第104話 誇りの一球入魂
「ストラーック!」
「おい何キロだ?」
「ひ、138キロ……」
「県大会どころか全国クラスでも戦える球速だぞおい」
球の縫い目に指先を当て、規則正しいフォームを模倣してボールを投げる。見事ボールは理想の球速で狙った場所へと届く。打者のバットは数テンポ遅れて空を切り、体育教師のコールがマウンドまで響く。
ザワザワと騒ぐクラスメイトの男子達、スピードガンというやつを見て騒然としている。
思ったよりピッチングってのは簡単だな、要するに打たれなければいい。それが可能な球速でボールを投げればいい話だ。
そりゃ相手が野球経験者だったりプロ選手なら単調に投げていたらいつか打たれるだろうけど、こんな高校の授業程度じゃ対応出来るわけない。
三球で最初のバッターを三振に沈める。まずは一人目。
「木宮頑張れでーやんす。応援するでやんす!」
ベンチの方で小金が変な口調で応援してくれる。
あんまり大きな声で騒ぐなよ、清水に気づかれるだろ。
……まあ他の男子も大声で球速とか発表しているし、もうバレているけどさ。
チラッと女子側のグラウンドを見れば清水がしかめっ面をしていた。
後で怒れるのは確実だな。けど、ここは引けない場面なんだ。
……ここで奴を潰しておく。
「お、俺に打てるかなぁ?」
気弱な男子生徒がバットを持って打席へと入る。
その後ろの方でヘルメットを被って次の打席に備える銀髪野郎、如月浮羽莉。あの野郎を負かしてやる。しょうもないスポーツでの勝負かもしれない。
が、遊びとはいえ他種族に負けるのはプライドが許さないだろう。
自分の一族の誇りにかけて負けるわけにはいかない。
そうだろ、クソシルフさん。
バットを素振りして練習している如月。目が合って瞬息のうちに威嚇し合う。次の瞬間には目を逸らして目の前のバッターに集中。
さあ、とっとと終わらせやる。
アウト一つ取ったとはいえフルベース、ヒット性の当たりどころか打球が転がるだけで点が入る可能性がある。
せっかくのシルフとの勝負だ、盛大に負かせてやりたい。ツーアウトでフルベースという一打で点が入る絶好のチャンスの状態で三振にしてやるよ。屈辱を顔面に投げてやるぜ。その為には目の前の打者を三振で葬る!
「ストラーイク、バッターアウト!」
「木宮すげぇ!」
三球投げて三振、バットを振らせずに二人目撃破。
守備につくチームメイトが歓喜のあまりピョンピョンと跳ねて叫んでいる。
ここまでは手筈通りだ。球のスピードも常軌を逸したスピードじゃないから、すげぇ!と驚かれても怪しまれることはない。
野球に練達していない人間相手ならこの程度で十分だ。
さて、ここからが本番。気持ちを切り替えろ、次の相手は人間じゃない。シルフ族の王子だ……!
「お手柔らかに頼むよ、木宮君」
ニコッと爽やかなスマイルで一礼して打席へと入る如月。
ツーアウトフルベース、奴を打ち取れば無失点でマウンドを降りることが出来る。それは即ちシルフに勝ったってことになるはず。
この勝負、一族の誇りにかけて負けられない。
たとえスポーツとはいえ、これは一族のプライドをかけた真剣勝負。
負けることはつまり相手の種族より劣っていることを意味する。
俺だって次期族長候補として育てられてきたんだ、一族の旗を背負って精一杯戦ってやる。
地面をならしながらボールを渾身の思いを込めて握り、奴と対峙する。
バットを構えて余裕の表情を浮かべる如月浮羽莉。その表情、今すぐに崩してやるさ。
「行くぜ、如月……いや、エアロ・ムーンシルフ」
シルフの身体能力がどの程度なのか知らないが体育館裏で不意打ちを食らった時、奴が放ってきたパンチは人間と比べて遥かに速かった。身体能力が人間より上だと思って損はない。
なら、こっちも出力を上げるか。
キャッチャー君、ちゃんと受け止めろよ。
投げ放つ目標を見つめて集中、狩りをする時と同じだ。意識を高めて全神経を研ぎ澄ませ。複雑に考えるな、シンプルに直観で物事を反射で理解し、全てを注ぎ込むんだ。
左足を大きく上げ、重心を軸足に乗せて腕をコンパクトにしならせる。ボールの縫い目にしっかりと指を食い込ませて、力が分散しないよう全体重の移動を素早く行え。
く、ら、え……これがエルフの剛腕だ!
「……っ、へぇ」
左足を踏み込み、腕を振り抜き、眼前だけを直視する。
投げた球は狙い通りキャッチャーのミットへと吸い込まれていった。そしてそのままキャッチャーの体を吹き飛ばした。
……あ、いや、そこまでオーバーな表現じゃなくていいかも。
恐らくキャッチャーの男子生徒はいつボールがミットに収まったのか分かっていなかった。だから突如来た衝撃に動揺して後ろへと倒れ込んだのだ。主審にもたれかかるように倒れて体育教師もビックリしている。
再び訪れた沈黙、今度はさっき以上に長い無の空間が彷徨い、そして絶叫へと漂流する。
「は、速えええええぇー!?」
「ボール見えなかった……」
「お、おい球速何キロだ!?」
「1××キロ……駄目だ、壊れている」
おいおいスカウター壊したベ○ータかよ!?と騒然としている男子生徒がチラホラ。
ふぅ、ちょっと本気出してしまった。
単純な驚きだったのが今は「あれ、今のヤバくね?」的なオーラが漂う戸惑いが発生している。
やっぱ今の速さは高校生じゃ出せないのかな。いやでも漫画だったら手元で急激に曲がる変化球とか止まって見える豪速球とか天空から急直下で落ちる球とか消える魔球や最後にはキャッチャーと主審をフェンス後ろまで吹き飛ばす究極のストレートとかあったけど? まあ漫画の世界ならオッケーってことか。
てことはこの世界でも……ん、深く考えるのはよそう。
まずはワンストライクだ。ざまーみやがれクソシルフ。
「クックック……やるじゃねぇかクソエルフ。ビックリしたぜ」
興奮と驚きが入り乱れるグラウンド。
男子全員が仰天している中ただ一人、口元を手で押さえて震えている奴がいる。
震えているというか笑ってやがる。皆には見つからないように手で表情を隠して小刻みに肩を揺らしながら微笑を漏らす如月。いつも周りに振りまいているサッパリとした微笑みではなく、ねっとりと意地悪そうな顔でせせら笑っているのだ。
まだ余裕があるみたいだな。あの球速に対応出来るとでも言いたいのか。
じゃあもっと速く投げてやるよ。
「ちょ、ちょっと待ってよ木宮君。今の球をまた投げるのかい? お、俺じゃあ対応しきれないよ。手が尋常じゃなく痛いんだけど!?」
すると捕手の奴が涙声で抗議してきた。
え? いや頑張ってよ、ホラ。
大丈夫だってちゃんとグローブつけていればいけるって。君がボールを目で追えていないのは正面から見ていた俺が一番良く知っているよ。
けど大丈夫、ちゃんと狙った場所に投げているから。
「グローブ構えたところに投げるからただ構えていればいいよ」
ボールを手に持ち、先程と同じ精神状態へと入る。
もっと速く投げろ、あいつがビビッてバットも出せないくらい。
ニヤリと薄ら笑い如月の姿も消えるくらいグローブの一点に意識を集中させろ。最高潮にまで緊張と集中を練り上げ、一気に解き放つ。
研ぎ澄まされた精神と無音の空間、自身の心臓音のみが支配する静寂のマウンドでボール握りしめる。
後二つ球投げて、終わりだ。
「見て驚け、誇りの一球入魂だ……!」
左足を上げ、軸足に重心を乗せて……
その時だった。突風が襲ってきたのだ。
眼球を乾かす程の強風、砂塵が舞い起きる。
なっ……か、体が……っ!?
突然の風に精密な体重移動をしている最中の体はいとも簡単にバランスを崩す。な、んで、このタイミングで風が……ぁ、まさか!?
「こ、の……やろぉ」
軸の崩れたボロボロの体勢で腕だけを振ってボールを投げ捨てる。
力が完璧には伝わらず、ボールにスピードが出ない。
あの野郎……風の魔法を使いやがった。
投げる瞬間であれ程の強風が自然発生するわけがない。前を見れば普通に中腰で構える審判と目を瞑ってブルブルと震える捕手、風の影響を受けている様子が微塵もない。この強風は捕手よりも前から発生して俺目がけて飛んできたのだ。故意的に吹いたとしか考えられない。
ニヤリと口元を歪ませて笑う奴の姿が何よりの証拠だった。
「あ、当たった!?」
誰が叫んだのか分からないが耳に届いたもう一つの音。
バットにボールが当たった音だ。
ガキンッ、と痛烈な衝撃音が聞こえたと思って上を見上げれば既に頭上を通り過ぎた後だった。
……見逃さなかったぞ。投げたボールも風の影響を受けて失速していた。
拙い体勢から投げたボール、それでもそこそこ球速は出たはずだ。
なのに球は徐々に勢いを失って如月の手前で完全にスローボールとなって落ち着いてしまっていた。
それを叩いた結果がこれだ。
ボールはセンターの横へと落ち、バウンドしていく。
それを見て沸き上がる相手チーム、ツーアウトの間ずっと動かなかったランナー三人が一斉に走る。一人がホームベースへと到達し、またもう一人が生還する。センターが打球を拾って投げ返した時にはファーストランナーがホームへと走り込んでいるところだった。
「走者一掃ツーベース!? 如月君がやったぞ!」
二塁の方向へ向けて送られる称賛の言葉。
そこには如月がいつもの仮面の笑みで立っているのだろう。
……打たれた。負けたの、か……。クソっ!
込み上げてくる怒りと不満と苛立ちと、何よりも大きいのは、悔しさだった。
一族の誇りをかけて投げた球は相手の魔法で簡単に失速してしまった。
風に押されて満足に投球出来なかった自分が情けなく、惨めに思えた。畜生……悔しい……っっ!!
けど前を見るしかない。目の前を見て、堪えるしかない。今後ろを向くわけにはいかない。
だって振り返ればそこには、見下したように満足げに笑うあいつが立っているのだから。後ろを見るな、じっと我慢しろ。…………クソっ!