第118話 ぐちゃぐちゃの泣き顔
「じゃあ私帰るけどちゃんと休んでね。ご飯好き嫌いしちゃ駄目だから」
「いい、から、来なさ、い寧々……!」
絶賛目の前で行われる清水親子の熾烈な引き合い。
娘は俺の方を見て病院生活での注意事項を喋っており、父はその娘を引っ張ってなんとか連れて行こうとしている。シュールな光景だな。
娘、清水寧々は病院食に文句を言うなーとかナースにデレデレするなーとか様々な諸注意を口うるさく言ってくる。
はいはい分かったよ大抵の料理は美味いと思ってきたから大丈夫だよ、寧ろ病院食には期待しているよ。朝の食事も美味しかったし。
そして父、清水隼人は愛しの娘を家へ連れて帰ろうと必死だ。
結局昨晩もここに泊まった清水をさすがに今日こそは絶対に連れて帰りたいみたい。
そこそこ年老いたおっさんが女子高生の腕を懸命に引っ張っている。TPOによっては通報される恐れがあるぞ。
だがここは病院で白衣着たおっさんなら女子高生の腕を触ろうとも大抵の場合は許されるだろう。「君みたいな成長期はしっかり触診しないとねぇ」とか言って制服を脱がし始めたらアウトだが。
「もう二日も家に帰ってないだろ、お母さんが心配しているから帰りなさい」
「着替えはあと一日分あるから大丈夫」
「そういう問題じゃないから!」
ちなみに現在時刻午後一時。
朝起きて清水は部屋に備え付けてあるバスルームでシャワーを浴びていた。動けず歩けずの状態で機嫌の良い鼻歌とシャワー音を聞くだけというある意味生殺しなプレイを受けた。今向こうのバスルームには全裸の清水が、とか想像してしまったよ。
如月の攻撃から清水を守る時に必死に願った時みたいに「足動け!」とか思った自分のムッツリ加減にげんなりした。生殺しはやめてよ。
ちなみにここは個室だ。
普通の患者は何人か共同の大部屋らしいが清水父がエルフと他の人と同じにするのは好ましくない&単純に怪我酷いから個室の方にしとくわーといった理由で個室になった。
バスルームやトイレは勿論、冷蔵庫やテレビもある。ぶっちゃけ言えば今住んでいるアパートより広くて快適だ。
まあベッドから動けないから部屋の全貌を把握しきれていないけど。とりあえずベッドはフワフワで寝やすい。
清水がシャワー浴びた後は一緒に朝食を食べて清水はずっと横で児童向けの絵本を読んだり哲学に関する難しい本を読んだりしてくれた。朗読する本の難易度が極端過ぎて頭痛くなったよ。
お昼も一緒に食べて雑談していると清水の親父さんが来た。そして今に至る。
帰ろうとしない清水を汗水垂らして連れ出そうとしている。
俺は何もしないで見ている、つーか何も出来ない。動かせるのは左腕と首くらいだ。
あとは安静を要する怪我を負った部位ばかり。完治はいつになることやら。
「じゃあねテリー、夕方になったらまた来るから」
「ほら来なさい!」
清水父に連れられて清水は部屋から出ていった。最後まで何か喋っていたけど。
さあて、何しようかな。片腕しか使えない以上漫画や本を読むのは容易ではなく、片手で出来ることは限られている。
せっかくなのでリモコンを手に取りテレビの電源を入れる。
何やら緑色の鬣をしたファンキーなライオンが大きな六面サイコロを持った映像が流れた。開口一番の映像に戦慄が走りかけたがしばらく眺める。
どうやらお昼のトーク番組らしい。ゲストの俳優さんが中学校の頃に男からバレンタインチョコをもらって初キスでお礼をしたというホモエピソードをして会場が凍りついている。
どう見ても放送しちゃいけない内容だろこれ。エルフの俺でも分かるぞ。
……清水が帰った途端部屋が静かになった。
なんだか寂しい。昼寝でもするかなー。
あーでもなー、俺って三日も寝ていて昨日も清水と仲良く安眠したわけだから睡眠時間だけ単純計算すれば十日分ぐらい寝たことになる。寝る必要はないと思われる。
が、それはそれ!
暇でしょうがないんだよ。テレビ番組をBGMにしながらお昼寝する。これ決定だ。
寝れば寝る程体力も回復して傷も早く癒えるはず。寝れば大丈夫だと爺さんから教わった。てことで寝ることにする。
リモコンを華麗に操作して音量を良い具合に落としてテーブルに置く。シーツを首元まで引っ張って外気を遮る。
ふあ……なんかもう眠くなってきた。おやすみなさい。
声が聞こえた。誰かが泣いている。
泣いて……いる、のか? 耳に残るか弱くて小さな声、かろうじて聞き取れる程度の本当に、掠れるような小さな泣き声が頭の中で反響を続けて音が大きくなる。
この声……あ、れ……なんだか、聞き覚えがあるような。
ぅ…………女の子? 目の前に女の子がいた。
小さくて綺麗な服を着た少女。その子はこちらを見て、ずっと、ただ、泣いていた。
目からたくさんの涙が零れ、涙の粒が繋がって線となって白い肌の頬を伝って落ちていく。潤んだ瞳でこちらを見つめ、見つめたまま目線を離そうとしない。
しゃっくりを上げながらその少女は何度も何度も俺の名前を呼んでいた。
その姿を、その切なげな表情を、見つめている自分がいた。
少女と同じくらいの身長の、小さな子供の時の自分。少女を見つめ、少女の名前を叫ぶ自分がいたのだ。
そこで気づいた……俺も泣いていることに。
「照久ぁ……ぐす」
「んん、ぐぇ……ひ、姫子?」
目を開けるとベッドのシーツにしがみついて顔を埋めている女の子がいた。
顔は見えないけど艶やかなセミロングの黒髪がサラサラ~フワフワ~と揺れているのを見て姫子だと分かった。あ、れ……姫子じゃん。
さっきのは……夢か。にしては変な夢だったなぁ。
夢というか記憶の欠片が……痛てててっ。
腹部の辺りで姫子が泣いており傷に衝撃が走る。
ちょ、やめて姫子っ。また傷口が開く! 昨日から人が来る度に傷口が開きそうな事態に陥っているのだけど。
え、なんだよ。もしかして怪我人の怪我を悪化させるのが人間のお見舞いの仕方なのか?
狂気民族にも程がある。とりあえず姫子をどけさせないと。
「姫子そこから離れてぇ、傷が痛むから」
「ぇ……照久、ぁぁ」
パッと顔を上げてこちらを見つめる姫子。
パッチリとした綺麗な瞳と小さな鼻と口、シミや汚れ一つもない綺麗で美しい白い肌色の肌、あらゆる可愛い要素が合わさって爆発的な可愛さを生み出す整った小顔だ。
ただ見ているだけで可愛いと感想が出てくる程にキュート。綺麗な黒髪が部屋に光が当たってキラキラと輝いている。
こちらの声に反応して素早く顔を上げた姫子は……泣いていた。
ポロポロと瞳から流れる大粒の涙は一瞬だけ止まり、涙で潤んでキラキラと輝く黒色の瞳が俺の顔を見つめ、そして再び洪水のようにして溢れ始めた。
照久、と偽名を呼ぶ掠れた声。胸元目がけて姫子が抱きついてきた。
「照久ぁ……!」
「痛い痛い痛いいいいぃぃいいぃ!?」
だからぁああぁ傷口が開くって言ってるじゃんか! この位置から昨日も見た気がする。清水が遠慮なく弾丸タックルをかましてきたのと一緒だ。
その小さくてか弱い体からは想像も出来ない威力の突進を繰り出した姫子。
は、肺がああぁ……痛烈な痛みがあばれ骨を貫通して肺へ突き刺さる。
し、死ぬ。ここ最近ずっと死ぬ死ぬ言ってばかりだが今回も本気で死にそうだ。
な、ナースコール! ナースコールのボタンを探そうと左手を動かしたいが姫子が覆いかぶさって動かせない……。
左腕が動かせないとなれば今の俺に動かせる部位は首しかない。
姫子を振り払ってナースコールを手に取ることは叶わない。大人しく抱きつかれるのを許容するしかない。なんで姫子がここに?
「姫子、落ち着いたら離れてね。傷口が決壊寸前なんです」
「うぅ、照久……ふぇぇぇえぇ……っ」
あ、駄目だ。この子たぶん聞いていない。
姫子の鳴き声と骨の悲鳴を聞きながらひたすら天井を見つめるしかなかった。