第107話 頭撫でる安堵感と足先襲う揺れ
「……」
「……」
放課後、今日の授業が全て終わったので帰り支度をする。
その横を何も言わず通り過ぎていく清水。
普段なら絶対に何か一言声かけるはずなのに、黙って無視して過ぎて行った。
……完全に仲違いしてしまった。
だけど仲直りする方法がない。俺と清水がすれ違っている原因を話せないからだ。
原因とは、目の前の席に座っている如月浮羽莉。本名エアロ・ムーンシルフのせいだ。
こいつのことを話せば清水に危害が及ぶ。そうならない為にも俺から情報を漏らすわけにはいかない。
そして今の状況になってしまった……。
鞄に必要最低限の物だけ投げ入れて席を立つ。
……一人で帰るのは久しぶりだな。清水は既に帰ってしまったし、姫子は午前中で早退。病院にでも行ったのだろう。帰る相手は、
「ねえ木宮っ、一緒に帰ろう。今日はゲーセンにでも寄っていくかい?」
後ろの席でぎゃあぎゃあと騒ぐ小金くらい。
こいつと帰るくらいならぼっちで下校する方がマシだ。つーかいつも一緒に帰っているみたいな風に話すな。二人だけで帰ったことなんて一度もないだろ。
いつも俺らの間には清水が……クソ、清水のこと思い出すじゃねーかやめてくれよ。
小金に「じゃあな」とだけ告げて早々に教室を出る。
教室内から小金の悲しげな泣き声が聞こえるけど無視でいい。
……姫子のお見舞いにでも行こうかな。他に行く場所ないし。
……逃げ場探しているだけかよ俺。
正直、精神的にキツイ。突然現れたシルフ族の王子が何よりの問題だし、そのせいで清水と喧嘩みたいなことをしてしまった。
勝負にも負けて誇りはズタボロ、心底惨めだ。
何より、やたらと心が騒がしい。
先週から違和感を感じるんだ。如月浮羽莉に会って、あいつの正体を知って、啖呵を切ったあの時から。
違和感というのは機微たる気持ち以前の問題に、根本的に発想自体がおかしくなった感覚だ。
まるで違う人の心と入れ替えられたかのように、違う鼓動と思考で体を動かしてみたい。
……そんな自分でもよく分かっていない原因で清水と喧嘩するなんてホント惨めだな俺。
溜め息をつきながら帰路を歩く。……俺、なんでこんなことしているんだろう。思わず歩が止まる。
「……目的忘れているんじゃねぇよ」
自分自身へ言い投げる。
なんで清水と喧嘩したことで猛省したり如月に負けたことに腹を立てているんだよ。
そもそも違うだろ。俺はここに何しに来たんだ。
爺さんの命令に従って印天堂65というゲーム機を買いに来たんだ。ゲーム機とそれを起動させる為の道具を手に入れる為に人間界へ来たんだろうが。
人間と仲良くなったりシルフと対立する為に来たわけじゃない。目的を見失うなよ。
だから如月によって人間界が破壊されようが関係ないことだろ。
俺は俺で目的を達成する為に最短ルートを進めばいいはず。
……あれ、なんかおかしいな。
そうだよ、最短ルートだ。より効率的に、無駄な時間を金稼ぎに、その気になれば印天堂65買うお金くらい集めることだって出来たはずだろ。
なのに、既に半年も経ったじゃないか。今まで何をしてきたんだよ。
この半年間、何をしてきたんだ……? 何を、得たんだ……っ!?
そ、それに……如月のことも俺には関係ないだろ。無理して首つっこんで清水が殺されても……別に、関係ないじゃないか。
俺はエルフで、あいつは人間で、お互い干渉する必要なんてこれっぽっちもない。皆無だ。
それなのに清水を守りたい、とか思ってさ。森を愛し、森の為、森と一族を誇りに、それだけを思って生きてきたんだろ。人間の清水のことなんて別に……っ、
そのはずが……もしかして、俺…………
「ややっ、テリー君じゃないか」
割と真面目なことを考えていると後ろから声をかけられた。思考が止まる。
振り返ればボサボサ頭のホームレスゾンビエルフの木宮もこみちことネイフォン・ウッドエルフが立っていた。
こっちはセンチメンタルに浸っているどころか全身浴していたのに邪魔しないでくださいよ。
ジト目でネイフォンさんを見つめる。
「嫌な顔しているね少年。何かあったのかい?」
あ、そうだ。ネイフォンさんに相談していなかった。
ネイフォンさんになら言っても問題ないはずだ。如月浮羽莉について話さなくては。
以前ネイフォンさんは言っていた。エルフ族以外にも人間に隠れてひっそりと暮らす種族がいると。
ならシルフ族について知っているかもしれない。
ここは大人に相談すべきだ。そうとなれば今すぐ聞こう。ネイフォンさんご相談センターにお問い合わせだ。
「実はうちの学校にシルフの王子と名乗る奴が転校してきたんですよ」
途端にネイフォンさんの表情が変わる。
「……へえ、それはすごいな。そのシルフの本名を知っていたら教えてくれ」
「エアロ・ムーンシルフです」
うーん、とボサボサ頭を掻き毟りながらネイフォンさんは渋い顔をする。
やっぱ何か知っているのか? 教えてくださいよ。
「ネイフォンさんはシルフ族を知っているんですか?」
「まあ、それなりに」
あなたマジで一体何者なんすか。外見からは考えられない友好関係だな。
「うーん……。とりあえずテリー君、その子について詳しく教えてくれ」
そこから一緒に弁当屋へ向かいながら最近の経緯を話す。
銀髪の男子が転校してきたこと、そいつが実はシルフ族でエルフのことを知っていたこと、風を汚す人間界を破滅する為に来たこと、お互い対立してしまったこと等々。
全てを話し終えた時にはお互い弁当を買い終えて俺の家で箸を割っているところだった。
チキンカレー弁当いただきます。
「なるほどねー、シルフの王子か……ふむ。状況は分かったよ。そこでテリー君に一つ注意しておこう」
贅沢の極み、サーロインステーキ弁当をかっ込みながらネイフォンさんが真剣な表情になる。
無精髭にご飯粒がついているけど気にしないでおこう。
「シルフは戦闘能力が高い。戦おうと思わない方がいいよ。出来る限り友好的に話し合いで解決しなさい」
「ですがあいつ、相当危険ですよ。もしかしたら清水に被害が及ぶかもしれません」
「ああ、だからさっき寧々ちゃんは怒っていたのかな」
え? 何を言っているんですか? よく意味が分からない。というか清水の名前聞いて変に驚いた自分がいた。何をビビっているんだよ俺……。
こちらの戸惑い顔を無視し、続けてネイフォンさんは話す。
「さっき偶然ね、寧々ちゃんと会ったんだよ。テリー君と一緒じゃないのかいと尋ねたら『あんな馬鹿知らない』と一蹴されちゃったよ。かなり怒っていたなぁ」
あの野郎、こっちの気持ちも知らないで。
……そういえば清水と仲違いになっていたんだ。今日のことなんだよな……。もう、このままずっと話さないのかもしれない。
今思えば俺もただ意地張っていただけじゃないか。頑固になってさ、清水には話せないしか言わなくて。そりゃ清水も怒るさ。何やってんだよ俺。
確かに清水の言う通り俺は馬鹿なのかもな。ははっ……。
「そう落ち込むなよ少年。寧々ちゃんにはシルフのこと話していないんだろ?」
「はい。話すと清水がシルフに狙われるかもしれないので」
「素晴らしい判断だ。良くやったねテリー君」
視界が歪んだ。
目の前にあるチキンカレーがよく見えない。
……あれ、なんで俺泣いているんだ? え、ちょ、涙が……。
俺、今……何が起きたんだよ。よく分からない、自分自身が理解出来ない。
困惑したまま潤んだ視界でネイフォンさんを見ても何も見えず、頬を流れ落ちる涙の軌跡が伝わる。
ただ、目の前のホームレスゾンビエルフはニッコリと微笑んで優しく声をかけてくれた、それだけは伝わってきた。ネイフォンさんが頭を撫でてくれる。
「君は間違っていないよ。寧々ちゃんを守る為に何も言わなかったんだろ。そのせいで嫌われて、辛いことだろう。でも君は正しい、友達を守る為に黙秘を貫いた。同じ一族の一員として誇りに思う」
ちょ、やめてください。涙が止まらなくなるんで。
っ、っ……そっか。俺、そんなことになっていたのか。
如月に負けてプライドを壊されて清水からも嫌われて、何もかも滅茶苦茶になっちゃって。
でもそんな俺のことをネイフォンさんは誇りに思うと言ってくれた。良くやったと誉めてくれた。
それがどれだけ嬉しかったか、どれだけ救われたことか。
だから泣いてしまったのか。……あははっ、カッコ悪ぃ俺。
誉めてもらえて、肯定してもらえただけで泣くとか。どんだけ涙腺緩いんだよ。だっせぇ。
「テリー少年、もう一つだけアドバイスさせてくれ。森と一族を敬う意思と誇りは大事だ。けど君はそれを含めた、今の気持ちを大事にしてくれ。何が大切なのか、何を守るべきなのか。君なら分かるはずだ」
「よく分かんないです」
「……んん、まぁたぶん大丈夫だよテリー君なら。何か困ったことがあれば私に相談しなさい。力になるよ」
そう言ってネイフォンさんは冷蔵庫から取り出した缶ビールを飲み始めた。カーッ、この一杯の為に俺は森を出てきたんだ!と発狂するクソエルフ。
何が同じ一族の一員として誇りに思う、だよ。さっきまでの感動を返せ!
……けど、なんだか肩の荷が下りたような気がする。ネイフォンさんに、この駄目そうなおっさんに、言われた言葉がどれだけ嬉しかったか。
年甲斐もなく涙流してさ。……ありがとうございます。俺、頑張ってみます。
「おおっ、少しは良い表情に戻ってきたねぇ。どうだい、景気づけに一杯付き合ってくれよ」
「未成年に酒飲ませようとするなよクソおっさん」
緩みきった、楽しげな顔で缶ビールを飲ませようとしてくるネイフォンさんから距離を開けてぎゃあぎゃあ騒いでいる。その時だった。
突如、床が揺れた。
「っ、何だ……!?」
そして耳を襲う謎の音。巨大で、轟く、何か恐ろしげな音が外から聞こえてきたのだ。爆裂音……な、何が起きて……!?
ネイフォンさんを跳ね除けてベランダに出ると、
遠くの街で、巨大な黒煙を吐く赤い炎がメラメラと燃え盛っていた。