第122話 退院
「テリー、今日は屋上まで上がってみよー。肩貸すから」
「照久……あーん」
「テリー、体拭くから服脱いで。早く」
「……照久、蒸しタオルもらってきた。服、脱いでくれる?」
ベッドでの療養、リハビリ、看病という名の様々な辱めを経て、ついに……
「おめでとう照久君。本日で君は退院です」
毎日綺麗な病衣を着ていたのから、愛用していた『いまむら』の上着へと着替え終わり、自分の足でスッと立ち上がる。
地に馴染む両足の裏、伸ばした腕を振るい、全身の快調さを実感して思わず笑みが零れてしまう。
うーん、良好。今なら如月を倒せ……いやそれは無理だな。
とにかく元気になった。一ヶ月も休めばそりゃ嫌でも元気になるよ。
「普通なら一ヶ月じゃ絶対治らないんだけどね。君の場合、怪我の回復だけならもっと速かったし」
主治医としてこの一ヶ月面倒を見てくれた清水隼人さんは引き気味の笑顔で呟く。やはりエルフはすごいね、と付け加えて。
白衣を身に纏う清水父は言葉を続ける。
「まあ私の愛娘がリハビリに付き添ってあげたのだから当然ですね」
少しだけ語気に苛立ちを感じる。どうやら怒っているみたい。
は、ははっ、と愛想笑いを返して微妙な相槌を打つ。
清水の親父さんが言う通り、清水にリハビリを手伝ってもらったのだ。
別に必要ないと何度も言ったのに私の責任だからの一点張りで強引に密着してきた清水。リハビリっつーか抱き着くって感じだったけど。
おかげで清水父からは睨まれていた。お前ぇ、愛娘に何しやがる!と目が唸っていたなー。俺じゃなくて清水が勝手にやっていたんですけど?
学校が終わればすぐにやって来て何かと世話を焼かれた。加えて姫子も頻繁に顔を出しては林檎を剥いてくれる。当分は林檎を見たくもない程食べた気がするよ。
通院の為、学校を早退した姫子が午後の間ずっと傍にいてシャリシャリと剥いてくれた日はある意味地獄だった。袋いっぱいに詰まった赤い果実を見た時はすぐ寝たフリした。
……そしたら頬を突いたり手を握ってきたり抱きついてきたりして、それはそれで恥ずかしかった。
おまけに清水と姫子は清拭をしようと俺の服を脱がせたりしてきた。あれが一番恥ずかしかった、もうお嫁に行けない。
なぜにクラスメイトから体拭かれないといけないんだ。声を大にして抵抗した入院生活二週目の思い出。
ナース達からずっと白い目で見られたのは辛かったよ。ナース達の間で「VIP個室の二股男」と呼ばれていた。勘違いですからねそれ。
そして目の前の親バカから睨まれる。勘違いですからねそれ!
「あの、入院費とかは……」
「いらないよ。私が全て持つ」
でもこんな立派な個室を使わせてもらい、身の回りの世話やシーツの取り替えや食事の準備をしてもらったのに無料ってのはどうかと……。
というより入院する時って通常の場合どうなるんだ? 保険とか使えるのか?
シルフにやられたって説明……出来ないよなー。保険下りないよたぶん。
かといって自費で払える程の富を有していない。金で払えないなら体で払ってもらおうか、とか危ない展開になるのか!? せっかく健康になった臓器を売るなんて嫌だ。
「親友からの頼みだし、何よりも君には愛娘を守ってくれた恩がある。私に任せてください」
そう言って清水の父親はニコリと微笑み、また深々と頭を下げてきた。
や、やめてください。だから大人に頭下げられるのって困るんですってば。
でもまあそう言ってくださるなら遠慮なくご厚意に甘えさせてもらいます。
そういえば家の家具を買ってくれたのは清水の親父さんだったよな。朝起きたら冷蔵庫や電子レンジ等の家電製品が俺を囲んでいた。用意したのは清水だけど資金の提供は清水父がしてくれたのを思い出す。
随分と前から世話になっていたのか。そして今回も助けてもらった。
重ね重ねありがとうございます、と。お返しと言わんばかりにこちらも深々と頭を下げる。
「この一ヶ月本当にありがとうございました」
「無事に治って良かったです。また今度もこみちと一緒に家へ来てくれたまえ。盛大にもてなすよ」
話をしながら個室を出て病院の廊下を歩く。
ありがとう病室、ありがとうナースさん、皆さんが世話をしてくれたおかげで全回復しました。
清潔なシーツとベッド、質素ながらも美味しい食事、大量の林檎。あっという間の一ヶ月だった。
最初は全身に包帯を巻かれて右手は穴が開き、全身の骨が砕けてボロボロの瀕死状態だったなぁ。
あの状態から今では元気満々っ。清水のマンマ……あ、これ言っちゃいけないやつだった。怒られる。誰に? 横で歩いている清水父から。親バカの親父を怒らせると恐いので気を逆撫でる発言は控えたい。
大人しく普通な会話をしつつ病院の入口を目指す。
その途中、ナースからヒソヒソと陰口叩かれていたけど……。この二股男が、とか言わないでください。違うから。
清水や姫子も俺なんかに構わず自分の時間を大切にしたらいいのに。なぜ俺の面倒を見たいのやら。嬉しかったから文句は言ってないけどね。
「さて、退院の旨はもこみちに伝えてあります。入口にタクシーを呼んであるから自分の住所を言って帰りなさい。これタクシー代ね」
清水の親父さんが指差す方向にはタクシーが。
わざわざ用意してくれてありがとうございます。感謝感激で涙が出そうで出ないです。
出そうで出ない涙を拭う真似をしていると紙幣を渡される。タクシー代……そこまでしてくださって、何とお礼を申せばいいのか。
数歩進んで後ろを振り返り、清水父と病院に向けて頭を下げる。
「この一ヶ月本当にお世話になりました。ありがとうございます!」
人間界に来て半年以上経ち、様々な出会いがあった。
ほぼ全てに言えることだけど、俺はずっと誰かに助けられてばかりだ。
一人じゃ無理なことが幾度となく立ち塞がり、その度に誰かが手を差し伸べてくれた。
ゲーム機を手に入れるだけの為に来た俺なんかを助けてくれる人がいる。出会って半年程度の俺なんかの為に毎日看病に来てくれる奴がいる、林檎を剥いてくれる奴がいる。
……如月と戦った時、脳を駆ける思いと気持ちが蘇る。
別に関係ない世界だった、どうなってもいいと思っていた。人間がたくさん群がって車が高速で走る騒がしくて眩暈がする世界。
目的以外では関わりたくないと思っていたこの世界で気づけば色々な物を手にしていた。
それは森の中では決して見つかることのなかった物ばかりで、かけがえのない宝物ばかりだ。それを守りたいと思った、守ってみせると足掻いた。
惨めに悲惨にボロボロになりながらも立ち上がって血反吐まみれになって、どうしてそこまでするんだと如月に言われて、そこで自分の気持ちと向かい合えたのを覚えている。
……はは、我ながら随分と変わったものだ。
最初森から出てきた時と比べたら感受性が高まり過ぎている。
「では俺帰ります」
さて、また怪我も治ったことだし明日から目的の為に頑張るか。
目的、それは爺さんの命令。最新の旧世代ゲーム機印天堂65を手に入れて、それを森で起動する為の発電機やモニターを購入すること。
そして、様々な教養を身につけて知識を深め、かけがえのない大切なものを大切にしていこう。