第116話 清水隼人
「……ここは」
知らない天井が広がっていた。真っ白で汚れがない綺麗な天井だ。
ここは……ベッドか。自分の体が仰向けになっているのを確認。
視覚の次に反応したのが嗅覚、ツンと鼻にくる今までに嗅いだことのない匂いがする。良い匂いとは決して言い難いがものすごく嫌な悪臭でもない微妙である意味新鮮な匂い。
この時点で自分が今までに来たことのない場所へ来たことを把握、どうやら寝ていたようだ。
目がしょぼしょぼする。なんだろ、なんとなく学校の保健室に似ている気がする。
……つーか全身が痛い。脈打つようにしてズキズキ痛む。
「気づいたようだね、おはよう木宮照久君」
ふと声が聞こえる。
俺が寝ているベッドの横に立つ人間がいた。
老け顔で眼鏡をかけた男性、見た目四十代後半といったところか。白衣を着ており、こちらを見下ろしてしきりに頷いている。
……え、誰ですか。
「とりあえず初めまして、私はここの病院に勤務している者です」
病院に勤務、てことはこの人は医者か。
病院、そっか……俺、ボコボコにされたんだった。
ようやく自分がどうしてここにいるのか分かった。
如月と対峙し、戦った結果がこれか。
如月の風魔法に為す術なく散々攻撃された。肉も骨もズタズタにされて、死にかけたんだよな確か。
でもネイフォンさんが助けてくれて如月を倒して……そこから記憶がない。
予測するに俺はあの後病院に運ばれてこうして医師によって治療を受けたのか。知らない天井、変な匂い、清潔なベッド、枕元に立つ医者、どれもこれも知らないものばかり。
でも状況は把握した。あぁ、なんだか体がしんどい。
「気分はどうかな、君は三日間ずっと寝ていたんだよ」
「三日も……体がダルく感じるわけだ」
「普通の人間だったら死んで当然の怪我だったんだけど。さすがエルフってところかな」
え……この人、今サラッと普通にエルフって言った?
黒髪に黒眼、たくさんいる人間を治療する為に特化した医療施設に勤める医者、これらの情報だけでも男性が人間だと断定して間違いない。
人間のはず、なのにエルフの存在を知っている……!? い、一体何者だ……?
「動揺すると傷に響くよ。私の名前は清水隼人。これを言えば納得してもらえると思う」
清水隼人……し、清水。清水ぅ?
心当たりがある。頭に思い浮かぶ可愛らしい女子の顔。白くて線の細い顔にパッチリとした瞳とサラサラの黒髪がバランス良く映えて見た目美少女クラス。長くて綺麗な黒髪は毛先がクルリとカーブを描いている。そんな女の子、清水寧々が脳内で手を振っていた。
そういや清水は無事なのか!? ぐっ、体が痛い……。
この男性は清水と名乗った。イレギュラーな思考回路を通らずに正常に考えればこの人間は清水寧々に関係する人物となる。順当に考えれば……清水の父親か。
……え、お父さん!? 清水の父親って医者だったのかよ。
「その顔を見るに分かったようだね。察しの通り私は寧々の父親。そしてネイフォン・ウッドエルフ、彼とは二十年来の親友だ」
予想的中、やっぱりそうだった。
清水隼人、この人は清水の父親でありネイフォンさんの知り合い。
二十年前、森を出て人間界へ辿り着いたネイフォンさんが死にそうになっているのを助けた人間だ。
この人間界でエルフの存在を知っている希少な人間。恐らく知っているのは清水家の三人、その一人がこの医者ってことになる。
なるほどね、清水の親父さんか。
俺が意識を失った後、ここへ運ばれて清水の父親が怪我の手当てをしてくれたと。エルフのことを知っているから安心ってわけだな。
「もこみちはつい先程仕事に行ったよ。さっきまでここにいたんだけどね」
「あの……し、清水は?」
「私の愛娘のことかな? そこにいるよ、ずっとね」
清水父の指差す方向は俺の足元。
痛がる首をなんとかして動かして視点を足元へ向ければ……っ、し、清水がいた。
へたり、と下半身を床につけて上半身をベッドの上に乗せている。耳を澄ませば聞こえてくる小さくて静かな寝息。絹のように滑らかで綺麗な黒髪が揺れ、清水は寝ていた。
え、さっきからずっといたのか。……寝顔可愛いなおい。
「せっかくのGWなのに朝からずっとここにいるよ。昨日なんてここに泊まると言って聞かなかったんだよ。我が愛娘ながら困ったものだ」
頭を抱えながら溜め息を吐く清水父。そして安らかな寝息をたてて眠る清水娘。
俺はそんな二人を交互に見ながら再び首を枕へと戻す。
痛っ……首動かすだけで痛みが走る。
そういえば散々ボロクソにやられたんだよな。シルフの操る風魔法は思った以上に強力だった。
こちらの足蹴りは風の鎧で防がれ、いくら距離を開けようとも関係なく襲ってくる風の砲撃。
数発食らっただけで意識が飛びかけ吐き気と激痛に全身が狂わされ、目に見えない斬撃が足を切断しかけた。大量に溢れる出血、それでも負けずに立ち上がった。
その結果、これです。よくよく自分の体を見ればそりゃもう酷い有様だ。
顔のほとんどが白い布巻かれている。包帯というやつか、こいつが変な匂いの原因か? 両腕も包帯をグルグル巻かれて特に右手は厚く巻かれて完全に固定されてある。
そういや最後の方、如月の砲弾を素手で受け止めたっけ。……右手の甲、貫通していたような。うわ、見たくない。
「先程も述べたが君の怪我は常人なら死んでいるレベルだ。何より危険だったのは出血量の多さ。もこみちの血を輸血したから大丈夫だろう、血液型も一緒で幸いしたよ。あらゆる箇所が骨折、臓器も潰れ、中には機能停止にかかわる程の重傷を負った部位もあった。右手は肉も骨も飛び散って手術を要したよ。他にも……」
淡々と怪我の状態を説明されていく。色々言われてもよく分からないので「はぁ、そうすか」と適当に相槌を打っておこう。
これまた随分と無様な格好だな。こんな大怪我をしたのは初めてだ。
森で狩りしている時期ですら木から落ちて軽く捻挫する程度だったのに。
ここまでボロボロのボロボッロになるとはね。逆に笑えてくる。常人なら死んでいるって言いましたけど俺だって死ぬと思いましたからね。
さすがにヤバかったなぁ、つーか包帯気持ち悪い。三日間ずっと寝てたとか重傷過ぎじゃない? もしかして寝ているうちに生死の境を行ったり来たりしていたのかな。
生と死の間を反復横跳びしていたりして。爽やかな笑みと汗を零しながら華麗にステップしている全身血まみれの自分を思い浮かべる。キモイ。
「特に傷の深い右手の完治は相当かかると思われる。しばらくは自分を慰める行為もお預けになるけど我慢しなさい」
「片手残ってますよ。利き手じゃないですけど」
「ああ、利き手ではない方で慰めると拙くて他人からされているような錯覚がしてより興奮するというやつだね。それでもティッシュで受け止める為の手が足りないのには変わりない。病院のシーツは汚さないよう気をつけてね」
「まあ最悪そこに寝ている奴の口にでも受け止めてもらいますよ」
冗談っぽくヘラヘラと笑いながらボケてみた。
すると清水父の表情がガラリと変わって、
「貴様ぁ! 愛娘の純情は汚させないぞぉゴラァ!」
激昂した獣のように慟哭を吐き散らして胸倉を掴んできやがった。
揺らさないで傷口が開く! クソ、温厚そうな人だなと思ったけど勘違いだった。アンタただの親バカだったのかよっ。
顔をどす黒い赤色にしてものすごい剣幕で吠える清水の父親。こっちは重傷患者だぞ、手加減とかしやがれ!
「フェ○チ○とかさせんぞぉ!」
病院でそんな卑猥な言葉を叫ぶなよ!
ああぁ肩揺らすな、吐き気に合わせて吐血しそうだ。
クソっ、清水の親父がとんでもない親バカだったとは。
最初会った時の優しくて穏やかな口調は何処へ、今は罵詈雑言と卑猥な単語を吐く暴言者へと変貌した。
傷がぁ、痛いぃ! これが医者のすることかっ。ありえないだろ。
だが今の俺にはツッコミをする気力やおっさんの両手を振り払う力はない。されるがまま脳と揺らされるのみ。
なんだこの理不尽っぷり。まるで清水みたいだ。いつも優しいけど暴力を振るってくる、それに似ているぞ。
親子だ、こんな状況なのに親子だねとしんみり思えた。うおぇ、吐きそうだ。
「ん……ふぁ、ぇ……?」
するとベッドの後方で何やらモゾモゾと動く物体。
清水が目を覚ましたようだ。目をこすりながらぼんやりと焦点の定まらない目線でこちらの惨事を見つめている。
半開きの口、開ききれていない虚ろできょとんとした瞳が数秒と経たないうちに変化する。カッと見開いて視線が一直線に俺へと突き刺さる。
え、ど、どうした……っぅ!?
清水の驚いた表情、小さく「ぁ……」と呟くのと同時に弾け飛ぶようにして俺目がけて飛び込んできた。簡単に言えばタックルだ。
「痛たたたたたたぁ!? 傷が開くぅ!?」
両腕を広げて俺の胸元へと抱きついてきた清水。
ベッド一つ分の至近距離という助走ゼロの状態にも関わらず新幹線を彷彿とさせる勢いある突進を見せてくれた。
あばら骨が阿鼻叫喚の軋み音を上げる。ぐおおおおお!? 死ねる、今この瞬間に死ねる自信がある!
なんでいきなり抱きつい、て……ぁ?
「ぐすっ、テリー……良かったぁ、うぅ」
その光景を、その表情を、意識が途絶える前に見た覚えがある。
涙を流して声にならない嗚咽を漏らす清水。胸元で延々と泣き続けている。
……ずっと傍で目が覚めるの待ってくれていたんだよな。ありがと、清水。
ひっくえっぐ、と泣きじゃくる清水の頭に無事な方の左手を乗せて優しく撫でる。
トクンと心が小さく揺れて安堵が広がっていく。
俺も良かったって思えたよ、清水が無事で。胸元で大泣きする少女を守れたことが誇りに思うし、何より良かったと心底思えた。
この子を守る為に包帯だらけになりながらも頑張ったんだ。
清水の姿を見ただけで、なんだろ……とても穏やかな気持ちになった。
ありがとう、清水。
「クソがぁ! 愛娘から離れろぉ!」
……親バカのせいでせっかくの良い雰囲気が台無しだよ。