線の先に丁度ある、胸。夏服のおかげで形の線がよく分かる。
……今までも何度かその存在感を感じたことはあったけどこうして改めて見ると、圧巻だな。
背は低いのにそこは大きいって、とんでもないアンバランス感だ。けどすごい、半端ない。
ま、まさか男子全員が待っていたのって……これだったのか。
なるほど、今やっと理解出来た。確かに冬服では分かりにくいものだったかもしれない。
やっぱ姫子すげぇ。思わず息を飲んでしまう。
「……照久」
しかし見過ぎたようだ。
鞄を胸元へ寄せて何かからガードするように持つ姫子。……凝視していたのがバレてしまったみたい。
頬を赤らめてムッと睨む姫子。睨んでいるけど可愛いので可愛い。変な日本語になってしまった。姫子に睨まれても全然怖くないんだよなー。
……でも悪いことをしてしまったと思わされるので罪悪感は半端じゃない。
ゆっくりと顔を上げて姫子と向き合う。そして、
「ごめんなさい」
素直に謝罪する。これまでに姫子に対して何回頭を下げたことやら。とりあえず眼福でしたあざます。