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第117話 戻ってきた平穏

「では私は勤務があるので失礼する。くれぐれも大人しくしているように」


清水親子によるラッシュで壊れかけの身体が悲鳴を上げて死に絶えそうになった惨劇から数分経った後、清水の親父さんは仕事の為部屋を出ていくことに。

傷の手当てしてくださってありがとうございました。おかげで救われました。

でもさっき肩揺らされたり腹にタックル抱きつき食らって傷口が開きそうになったけどね。


「愛娘に何かしてみろ、腐った包帯で全身を拘束してやる」


怖いこと言わないでください。温厚で柔和な微笑みと丁寧な喋り口調だったのに娘の清水に関することになった途端人柄が変貌した。

初めて親バカという存在を目にしたよ。俗に言うモンスターペアレントというやつか。なんか違うような気もするけど。


漫画やアニメで見たことがある、娘を溺愛する父親のことを親バカと言う傾向にある。他にも何かある度に子供の自慢をする母親等も同様の俗称で示される。清水父の親バカっぷりは異常だと思うけど。

怪我人を相手に激しく揺さぶるか普通? 狂気じみてるよクソが。


娘には優しくニコリと微笑んで手を振り、俺に対しては威嚇する番犬のように凄まじい眼力で睨みつけてきた。

別に何もしませんってば。手を出したりフェ○チ○の類はしません。

腐った包帯を巻かれる恐怖もあるが何より清水本人が一番恐ろしい。間違いなく噛み千切ってくるだろう。……想像しただけでゾッとする。


「じゃあね寧々、今日は家に帰ってくるんだよ。それと照久君」


「まーた警告っすか?」


げんなりした気持ちで清水父に返事を返すと清水のお父さんはこちらを見つめ……その目は番犬の鋭い双眸でも娘を慈しむ眼差しでもなく、真面目でしっかりと色が定まった真剣な目をしていた。

ゆっくり、白衣が擦れる音をさせながら医師は深々とお辞儀してきたのだ。


「娘を守ってくれて本当にありがとうございました。一人の父親としてあなたに感謝します。本当、本当にありがとう……!」


頭を下げて何度も何度もありがとうと言う清水父。

そ、そんな深々と頭下げないでいいですって。さっきまで過激な親バカ野郎だと思っていたのに今は真面目な社会人と化している。

お、おおおお落ち着いてください。てゆーか俺が落ち着け。

い、いやさ、種族は違えど年上の大人に頭下げられるのはビックリするというか申し訳ない気持ちになるというか……とにかくやめてくださいぃ。


「べ、別に俺はそんな大層なことしてません」


「君の怪我は私が必ず治してみせる。では失礼した」


踵を返して今度こそ病室から出ていった。残されたのはベッドに横たわる俺と椅子に座る清水。

……別に、そんな感謝されるようなことはしていないよ。していないというか……しているつもりじゃなかった。


ただ単純に清水を守ろうと俺自身が思って願って叶えようとしただけのことだ。

特別感謝されるつもりでやったわけじゃない。それなのにあんな大人からお礼を言われて……なんだか歯痒いなぁ。


「テリー、林檎剥いてあげるね」


隣の椅子に座る清水がニコリといつものように微笑んで果物を一つ手に取る。もう片方の手で小さなナイフを持ち、慣れた手つきで林檎を切っていく。

シャリ、シャリ、と小気味良く聞こえる林檎の剥かれていく音。

今更ながら窓を見れば外は夕日が沈みかけ、少し暗くなり始めていた。


三日、か……そんなに寝ていたのか俺。

そういえば如月がどうなったのだろう。ネイフォンさんが忘却の力で記憶を消すことで倒したのは見た。

そこからあのシルフ二人がどうなったのか、人間界を破壊する目的は忘れてしまったんだよな。


「~♪」


「機嫌良さそうだな清水」


「そうかな~、えへへ」


丸い林檎は均等に分けられ、赤い皮は何かの形を目指して剥かれている。

丁寧に器用に林檎の皮を切る清水。気づけば林檎がキレーに剥かれた。赤い皮が尖った耳のように見える。


「はい出来た林檎の兎さん~」


どうやら兎の形を模したようだ。綺麗にカットされて見事な出来栄え。

すると清水は爪楊枝を取り出し、兎に目がけて突き刺す。

可愛らしい兎が爪楊枝という名の矢で射抜かれた。皿の上で容易く行われる弱肉強食の摂理。


「はい、口開けてー」


「いい、自分で食える」


「女子高生からあーんされるなんてレアイベントだと思うよ。ほら兎さんとキスしましょう~」


「テメーの手ごとディープキスしてやろうか」


「ほらほらぁ」


痛たたたっ、尖った耳が鼻の穴に刺さっているから痛い痛い! やめて! 

無理矢理口元へ林檎を押し込もうとしてくる清水。こっちが怪我で動けないのをいいことに随分と傍若無人な真似をしてくださる。

右手は包帯で何重にも巻かれて固定されているので残された左手で抵抗を試みようとしたが清水の使える手は二倍、どう足掻いても兎型の林檎から逃れそうにない。

大人しく清水からの施しを受けることに。

……うん、林檎普通に美味しい。シャキシャキとした瑞々しい触感とほのかな甘みが口中に広がる。林檎美味しい。

美味しいけども、あの……そのさ、


「あーん」


「その、あーんってのやめて。恥ずかしい」


「しょうがないじゃん、テリー怪我してるんだから。ほら」


咀嚼を終えて要望を唱えたが聞いてもらえなかった。再びあーんされる。なんか恥ずかしいんですけど。

それからもひたすら清水に食べさせてもらった。結局林檎丸々一つ食べたことになる。


「俺って三日間も寝ていたのか?」


「うん。病院に運ばれた時は結構ヤバかったんだよ。もう少し遅れていたら手遅れだったかもって」


割とガチで死ぬ寸前だったんだな。死にそうってのは如月と戦っている時も思っていたけどね。

あれだけ攻撃を食らえばそう思うのは当然だ。風にタコ殴りされて風に足を斬られて右手に風穴開けられて血ダラダラ流せば人間だろうとエルフだろうと関係なくそう思うよ。


炭酸ジュースを飲みながら清水がペラペラとその時の状況を説明してくれる。

清水の父親が勤めている病院に搬送し、面倒な書類や手続きは他人に介入させずに清水父は処理してくれたそうだ。

もし違う人間、一般の人間の医者に診てもらったら色々と面倒臭いことになっていたかも。「君の血液、おかしいんだけど」とか言われたら汗ダラダラものだ。


「事情はネイフォンさんから全部聞いたよ。シルフ族のこと。……私を巻き込まない為に黙っていたんだよね」


林檎を食べさせ終えた清水はナイフを机に置き、ゆっくりと語り始めた。

その顔はどこか申し訳なさそうで表情が少し曇っている。そっか、全部知ったんだな。如月のことは清水に一切説明しなかった。その理由はこの大怪我が物語っている。


正体を知った清水を如月は殺そうとした。清水を巻き込みたくないからシルフのことは黙っていたのだ。それが原因でここ一週間清水と仲違いになって変な距離が生まれたりしたわけだが。

こうして清水と落ち着いて話すのは一週間ぶり、いや寝ていた三日合わせて十日ぐらいか。

そもそも今日は何月何日なのだろう。学校は病欠扱いなのかな?


「ごめんね」


ポツリと呟いた清水。は? なんで清水が謝るんだよ。


「私が首突っ込んだせいでテリーに迷惑かけちゃって……私のせいで」


「まぁ確かに清水のせいだけど」


「そこフォローしないんだね」


苦笑いで汗を浮かべる清水は申し訳なさげにこちらをチラッと見つめる。

そして椅子から立ち上がるこちらへと移動、ちょこっとベッドの端に座る。足元に座って顔がよく見えない。

……何を責任感じているのやら。確かにあの時は屋上に清水が乱入してきたから如月も戦闘態勢に入ってこんな事態になってしまったけどさ、


「清水が来ても来なくても早晩、如月とはああなっていたよ。清水はきっかけに過ぎない。それに、清水は俺を助けてくれたじゃないか」


「……私が?」


「ネイフォンさんを呼んでくれた。それに山頂まで来てくれた」


清水を茂みに隠して俺自身は山頂へ如月を誘導した。如月を煽って戦闘体勢へとさせて対峙。清水が逃げるまでの時間を稼ぐ為だ。

その結果風魔法で見るも無残な状態になってしまい、虫の息で倒れる寸前。

そこへ逃げたはずの清水がやって来た。テリー、と俺の名前を呼んでくれた。

同時にものすごーく焦ったけど。「え、なんで来たの馬鹿!?」と言う暇もなく如月が攻撃をしかけてきたのでそれを防ぐのに精一杯だった。

その後は助けに来てくれたネイフォンさんのおかげで事態は終着して今こうしてベッドに伏しているわけだ。


こう振り返ると、もし清水がネイフォンさんを呼んでいなかったら俺は助かっていなかったかもしれない。

あのまま山頂で息絶えてもおかしくない。清水は俺を助けてくれたのだ。


「俺は清水を助けるつもりだったけど実際のところ清水に命救われたよ。寧ろこっちが申し訳ない気持ちだ」


「それは……違うよ、テリー」


清水がこちらを向いた。その顔は哀愁に似た悲しげな表情、でも目だけはしっかりと意志を持って視線は真っ直ぐ俺の方を見る。

そっと寄ってきて腰のところにまで身を寄せて清水は俺の手を握ってきた。

自然と顔の距離が近くなり、夕日に当たってキラキラと輝く黒髪に思わず見惚れてしまう。


「テリーは私を守ってくれた、庇ってくれた。テリーがいなかったら私は死んでいたよ。こんな怪我をしてまで私の為に……ごめんね」


「……別に」


「だってテリー、私なんて見捨てて自分だけ逃げることだって出来たじゃん。でもそうしなかったよね。……ありがと、本当に嬉しい」


ぎゅ~と手を握られる。て、照れるからやめて。

クソぉ、もし動けたらこの場からすぐ離れて冗談交じりに誤魔化すけどいかんせん体が動かない。大人しく清水の言葉を聞き受けて目線を逸らすしか出来ない。


そうだよ、全ては清水の為に頑張ったんだよ。

人間界に来たばかりの俺だったら考えられない、逃げずに戦った。

森と自分自身の為だけに生きてきた俺が他種族の人間を助けるようと奮起するなんて、昔の自分が見たら驚愕していることだろう。お前マジかよ、とか言いそうだ。


……大切な友達なんだ、助けて当然だろ。

今の俺にとって、森も大事だけど同じくらい清水や姫子のことも大事な存在なんだよ。気づけば身の回りにあった宝物。如月に言わせれば手の届く範囲になるちっぽけで有限で小さな存在だが、俺からすれば途方もなく大切なものだ。

俺も嬉しいよ、清水が無事で。


「なんだか安心したら眠くなってきちゃった」


握っていた手を離して口元へと運び、欠伸をしている。随分と眠そうだ。


「さっきまで寝ていたじゃん」


「テリーもね。テリーは三日間ぐっすりだったけど私は昨日ほとんど寝ずに看病していたんだからね。さっきはちょっとウトウトしちゃって……」


「え、そうだったの?」


そういえば清水の親父さんが昨晩愛娘がここに泊まると言って聞かなかったと嘆いていたな。マジで泊まっていたのか。

それに寝ないで看病してくれて……あ、ありがとねん清水ぅ。なんだか感動してきちゃったよ。

ところが当の本人は、しまった!と言わんばかりに顔を歪ませる。


「あっ……ち、違うから。別にテリーのことが心配だったわけじゃないから! ほら、その、林檎が傷むといけないからテリーが起きた瞬間に食べさせないと林檎痛むから!」


な、何やらよく分からない理由を叫び始めたけど大丈夫? あたふたと清水にしては珍しく動揺している。

焦っているのか、目線を四方八方に泳がせながら口早に言葉を放出して、おもむろにナイフを手に持つ。

怖い怖い怖い! なんだか今のあなたにナイフを持たせるのはものすご~く危ない気がするっ! 

とりあえず落ち着かせなければ。夕日も沈んで外は暗くなり始めた。


「ま、まあ林檎美味しかったよ。眠たいならもう帰っていいよ。俺ももう一回寝るし」


清水父の言うことが正しければこの三日間暇があればずっといてくれたんだろ? 

俺なんかの寝顔、しかも包帯巻かれたミイラ男の寝顔を見てさぞ退屈な時間を過ごしたのだろう。

今日はもういいよ、十分よくしてもらった。帰ってスマビクしたらいいよ。あ、清水の家は印天堂派じゃなかったか。


「……ホントに帰るよ?」


「ああ。眠たいなら早く帰りなよ」


「……むぅ」


するとどうしたことだろう。

少しムッとした表情をして清水がシーツをめくる。外気が入ってくるぅ。

と思ったら清水が……ベッドの中に入ってきた。え、え、えぇ?


「な、ナニシテルの?」


「……今眠たいのっ」


モゾモゾとシーツの中で蠢いている。あ、やめてそこ敏感。

すると肩の辺りからぬっと清水が顔を出してきた。近い近い、いやマジで何してるのあなた!? ここ病人のベッドだからっ。

ピッタリと寄り添って同じ枕に頭を乗せようとさらに接近してくる黒髪美少女。だから近いってばよ!


「これだけ近づいてもテリーの匂いがあんまりしないね」


「包帯巻かれているからな。つーかベッドから出ろって」


「テリー……起きて、くれて本当に、良かっ……すー」


「清水?」


首をズラして横を見れば目と鼻の先に清水の顔があった。お互いの吐息が当たる超至近距離で清水の穏やかな寝顔が視界いっぱいに広がっていた。近っ。


……ずっと傍で見守ってくれていたんだよな。

俺が守るんだ!とか偉そうなこと言ったけど、清水の方が俺を守ってくれている。

普段の生活でもそうだし今回だってお前がいなかったらここまで頑張れなかった。清水だからこそ最後の最後の限界の限界まで全身を酷使することが出来た。

ホント、お前がいたから……俺はここまで成長出来たんだよ。

隣から伝わってくる温もりを受けて体はポカポカと癒されていく。

清水の寝顔を見つめながら俺自身も再び目を閉じて安眠の世界へと落ちていった。



まぁその後様子を見に来た清水父の大絶叫で無理矢理目が覚めるんですけどね。


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