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第115話 忘却魔法

「ネイフォン、さん……?」


「遅れてすまない。寧々ちゃん、怪我はない?」


「私は大丈夫……っで、もテリーが……うぅ」


眩んで霞んで途絶える視界に見える清水のぐしゃぐしゃな泣き顔、その横でそっと頭を撫でてニコリと微笑む中年の姿。

茶色の髪はボサボサ、鳥の巣のよう。鼻先にまで落ちた眼鏡、不衛生な生え方の髭を俺は知っている。

俺を救ってくれた、この人間界に来て途方に暮れていた俺を助けてくれた最初の人物。ネイフォン・ウッドエルフ、かつては森の住人だったが外の世界に憧れて人間界へ移り住んだ流浪のエルフ。

いつものように軽く笑みを零してこちらを振り向いてきた。


「テリー君、まだ生きているかい?」


「そう、易々と……死ねません、ごほっ」


ネイフォンさんを見た途端、心が安堵で満たされた。

清水に抱きつかれて温まった身体、ネイフォンさんの微笑みを見て温もりを取り戻す心。全身がポカポカとなって自然と目が閉じて……いや、これ死ぬ。

このまま温もりに甘えて意識を落としたら死んでしまう気がするぞ。召されてしまう。今寝ると永眠になってしまうぞテリー。

全身を襲う痛みを意識して気を保つ。

痛っ……よくよく見れば全身が相当ヤバイ。よくこの状態で動けたな俺。


「……本当に、よく頑張ってくれた。親友の娘を守ってくれてありがとう。後は私に任せて君は休んでおきなさい」


ネイフォンさんは俺の手前で腰を落とすと頭を撫でてくれた。血と土で汚れた頭を触ってニコリと笑ってくれた。

いつものように、ヘラッと軽くて薄くてちょっとばかし憎たらしい笑みで。

……俺、頑張ったよな。


すると横から何かが飛んできた。如月の風魔法じゃない、清水だった。勢いよく思いきり抱きついてきた清水。

腹部が死ぬ腹部が死ぬ! がっ、な、何しやがる…………んっ?


「テリー……えぐっ、死なないで、嫌だぉ……っっ」


俺の出血ぐらい流れているんじゃね?と思う程の量の涙を流して泣いている清水。

力いっぱい抱きついて全身が血で汚れてしまうのに一切気にせず、ひたすらずっと俺の名前を呼び続けている。

……はいはい、俺はここにいますよ。ぐっ、痛いぃぃ……!


「寧々ちゃん、隼人に電話しといて。あいつなら対処してくれるでしょ」


「う、うん」


泣きじゃくりながらも携帯電話を取り出して通話を始める清水。

そうか、ネイフォンさん呼んだのは清水か。こんな裏山を都合良く通るわけがない。身を潜めている間に助けを呼んでくれたようだ。

そして今も誰かに電話している。他に協力してくれる人がいるのか……?


「さて、同胞が死にそうなんでね。パパッと終わらせてもらうよ、シルフさん」


清水に膝枕してもらう体勢から対峙する両者を見つめる。

如月が小さく唸り、威嚇しているのが見える。宙に浮いてネイフォンさんを訝しげに睨む。

対してネイフォンさんはケラケラと渇いた笑い声を上げて手のひらを振っているだけ。


「なるほど仲間がいたのか。邪魔するならお前もあいつのようにボロ雑巾にするぞ」


「そりゃ困る。痛いのは嫌なんだよ」


確かにそうだ。ネイフォンさんは嫌そうに顔をしかめる。


「二人抱えて俺の攻撃を避けたな。お前もなかなか動けるようだ」


「ははっ、冗談でしょ。私は狩りをやめて二十年も経つ、身体能力は衰えているよ。自慢じゃないけど森の匂いよりもタバコの煙が好きになったものでね」


「偉そうに言ってんじゃねぇよ」


「ははっ……だから自慢じゃないって言っただろ、若造」


一歩踏み進んでダラリと構えるネイフォンさん。

両腕を落とし、腰を据えて素早く動ける体勢へとなった。前屈みになって眼鏡が落ちる。けど拾わずに如月の方だけを見つめている。

両者を挟んで吹き荒れた風が止んで、静寂が訪れる。


「ところで君はシルフの王子らしいね」


「後ろのエルフに聞いたのか。あぁ、そうだ」


「てことは君のお父さんは王様だ。父親は君のことを放置しているのかな?」


ネイフォンさん、何を話して……?


「あぁ? 俺は人間を滅ぼしに来たんだ。父上には反対されたがな。放置じゃない、俺自身の意志で来たんだよ」


「要するに家出だね」


「……馬鹿にしてんのか」


風が吹き、強さを増す。草木が音を立てて激しく揺れていき、抉れた地面から土が舞い上がる。

如月の怒りを表しているかのように荒ぶる暴風はネイフォンさんのボサボサ頭を揺さぶる。

けどネイフォンさんは一切声色変えず、いつものようにヘラヘラと言葉を綴る。


「違うよ。家出するところが父親に似ているんだねと言いたいのさ」


「は……お前、何を」


「なぜそのことを知っておるのですか!?」


そこで執事は言葉を放った。如月の後ろでずっと黙ったまま静観していた如月の補佐、トレア・ムーンシルフが怒鳴るようにして声を荒げている。

眉間にシワを寄せ、今にも詰め寄りそうな勢いで。無口で如月の命令でしか口を開かなかったのに今は人が変わったように狼狽している。

なんだ急に……ネイフォンさんの発言に何か気になる言葉があったか……?


「そちらの男性は従者か。シルフの王子君、君の父親は一人で世界を旅していたよ」


「な、何を言っている。父上が、家出? 俺はそんなこと知らな……おいトレア! お前何を隠している!?」


「わ、わたしくからは何も言えませぬ」


「そう熱くならないで。どうやら君らの王様、ライデン・ムーンシルフは元気にしているようで何よりだよ」


その途端、シルフ二人の顔色が変わった。

風がピタリと止んで再び静まり返る。

だが今回の静寂は先程とは比べ物にならない、無の空間が長時間続いた。


口をパクパクとさせて困惑の表情を浮かべる如月、その後ろで汗を垂らして従者の老人はネイフォンさんを見つめる。

三者は黙り、場は清水のすすり泣く声が聞こえるだけ。


状況がよく分からない。俺の知らない話が繰り広げられていることだけは分かるけど。

困惑して猥雑な空気が流れる。その中でネイフォンさんだけは一人ずっと微笑みを崩さず前を見ていた。


「お前、どうして父上の名を……」


「その話は置いておこう。ダラダラ喋っている時間はないんでね。さっさとケリをつけさせてもらう」


ダラリと下げた腕の片方を顔元へ近づけるネイフォンさん。

突如登場して異質な発言を繰り出す相手がいきなり謎の動作をすれば警戒心はもう一段階上がる。

如月はビクッと肩を揺らして空中で一歩退く。まるで俺が見えない風魔法の攻撃を避けていたように、如月もまた見えない脅威に怯えて体を後ろへ逸らせた。

不敵に笑うのはただ一人、木宮もこみち。


沈黙が再三訪れようとしたところで如月が小さく呟く。如月の周りに風が集まり、木の葉と土埃が舞う。

どうやら防御魔法を再度唱えたみたい。守りを固めたのか。


「君らシルフに真正面から挑んで勝つ気はない。話し合いも難しそうだ。となれば、これしかない。……忘却魔法、知ってるかな?」


指先を唇に当ててネイフォンさんはゆっくりと言葉を紡いでいく。


「あぁ知っているぜ。テメェらエルフが生涯に一度だけ使える魔法だろ。使い勝手の悪いくだらねぇ魔法だ。忘却させるだけなんてな」


「あははっ、君の言う通りだ。使い勝手の悪い、君らの風魔法に比べたら実にくだらない魔法だ。だけどよく考えてごらん。刃物で斬られると痛みを感じて出血する、そんなことは物心つく頃には学ぶことを。例えば、それをもし忘れてしまったら?」


見下すようにしてせせら笑う如月に対しても何一つ顔色変えずにネイフォンさんは屈託ない笑みで対話を続ける。

その姿がまるで交渉人のように真っ直ぐでそれでいて裁きを下すまでの説教に見えて、対峙してまだ一度も攻防を交えていないのになぜか戦いが終着へと向かっている気がした。


「当たり前の知識をなくした君にナイフを当てることなんて簡単だろうね。そもそも私が倒す敵だという認識を君から忘れさせたらどうなるだろう。それこそナイフなんて容易く刺せる。さらに呼吸の仕方を忘れたら? 赤子でも出来る当然の行為を、本能ごと忘却されたらどうなるかな。息を取り込めないまま死に絶えてしまうだろうね」


次第に声が低く脅すように唸っていく。

滲み出る言葉の真意と恐怖、混ざり合った危険な発言が俺のところにまで届き、向かい側の如月をも揺らす。

ようやく生まれた余裕を駆使して高笑いしていた顔に不安の色がよぎったのを確かに見た。如月の周りをさらなる強風が覆う。


「……それがどうした。そんなの、魔法を食らわなければいい」


「忘却魔法の発動方法、発動にかかる時間、動作、準備、距離、条件は一切ない。心の中で願うだけで発動する魔法なんだ。防ぐ術はない」


そしてネイフォンさんは戦闘態勢を解く。

腰と腕を下げて動ける体勢だったのから真っ直ぐ直立、ボサボサ頭を掻き毟ってぼんやりと前方を眺めている。

もう勝負が決したかのように、用心することを放棄したのだ。

まだ如月は風魔法を纏って臨戦態勢でいるのにも関わらず。

そして如月が吠えた。


「だったらお前が願う前に俺の風魔法でテメェを吹っ飛ばしてや…………ぁ、れ」


次の瞬間には地面へと墜落した。

目が虚ろになり、支えられていた風がピタリと止む。

如月の全身は音もなく空中で落下を始め、ぐしゃりと地面へ崩れ落ちたのだ。ぐしゃり、とまた音がした。

如月の後ろでトレア・ムーンシルフも倒れている。


……え、何が起きて……? 

風が止み、木々の踊りが止まる。

静まり返った戦場でネイフォンさんはポツリと呟いた。


「言ったでしょ、発動にかかる時間はないって。はい忘却完了」


クルリと踵を返してネイフォンさんはいつもの如く平穏な表情でヘラヘラと笑っていた。

今の一瞬で起きた不思議な光景からすぐに目を逸らし、何事もなかったみたいに俺と清水の下へ駆け寄ってきた。


「怪我が酷い。応急処置をしてから運ぶとしよう」


「ね、ネイフォ、さ……今、何を……」


「忘却魔法を使った。あの二人を対象に、人間の世界へ来た目的を忘れさせた。目が覚めた時にテキトーなこと言えばそれが新しい記憶として上書きされる。その後処理はまた後で私がやっておくよ。まずは君の手当てだ」


まさか本当に……。

如月が言っていた通りなのに。エルフが一生に一度だけしか使えない最後の切り札を、この人はいとも簡単に使った。

自分の為ではなく、俺と清水の為に、使ってしまった……! 


な、んで、なんでだよ。これで今後あなたに何かあっても自分自身で守る術がないじゃないですか……っ! 

傷つきながらも困惑する思考の果てに掠れ掠れに言葉が漏れた。


「ど、うして俺なんかの為に忘却の力、を……」


「君のお爺さんには世話になった、前にも言ったでしょ。それに、私にとって君は守るべき大切な存在だ。兄の忘れ形見を見捨てるわけない」


な、何を言って……? 忘れ形見……?


「助ける理由は十分にある。そして」


足の止血を始めたネイフォンさん、衣服で出血部位が押さえつけられる。

その痛みが最後の一石を投じることになった。安堵と痛みが中和され、疲労感となって全身を覆う。

途端に意識が遠のいてきた。視界は暗くなり、何も見えなくなって意識も闇へと堕ちかけた時、その最後に俺は確かに聞いた。


「君は親友の娘を守ってくれた。本当にありがとう。よく頑張った、一族の端くれ者として君を誇りに思う」


その言葉を聞き届けて五感全てが真っ暗闇へと落ちていった。


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