第112話 エルフVSシルフ
「風の加護よ、身を守る堅牢な鎧となり身を癒す祝福の衣となれ――『風纏羽衣(フーマフード)』」
中二病の感染が深刻なレベルに達したクラスメイトの男子。彼は驚く程静かにゆっくり宙へと舞い上がった。
両足が地から離れて靴裏から土の欠片が落ちる。その欠片は地面へと帰還することなくフワッと地面まで数センチのところで静止、そして風に乗って男子生徒の周りを漂う。
次第に聞こえてくる風の声、吹き荒れて如月の周りに纏わりついていく。
「なんだそのダサイ技名。ノートの端っこにでも書いてろよ」
「余裕なツラするのは自由だが、今この時点でお前に勝ち目がなくなったと言っておくぜエルフ」
あ? 何言っているんだクソシルフ。
「テメェの言うダサイ技名の魔法、これは風を集めて詠唱者の全身を覆う鎧を作る魔法だ。シルフの基準での話だが、この鎧を破壊する攻撃手段は手の指の数もない。この魔法が発動した時点で、お前は俺に指一本触れること出来ないんだよ」
ケラケラと高笑いして俺を指差す如月。
順調に黒歴史生産していってるな、とか言って馬鹿にしている暇はないようだ。
奴の言うことが本当なら現状況、武器を持っていない俺にあの馬鹿を攻撃することは不可能ということになる。
エルフの主武器である弓矢が手元にない以上、こればかりはどうしようもない。
あいつの行ったことが本当なら、の話だけどさ。
生憎こちとらお前のこと一切信じてないんだ。
ハッタリなんて誰でも言える。「森の加護よ、我が身を守れ」とか言って「今俺の周りには目に見えない森の加護がある、俺に触れると死ぬぜ?」なんてハッタリをほら吹くことも出来る。
相手の発言なんて、聞く側が自分で真偽を判断するしかない。本当に指一本触れることが出来ないか確認してやるよ。
「見せてやるよエルフの本気……」
足に力をくわえて一気に解放、跳躍する。真っ直ぐ突っ込め!
空中で胡坐をかくクソムカつく生意気な顔に目がけて突進、残り一メートルのところで右足を意図的に無理矢理捻り、斜め横へと跳ぶ。
「なっ!?」
体勢が崩れて捻った右足に全体重がかかる。その負荷に耐えながらもその勢いに身を任せて上半身を滑らせながら傾け、地面に倒れるギリギリのところで右手をつく。
突進した勢いと右手で地面を押した力で如月の横を旋回しながら、左腕を体の内側に巻き込んで回転力を高める。
それらの勢いを殺さず流れに任せて狙いの顔面へと蹴りを放つ!
「おらあ! ……っ、う?」
完璧に捉えた、はずだった。
蹴り上げた足は如月の目先、本当に目先数センチのところで止まっていた。
まるで見えない壁に阻まれているみたいに。
音もなく止められた蹴り、困惑は隠せないが今は距離を置こう。片足でしっかりと地面を蹴って後退、体勢を整え直す。
「一瞬のうちに接近する素早さ、フェイントも混ぜてからの強烈な回し蹴り。非の打ちどころのない攻撃だったぜ。だが、ご覧の通り。俺には届かない」
ニヤリと自慢げに微笑む如月。どうやら本当に風の鎧を纏っているようだ。
お前と会ってからずっと思っているんだが、その風魔法ズルくないか?
利便性と応用力が高過ぎる。あらゆる状況に応じて使える万能の能力じゃないか。
俺もそんな魔法が欲しかったよ。こちとら一生に一度の忘却魔法しかないというのに。
……さて、ここからどうするかな。
弓矢が手元になく自慢のエルフ体術も効かないとなると、如月の言う通り詰んでいる状態だ。
攻撃が届かない以上、あいつを倒せない。あの防御魔法が継続不能になるまで粘れば勝つ希望はあるけど。
それにしても偉そうに笑いやがって。ドヤ顔どうもありがとう。
確かにお前の宣言通りだよ。今のやり取りで俺に勝ち目がないのは分かった。
けど別に俺はお前に勝つことが目的じゃないんだ。
清水が逃げるまでの時間稼ぎ、出来る限り長い間お前と後ろのジジイ執事をこの場に留めることが目的だ。清水、今のうちに逃げてくれよ。
「さぁて。エルフさんよ、俺に盾突いた以上見逃すわけにはいかない。出来ればテメェは殺したくないんだが、こうなった以上こちらもそれ相応の処遇を下さないとな」
「随分と上から物を言いやがるな」
「当然だろ。俺が、上だ」
空中に浮いて俺を見下ろすその姿はさながら天空の玉座に座る王子のようだ。
本当にまあ偉そうにしやがって。
……何かしてくるつもりだな。気配で分かる。
もう一歩退いて両腕を前へと構える。
息を短く吐いて視線は外さない。奴の一挙手一投足に気を配れ、どんなに些細な動きでも見逃すな。
「忠告してやるよ。そうして距離を広げようともお前が俺の視界にいる以上、逃げ場なんてない。風は無限、風は悠久、世界の果てにまで吹くのだから」
玉座から立ち上がった如月、見えない床に立つようにして両腕を広げ、構える。まるで何かを持っているような体勢だ。
膝を曲げ腰を落とし、陽気な動きをし始めた。目を瞑ってリズムを取る姿は、楽器を手に取り演奏しているかのよう。
「そよ吹く天空の遥か上、苦しみ痛み混ざり溶けた無の悠久へと誘う鎮魂歌を奏でよう――『空中演奏撃(エアギター)』!」
見えない楽器を演奏させるように宙に浮いて全身を暴れ馬のように動かす。
奇天烈な動きと突然の奇行に何をしているのか意味不明だった。
が、次の瞬間、視界が弾けて歪み、散った。
「っ、がぁ!?」
全身を襲う激しい痛み。
後頭部、右肩、左太股、脇腹、頬、二の腕、あらゆる方向から殴れたような衝撃を受けた。全方位からタコ殴りにされたような痛み。
だが周りには何もなく風が吹き荒れるのみ。対応の仕様がない謎の連撃がひたすら襲ってくる。
な、何が……っ、げほ。
恐らく打撃による攻撃、無数に食らった痛みが連鎖して全身を駆け巡る。
痛ぇ……! なんだ今の……っ?
「テメェの周りに乱気流を発生させ、そこに大量の砲弾を流し込んだ。風を密集させて固めたものだよ。乱気流に乗って不規則に動く砲撃は様々な方向からタイミングも掴ませずに襲いかかる! ノーガードのところに連続で殴られるのは相当辛いだろ、ぎゃはははっ!」
あいつの嬉しそうな高笑いが聞こえる。きっと目の上で俺を嘲るようにして笑っているのだろう。
確認は出来ない。痛みで目が開けられない。痛みが止むことなく全身を覆い、ところどころ痙攣している。
肉が断裂して骨が軋み、血管が歪む。それら体の異常を受け止めた脳が悲鳴を上げ、吐き気が止まらない。
「げほっ、ごほっ……ぁあぁ」
全身を襲う痙攣と麻痺。意識が朦朧として痛みのあまり気絶してしまいそうだ。
口を開けても呼吸が上手く出来ず、空気すら取り込めない。虫の息、必死に口をパクパクとさせてなんとか最低限の酸素を取り込む。
だが痛みを和らげることは出来ず、体に力が入らない。
……待って、これ、死ぬんじゃないか……?
「人間なら恐らく全身の骨が砕けて痛みのあまり死んでしまうだろうよ。……お、まだ意識あるのか? エルフはタフなんだな」
死ぬ前に立った。肉も骨も血管も臓器も神経も、全身の何もかもが悲鳴を上げて絶命しようとしている。
それら全てに呼びかけた、ただ一つの命令を、立て。
とりあえず立って前を向け、と。
足に力を入れれば激痛が足裏から脳の先にまで届く。腰を据えて拳を構えれば耐え難い痛みが血流のように全身を流れる。
熱い、痛みで燃えるように熱い。
腸が煮えたぎるように熱して吐き出す息が熱気を帯びている。
あらゆる器官が異常をきたして過剰な反応をしている。
今にも意識が飛びそうだ。つーか死にそう。
……けどここで地面に伏したら、清水はどうなる。
あっけなく倒れたら、こいつらは俺を一瞥することもなく清水を探しに行ってしまう。
今食らった攻撃が、痛みが、清水に襲いかかることになるんだ。
それだけはぜってー嫌だ。させてたまるか!
俺がこうして立ち上がる間はこいつらはどこかへ行ったりはしない。
お、れが……立つ限り。
だから立て。とりあえず立って、あとまあ出来ればヘラヘラ笑え。小金みたいに他人をイラッとさせる微笑みが望ましいかも。
「……何笑ってんだよテメェ」
「いやー、お前の動きがツボってさ。……ぷぷっ、何今の。もしかして部屋で一人練習してたの? 鏡見ながら?」
笑うフリをするだけで肺が悶える。
頬の肉が削げ落ちそうだ。フラフラと左右へ激しく揺れる意識を必死に支えながらも姿勢だけは真っ直ぐ、一切揺れることない。
痛い、けどそれがどうした。死にそうなのはもう仕方ないだろ。
せめて粘れ、清水が逃げられるだけの時間を稼ぐんだ。
文字通り必死になって如月を煽る。震える声を吐き出して挑発を続けると、次第に顔を歪ませていく如月。
余裕げに嘲笑っていた声に変化が起きる。声色から余裕は消え、冷やかな苛立ちと熱する殺意が滲んでいた。
ゴミ虫を見る目、剥き出しの歯、いつもクラスメイトに見せる爽やかな笑みはどこへ行ったのやら。
二流の煽りに乗ってくれてありがとうな。その思いでニタァと笑えばより一層歪む如月の顔。ははっ、キモイ顔だなおい。
「言ってくれるじゃねぇかクソエルフ。その減らず口叩けないようにしてやるよ。嘶け――『天馬の蹄』」
頭上から何かが落ちてくるのを察した。
けど体は動いてくれず、何かが前頭部へと直撃する。
「があっ!?」
激痛が脳を潰し、視界が赤く染まった。
勢いと痛みを受け止めることが出来ず、体が前へと崩れ落ちるがなんとか両手を地面について倒れるのを防ぐ。
ついた手と手の間に落ちる赤色の滴、額から溢れていると気づいたのは三秒遅れてからだった。
……緑色の雑草が鮮血に染まっていく。
痛みは増し、頭蓋骨の内側から骨の暴れる悲鳴が聞こえる。
っ、こ、これまた強烈な一撃だ。
ヤバ、意識が一瞬途切れた。よく思考止まらないな俺。
痛みのあまりショック死か気絶してもおかしくないんだけど。
「は、ははっ」
「……あ?」
途切れ途切れに消える意識、暗転を繰り返す。
その中で気づけば立ち上がって如月と向かい合う自分がいた。
なんでだろうね、どうしても倒れることが出来ない。
息を吐くと同時に血が溢れた。吐血なんて漫画みたい。
吐き出て地面に広がる血の塊。思ったより出てきた血の量に自分自身引いちゃう。
けど、溢れ出す血や唾を吐き散らしながらも、俺は前を見て、
「全然効かないぞクソシルフ、風の魔法ってこの程度かよ」
ニタリと笑って虚勢を張った。