第105話 風が舞う
その後はテキトーに球を投げて打者を三振に打ち取った。
如月の風魔法による影響はなく、フォーム崩れることなく投球が出来た。
攻守は交代し、今度は味方チームが攻撃する番。
だけど俺にはどうでもいいことだ。俺は負けたのだから。
自ら挑発した勝負に負け、こうしてベンチに座って俯くしかない。
……ごめん、爺さん。負けてしまった。族長の孫としてここまで悔しい思いをしたことはない。悔し過ぎて握った拳から血が滲みそうだ。
如月が使った風の魔法、アレをインチキだと言うつもりはない。あいつの能力だ、それを使うのは当然だ。俺だって人間界の高校生では成し得たことのない速さのボールを投げたのだから。
お互い純粋な力を結集させて対抗した結果だ。
怒りや苛立ちがいくら募ろうとも覆すことの出来ない、勝者と敗者の差だ。大人しく負けを認めて自身の力のなさを嘆くしかない。
……あぁでもムカつく。風の魔法とか卑怯だろマジで。そりゃ風に流されたら球速も弱まるだろうが。反則だろクソが。
「そう落ち込まないでよ木宮。ランナーは前の投手のせいだし、木宮は力投したよ。でやんす」
隣に座ってきた小金が肩をポンポンと叩きながら慰めに来たようだ。
ごめんなぁ小金、俺今さ、
「悪いけど一人にしてくれない? 今イラついてるから」
「にぢゅ!? さ、さよならー!」
発せられる苛立ちと怒りオーラを感じ取ったのか、すぐに離席してどこか遠くへと逃げていった小金。
……ちっ、小金に当たっても意味ないだろ。
奇声が聞こえるのを無視しながら考えるのは奴のこと。
……誇りをかけた勝負に負けた。これで奴より下ってことになるのか。
ふざけるな、あんな奴より格下だなんてプライドと一族の誇りが許さない。なんとか出来ないのかよ。こうなったらタイマン勝負でも持ちかけるか? いやでも風の魔法を操るあいつに腕っぷしで勝てる自信もない。大人しくこの辛酸を舐め続けるしかないようだ。弱い自分が情けない。
はぁ、後で姫子に慰めてもらお。惨めだけど今は負けを認めて項垂れるしか……
「お、如月がピッチャーするのか。是非頼むよ」
……何? 耳に届いた声に反応して前を向けば、投手のポジション位置に君臨するのは先程ツーベースヒットを打った如月浮羽莉。
……! あいつがピッチャーをするだと?
出しゃばりかあいつ。と思ったら、目が合った。
先程俺があいつにしてみせたように、こちらをチラッと見てニヤリと笑う如月。
……あいつ、挑発してやがる。打撃で潰しただけじゃ飽き足らず完膚なきまでに俺を叩きのめしたいようだ。今度は投球で俺を打ち取ってやろうってか。
上等だよ、寧ろ俺に挽回のチャンスをくれてありがとうよ。
燻って消えかけた闘志に再び炎が灯る。その灯りと熱気を原動力にしてバットを握る。
やってやる、この雪辱は打撃で晴らしてやる。
「任せてよ」
爽やかに微笑んで投球フォームに入る如月。
ゆったりとした緩やかな動作から何気なくボールを放る。
投げられた球は大した球速も球威もなく、スローボール同然。やる気あるのか?
そう思った矢先のことだった。
「うお!?」
打者がのけ反り、尻餅をつく。
騒然となる周り、どよめく中心人物にいるのは如月。
ボールが……曲がった。
ただ一方向にスライスした変化したわけじゃなく、ミットに届く一メートル程前から急激に上下左右へ大きく揺れだしたのだ。不規則に曲がったり落ちたり浮いたり、変幻自在に空中を舞ってボールはポスッと渇いた音を立ててミットに収まった。
ものすごい変化量に興奮して叫ぶクラスメイト達。さっきから皆絶叫しかしていない気がするぞ。
にしても如月の奴、また魔法を使ったな。あんな変化をするはずがない、少なくても人間は。
「い、今のって……?」
「ナックルボールってやつかな。見よう見真似でしたら出来たみたいだよ」
よく言うぜ。意図的にしたくせに。
ナックルボールとは球に限りなく回転を与えずに投げることでボールの縫い目と空気抵抗による不規則な動きをする変化球のことである。空気抵抗を受けて上下左右に加えて前後にも乱れる球、打つのは困難どころか捕球すら難しいとされる。
今のはナックルボールの説明だ。人間界の勉強で学んだことの一つだが。
今しがた如月が投げたのはナックルボールじゃない。ナックルのような変化はしたし、空気抵抗を受けたのも同じだ。
だが違うのはその圧倒的空気抵抗の大きさ。奴の投げた球には普通に回転がかかっていた。ナックルボールになるには程遠い。あいつは風の魔法を駆使して無理矢理球筋を変えたのだろう。恐らく奴と捕手の間には乱気流が発生しているはず。ボールを投げれば奴の思惑通りに変化する仕組みになっているのだろう。それ以外に考えられない。
だけど如月の正体を知らない皆はすげえすげえとはしゃいで驚くだけ。
そうこうしているうちにバッターは三振、バットに掠ることすら出来ず仕舞いだ。
「あ、あんなのどうやって打てばいいんだよ」
「次俺に行かせてくれ」
「木宮君!」
トボトボと帰ってきたクラスメイトからバットをもらって打席へと立つ。
バットを片手に持ち、投手に向ける。今度は俺がぶっ放してやるよ。
「あ、あれは……投げればスカウター壊す豪速球投手、打てば魔貫光殺砲の如く強烈な美直線打球を放つ殺人バッター。元祖転校生の木宮だ!」
「その木宮の速球を打ち返し、予測不能な変化球を操るナックルボーラ―投手。銀髪転校生の如月!」
「イケメン転校生の新旧対決の第二ラウンドだ」
クラスメイトの男子達が固唾を呑んで見つめる中、俺と如月は睨み合って対峙する。体育教師までが緊迫した面持ちでコールをかける。
さあ、とっとと投げやがれ。お前がツーベースなら俺はホームラン打ってやる。
バットを構え、精神統一。目には見えないが俺の前には風の渦が発生しているはずだ。如月はボールをそこに放るだけ。それでナックルボールの完成、人間の反射神経ではバットに当てることすら不可能だろう。
……だがな、俺は人間じゃないんだ。
エルフの真骨頂、他種族の追随を許さない身体能力を見せてやるよ。
かかってきやがれシルフ族。
「……いくよー」
腕を大きく振りかぶって、ゆったりとしたフォームでボールが投げられた。
フワフワと宙を散歩するかのように緩やかな曲線を描いてこちらへとやって来る。このまま来れば余裕で打ち返せる。いつかの体育の時みたく、綺麗なライナー性のヒットで守備の人間を吹き飛ばすことなんて造作もない。
このままスローボールのまま来ればの話だ。
予想通り手元一メートル前で急激にボールは落ちた。かと思えば左にブレながら流れ、その直後には上へと浮く。
まさに変幻自在、不規則に動いてブレる球はいくら目で追ってもキリがない。闇雲にバットを振ったところで空振りは見えている。
だがこの程度のブレ球で屈するエルフじゃないんだよ。シルフ、こうして俺に挽回のチャンスを与えたことを後悔させてやる。攻守共に勝って完全に上へ立とうと欲張ったのが敗因だ。
毎日のように森の中を音を立てずに動きながら素早く動く獲物の姿を捉えて離さない、そんな緊迫した狩りをしてきた俺にとってこの程度の乱れ、見切れないわけがない!
バットを持つ手に力が入り、滲む汗と緊迫を握り潰す。
白球が前後上下左右に動き回るのを見続けて、躊躇わずにバットを振り抜く。グラウンドに響く金属音。
バットの芯にボールがジャストミートしたのだ。
ほとんど抵抗が伝わってこない、完璧に芯で捉えた。抵抗ゼロのままバットを振り抜いたのだ。
如月の顔面を吹き飛ばすつもりで怒りと誇りと思いを詰め込んで、全身全霊フルパワーのまま寸分狂いなく金属バットで軌跡を描いた。
爆裂音を引き連れて遥か遠く、上空を凄まじいスピードで飛んでいくボール。
「ナックルボールを初球で打った!?」
「しかも完璧な当たりだ。こりゃあ柵越えするぞ」
あいつの顔面に目がけて打ち返すことも考えたがそれよりもこっちの方が良い。完璧な当たりだ。打球はグングンと伸びて青空へと溶けていく。
ふっ、勝った。どうだこの野郎。所詮は風による変化だ、ブレたりするけどこの程度なら余裕で見切れる。ざまーみやがれ、やられた分はやり返す。これでイーブンだ。俺を打ち取りたいならもっと良い球投げろよ。
バットを地に置き、悠々と一塁へと向かう。その時だった。
「……ん?」
サラサラとグラウンドの砂が滑走するように動いている。
風に吹かれて舞っているようだ。……風、だって?
一塁ベースを踏んだ時、嫌な予感が心臓を引っ掻く。
風が吹いている……外野側からホームベースへ向かって。それは打球の進む方向と正反対の向き。次第に強くなっていく風。
砂塵が巻き起こり、思わず目を瞑るクラスメイト達。徐々に勢力を増していって微風が強風へと変貌していく。これ程の強風がグラウンド全域を襲ってきたのだ。女子側の方から聞こえる悲鳴、男子達も風の力に押されて立てないでいる奴もいる状態だ。今ではもう砂嵐となって襲う風に目を細めて上空を見上げれば、こちらへと帰ってくる白球。
……!? お、俺が打ったボールじゃないか。な、んで戻ってきて……っ、風のせいか!?
不安が疑問を産んで確信へと変態する。この巨大な風、台風に近い暴風を起こしたのは如月で間違いない。
待て、待ってくれ。それはあんまりだろ。完璧にジャストミートした打球、柵を越えていく特大ホームランのはずが……風に遮られて勢いを失い、押し戻されていく。
そして最後には、
「はい、アウト」
如月のグローブへと着地した。
ホームランがピッチャーフライになってしまった。
途端に止む風、無音と無風が絶望を無色に彩る。あまりの出来事に膝から崩れ落ちてしまった。
こ、こんなことが……地面に両手をつき現実と向き合えないでいると、左方向から聞こえた声が心臓を棘で刺した。
「これで俺の完勝だな、エルフさん」
ねっとりと舌で舐められたようにプライドと誇りは腐臭していくのから逃げられずに俺はただ項垂れるしかなかった。